2.この国で一番有名な恋物語
月と星が空の主役になる時間帯になると、花街は一日で最も活気あふれる時となる。蘭の館は今日も繁盛をしていて、一階の酒場には様々な魔族の客でにぎわっていた。
ひと口に魔族といわれているが、この世界では大きく四つに区分されている。
一つはごく普通の動物や鳥が魔力を持って生まれたり魔力を得たりして魔族となった「魔獣族」で、彼らは身体能力や五感に優れているといわれている。人間と同じ姿をとっていても獣の耳や尻尾、翼などの特徴はそのままで、また、元々の姿になることもできる。
一つは花や草木、泉など自然から発生した「妖精族」で、彼らは総じて悪戯や楽しいこと好きで魔族の中ではそれほど魔力が強くないが魔法とは別に幻術を操ることができる。誰もが美しい翅を持っていて、執念深い一面がある。
一つは人間が作った道具などが年月を経て魔力を帯び、そこから生まれた「精霊族」で、彼らは人間とほとんど変わらない姿をしていることが多い。原型の特徴を持っているものも時折いるが数はそれほどではない。一方で、原型に即した特技や魔法を持っていることがある。
最後の一つはそれ以外の「魔人族」で、これは人間がつけた名称のため魔族はほとんど使用していない。ドラゴンやエルフ、ケンタウロスや人魚など魔獣でも妖精でも精霊でもない種族のことをまとめた名称だ。本来の姿が何であれ人間の姿にもなれたり、あるいは体の一部が元々人間に近い形をしていたりするため魔人族と呼ばれるようになった。
妖精や精霊は人間の世界にも生まれるが、ザルガンドの者たちよりも総じて力が弱く、人間には姿が見えないことがほとんどだ。ザルガンドの妖精族や精霊族が人間にも姿が見えるのはそれなりの力を持っているか、魔道具で姿を現わしているかのどちらかだった。
ザルガンドのある暗闇の森はもともと魔族がそれぞれの種族ごとで集まってくらしていた。ザルガンドという一つの国になってもそれは変わらないが、様々な種族が集まって新しく作られた街もある。この名も無き王都もその一つで、蘭の館の客たちも――もちろん働いている者たちも――種族は様々だ。
ミモザは酒場の手伝いをしながら、必要に応じて二階や三階の階段を駆け上った。もっと夜が更けないと上の階を使う客は増えないが、それでも扉が閉じている部屋はある。
蘭の館は一日にそう多くの客を取らせない。多くても二人ほどだし、一晩に一人だけの場合が圧倒的に多かった。金払いのいい客が多く、そういう客はお気に入りが他の客を取るのを嫌がって早くから相手の時間を買ってくれるのだ。
「ミモザ」
煮込み料理とビールを三つテーブルに運んだミモザは、身なりのいい紳士のスケッチをしている男に呼び止められた。彼――ローリエは蘭の館で働く男娼の一人だったが、絵を描くのが好きで客からの依頼で肖像画を描くこともある。以前チップをはずんでくれた彼の客の一人が、一部ではローリエの描く肖像画はとても有名なのだと話してくれた。
「さっきガシェさんが来て、ミモザを捜していたよ。あっちのテーブルにいる」
「ガシェさんが? なんだろう……ありがとう、兄さん」
「ついでに赤ワインとグラスを二つ持ってきてくれって誰かに頼んでくれる?」
「わかりました」
客の紳士に頭を下げ、途中でカウンターにローリエの注文を言付けるとミモザは言われたとおり奥の一人がけのテーブルにいる大柄な男のところに向かった。
ガシェは熊の魔獣族で、王国軍に所属する軍人だ。濃い茶色の髪を短く刈り、がっしりと大柄だが顔立ちは穏やかで気のいい性格だった。本人曰く軍での地位はそれほど高くないらしいとのことだが王都の一番内側――王宮の警護などをすることもあるらしいので、そこそこの地位なのだろうとミモザは思っていた。
「いらっしゃいませ、ガシェさん」
ミモザを見つけるとガシェは明るい笑顔を見せた。
「呼び出してごめんよ。忙しかっただろ?」
「大丈夫ですよ」
「実は聞きたいことがあって……」
ガシェは少し気恥ずかしそうにした。
「今度、ミルヴァを芝居か何かに誘おうと思うんだけど、彼女、芝居とか好きか知ってるか?」
「えっ? お芝居ですか?」
「ああ。もし芝居がそんなに好きじゃないのに誘ったら申し訳ないだろ? 彼女は断れないだろうし……」
「休みの日に誘うんじゃないんですか?」
