呪われた少女の旅立ち

水遣これ

第1話

 戦争犯罪人として捕らえられていたその女は、とても清々しい表情をしていた。

 私の横で罪状が訥々と読み上げられ、彼女はそれを受け入れるかのように、しっかりと私達を見据えて静かに聞いていた。全てを諦めた人間も、烈火のごとく怒り狂い罪状を否定する人間も、自分のしてきたことを悔やむ人間も、自分のしでかしたことを誇りに思っている人間もここに運ばれてきたが、彼女のような人間はこれまで見たことがなかった。

 だから、つい余計な質問をしてしまった。

「ハル・レックスフォードさん。貴方は自分の罪状について異論はないのですか?」

「ありません。私はあなた方が読み上げた通りの罪を犯しました」

「ここは裁判所です。貴方には抗弁する権利が認められているのですよ」

「抗弁の必要を感じません」 

「では、こう質問しましょう。先程の罪状で異議を挟む箇所はありますか」

 質問の仕方を変えると、彼女は罪状の何箇所かを指摘した。

「その点は私の過去と異なりますが、大筋は変化ありません」

「なぜ貴方は、罪状を正直に認めるのですか?」

「犯した罪は消えませんし、罪を償うのは当然です。それに……」

「それに?」

「『私は大丈夫』だからです。私にそれを教えてくれた人がいたから、恐れはありません」

 彼女を彼女たらしめるなにかはきっと、彼女の過去にあったのだろう。それが何なのか、私は彼女の過去が知りたくなった。

「なるほど。そのお話に興味があります。ぜひ、お話いただけませんか?」

「ええ。いいでしょう」

 彼女は自らの過去を、透明な湖から掬い出すかのごとく、一言一言たしかめながら話し始めた。



***



 私は生まれつき、呪うことしか能のない人間だった。

 性格の話ではない。私は本当に呪いの才覚が生まれつき人より優れていた。

 最初に犠牲になったのは両親だった。

 理由はもう思い出せないけど、きっと子供じみた仕様もないことだったのだろう。両親は私をきつく叱った。私は彼らに嫌われたのだと思った。そして、私を嫌いになった両親を心の底から嫌ったのだ。

 次の日、朝起きると両親がいなくなっていた。

 母親は家の外で逆さ吊りになって死んでいた。

 父親は海に沈んでいたのを漁師が見つけた。

 その時は、まだ自分がしたことだと理解していなかった。私は五歳にして独りになった。

 私の呪いの力を見込んだ軍部の人間に引きつられ、私は人を殺す場所で育つことになる。

「君には素晴らしい力がある」

 そこで、私は自分の力のなんたるかを学んだ。自分が両親に何をしたのかも、私は知ることとなったが、何の感情も浮かばなかった。それを知るころには両親との生活よりも軍での生活が長くなっていて、おぼろげな記憶の一つになっていたからだ。自分を生んだ人間を自分の手で殺したという実感がなかったのだ。

 私は学び、戦い、殺した。

 呪いの扱い方を身に着けた。

 言われるとおりにターゲットを抹殺した。

 殺す人数も次第に増えていく。

 最初は一人だったのが二人になり、二桁になり、三桁になった。

 殺人を犯すことに何も感じなくなるには幼すぎた私は、血みどろに倒れていく人間を見ては無邪気に上官に報告していた。上官は私を褒めて、嬉しそうに死体の数を報告書に記載した。ミッションを達成すれば褒めてくれる上官だけが私の生きがいだったといえるだろう。

 そんなふうに振る舞っていれば、罪というものを知っている人間に嫌われるのは火を見るより明らかだった。でも、私は軍という特殊な環境にいたせいでこのことに気づくのが遅れた。

 だからこそ、失敗したときの痛みは大きかった。

 私が十二歳のとき、私は自分に扱いきれない呪いをかけてしまった。呪術の失敗において最も恐れるべきは、呪いが自分に跳ね返ってくることではない。跳ね返ってきた呪いが負の感情をまとって、それがまた呪いとなりフィードバックすることだ。術の中で呪いがショートすればその呪いの圧力が非常に高くなり、大きな事故を引き起こす。

