放蕩息子の帰還

美作為朝

放蕩息子の帰還。

 魚谷高雄うおたにたかおが普通電車しか停車しない駅舎に降り立った。昼日中この南向日みなみむこう駅に降車したのは高雄たかおただ一人。平たく薄っぺらい駅舎を出ると七月の高く強い日差しが高雄を容赦なく突き刺す。

 駅舎前の車回しには運転手が本気の昼寝中のタクシーが一台停車しているだけ。

 高校の時分はよく帰省したが大学に進学してからは最後がいつだったのか覚えていないぐらいの久方ぶりである。


「おぃー」


 聞き覚えのある大きな声が左から飛んできた。

 小さな青い軽自動車から半身を乗り出してショートヘアーの若い女性が手を降っている。

 高雄の妹の紀乃きのである。

 高雄はキャリーケースをゴロゴロ引きながら青い軽自動車にダラダラ向かった。


「焼けてまうやん、うら若き乙女を待たせんなって」


 と紀乃


「若干の手続き上のミスがあったんやわ」


 と渋い表情の高雄。


「駅前に、もあーっとあったのが無くなってるやん」


 と駅前をもあっと指差し高雄。 

 

「再開発ちゅーやつやな。来年の春に駅前にショピング・モールが出来んねん」

「大丈夫なん?」

「大丈夫ってどっち心配してるねん、お兄ぃ、南向日みなみむこうをなめんなよ、デフレ脱却やがな」

「俺の財布はずーっとデフレやけどな」

「後ろハッチ・バック開けよか?」

「後部座席でええわ」


 後部ドアーを開けて、なんとかキャリーバッグを入れようとする高雄。前席を倒していないので悪戦苦闘だ。

 

「お兄ぃ、バッグで車体こすんなよ」

「入ったわ」


 高雄とキャリーバッグがセットでどうにか後部座席に入った。


「後部座席って子供か!」


 紀乃が軽く突っ込んで青い軽自動車はスタートした。向かうは更に山あいの田舎の魚谷うおたに家である。

 軽自動車の後部座席は元バレーボール選手の高雄には狭い。膝は前席の裏に刺さった感じになっているしヘッド・クリアランスもほぼない。 


「軽の車内が広くなったって嘘やな」

「お兄ぃなぁ迎えに来てもらっといて、あんま文句いうなよ、これでも軽で一番長いローンでうた可愛い愛車なんやから、もっとありがたがれ」


 たった数年で南向日もすっかり変わってしまった感じだ。しかし町並みを眺めていると段々思い出してくる。

 大昔の思い出は良いが、最近に近づくほど嫌な思い出が浮かんでくる。あそこでカツアゲされたな、とか、あそこで職務質問されたなとか、あそこで泣くほど友人と喧嘩したなとか。あそこからパンクして家まで自転車押したなぁとか、あそこで『お前のお母さん、体育館来たはるどぉ』とよく友人から揶揄されたなぁとか。

 信号待ちの間に紀乃が容赦なく言う。


「どうせ、お母さんもお父さんも言わんと思うから先に言うとくけど、、」


 そこで間があった。信号が青に変わる。


「”借金取り”が来たで」


 高雄は少し顔をしかめ無言をつらぬいたが、長くは持たなかった。


「若干の手続き上のミスかな?」

「実際に来とるのに、疑問形ちゃうやろ」

「借金取りって債権者って言いなさい」

「借金取りは借金取りやがな」


 また軽自動車での兄妹のドライブ、時折ピッチの変わるカー・クーラーの音とロード・ノイズだけが車内に響く。


「どうやって、帰ってもらったん?」

 

 と高雄。


「おぉが『うちの敷地から出ろっ』いうて投げ飛ばしたんやがな、さすが元実業団の鬼コーチやな」

「おれが聞いてるのと大分違うやん」


 微妙な間の後、紀乃がバック・ミラーの中の目線だけで高雄を睨む。


「うちも御家おいえの大事とばかりに与力よりきしたがな」

「紀乃が最初に玄関から飛び蹴り喰らわしたって聞いたけど」 

「春高ベスト8のオポジットやど、それくらい楽勝やろ」

「大学で速攻リベロに回されてたやん」

「それ、一番言うたらあかんやつ。デフェンス力を活かしたと言いなはれ」


 上のカテゴリーにいってのコンバートは高雄にとっても禁句だ。あまり話したくない。

 沈黙のままドライブは続く。

 やがて坂をうねりだしたところで青い軽自動車は魚谷家に到着。


 元農家の魚谷家の家は大きい。そして家族全員平均的には大きい。父も大きい。母も大きい。本当に大きいのはここまでで高雄と紀乃は普通の人と比べたら大きいかなというレベルにとどまる。