「ま、まさか!」
そう言いながらガシェは顔を赤くした。
蘭の館ではきちんと代金を払えば日中でも娼婦や男娼と会うことができる。買い物をしたり芝居を見たり、夜と同じ仕事をしなければかまわなかった。一方で、もし恋人ができた場合――客と恋人同士になることもある――休みの日ならば普通にデートをしに行くことができる。
ガシェはミルヴァの常連で、彼が本気でミルヴァに惚れているのは蘭の館の公然の秘密だった。公然の秘密なので当然、他の常連客も知っている。今も近くの席の常連客がガシェに微笑ましい視線を向けていた。
ミルヴァもガシェを気にしているようだったが、仕事が仕事だけにあまり口には出さなかった。なんとなく、ガシェが来るといつもより嬉しそうだなという程度だ。
「ちゃんと仕事として誘うよ……それで?」
「そうですね、嫌いではないと思いますけど、内容にもよると思いますよ? どんなお芝居をやってるんですか?」
「一番人気なのは、やっぱりあれだよ――黒いドラゴンと人間の女の子の話さ」
それはこの国で一番有名な恋物語だ。
大昔、暴れ者の一匹の黒いドラゴンがいた。人間に退治されそうになり傷を負ったところを人間の女の子に助けられる。彼女のやさしさに触れてドラゴンは心を改め、やがて二人は恋仲になるが、人間の方が寿命が短いため死に別れることになる。
ドラゴンは旅に出て彼女の生まれ変わりを探す。長い年月ののち、生まれ変わりである人間の聖女に出会って愛を告げ、聖女はかつての記憶を取り戻し二人は再び結ばれる――。
というお話だ。
「それなら……いいと思いますよ。小説を読んでいたのを見たことがありますし」
「ほ、本当か!?」
「ミルヴァ姐さんを呼んできましょうか? 今のところ他のお客さんは入ってませんから」
「頼む!」
ガシェはたっぷりとチップをミモザに握らせた。「うまいものでも食え」とか「もっと太った方がいい」とか言われるのがくすぐったい。
ミルヴァは三階に部屋を持っている。階段をのぼりながらお芝居のことを考えた。あの恋物語は本にもなっているし、ミモザがザルガンドに来てからの十年間だけでも何度も舞台化された。何だったら人間の国のアルディモアにも伝わっているくらい有名なお話だ。
そしてそのモデルはこの国の国王と今は亡きその恋人だった。聖女が出てくるのは最新版で、登場人物の聖女は、亡くなった聖女アルティナの母親――先代の王妃がモデルだろう。
この国の国王は長い時を生きるドラゴンで、かつて人間と恋に落ちた。恋人が亡くなってからは彼女の生まれ変わりを探し出し、ずっとたった一人を愛しつづけている。その愛が受け入れられても、受け入れられなくてもだ。
これはザルガンドでは有名な話だった。三階の廊下の窓から、遠くに王宮が見える。壁をあと二つ越えた向こう側だ。今、国王には恋人も妃もいない。
ミモザは髪飾りのことを思い出した。ザルガンドに、名もなき王都に来たのは、髪飾りを王宮へと届けるためだ。この十年でその方法を色々調べもした。一番いいのは王宮で職を得ることだろうが、それは難しい。時折使用人の募集をしているが、軍部や中枢区で働く者から推薦を受け、身元を保証してもらわないといけない。ミモザはアルディモアの出身でこの国に親戚などがいなかったし、推薦してくれるほど親しい者もいない。
小包として送ることも考えたが、無事に国王の手元に届くかわからない。出所がはっきりしないと処分されてしまうかも……ガシェが国王の傍にも行ける軍人なら彼に届けてもらうよう頼めるのに、それもはっきりしない。他にも店に来る軍人はいたが、地位が高い者ほど直接二階より上に行ってしまうのでミモザには接点がなかった。
三階のミルヴァの部屋をノックすると「どうぞ」と軽やかな声がした。扉を開けるとミルヴァは長椅子にだらしなく体を預けてファッション誌を読んでいるところだった。
「あら、ミモザ」
「ミルヴァ姐さん、またそんなかっこうで」
「お客さんが来たらちゃんとするもの。どうかしたの?」
「ガシェさんが来たの。姐さんをご指名です」
「まあ」
ミルヴァは雑誌を閉じて立ち上がると、鏡の前に行ってちょっと身だしなみを整えた。
「姐さん、後ろ髪も直した方がいいよ?」
「そう? お願いできる?」