 本来ならばそこで私自身が呪い引き受けることによって相殺するべきだったが、子供の私には失敗したときの対処法を冷静に行うことができなかった。

 私のかけた呪術は強く大きなものに变化し、ターゲットだけでなくその街全てを覆い尽くした。墨のような黒い光の雨が街に降り注ぎ、その光に貫かれた人間は異形のものに变化し、人々を襲った。上半身が犬で下半身が人の化け物。腕が駝鳥の羽になった化け物。人々は逃げ惑い、怪物がそれを追い回す。

 阿鼻叫喚の地獄絵図を前に、私は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 棒立ちしていると右足がなにかに引っ張られている感触があった。私が下を見ると男がすがりついていた。

「助けてくれ! 頼む! アンタ軍人なんだろ!」

 私の年の二倍はありそうな男性が、恐怖が張り付いた顔で私にむかって必死に助けを呼ぶのだ。

「ひっ」

 そこで初めて私は悲鳴を上げた。その男が怖かったからだ。私は今まで人間を一瞬で呪いころしていたから、恐怖の表情を見る機会がなかった。人間は追い込まれたとき、このような顔をするということを、私は今になるまで知らなかったのだ。

 次の瞬間には、男は怪物に下半身を引きちぎられ、絶命した。私は怯えながらも、その怪物を焼き殺した。そして、いたたまれなくなって私は逃げた。誰も助けず、振り返らず、ひたすら遠くに逃げようとした。

 そんな逃亡が達成できるはずもなく、私はすぐに発見され、投獄された。 

 私はここでようやく、自分が何者であるのかを悟った。人を呪い殺すとはどういうことなのか、ここがどういう場所なのか、そして、どうして自分がこの場所にいるのか。

 今までの歓びに満ちた日々は反転し、愚行を重ねた忌まわしき記憶になって私を苛むようになった。私は彼らの苦しみや悲しみについて何も知らずに、嬉しそうに彼らを潰していたのだ。その日から自分の殺した死体が夢の中で蘇り、私を責めるようになった。話したことも会ったことすらない人々が私を囲んで追い詰める。私は発狂しそうだった。

 檻の中の生活も長くは続かなかった。私はあっさり部隊に復帰させられることになる。結局のところ、失敗に対して罰を与えることよりも、私を活用することのほうが損得勘定で勝ったということだろう。失敗ではあったが、この異変は私が強力な呪いを使えることを間接的に証明した。

 もちろん、周りの人間の私を見る目は変わった。事あるごとに褒めてくれた上官も、一転して腫れ物に触るような態度で私に接するようになった。部隊の人間も私には冷たくなった。失望されたなら、挽回の余地はあったかもしれない。でも彼ら彼女らの態度は、あからさまに私を怖がっていた。自分たちのコントロールの域を超えて、何もかもを呪いの渦に巻き込んでしまう私を怖がるのは、呪術や魔術を専門に扱う特殊部隊でも例外ではなかった。

 こうして、私は一人ぼっちになった。罪悪と孤独で私は腑抜けたように、ただ指示通りに人を殺す機会となることで、自我を保とうとした。

 知らぬ間に、私は軍隊の中でも一流の戦果を上げる人間となっていた。そんなことは私にとっては全く取るに足らないことだったが。


 そうして4年が経過した。

 当時は、きな臭い噂が流れてはいたものの、まだ情勢は安定していた。軍の、特に特殊部隊が出陣することはなかったので、私はゆったりとした時間を過ごしていた。私は軍の中でも破格の待遇を受けていた。周りの人間から忌み嫌われているのは変わらなかったけれども、自由が増えることでそのような人間に関わらなくて済むようになったのは僥倖だった。

 なのに、暇につけこんで部隊間の交流会が企画された。出席をするつもりはなかったが、上官に参加を強制されたので、渋々出ることになった。

 避けられている人間がそんな会に出たところで、部屋の隅で料理を持って立ち尽くすだけだ。この苦痛の時間がいち早く過ぎ去ってくれることを願いながら、私は歓談に励む人たちを遠くから眺めていた。