 敷地も大きい。屋根付きの大きな納屋があり農機具がそのまま置いてある。しかし庭の外観が変わった感じもする。南向日の駅前と同様さっぱりしている。

 紀乃が超美技の左回りのバックで敷地内に駐車。さすが春高ベスト8のオポジットである。で高雄が口を開いた。


「庭木が丸坊主になって幹だけになってるやん。爆撃でもくらったん?」

「おとぉがな、剪定がもう歳で面倒や、いうて、吉根よしねさんところからチェーンソー借りてジェイソンしたんやがな」


 高雄としては返す言葉がない。

 剪定されすぎて外観が大きく変わった魚谷家の庭を高雄が眺めてると


「早よ、降りろ」


 と紀乃。高雄はまたもやキャリーケースと自分自身を車外に運び出すのに悪戦苦闘だ。

 紀乃はいち早く玄関に駆け込み大声で


「暑ぃー水ーぅ」 


 と外の高雄に聞こえるぐらいの大声で叫んでいる。


「これ、前の席どうやって倒すん?」


 高雄が屋内まで聞こえるように声を張り上げると冷蔵庫から氷を出すガラガラという音とともに


「知らぁーん」


 という紀乃の声。


 高雄は荷物と自身をどうにか車外に出すともう一つ敷地の印象が変わっている理由に気づいた。

 父のバーニング・ブラックのヴェルファイアがない。

 田舎は買い物や用事のため人数分車が必要なのだが母のシルバーの軽自動車はあっても父のいかついヴェルファイアがない。

 どうやら出掛けているらしい。

 敷地を見渡してぎょっとするものがあった。父が手作りの特製で作った屋外レシーブ練習用の板の間パンケーキマシーンが壁に立て掛けてある。

 まだ置いてあんのか、、、。

 友達が遊んでいる間もバレーボールの練習を泣きながらやらされた思い出がじんわり蘇る。 

 雑草除けの玉砂利をじゃらじゃやらいわせながら、かなり落ち込んだ気分で玄関までいき扉を開ける。

 高雄は思わず『ただいま』と言いかけたが、そんな身分でも気分でもないことにすぐに気づいた。

 キャリーケースの車輪を玄関の近くにある雑巾でちょこちょこと拭く高雄。こういった物の場所だけはなぜか身体が覚えている。

 またもや聞き慣れた声が頭上からした。母は背が高い。


「遅かったんやな。紀乃がLINEでマンジマークだけ連発で送ってたで」

 