櫛を手渡され、ミモザは手早く崩れていた髪を直してやった。やはりミルヴァはガシェのことが好きなのだろう。いつもよりずっと表情が華やかに見える。
「部屋を整えておいて。ガシェさんは匂いの強いものが好きじゃないからお香はいらないわ。終わったら鍵を持ってきてね」
「うん、わかった」
ふわふわの飾りがついた鍵を渡されてミモザはうなずいた。軽やかに階段を下りていくミルヴァを見送って、部屋を過ごしやすいように整えておく。雑誌と一緒に、ついさっきまで考えていた恋物語が置かれていた。
表紙は美しい絵が描かれている。黒いドラゴンの足元に細身の少女がいて、二人はお互いを見つめ合っていた。ミモザはそこから視線を逸らすように、小さなキャビネットの中に本と雑誌を押し込んだのだった。
明るい夜が終わり、空が白くなってきた頃にはもう花街は疲れた雰囲気を漂わせていた。客たちは明るくなり過ぎる前に帰途につく。それぞれの店の前では掃除をする者や、客を見送る眠そうな娼婦や男娼の姿があった。
ミモザが酒場の片づけを手伝い、客が帰った後の二階三階から洗濯物を集め、やっとひと息ついたころにはすっかり朝になっている。大浴場を借りてさっぱりした後は“家”に戻り、一階にある食堂でパンとスープ、それから酒場の余りものの朝食をとった。
「お疲れ様、ミモザ」
コーヒーを手に話しかけてきたのはミルヴァだった。片手で長い耳をちょいちょいと毛づくろいし、にこにこと笑顔を振りまいている。顔には疲れも見えるが、それ以上に機嫌の良さがうかがわれた。
「姐さんもお疲れ様。何かいいことでもあった?」
ガシェとの間に――と思ったが素知らぬフリをしてミモザはスープをかき混ぜながらたずねた。
「そうなのよ」とミルヴァは隣に座り、テーブルの真ん中にあるパンの入ったかごを引き寄せて中のパンを一つ手に取るとコーヒーにひたしはじめた。
「実はガシェさんにお芝居に誘われたの。お仕事でボーナスが出たんですって。昼間に会うのははじめてだからうれしくって」
仕事ではあるが本当のデートみたいだ。ミモザの方がにやけてしまうほど、ミルヴァは浮かれていた。
「よかったね、ミルヴァ姐さん」
「フフ、そうね。あと、ミモザにもいいことがあるのよ」
「えっ?」
「ガシェさんから聞いたんだけど、お城で使用人の募集があるらしいの」
ミモザは目を丸くした。
「ガシェさんがよかったら推薦してくれるって。ミモザ、お城で働きたいって前に言っていたでしょう?」
王宮で働きたいというようなことをミモザは何度かこぼしたことがあった。ミルヴァはそれを覚えていて、ガシェにわざわざ聞いてくれたのかもしれない。
「うん……」
ほとんど飲み切ったスープの水面を見つめた。そんなミモザの様子に、ミルヴァは「どうするか決めたら教えてね」と告げるとあくびをかみころしながら食堂を後にした。
朝食を終えて部屋に戻る途中で、何度かため息がこぼれた。とりあえずひと眠りしようと部屋に戻る。六人部屋の二段ベッドの一つ、ミモザの寝床は上段だ。
ごろりと横になる前に、それまで頭に巻いていたスカーフをはずした。ふわりと長い髪が落ちる。毛先に向けて白っぽくなるグラデーションの金髪だ。手ぐしで整えて、ミモザは仰向けに寝転がった。
このスカーフはミモザの母親の形見だ。マットレスの下に隠してある平たい小箱を取り出して開くと、そこには聖女アルティナから預かった髪飾りが入っている。これは、アルティナの母親の形見。
これを父親に届けて欲しいというアルティナの気持ちはわかる。ミモザだってもし自分が明日死ぬことになったらこのスカーフを父に届けてほしいと願っただろう。もっとも、ミモザの父は幼い頃に亡くなってしまったのであくまで想像だけれど。
まさかこんな突然チャンスがやってくるとは思っていなかったから、ミモザは少し混乱していた。もちろん、ガシェの申し出はありがたく受け入れるべきだと思う。でもちゃんと、王宮に行った後のことを考えなければ――この国の国王に髪飾りは届けたいが、ミモザは正直なところ、国王と顔を合わせるのを避けたいと思っていた。
長いまつげに縁どられたまぶたを閉じてゆっくりと息を吐く。髪飾りとスカーフを抱いたまま、ミモザはゆっくりと眠りについた。
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