(二)海に降る雨

SE:タクシーのドア音


タクシーの運転手「おはようございます」


彩姫「(乗り込みながら)おはようございます。えっと、紙垂丸しでまる海岸までいいですか」


運転手「あ……お一人で?」


彩姫「いえ、現地で知り合いと待ち合わせてます。写真が趣味で、海の写真を撮ろうかって……あっあのっ変な写真じゃなくて、イソギンチャクとかヒトデの写真を撮ろうって……」


運転手「(安心したように)じゃあ、どうぞ」


彩姫「ありがとうございます」


SE:タクシーの発車、走行音


竜「(バッグの中からくぐもった小声で)歩いていける距離だろう……」


彩姫「(小声で)何言ってんの! 一番近い海岸って、ここから7キロも先なの!」


竜「昔はそのくらい普通に歩いていたぞ」


彩姫「この石純金かってくらい重いんだもん! これ抱えて7キロとか無理」


運転手「え? どうかしましたか?」


彩姫「いえ、ちょっと音声チャット中で……」


竜「なぜこの男はさきほどからこちらの動向を気にしているんだ?」


彩姫「一番近い海岸って言ったら紙垂丸っていうとこなんだけどね、自殺の名所なの。だから一人で行く人を見ると心配しちゃうんだと思う」


竜「(少し考えたあと)場所の選定が悪かったな。そんなところとは知らなかった」


彩姫「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」


竜「何だ」


彩姫「あなた、名前は」


竜「ジュスト、という」


彩姫「正義って意味だね。いい名前!」


竜「将来子どもにつけるとよかろう」


彩姫「日本でそんな名前つけると、キラッキラして目立っちゃうよ。私の名前も結構きらきらしてて恥ずかしかったりするんだよね」


竜「……サイキというのはプシュケーの英語読みだろう?」


彩姫「あ、よくわかったね!」


竜「母が教えてくれた。意味は、いのち、こころ」


彩姫「よく知ってるね。痛くて恥ずかしいよ。……あ、着いたよ」


SE:タクシーを降りる音、タクシーが走り去る音。海風と激しい波の音


彩姫「ほら、降ろすよ。この岩陰なら誰も来ないと思う」


SE: しゅうううという音


竜「(ぼやいて)ああ、こんな小さな石に出たり入ったり、老体には堪える」


彩姫「あんまり天気がよくないね。波も高いし」


竜「これくらい天気が悪いうちには入らん。……でも……、あ」


彩姫「何よ」


竜「ない」


彩姫「何が」


竜「私の体が」


彩姫「はあ?」


竜「あまり遠くはないがここにはない……今日は大潮だったな。引き潮に乗って海中へ戻ってしまった。離岸流もきつそうな地形だしなかなか厳しいな」


彩姫「はあ? 追尾魔法かかってるんじゃないの?」


竜「魔法みたいな根拠のしょぼいもので厳然と存在する自然の力に逆らうのがどんなに大変かということだ。私は海には入れない。満潮まで待つか」


彩姫「それっていつ」


竜「おおよそ6時間半後だ」


彩姫「7時間もここで待つの? 雨降ってきたよ」


SE:竜が翼を広げ、雨を受ける音。雨音。


竜「私が傘になろう。ここは岩陰で風がしのげる。これで問題あるまい」


彩姫「(嫌そうに)それが……あるんだなあ」


竜「なんだ」


彩姫「そこにね……お地蔵様が何体も立ってるんだよね……ここ、そういう場所だから」


竜「そういう場所とは?」


彩姫「自殺の名所だって言ったじゃん! この崖の上から飛ぶ人が毎年何人もいるんだよ」


竜「ああ、そういう話だったな……(お地蔵様に向かい)少々ここで時間を潰させていただきたい。失礼仕る。(彩姫に向かって)これでよかろう」


彩姫「怖くないの? 幽霊とか……あー、もう! 口に出すと集まってくるっていうから話したくなかったのに」


