4.試用期間(1)




 名もなき王都の一番内側、王宮や国務を担う機関などがある宰相府などがある中枢区は慌ただしい空気で包まれていた。使用人たちが動き回り、軍人たちの出入りもいつも以上に多い。


 国王の秘書官であるシトロンは苛立ちを露わにあちこちに指示を飛ばしていた。オレンジ色に近い濃い金髪と、同じ色の耳と尻尾を持つ彼は狼の魔獣族で見た目は二十代前半といったところだ。背こそあまり高くないが、引き締まった体と精悍な顔立ちをしていて、すれ違う女性の使用人が頬を染めていた。


 若くして国王の秘書官になったシトロンの評価はこの中枢区内で二つに分かれている――一つはただの王の従者だったのに異例の速さで今の地位に抜擢され、王からの信用も厚く、その実力を高く評価する声、もう一つはその若さゆえに妬まれ、彼がその立場になった特殊な経緯から実力を疑われ、あなどられる声。

 正直なところシトロンは自身の評価を気にしていなかった。彼は国王の役に立てればそれでよかったからだ。しかし、この事態が主に後者が多くいる一派によって起こされたとなれば話は別だ。もっとこれ見よがしに力を示してやればよかった。






 国王が伴侶――アルディモアから嫁いできた聖女でもある王妃を亡くしてから百年以上がたつ。その間に新しく中枢区に勤めるようになった者たちの派閥がこの妃選びをはじめたのだ。十年前に隣国アルディモアの聖女でありザルガンド国王の娘でもあるアルティナが亡くなり、王に子がいなくなったという取ってつけたような理由で――。


 バカじゃないのかとシトロンは思った。このザルガンドの国王はその強大な魔力のおかげで不老不死だ。子どもがいようがいまいが彼の治世がこれからもつづくだろうに。


 その派閥のリーダーは財務大臣のドゥーイ卿だった。彼は魔族としては力が弱いが金に強く、金の力で今の地位についたと言っても過言ではなかった。実力主義極まっている中枢区で彼が権力を伸ばしているのは「金も実力の内」と言ってはばからなかったからだ。


 ドゥーイ卿が中枢区で働くようになってまだ百年もたっていないし、彼は人間の国で生まれた精霊族だったためザルガンドに昔から住んでいたわけでもない。それでも国王が不老不死だということも、彼の伴侶となる人がどんな人なのかも噂くらいには知っているはずだ。


 絶対にまともな理由で妃選びなんて言い出したはずない……。


 シトロンののどは不満にうなった。妃候補として招かれる人間の国の女性たちの経歴を見ればそれがよくわかる。このザルガンドは基本的に近隣国との国交を開いていない。唯一、アルディモアだけにそれを許していた。

 聖女でもあった王女を妻に迎えたことと、国王とその王女との間に生まれた娘を聖女としてアルディモアに預けたことの二つの理由からだ。今でも良好な関係がつづいているが、かと言って他の人間の国と関わるつもりはなかった。外に出れば魔族は忌み嫌われるか、逆にその力にすり寄られるかのどちらかで、どちらにしろ迷惑なことこの上ないからだ。


 しかしドゥーイ卿は人間の国との国交をもっと開けば金になると思っているらしい。実際に、今まで何度もそんな提案をしてきた。が、そのたびに却下されていた。今回、彼にとっての好条件が色々と重なったためにこんな手段に出たのだろう。


 どうして陛下は妃選びなんて許したんだ……。


 シトロンには国王の考えがわからなかった。この国の国王は、娘が亡くなって十年ずっと喪に服している――つまり引きこもっていた。

 実力主義極まっている中枢区はそれでも仕事が回ってしまうのだからしょうがない。国王の気持ちもわかるし、どうしても必要な時は引きこもったまま書類仕事くらいはしてくれる。だから引きこもり許されたのだが、今は宰相も不在なのだからさすがにどうにかして欲しかった。


 欲しかったのだが、シトロンが説得しても国王は部屋から出てこなかった。ドゥーイ卿の身勝手を嫌う軍部では彼の候補者の対抗馬を用意しはじめているらしい。派閥争いも激化しそうだ……。






 憂鬱な気持ちでシトロンは中庭に来た。国王の大切な庭に、この城ではシトロンだけが踏み込むことを許されている。

 花に囲まれた、美しい霊廟がそこにはあった。国王の愛した人が眠っている霊廟だ。アルディモアから嫁いできた聖女もここに眠っていた。


「一体、どうしたらいいんだ……」


 シトロンは弱音を吐いた。風に花が揺れて答えるのに、シトロンの言葉には誰も答えることはなかった。






***






 ガタンと、馬車が大きく揺れた。第二区と第三区の間にある壁を越えたのだ。花街がある第二区よりも美しく整えられた石畳の道と整然と並ぶ建物。第三区は空気さえもどこか上品に感じる。


 中枢区以外の区画は、この名も無き王都で暮らす民なら簡単に行き来ができる。馬車ならば、乗る時に王都に住んでいることがわかる身分証を提示するだけでよかった。膝の上にあった着替えや貴重品が入った鞄を抱え直し、ミモザは馬車の窓からはじめて見る第三区の街並みをぼんやりと眺めた。乗合馬車にはミモザのように荷物を抱えた若い魔族が数人いる。全員、王宮に向かうのだろうか? みんな真新しい服を着ている。ミモザも頭にはいつものスカーフが巻かれているが、着ているものはアデラやミルヴァがプレゼントしてくれた新しいシャツとエプロンスカートだ。