 驚いて顔を振り上げると記憶よりかなり老けた母が三和土の上で高雄を見下ろして立っている。

 実際に面と向かって会うのは何年ぶりだろう。高雄は何か言わなければと言葉を必死に探す。


「四条で乗り換えミスった」


 ミスるはずがない。高雄は京都生まれ京都育ちだ。


 高雄はなんとか言葉を絞り出したが、母は返事もなく我関せずといったていで台所にもどっていった。

 ただ見に来ただけらしい。強行偵察である。母は元日本代表である。当時のソ連やキューバ、アメリカのブロックを打ち破ってきたのだ。こんなことなんでもない。

 どれだけおとなになっても子供が母親を出し抜くのは不可能だ。

 焦らされたせいで高雄も喉がカラカラだ。

 キャリーケースを妥協して玄関に置いたままにする。

 母の小言は必至だ。

 高いスポーツメーカーのスニーカーを脱いで居間に向かう。

 ダイニングでは、紀乃が既に氷の容積のほうが多いコーラを扇風機を独り占めにして飲んでいる。

 ダイニングの大きなテーブルには母がイベントでは必ず作る、すし飯だけ母が作る。手巻き寿司パーティーセットがもう広げてある。

 しかし、高雄が知っている往時のセットに比べるとネタのバラエティさが、かなり減った気がする。

 コーラを飲みながら紀乃が言う。


「おかん、緊張して寝られんいうて五時起きでこれやぞ、もっと、ありがたがれ」


 高雄は渋い顔のまま無言で紀乃を見て飲み物を冷蔵庫から取り出すことは諦めた。

 ダイニングを通り抜け居間のTVの前にどかっと座った。

 居間は何も変わっていない。

 変わったのは高雄だけだ。

 居辛いづらいのはまちがいない。

 と、思ったらドンとものすごい音がして氷入りの麦茶が今の机に二つ置かれた。

 元全日本メンバーの母だ。麦茶が二つということは長期戦が予想される。


「で、どうなん?」


 切り出しはこうだった。その後、高雄の返答を待たずして硬軟緩急おり交ぜた母の詰問がマシンガン・トークで繰り出される。


 朝何食べたん?、から

 東京に女がいるのか?、から

 昨日何時に寝たん?、とか

 ちょっと痩せたんちゃう?、とか

 監督さんはまだ怒ってはるの?、とか

 悪い選手が居たんか?、とか

 駅前のショッピングモール、どう思う?、とか

 東京の水はくさいんか?、とか

 顎の傷わからんようなったやん?、とか

 角のラーメン屋潰れたで?、とか

 あんた目どっちも一重になってるやん?、とか

 で、お金やけど今、正味いくら持ってんの?、とか、

 あれで紀乃に男が出来たんよ、どう思う?、とか

 保険証は持って帰ってきたんか?とか。


 それに対し高雄は。


 いやぁ、とか

 そうかな、とか

 まぁ、そんなこともないけど、とか

 まぁまぁ、とか

 そんな感じ?、とか

 わりとそうかな、とか

 そうではないと思う、とか

 ちょっとちゃうかな、とか

 まぁ概ねは、とか

 よく知らんけど、とか


 表現を曖昧にし疑問形にし断定をできるだけ避ける高雄の懸命のディグとレシーブが続く。

 しかし、これは事実を認定するための尋問ではなく、母親の疎遠になりかけた息子とのコミュニケーションを維持するための手段だったらしい。

 ある一定の時間だけ詰問攻めにすると、元日本代表として概ね万事が大丈夫だと判断した突端突然質問がやんだ。そして母は大女である大股で立ち去った。

 しかし、麦茶の氷は完全に溶けコースターもなにもなかったので居間の机はびちゃびちゃになっていた。

 

「紀乃、一人で涼んでんとちょっとは手伝いなさい」


 母の声が台所から聞こえる。

 高雄は手持ちぶたさでTVでもつけようかと思ったが、逃げていても仕方ないのはさっきと同じだ。

 一番気になることを母に訊いた。


「お父さんは?」

「高雄にほんまの美味しいシュリッツビールとワイン飲ませてやるいうて買いに出掛けはったえ」


 と母が答える。


「もう限界やわクーラー」


 と紀乃の声。


「クーラーながしたらすし飯がカチカチになるっていうたやろ」


 ちょっと間があり、母の声。


「それより、高雄っー!、二階のお父さんの部屋行ってワイン・オープナー取ってきてぇ。あれないとお父さんすごい機嫌悪くなるから」


 高雄も飛び起きる。

 放蕩息子が帰宅しただけで相当機嫌が悪いだろうに父が更に機嫌が悪くなるのはかなりまずい。

 それにやることができたことは歓迎されざる客の手持ちぶたさの身にとってはうれしい。

 キッチンでは母娘でやーやー言いながら手巻き寿司パーティーの準備中。

 高雄は、台所を抜けもうほとんど物置としてしか機能していない客間の前を通る。

 今回の帰省、実は高雄にとっては大きな目的がある。

 探しものがあるのである。

 それが実はこの客間のキャビネットにあるはずのだが、、、、。

 高雄がガラス張りのキャビネットを覗き込む。というより否が応でも目に入る。トロフィーに表彰用盾が大量に置いてある。総てバレーボール関係。七割が母のもので二割が紀乃のもの、残り一割が父のもの。高雄のものは残念ながら全中のときの一つだけである。

 魚谷家はバレーボール一家である。父と母が結婚してからはそうでもなかったかもしれないが、高雄と紀乃がバレーをやりだしてからは生活までバレーボール中心に回るようになっていた。

 高雄が失敗で敗者だったことは良いとして、魚谷家全員でバレーボールに打ちこみ大きな勝利と栄光をそこから得たのかは答えが非常に難しいところだ。

 選手として一番成功したのは母だろう。Vリーグの前身の社会人リーグでの輝かしい実績。

 トロフィーと盾の多さが証明している。父の魚谷姓を名乗っているため名前だけでは誰にも気づかれないが、高雄が小さいころなど繁華街や路上でいきなり握手を求められたり写真やサインを求められることがあった。