竜「人死になどよくあることだろう、何ということはない。私の生きてきたころはそのへんにごろごろ死体が落ちていた」


彩姫「えっ」


竜「自然死のもそうでないやつもだ」


彩姫「(しばらく考え込んでから)ねえ、ジュスト……あなたがソルシエルだったころ、何で体から抜け出して竜の姿になる必要があったの? 何か目的があったんでしょ」


竜「必要というより、最初は先天的なものだったんだ。(しばらく黙ったあと重い口で)一人でいたころは今でいうドローンのような使い方をしていたが、しまいには街を襲い、人を殺すようになっていた」


彩姫「ジュストは理由もなしにそんなことするようには見えないよ。誰かに命令されたの?」


竜「命令はされなかった。ただ周囲からそう仕向けられて(後悔しているように)……ああ、そんなことは言い訳にならん。醜い弁解だ」


彩姫「(ぽつりと)……なんとなくだけど、ジュストって人を殺したことがあるような気がしてたよ」


竜「私は一度も望んで人を殺したことはない」


彩姫「うん、そうだと思う。信じる」


竜「信じてくれるか」


彩姫「不思議なんだけど、ジュストに会ってからずっとね、怖いとか嫌いっていう感じがないの。なんかね、変なんだけど、一緒にいるとふわーっとするっていうか、お世話してあげたくなるの。私が味方してあげなきゃっていう感じ」


竜「(暗く、小さく)……それは」


彩姫「(竜の台詞に構わず)ジュストって棘だらけの巨大トカゲなのに、なんかすごくかわいい気がするの。あ、ペットみたいな感じとはちょっと違ってね、……うーん何て言ったらいいんだろう? よくわかんないんだけど、なんか、ちょっと、母性本能くすぐる、みたいな? とげとげのでっかい竜なのにねえ。 あはは、ほんと自分でも何言ってんのかわかんないんだけどね。(間)あれ、どうしたの黙りこくっちゃって。気分悪くした?」


竜「いや」


彩姫「あのね、ちょっと思ったんだけど……脳にナノサイズの電位測定器入れて、特定のイメージをディスプレイに表示するっていう技術があるの。もうそれはエンタメ的にも実務的にも実用化されてるんだけど、ちょっと危険だからイメージドナーになる人はまだ少ないの」


竜「(心持ち暗く)そうか」


彩姫「3Dで立体映像にもできるし、ちょっと工夫すれば質感も与えられるはずなの。その技術に似てるね」


竜「(息をのむ)」


彩姫「(徐々に賑やかに)……私ね、大学院でそれ研究しててさ、企業とタイアップで資金も死ぬほど潤沢でさ、すごく楽しかったんだ。イメージオブジェクトに物理的なテクスチャを添加する方法考えて論文書いて、教授の名前ではあったけどいっぱしの学術雑誌にも載せてもらったし。でね、それやってる企業の開発部門に就職することになってんの! 名指しで、私を雇いたいって! 子どものころからすっごく憧れててさ、ほんとラッキー! 大学院に通いながらでいいって言ってくれたし、博士資格を持った人材確保のために学費も援助してくれるの! 私、業界トップランナーの研究に携われるんだよ! 私もイメージドナーになってさ、ひょっとすると想像上の動物が出せるようになるかもなの! これも何かの縁だね」


竜「やめとけ」


彩姫「え?」


竜「それは、誰も幸福にしない」


彩姫「やってみなくちゃわかんないじゃん」


竜「科学者の実践欲が生み出したものが核兵器であったことは記憶に新しいだろう」


彩姫「(小ばかにしたように)新しくありませんよー。だいたいさあ、核兵器とは全然別ものでしょ? これはエンターテイメント方面での民間利用しか目的にしてないし」


竜「(ため息をついた後、間をおいて)少し、静かにしていてくれ。考えを纏めたい」

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