「あの!」

 突然、話しかけられたので、私は危うく右手に持っていた料理を落としてしまいそうになったのを今でも覚えている。

「ハルさんですよね!」

「え、ええ。はい」

 彼女は鼻と鼻が触れ合いそうなくらい顔を近づけてきて「本物だ!」って叫んだ。

「あえて大変光栄です! うれしいです! 私、ニナ・ファイアストンっていいます! 名前だけでもいいので、ほんとにいいので、覚えてください!」

 彼女は私の両手を鷲掴みにして振り回した。握手すらままならないくらい、嬉しかったのだろう。

 彼女は軍で会った人間の中でも雰囲気が違った。国家の繁栄のためには人を殺すことも厭わない軍隊に、彼女のような明るい人間は不釣り合いだった。

「私、会いたかったんです! これからも仲良くしましょう! 友達になりましょう!」

「友達って……」

 そういうと彼女はすぐどこかに行ってしまった。階位の高低を一切無視して、私を友人だという人間はいままで会ったことがなくて、怒るとか呆れるとかを通り越して私はおかしくて腹を抱えて笑った。こんなにおかしいと感じたことは、生まれて初めてだった。


 それから私とニナは、二人ででかけるようになった。休暇の日は二人で街に繰り出して、着る機会のない服を見繕ったり、話題の甘菓子を一緒に食べたりしていた。

 例えば、ニナがにやにやしながら、赤色の派手な服を私に押し付けてきたことがあった。

「ハル! こんなのどうですか?」

「これはちょっと、際どくないかい?」

「全然そんなことないです! ハルはスタイルいいですから、きっとこんな服も似合います!」

「いや、私にも好みというのがあって」

 私の言うことを全く聞かないで、試着もせずに私の服を勝手に購入してしまった。

「サイズが合わなかったらどうするつもりなんだい?」

「大丈夫です。ハルの身体は把握済みですから」

 ニナはとても怖いことを言った。本当にその服は私の身体にぴったりだったため恐怖は倍増した。

 始終こんな調子だったが、ニナは時には別の顔を見せることがあった。 

 夏から秋に変わる季節の節目のころだった。いつものとおり街で二人で遊んだ帰りに、私は馬車ではなく徒歩で帰ることを提案した。少しでも二人の時間を延ばそうという魂胆だった。

 そして夕暮れの道を歩きながら、気になっていたことを聞いてみた。

「そういえば、ニナはどうして私のことを知っていたの?」

 新人だったニナが、公にはされていない私たち特殊部隊のことを知っていることが疑問だった。

「ニナは軍隊に入って初めて特殊部隊というものを知ったのですが、そこに悪名高い呪術師がいるって聞いて、興味が湧いたのです」

「ホントに?」

「ハルは何を疑ってるんですか? 本当ですよ」

 出会ったときのニナの態度はとても関心を持っているだけの人間の反応とは思えなかった。でも、それ以上はニナは答えなかった。

「じゃあ、どうして軍隊に入ろうと思ったの?」

「うーん」

 ニナは考え込むようなポーズを取った。

「ニナは確かめたかったんです。」

「というと?」

「ハルが思ってるとおり、軍人というのは人を殺します。ハルのいる特殊部隊とか、特に人を殺すことに特化している感じですよね。そんなふうに人間同士が争っている中で、人間を信じるに足る何かがあることを、私は確かめたかったんです」

「どうして?」

「……ニナの街は戦争に巻き込まれたんです」

「え……?」

 ニナはそんなことはおくびにも出さなかったし、ニナの表情は変わってない。

「だったら、軍隊に入ろうとは思わないでしょう」

「うーんと、逆です。だから入ろうと思ったんです。目の前で死んで傷つく人もたくさん見ました。だから、こういうことをする人たちを間近で見たかったんです。『人間ってのは互いに殺し合う醜い生き物なんだ』って、切り捨てたくなかったっていうか。それじゃあ、このニナも醜くなっちゃうじゃないですか。うまく表現できないんですけど、ニナも人間だしそれは価値のあることなんだっていう、何かをこの軍隊っていう場所で見出したいなあって」