 それに平然と笑顔でしっかり答える母を信じられない思いで高雄は見ていた。

 しかし、母も本当の栄光はつかめていない。東洋の魔女以降、ボイコットでなく始めて実力で予選を敗退しオリンピックに出場出来なかったのが、母の代の全日本なのだ。

 代表をチームが敗退し解散したところで社会人のほうもすぱっと引退した。

 余程五輪出場に総てをかけていたことの証である。

 そこの社会人のコーチをしていたのが父である。父もトロフィーと盾が証明しているとおり大した選手ではなかった。一度だけ二年生のときに先輩に連れて行ってもらうようにインターハイに一度出場しただけで二回戦負け。そこから這いつくばるようにしてバレーボール部のある強豪大学に推薦入学。女子の社会人チームのコーチに今度はどうにか掴み取る形で就職。

 そして母と結婚した。

 これも、高雄にとっては正直どうなの?と思わせる結婚である。職場恋愛と思えばどうってことないのかもしれないし母のバレーがらみの旧友関係見ていても選手とコーチのカップルは異常に多い。

 付き合い出したのは母が現役を辞めてからということになっているが、選手でなく女としてずーっと見ていたのかと思うとかなり嫌な気持ちにはなる。

 土台、両親のセックスや恋愛模様は子供として一番嫌悪感があったり想像し難い。

 紀乃はバレー強豪高からお誘いを受けて春高でベスト8。

 大学までバレーを続けたがVリーグ、Vプレミアの1や下部のプレミア2のどこからもお誘いがかかるような選手ではなかった。

 あっさり大学でバレーを辞めて今は、実家に居座り自称家事手伝いのバイトとボーイハントに勤しむニート女子じょしである。

 高雄から見ていて一番バレーボール生活をエンジョイしたのが紀乃ではないかと思っている。

 実際春高のときなど、楽しそうだったし。

 

 で、問題の魚谷高雄である。

 選手として大成しなかった父と元全日本の母の間に生まれて、母と父の復讐戦を宿命付けられたのが高雄である。

 名前も身長が一ミリでも高くなるようにと高雄。指導者である父はジャンプ力のためだと言っていたが指導者としての建前の完全な嘘である。

 この復讐戦が高雄にとってはすごい重荷だった。小学校ら地域のバレーボール・チームに所属し父に鍛えられていたせいもあって、エースだった。

 というより高雄は小さいときほど周りと比べて背が高く、高校、大学と進むほど小さい選手になっていった。

 高雄の一番の思い出は中学生のときの全中大会である。大活躍し母は嬉し泣きをし父は始終祝杯を上げ挙げ句に酔ったまま側溝にハマり足首を骨折した。

 アンダー何だったかわすれたが中学生の日本代表に選ばれてアジア大会にまで出た。

 たった一週間で東南アジア4カ国を超ハードスケジュールで転戦した。暑さと湿気で勝敗や順位すら覚えていない。

 そして有名バレー強豪高へ進学。

 ここらあたりから高雄の選手生活に陰りが見えるのだが、まだやれた。どうにかやれた。学校も全寮制だったし完全に管理されて練習をこなし二年生にしてレフトのエースとして定着。

