5.試用期間(2)




 王宮の使用人の仕事は様々だ。掃除や洗濯、調理、庭の手入れ、畑や家畜小屋もあるためその世話もあるし建物の修繕など大工仕事をする部署などもある。また、宰相府や中枢区内の軍施設にも専門の使用人がいてそれぞれ仕事をしているらしい。

 部署ごとにリーダーとサブがいて、大勢いる使用人をまとめている。ミモザたち採用希望者は便宜上“見習い”と呼ばれ、王宮よりも使用人寮周りでの仕事を主に割り振られた。






「どうしてわたしがこんなことしないといけないのよ!」


 ミモザはくじ引きで洗濯係になったが、それ以外のことも含めて蘭の館での仕事の経験が活き、苦にはならなかった。しかしミモザのように仕事を楽しむものばかりではない。聞こえてきた高い声に気を取られて、ミモザは洗濯場で吹き出した水蒸気を顔いっぱいに浴びてしまった。「大丈夫?」と、隣にいた使用人の先輩にクスクスと笑われ、羞恥で顔を赤らめた。


 王宮に来てから七日目――ミモザと同じく試用期間中の一人が怒りに任せて洗濯物を床に放り投げた。今は各調理場の制服の洗濯中だ。油汚れやソースの染みなど厄介な汚れが何種類もあるので洗濯もひと苦労だった。

 魔法が使える者は魔法も使うが、うまくやらないと生地が傷んでしまうし細かい汚れを見落としがちなので洗濯機や手洗いも併用していた。


 叩きつけられた洗濯物は幸い洗濯前の物のようだった。いや、よくないが。頭に生えた獣の耳の毛を逆立てて怒るミモザと同じ見習いに、ミモザもミモザの隣にいた先輩もあきれた視線を向けている。


「あなたは使用人の求人を見てここに来たのでしょう? 試用期間中なんだから与えられた仕事くらいきちんとこなしてください」


 注意したのは洗濯係のリーダーだった。癖の強いくるみ色の髪を強引にまとめて頭巾の中につめこみ、入りきらなかった一房は彼女のゆったりとした体型を包む制服と同じく、白い洗剤汚れがついていた。

 ほとんど天井に近い背丈の彼女を怒りをあらわに見習いの魔獣族は睨みつけたが、歯牙にもかけられていない。


「わたしは陛下にお仕えするために来たのよ! あなたたちだってそうでしょう!?」

「えっ?」


 突然巻き込まれて、ミモザは目を瞬かせた。他の見習いの者たちをぐるりと見渡すと、何人かは気まずそうにしている。


 ミモザはその時はじめて初日に妙に気合いの入った格好をしていた者が多かった理由に気がついた。


 つまり、妃選びに合わせて行われる求人で城勤めになり、うまく王の目に留まれば自分が妃になれるかも……と考えた者が少なからずいたのだ。王でなくても、城で働く有力者でもいいのかもしれないが。でも――


「違いますけど……」


 うっかり目が合ってしまったミモザはおずおずとそう答えた。でも、全員がそうとは限らない。まあ、確かにミモザも国王に用事があるのだが、見初められたいとかは話が別だ。ミモザ的にはむしろ顔を合わせるのを避けたいくらいなのだから。そうでなくても国王に見初められようなんて現実的じゃない。それに城の給金はそれなりにいいので普通に稼ぎたくて応募した者もいる。


 ミモザの答えに魔獣族の見習いは眉をますますつり上げた。そんなに睨まれたって、どうしろと言うのだ。


「いい子ぶらないで! それ以外何があるっていうの!?」


 「給料ですかね……」と口の中でもごもごとつぶやくと、魔獣族の彼女には聞こえなかったようだが隣にいた先輩の耳には聞こえたようで先輩は笑いをこらえるためにぐっと唇を真横に結んだ。


「つまりこの仕事をしたくないのね?」


 ため息交じりにリーダーが言った。「ではスティナさんにそう報告します」と。


「寮の部屋に戻って結構ですよ」

「なっ……!?」


 床に捨てられたままだった洗濯物をリーダーは拾い上げた。もう彼女には興味のかけらもない様子だった。顔を怒りで真っ赤にする彼女に背を向けて、成り行きを見守っていた洗濯係のメンバーに仕事に戻るように促す。

 どんな末端の仕事でも、仕事をきちんとしなければそれなりの対応をとられる。ザルガンドはそういう国で、この王宮のある中枢区は特にそうだった。だから立身出世を目指して国中から魔族が集まるのだ。


 ミモザも作業に戻った。魔獣族の見習いはどうしてかミモザを睨みつけ、肩を怒らせて洗濯場を出て行ってしまった。






「どこにでもいるのね、そういうの」


 使用人寮の食堂で夕飯を食べていると、隣にいた見習いが声をかけてきた。あの洗濯場での一件について話題に上りミモザが詳細を話すと彼女はほんの少し眉根を寄せた。試用期間中の見習いは明日が休みの者が多く、食堂はどこかのんびりとした空気で包まれている。