 ニナがそんな大層なことを考えて軍隊に入ったとは思ってなかった。このどこか捻れた感情こそが軍隊という陰の場所で明るく振る舞っている原動力になっているのだろう。

「ニナは軍に入って、良かったと思ってますよ。なんせ、特殊部隊のエリートと悪名高いハルさんがこんなに優しい人だと知れて、ニナの目的は達成されたのです」

 ニナはにかっとはにかんだ。

「それは買いかぶり過ぎだよ……」

 ニナの無垢な言葉が私の胸に刺さった。

 私は優しくなんか無い。優しいフリをしているだけだ。

「そんなことありません! ハルはもっと胸を張るべきです……、あれは……」

 ニナは突然、真後ろに方向転換し、右手の路地のほうを凝視すると走り出した。

「急にどうした?」

「あそこに傷ついた猫がいるみたいなんです!」

 私は急いでニナの後を追った。私たちから路地の奥を見ることはできないが、ニナはなぜか呪いのせいで怪我をした動物や人間を見つけるのが非常に得意だった。本人曰く「人より鼻が利くだけですよ」と言っていたけれど、ニナには並外れた呪術者の素質があるのではないかと当時の私は睨んでいた。

 本当に、お腹から血を流している子猫が苦しそうに横になっていた。その猫のお腹は蛆のような文字が傷口から溢れている。これが呪いの、最も原始的な形だった。呪いは人為的なものだけではなく、動物が他の動物を攻撃したりしてできるケースもある。動物の中にある負の感情が呪いという形をとって現れる。

「これくらいなら、私がなんとかするよ」

「いいえ、いつまでもハルにまかせてはいられません! 今回は私がやってみます!」

 ニナはその猫のお腹に手のひらを向ける。すると、呪いが猫のお腹を離れ、彼女の手のひらに引き寄せられて消えた。私でさえ舌を巻く鮮やかさだったので、あまりのことにびっくりしてしまった。呪いを生み出すことは容易だが、消すことは困難を極める。こんなに簡単に呪いを取り除くことができるのは、一流の呪術者でもそうそういない。

「ハル! どうでしたか、いまのは!?」

「うん……。いや、驚いたよ。ニナには呪術の才能があるよ。それも、ただ人を殺すためじゃない、きっとこんなに簡単に呪いを消せるニナなら、呪術を使って人を助けることもできるかもしれない」

「本当ですか? ハルに褒められるなんて! 今日は最高の一日です!」

 ニナはその場で小躍りした。そんなニナを見ていると私まで嬉しい気分になった。

 このとき、私がニナに疑いの目を向けていたら、未来は変わっていたのだろう。でも、こんな毎日が私に、疑問を感じるという習慣を忘れさせてしまっていた。



 幸福な日々も長くは続かなかった。

 国が西の小国を侵攻し占領したことを契機に、大国同士の大規模な戦争が勃発した。特殊部隊である私たちは前線で戦うことを強いられる。ニナと会える機会は次第になくなっていった。

 私はニナと会える日だけを生きがいにして、死が充満する荒野に立った。魔術師や呪術師は、戦地に染み付いた負の感情、悲しみや憎しみを力に変える。だから、私たちは厳重に守られる一方で、術の展開時には、死が充満する戦地の最前線に立つ必要があった。

 いつも生きるか死ぬかの瀬戸際だ。敵側の罠で、すでに術が展開されているところに入り込み、絶体絶命の状況に追い込まれることもあった。それでも、私はニナとまた会えることだけを希望にして、なんとか生き抜くことができた。

 なのに、ニナと会う度に私は次第に不安を感じるようになったのだ。

「これ、ハルにプレゼントです!」

「……ありがとう」

 それは、北西の山間部でしか咲かないという貴重な花だった。枝先についた小ぶりの白い花が綺麗でニナは一目惚れしてしまい、ポケットに潰れないようにしまいこんでここまで運んできたのだという。