 高雄自身が振り返っても一番バレーに打ち込んでいたのが高校時代だったかもしれない。

 しかし高雄は身長178センチである。高校でもどちらかというと小さい方だった。

 二年の総体からフルで活躍していたが、一度も全国にいけたことはなかった。

 高雄の高校ではこの数年を魔の四年間と呼んでいた。

 その二年間を高雄が担う。

 高雄と監督との関係も徐々に悪化する。

 三年の春辺りから、左足首に違和感と少し痛みがあったが、高雄は痛みにもまけず全力で駆け抜けた。

 三年生の最後の全国の予選。春高の府大会だが。決勝で負けた。

 マッチポイントでなんとトスがあがったのは前衛の高雄にだった。

 それも苦しまぎれの二段トス。

 高雄は選手生活、人生のすべてをかけてどこを狙うでもなく思いっきり打とうと思った。

 ただただ思いっきり。

 ブロックには二枚いや三枚ついていた。関係ない。撃ち抜くだけだ。

 どうなったか覚えていないが高雄が撃ったボールはブロックにあたり高く高く舞い上がった。


『ワンタッチのボールがこんなに高く上がるものなんだなぁ』


 とだけ思ったのを覚えている。

 フォローに味方の選手がレシーブに走る。しかし味方の選手が拾う前に審判が笛を吹いていた。

 着地したときの左足首の痛みに耐えきれず高雄はラインクロスしていた。

 高雄は全国に一度も行くことなく高校での選手生活を終える。

 178センチのアウトサイドヒッターにVリーグからのお誘いはかからない。

 父はとにかくバレーを続けてほしそうだった。母は無関心を装おっていたが本心は高雄がやりたいようにすれば良いと思っているようだった。

 高雄は、、、。

 一番分からなかったのが自分の心だった。

 高雄は大学へ推薦入学で進学するが父の働きかけが大きかったと噂で聞いた。

 そうだろうなぁ、とも高雄自身ですら思った。

 それが事実であることは後に知る。


 ここから総てが悪い方にぐるぐると回っていく。


 上のカテゴリーに進んだらそれだけ選抜されたメンツが揃うことになる。高雄は一年生の段階でリベロへのコンバートを監督からそれとなく告げられる。

 半月ほどダラダラと未練たらしくアタッカーの練習をしていたが、リベロに行っても結果は同じだった。全国から集められたリベロが進学してきているのだ。

 リベロでもレギュラーになれそうになかった。

 大学のOBの監督やコーチともあわなかった。父との関係で無理やり高雄を拾ってやったということも如実に言われた。

 高雄は大学一年生の夏でもう、練習に行かなくなりだした。

 高校は全寮制、大学は東京での自由な一人暮らし、これもよくなかった。

 東京は日本で一番誘惑が多い街だ。

 大学生に生き方を諭すような大人はもう居ない、し、諭されるべき歳でももうない。 

 

 高雄は転げ落ちるように堕ちていった。


 日本には合法のギャンブルがたくさんある。お金を使うのはまだしも形としてなにか残るがお金自身を遊びの道具に使った場合、本当に何も残らない。

 気がついたら、学生ローンに手を出し、その返済に違うローンをあて、違う業者のを違う業者で、、。

 どこかで高雄の名前がブラックリストに載って誰かが止めてくれるのかもしれないが、利子は絞れるだけ搾り取るのもこの業界のシステムらしい。

 学生にしては、大きな二、三百万の借金が出来ていた。

 し、これがただの大学生に貸し出せる上限らしかった。

 どこかで、実家の名前と住所を書いたかもしれない。大学がおしえたのかもしれない。

 もう全部わからなかった。


 なぜなら、バレーボールしかしてこなかったから。


「高雄ーっなにしてんの!はよしなさいや」


 客間のトロフィーの山に埋もれていた高雄は母の声で我に返った。高雄が探しているものはここにはない。

 高雄は二階の父の部屋に行った。

 事務机がデーンと置かれているだけ。

 父はコーチを辞めたあと実家に戻り農協の仕事と祖父から受け継いだ農業を兼業でやっている。

 どこにでもある事務机を次々開けていく。上等な持ち手の部分に彫刻されているワインオープナーはすぐ見つかった。

 しかし高雄の探しているものはなかった。

 事務机の胸元の平たい一番身体に近い部分にある平たい引き出しを開ける。

 あった。

 高雄の探していたものはこれだ、全中の大会のときのメダル。小さな小さなメダル。このメダルのために帰ってきたのだ。

 このメダルをいままで一度も見向きもしなかった。必要がなかったからだ。

 高雄の人生には前しかなかったからだ。

 高雄は今まで母のたくさんあるトロフィーを見て、逆に嫌悪感しか持っていなかった。場所を嵩むものまで大量に保持して自慢することなどないのにと。 

 だが今は違う。このメダルがあるからこれから頑張れるような気がしたのだ。

 その時、メダルの横に革製のカバーのついた日記帳を見つけた。

 父の下手な字で高雄とサインペンで書かれている。

 いけないこととはわかっていても思わず、手に取る。


”まだレシーブに難あり。アタックは楽しそうに撃つ”

”最近は献身にレフトでもブロックも飛んでいる、少し成長”

”高雄自身の調子は悪い、今日の試合は他の選手に助けられる”

”身長の高いチームに対し全員バレーで粘る”


 パラパラとページを繰るが高校まではみっちり書かれているが大学以降は記述がない。

 日記は包み隠すように引き出しに戻した。

 しかしメダル両手で包み持った。東京でいくら探してもなかったものを父がずっとしかも一番見の近くで持っていたのだ。


 高雄は知っている。

 実家に押しかけた債権者を父が投げ飛ばしたのではない。

 紀乃が飛び蹴りを債権者に喰らわし、警察沙汰になりパトカーが二台来て近所中大騒ぎになり父はその足で農協や銀行数店を周り現金を367万下ろし、父が地面に手を付き額を地面にこすりつけて土下座して利子元本ともに一括で返したのだ。


 そのとき聞き覚えのあるヴェルファイアのエンジン音が響き、大きく車のドアを閉める音。


「高雄ーっ、もう帰っとるんかぁ、運ぶの手伝ってくれー」


 父の声だ。

 高雄は涙を拭いながら、小さなメダルとワインオープナーを持って階下に駆け下りた。

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