 ミモザは一人で食事をしているつもりだったが、周りにはミモザと同じように食事をする見習いが固まっていた。話しかけてきた隣の彼女はやわらかな桃色の髪が綿菓子のようで可愛らしいが、少しせっかち気味に話す子だった。ティンクという名の彼女は妖精族で、家族が多いので出稼ぎにきたという。


「あなたのところも?」


 別の子がたずねた。


「そうなの。手より口の方が動いてていやになっちゃう」

「洗濯場のその子も、王さまに会いたくてここに来たみたいで……もっと上の方の使用人みたいなことをさせてもらえると思っていたみたい。傍仕えとか……」


 「たぶんだけど」とミモザはつけ足した。「やっぱり」とティンクはうなずく。


「最初の日、随分と着飾ってるなと思ったのよね。使用人の募集だからって働きはじめたばかりの使用人が傍仕えなんてできるはずないじゃない。ねぇ?」

「というか、女の使用人が妃選びに合わせて候補者の身の回りの世話とかに回されたから人員補充のために募集があったみたい」


 向かいの席の見習いが付け足した言葉に「なるほど」とミモザは思った。妃選びには人間の王女も来るらしいので彼女たちの近くで働く女性使用人を増やしたかったのだろう。それで元からいた使用人を昇進させ、下を追加したのだ。そのための女性使用人を新しく募集するより、王宮内に慣れている者を昇進させた方がたしかに合理的だろう。


「王さまのこと、見たことある?」


 別の大人っぽい雰囲気の見習いがささやくように言った。ミモザが人間の国にいた頃、地方でもそれなりの街ならその国の王族の絵姿が売られたり飾られたりしていたが、ザルガンドはそうではなかった。


「わたしはないんだけど」

「わたしも。でも母さんは若い頃に見たことがあるって。お妃さまと一緒によくお出かけになっていたみたい」


 ミモザは首の後ろがむずむずした。確かに前世でこの国の王妃である聖女だった時、彼と結婚してからはよく視察と称してザルガンドのあちこちを見て回った。アルディモアもそれなりに魔力が高い国だが、ザルガンドの足元にも及ばない。暗闇の森と星明けの山脈に囲まれたこの地は不思議な場所がたくさんあり、アルディモアの王女でもあり聖女でもあったミモザの前世は物珍しさでよく外出をしたがったのだ。


「とても素敵な方みたいね」

「自分が見初められようなんて思わないけどね」


 ミモザは特にコメントせずちょっと肩をすくめてスープを飲み切った。


「今はほとんど外に出られてないじゃない? お妃選びがはじまったら出てこられるかしら?」


 どうなのだろう……ここに来てから、ザルガンドの国王が聖女アルティナが亡くなって以来、喪に服すと言って引きこもっていることを知った。その間、姿を見たのはごくわずかだという。ミモザとしては鉢合わせしたくないのでこのまま引きこもっていてほしいのだが。

 「ごちそうさま」と言って席を立つ。もし本採用になったらパランティアかスティナに事情を――国王の娘である聖女アルティナの元で働いていたことだけを打ち明けて、髪飾りをたくせないだろうか? そんなことを考えながら。






***






 試用期間の半分を終えると、予定通りくじを引き直して担当部署の変更をした。ミモザは調理場のくじを引いて使用人寮に配属され、見習いを含め王宮の使用人たちのために寮の調理場で働くことになった。

 と言っても、主な仕事は洗い物や、野菜の皮むきなどだった。もちろんここでも洗濯場のように魔法も使われるが魔法だって何でもできるわけではないし使い手も限られているので足りない分は手を動かすしかない。


 使用人寮の調理場は通いだが長く働いている者が多い。無愛想な者もいるがそういう者も含めて基本的にはみんな誰かに料理を食べさせるのが好きで、若い世代――と言っても、魔族は必ずしも見た目と世代があっているとは限らないのだが――の世話を焼きたがった。

 しかしそれもあくまできちんと真面目に仕事をしている見習いに対してだけだ。今日も調理場では何人かの見習いが注意をされている。やることが残っているのに調理場の隅に置かれた椅子に座っておしゃべりしていたからだ。


 ミモザはあきれたようにため息をひとつ落とし、すぐ外の小屋にある薪を取りに向かった。


 採用試験を受けに来た者の中には、給金の良さに惹かれた者や問題になっている国王はじめ有力者目当ての者はもちろん、“王宮で働いていた”という肩書目当ての者もいた。二十人ほどもいれば必ずしも全員が真面目というわけではなく、洗濯場でミモザを睨んできた見習いのような態度を取る者も、隠れて手を抜く者もいた。

 使用人たちをまとめているのがパランティアとスティナなので、隠れても無駄だと思うのだが……顔と名前が一致しない、今後もつき合いがあるかわからない相手にミモザがそれを教えることはない。