「とても、可愛らしいわね」

 私は笑顔を取り繕った。

「えへへー」

 その笑顔に、ニナは純真無垢な微笑みを返す。

 私は胸が痛くなった。

 数えることすらできないくらいの人間を死に追いやっている私が、ニナと会う資格はあるのだろうか。日陰で生きるしか無い私と、日向の住人であるニナ。私たちの道は、どこかで間違って交わってしまったけれど、本来は出会うはずもなく、出会うべきでもないのではないか。

 彼女の明るい笑顔を目にすればするほど、私の心は暗い森の中に吸い込まれていった。

 私は北西の大規模侵攻に志願し、「会うのはもうこれっきりにしよう」とニナに告げた。

 ニナは少し寂しそうな顔をしたけれど、「帰ってくるのを待っています。ニナも生き延びますから」と言って、私を見送った。

 

 良好かと思われていた戦況は、一転して急速に悪化した。小国への占領に味をしめた司令部は、北西部の地方に次々と侵攻し占領に成功したものの、国を跨ぐ山脈に阻まれ、戦線はじりじりと後退に追いやられていた。さらに南北から進行してきた敵軍に包囲され、私たちは撤退するしかない状況に追い込まれていた。

 しかし、軍司令部はそうは問屋を卸さなかった。逆転の一手として、兵士を無理やり侵攻させ、死者数が増加したところで、条約で禁止されている禁術を展開して敵軍を一網打尽にしようというのだ。

 そして、その禁術の展開を行うのに、私が選ばれたのだった。

「どうしてですか!?」

 私は上司を問い詰めた。上官は、逡巡したのち当たり障りのない答えを言った。

「……君が最も呪いを媒介しやすい体質だからだよ。君自身がよく知っているだろう」

「私が聞きたいのはそんなことではありません!」

「……私だって反対はしたさ。こんなのはあまりに馬鹿げている。はじめて爆弾というものを知った子供が考える、ふざけた絵空事だ。でも、私がいくら説いても、彼らは聞く耳を持たなかった。反対したのは私だけではない。でも、彼らは頑として意見を変えなかった。

 成果がでなければ、私たちも君たちも死ぬのだから、だそうだ」

「クソが……」

 怒りのあまり私は血がにじむまで拳を握りしめていた。上官はそんな私に何も言わなかった。私も、それ以外、何も言えなかった。上官を責めることもできたかもしれないし、彼女もそれを望んでいたかもしれない。それがわかっていたから、私は何も言うことはできなかった。

 私は逃げられないように、戦地の真ん中で軟禁された。怖がらせないためか、窓一つない、外の音も聞こえない部屋だった。私はそこで、ニナのことを考えた。ニナだけは、生き延びていてほしい。異様な静寂が包む部屋で、私はただそれだけを願った。

 そして時が来た。

 私が一週間ぶりに見た世界は、終わっていた。周囲のあちこちで黒い炎が燃え盛っており、肉体が焼け焦げる匂いが充満していた。もはや敵味方関係なく、あたりの全てを焼き尽くそうとしか思えなかった。私が術を展開することもないのではないか、と疑問を抱かせるほど、死が空を覆い尽くしている。

「いったい、なにが……」

「司令部は術式を完全なものにするために、南東部から魔術師による砲撃を行った。太古より伝わる、一月は消えないという黒炎の魔術を込めた砲丸を打ち込んだ」

「そんな……」

 もはや人道など眼中にないというのか。これだけの魔力を込めて、しかも危険とされる太古の黒魔術を使えば、術者も無事ではいられない。

「ごめんなさい。私には何もできないわ」

 そう言って、彼女は私に手のひらを向けた。

 このときまで、私は自分から何かをするのだと誤解していたのだ。私はただの操り人形で、他人のされるがまま、呪いをぶちまけるのだと、手のひらがそう言っていた。

「あんた! 最初からそのつもりか!」

「私にも拒否権はないの。命令を拒否すればこの首元のチョーカーが爆発する仕掛けになっている。誰も彼もが、この戦場という呪いにかかっているのよ、ハル」

 上官の操るがままに私は腕を広げ、世界に広がるありったけの憎しみや悲しみを吸収しはじめた。

 底抜けに黒い感情が私の胸の中に流れ込んできた。光すらも通さない黒色の感情で私は私じゃなくなりそうになっていた。自我を保つことが精一杯だった。

 死ぬ間際の記憶、皮膚を焼かれる強烈な痛み、仲間が味方の誤射で死んでいく光景、飢えを凌ぐために食べた人肉の味、殺し合いにともなう全ての感覚が私の感覚器官で再生される。これは私じゃない、それも私じゃない! 