 蘭の館の店主であるファレーナに城で働くための採用試験を受けようと思うと告げた時、「がんばってくるんだよ」とやさしく背中を押してもらえた。それから、いつでも帰ってきていいと。ファレーナは蘭の館の娼婦や男娼を含めた働く者たちにとって母親的存在だったが、ミモザにとってもそうなのだと改めて実感し、ミモザは少し涙ぐんだ。


 手紙を書くことを約束し快く見送られ、乗合馬車に乗ったミモザはやっと第三区の一番内側にたどり着いた。目の前には中枢区の門がある。同じ王都の中だがこの四つ目の壁の前には堀があり、橋が架かっていた。橋の手前には門塔があって、他の区画の行き来とは違い、中枢区への行き来にはそこで厳しいチェックを受けなければならない。


 推薦人であるガシェのサインが入った許可証と身分証を出して荷物検査をし、やっと中枢区に入れば、そこには王都であることを忘れさせるくらい自然にあふれている。裏門にあたる場所なのだろう。入るとすぐに今回の採用試験を受ける人たちが集められていたが、ミモザは驚いて目を瞬かせた。




 二十人ほどいる希望者が、見事に女性ばかりだったからだ。




 たしかに妃選びに合わせての募集なので女性を多めにというのもあったかもしれないが、それでもとにかく多かった。しかもみんな不必要に着飾っている……ように見えるのは気のせいだろうか?


 名前を確認した後、全員で馬車に乗り込み更に奥へと進む。着いた場所は王宮――ではなく、そこで働く使用人の寮だった。寮と言っても立派な建物で、通いの使用人もいるようだったがそれでも大勢がそこで暮らしているのがよくわかる。

 人間で言うと五十代くらいの、三つ目の使用人頭と彼と同じく三つ目の若い女性がミモザたちを一列に並ばせた。どちらもしゃんと背筋が伸び、凛々しい顔立ちがどことなく似ている――二人は親子だった。


 と言っても、ミモザの記憶にある若い女性はもっと子どもだった。男性の方はかつてミモザが聖女として生きていた頃にもこの王宮で使用人頭をしていたが容姿はほとんど変わらない。知らないフリをしないといけないけれど。


「ようこそいらっしゃいました。私はこの王宮の使用人頭を勤めております、パランティアと申します。こちらは私の補佐のスティナです」


 クリーム色の髪をきっちりとまとめたスティナは軽く会釈をした。


「彼女には私の補佐の他にも女性使用人のまとめ役を任せています。男の私では話しにくいこともあるでしょうから。

 あなた方にはこれから試用期間として三十二日ほどこの王宮で働いていただきます。部署は後から割り振りますが、基本的には何でもしていただく形になるでしょう。本採用になった際に正式な配属先を決めることになります。

 今から寮を案内し、スティナが今後のことを説明します。もし何かわからないことや不安なことがあれば私かスティナに言ってください――とりあえず、質問はありますか?」


 パランティアの問いかけに一人が採用人数についてたずねた。十人ほど採用する予定らしい。他に質問が出なかったので、「それでは後はお願いします」とパランティアはスティナに告げて王宮の方向へと去って行った。






 残されたのはスティナと今日集まった採用希望者たちだけだ。


 ミモザはちらりと様子をうかがった。スティナだけになると途端に見下したような視線を向ける者も何人かいて、ミモザは内心あきれてしまった。


「では、ここからはわたしが担当します。まずは寮を案内します。荷物を持ってください」


 そんな視線を気にも留めず、はきはきとスティナはそう言って希望者たちに背を向けると先立って寮に入って行った。


 使用人たちの寮は快適な空間だった。


 一階は共有スペースで応接室や談話室、食堂があり、ちょっとした渡り廊下を渡った奥の離れは大浴場になっている。キッチンや洗濯場は半地下にあり、そこで働く者たちもちゃんといるが、自分で調理や洗濯をしてもいい。

 二階は急に泊りになった通いの使用人のための宿泊室や仮眠室がある。それより上はそれぞれの部屋があるのだが、一応使用人の位が高いほど上階を使い、部屋も広かったりシャワールームがついていたりするらしい。


 ミモザたち希望者は本採用になるまでは二階を使うことになった。大部屋を使うように言われて早速不満を漏らす者もいたが、スティナは全く耳を貸さなかった。半分ずつ、二部屋が割り当てられた。

 自分の簡易ベッドに荷物を置いて――ベッドの周りはカーテンで仕切ることができた。病院のようだがありがたかった――用意されていた制服に着替える。上下がつながっているタイプの服だ。下はズボンになっていて、膝より少し長めの丈だったので持っていたタイツをあわせてショートブーツをはいた。ポーチがついたベルトも一緒に置かれていたのでそれも身につける。


 外に出てまた整列すると、やっと仕事の説明だ。


 王宮には様々な仕事、様々な部署があり、ミモザたちはとりあえず各部署に割り振られることになるが、基本的にはいろいろな仕事を経験してほしいので他の部署の応援に呼ばれることも多くなるだろうということ。言い方は悪いが雑用係だ。

 食事は三食出るが休憩時間は割り振られた部署によって違うためそれにあわせること。仕事は本採用になれば部署によって夜勤もあるが、採用試験の期間は朝から夕方まで。休日は基本的には三日置きに与えられること。給金はきちんと出ること。


 ひと通り説明を終えたスティナは「それでは」と箱をどこからともなく取り出した。


「この箱の中にある紙に各部署の名前があります。引いた紙に書いてあった部署がとりあえず最初の十六日間の担当部署です。その期間が終わったらまた紙を引き直して別の部署配属し直します。

 勝手に交換や交代をすることは認められません。引いた瞬間から紙にはあなた方の名前が刻まれます。紙は回収しますから、交代すればすぐにわかります。では、はじから引いていってください」


 ミモザが引いたのは、洗濯係の紙だった。



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