 小さな台車の上に薪の束をいくつか乗せると、小屋の傍でサボっていた見習いが――調理場では見ない顔なので、別の部署の担当だろう――ニヤニヤとこちらを見ていた。最近、特に異性からこういう視線を向けられる。理由は何となくわかっていたが、ミモザは気にせず調理場へと戻っていった。






 特に大きな問題もなく試用期間を終えた最終日、見習いだった希望者たちは寮にいるように告げられていた数名も含めてそろって使用人寮の入口の前に立っていた。目の前にはパランティアとスティナがいて、パランティアの手元には書類の束がある。どうやら試用期間中の見習いの様子がまとめられているらしく、彼はパラパラとそれを眺めていた。


「まずは試用期間、お疲れさまでした」


 書類をひと通り見終えたパランティアが口を開いた。彼の黄緑色の三つの目が静かに希望者たちを見つめていた。


「これから本採用になる者の名前を言っていきます。全員発表し終えた後に何か聞きたいことがあれば質問を受け付けます。もちろん、後日個人的に採用、不採用の理由を私に聞いてくださってもかまいません。が、結果が覆ることがないことはご了承ください」


 そこまで説明すると、彼はまた手元の書類に視線を落とし、何か印がついているのかそれを確認するようにゆっくりと本採用になった者の名前を告げていった。


 結局、本採用されるのはミモザを含めた八人だった。女性が多いが、男性もいる。あの日以来ミモザによく話しかけてくれたティンクも含まれていた。


「――以上となります。何か最後に質問などのある方は?」

「どうしてあの子が選ばれているんですか!」


 高い声に振り返ると、あの日、洗濯場で騒いだ魔獣族の見習いがミモザを指さしながら顔をしかめていた。


「娼館にいた女なんて、王宮で働くのにふさわしいとは思えません!!」


 驚きや、不躾な視線がミモザに向けられた。「やっぱり」とミモザは思った。配置換えの後、ミモザが花街にいたと少し噂になっていたのだ。ニヤニヤと嫌な目で見てくる者が増えたのもそのせいだろうとミモザは思っていた。どこで知ったのかわからないが、この魔獣族がそれを広めたのだろう。


「王宮で働くのにふさわしいかどうかにその者の出身や前職は関係ありません。真面目にきちんと仕事ができ、私生活に大きな問題がない者であればいいのです」


 パランティアは静かに、しかしきっぱりと言った。


「あなたのように途中で仕事を放り出したり、あるいは隠れて仕事に手を抜いたりする者を採用することはできません――バレていないと思っている者もいるようですが、あなた方の勤務態度はこの試用期間中、ここにいるスティナと私でよく見させていただきました。

 我々は千里眼を持っているので」


 心当たりのある者の顔色が変わった。そうでない者も驚きに目を見開いている。パランティアとスティナの父娘は千里眼を持っていて、王宮内くらいなら簡単に見通すことができた。もちろんプライベートをのぞき見するようなマネはしないが、不審な者がいないかなどの監視や、彼らが取りまとめてている使用人たちが問題なく仕事をしているかを見るのには十分すぎるくらいの能力だ。


「他に何か言いたいことがある者は?」


 先ほどまでの静けさの中にはっきりと厳しさが滲んだ声だった。






 不採用の者たちが去った後、本採用にあった八人は改めて使用人寮を案内され、ミモザは三階に狭いが自分の部屋を与えられた。隣の部屋はティンクだ。「改めてよろしくね」と差し出された手をしっかりと握る。しっかり者で面倒見がいいティンクがこの試用期間でミモザは好きになっていた。これから仲良くなれたらうれしい。


 寮の個室はベッドとクローゼット、机と椅子くらいしか家具はない。あと一応クローゼットの扉の裏に鏡はついていた。カーテンや寝具もついているが後は自分好みに整えていいらしい。着替えをクローゼットにしまってからミモザは聖女の髪飾りを取り出した。

 三十日と少し見習いとして働いただけでも見知った顔をいくつも見つけた。きっと髪飾りを託せる相手も見つかるはずだ。大丈夫――きっとちゃんと、彼の手に渡る。


 ミモザたちが本採用になると妃選びの候補者がザルガンドを訪れる日も一気に近づいた。どんな候補者が集まるのか、ミモザはもちろん知らないし、知るすべもない――胸の奥が刺すように痛んだが、それをこらえるように服の胸元を握りしめた。


 彼には誓いを忘れて自由に生きて欲しい……その気持ちに嘘はない。でも妃選びを目前にして何も感じないわけではなかった。

 彼はどんなつもりで妃選びをすることにしたのだろう? いつだって彼は自分の足で彼女を見つけた。でも今回はそうではない……何か事情があるのか、それとも……いや、何であれ関係のないことだと、ミモザは自分に言い聞かせた。






 でもできれば、彼が誰かを選ぶ前に役目をはたして蘭の館に帰りたい。



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