 感情の濁流に飲まれないように、私は必死でニナのことだけを思い出していた。

 そして、濁流は止まった。

 私の中に入った感情は、呪術の回路を通り一筋の黒い光となった。

 私は目の前が真っ暗になった。



「ハル……、ハル……」

 誰かが私のことを呼びかけている。

 これは夢だ。夢? 死後の世界なのかもしれない。

 はっきりしない頭で私は現状を整理しようとした。

 私の中で強制的に起爆された呪術回路によって、私は気を失った。もともと、私ごと全てを吹き飛ばすつもりだったのだろう。生きているのが不思議なくらいだ。

 あれほどの感情を爆発させたら、何が起こるのだろう。生きている人はいるのだろうか。

 もういい。

 もうなにも考えたくない。

 私は考えるのをやめたいのだ。

「ハルってば!」

「ニナ?」

 その声で私は飛び起きた。

 そして、世界は真っ白になっていた。

 いや、違う。これは霧だ。世界が濃い白い霧に覆われている。

「ハル!」

 ニナが私に抱きついてきた。

「良かった……。生きてて……」

 私は今にも泣きそうな彼女を撫でてあげた。久しぶりに見るニナは少し痩せた気がした。

「どうしてここに……?」

「えっと、私、急いでここに来たんですけど、間に合わなくて、なんとかハルを見つけたんです」

「?」

 ニナの発言は要領を得なかった。

「首都にいたんじゃないのか?」

「ハルに危険が迫っている気がしたので、ここに来ちゃいました」

「どうしてそんなことが分かるの?」

「西の方で風がざわざわしてたんです」

「風?」

「すみません。ニナはずっとハルに隠していたことがあるのです。きっと、ハルのせいでこんな身体になった、って言ったらハルはニナのこと嫌いになっちゃうから」

 そう言って、彼女は制服の上着を脱いで背中を見せた。そこには、黒い翼があった。その翼はカラスのような光沢があって、禍々しい気を漂わせていた。

「ニナは、本当はこんな姿なんです。ふつうの人だなんて、嘘をついててごめんなさい」

「……人じゃなかったの?」

 ニナは首を振った。

「生まれたときは、他の人達と同じ姿でした。ただ、ニナは非常に身体が弱かったのです。同い年の子供と同じ距離を走ることすらできなくて、いつも寝たきりでお母さんやお父さんに迷惑ばかりかけてました。でも、十二歳になったとき、私たちの街に呪いが振ってきたんです」

「もしかして……」

「そうです。ハルのかけた呪いです。『戦争があった』なんて嘘ついちゃいましたけど、このおかげで私は元気になったんです。きっと、この呪いが周りの負の感情を私の生命力に変換しているんだと思います」

「そんなはずは……」

 呪いがなにか正の効果を生むはずはない。でも、たしかに私の術によって変えられた化け物は死なずに生きていた。それは呪いによる力のはずだ。

「ハルの考えていることはわかります。本来なら、ニナもあんな化け物になっているはずだったんです。でも、この呪いは精神ではなくて、私の身体だけに降り掛かったんです。きっと、私の身体が弱かったから化け物に変化するための力が身体だけに集まったんです」

 いろいろなものを見せられて、私はまだ混乱していたけど、一番知りたかったことをまだ聞けていないことに気がついた。

「ニナはどうしてここに来たの?」

「ハルを助けるため……、と言いたいところなんですけど、私はこれをなんとかしに来たんです」

「この白い霧のこと?」

「はい。この白い霧は、強大すぎる呪力が何もかもを溶かしてしまってます。憎しみや悲しみが膨れ上がった結果、『何もかもなくなってしまえばいい』という根源的な憎悪のままに、ありとあらゆる生命を溶かしてこの白い霧ーー生命の元のようなものでしょうかーーに還元してしまっているんです。このままだと世界から生命が消えて、白い霧に包まれた死の星になります」

「それとニナに一体なんの関係があるっていうの?」

「この状態を元に戻すには、生命が持っている本来の形を思い出させるしかありません。いまそれができるのは私しかいません。呪いを保ったまま人の形をしている私なら、きっと、この霧の中にある憎悪から生命を選り分けることができるんです」

 私はニナがこれからどうしようか、そしてどうなるのか、だんだん予想できてきた。私は、それが悪い予想だと思い込みたかった。

「どうして、そんなことがわかるっていうの? 私だってそんなことを勉強したこともないのに……」

「呪いとともに何年も過ごしたからでしょうか……。隠してたけど、ニナも結構つよい呪い使えちゃうんですよ」

「ニナはどうなるの?」

「ニナも、生命の選り分けで呪いと切り離されてしまうと思います。そうなったら、ニナはたぶん……」

 私はニナの身体を抱き返した。きつく、その身体を確かめるように。

「行かないで! 白い霧なんて、まやかしでしょ? ニナの言ってることもきっと全部デタラメだよ。だから、どこにも行かないで……」

 そう言うと、ニナはいつものお得意の笑顔を浮かべた。

「ハルの力があったから、ニナは生きることができたんです。この身体のせいで、ニナはひどいことたくさん言われたし、殺されそうになったこともあります。『お前をこんな身体にした人間は極悪人だ』なんてふうに、ハルを言ってた人もいました。でも、ニナはそう思えなかったんです」

「どうして……。私はあのとき沢山の人を殺したのに……」

「ハルならそう言うと思ってました。そう言えるなら、ハルは極悪人じゃないんですよ。

 ニナは信じてました。どんなに残虐非道なことをしているように見えても、私の身体の中に流れるハルの呪力だけは嘘をつかないんです。呪いって負のイメージじゃないですか? でもこの力のなかに、優しさが見え隠れするんです。だからニナは、他の人がなんて言おうと気にしませんでした。

 それで会ってみたら、本当に優しかった。私はとっても嬉しかったんです。やっぱり、生きててよかったなって」

 ニナは私の右耳に、まるで子供をあやすような口調で、私をなだめる。

「ハルは私をこんなふうにしたんです。だから大丈夫。私がいなくなっても、きっと……」

 ニナは私の腕を解くと、その黒い羽を大きく広げた。

「待って! 行かないで……」

「さようなら、ハル……」

 彼女は西方へと消えていった。私が手を伸ばしても、彼女は振り返ることすらしなかった。

「ニナ……」


 刹那、淡い緑色の光が空を満たした。そして、まるで何事もなかったかのように、白い霧は急速に木々や動物、人間の形に戻った。全てが終わったそこには、春めいた青空が広がっていて、それを見た兵士らは、自分たちはどうしてこんなことをしていたのだろう、と戦意を喪失し、各々の家へと帰っていった。これは不思議な停戦だったと、大きく報じられた。



***



「それから貴方は、彼女のような可能性を探って、自らの力を他人の幸せのために使っている、というのですか?」

「はい……。と、言いたいところですが、やっぱり難しいです。この力は人を殺すことに特化しすぎています。他人を呪うこと、憎悪や悲哀を引き受けることは価値のある物事と真っ向から反します」

「では、できなかったのですか?」

「いいえ。私はこれまでも何度か、ニナのように、何かに繋げることはできました。でも、所詮は負の現象なのです。私には『うまくいった』と信じることしかできない」

「貴方はその可能性を信じているというのですね」

「ええ。ニナが示した可能性を信じられるのは私だけですから」

「それは、貴方は自分のしてきたことを反省しているということなのですか?」

 隣の判事がより直接的な質問を投げかけた。

「反省はしていますし後悔はしています。大戦が始まる前から今まで、後悔しなかった瞬間はないし、過去を顧みない瞬間もありませんでした。ただ、誰かを呪うことしかできなかった私に別の道が開いたのです。それは、後悔や反省だけではない道を私に示してくれた、ということです」

 彼女は胡乱な答えを返したため、判事は顔をしかめた。

「閣下。彼女は幾万もの兵や民を殺戮した犯罪人です。このような無根拠な発言など信用に足らないでしょう」

 この発言を弁明だと捉えた書記が異論を唱えた。書記の言うことは正しい。我々の調査では彼女は大殺戮の主犯であり、彼女の主張を補強する証拠は一切なかった。一方で、彼女は自分の過去を示すことで刑罰から逃れようとする様子もないのであった。

「そうです」

 彼女は毅然とした態度で彼の言葉に同意した。

「私の現状がどのようなものであろうと、私の過去は無くなりはしません。罪を償うことになることは変わらないでしょう」

「なぜ貴方はそのような表情をなさっているのですか?」

「表情?」

「貴方はまるで、何もかもを受け入れていて、それでいて何一つ諦めていないかのような顔をしています」

 そういうと彼女は少し笑ってこう答えた。

「きっと、私は大丈夫って、ニナが教えてくれたからでしょうね」



***



 私が懲役刑を終えたころ、私の裁判を担当した裁判官が面会に来た。

 私は懲役6年の刑が下された。求刑は無期懲役だったから、大きく軽減されたことになる。

 理由の一つは、年端のいかない少女に戦争の責任を負わせるのは重すぎるという点だった。未成年の責任能力について議論があったということを、私の過去について尋ねた前の裁判官が教えてくれた。私が物心つく以前から軍隊に所属していたことも考慮されていたのだろう。

 そして、北東の国に逃亡していた私の上官が発見され、私のことについて証言してくれたことが決め手となった。彼女が私について、真実を包み隠さず述べてくれるとは思っていなかった。きっと彼女なりの罪滅ぼしのつもりだったのだろう。上官は無罪というわけにはいかなかったが、私がもう少し年齢を重ねたくらいのときには、刑罰の執行が終わるそうだ。

「ついでに、君の言っていたニナという少女についても調査したよ」

 私の証言が真実味を帯びてきたため、軍事裁判所はニナについて調査を実施したそうだ。

「私は君の証言の裏付けを取る目的で進言したが、調査団の本当の目的はあの不可思議な停戦を作り出した人間に興味があった、というところなのだろうね」

 そう裁判官はため息をついて語った。

 調査によると、彼女は私の呪いを受けたことで周囲から酷い中傷を受け家を追い出されていたそうだ。そして、どこかで彼女は私の噂を聞きつけて軍に入隊した。その頃には、自分が放つ呪いをコントロールできるようになっていたらしく、入隊試験でも普通の人間のふりをしていたらしい。身体検査も突破できるくらい彼女は優秀な呪術者だった。しかし、軍隊での生活の中で背中の黒い翼を隠し通せるものではなかったので、同室の人間など幾人かは彼女の秘密について知っていたらしい。それでも誰も密告しようとしなかったのは彼女の性格ゆえなのかもしれない。

「そして、これが見つかった」

 彼は机の上に一枚の黒い羽を置いた。

 ニナの翼の羽だった。

「これは君の言っていた少女の翼の羽だね」

「ええ、そうです」

「これは君に預けよう。せめてもの形見というものだ」

「……ありがとうございます」

 私はその黒い羽を手に取った。あのときは白い霧に覆われていたから、じっくりと見るのはこれが初めてだった。よく見るとカラスの羽のように、艶のある黒い光沢の中に薄っすらと青色が混じっている。綺麗だ。

 彼女の生きていた痕跡を手にとっても、私は涙を流すことはなかった。私の中でニナは行き続けているのだから、形あるものに揺さぶられることはないということなのかもしれない。

「それじゃあ」

「本当に、ありがとうございます」

 裁判官は去っていった。私が刑務所から出ると、そこにはあのときと同じ青い空があって、こんな天気なら家に帰りたくなるだろう、なんてことを思った。

 ニナが信じたものを私も信じよう。ニナが信じようとしたものを私が信じなければ、それこそニナの生が無駄になってしまう。

 ニナが大丈夫と言ったのだから、これから何が起ころうと『大丈夫』だ。

 私は黒い羽を胸にしまい、街への道を歩き始めた。

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