朝と夢とデジャブのはなし

朝起きた瞬間に絶望することがある。自分でも笑ってしまうくらいの、絶望。


あぁ、また1日が始まってしまった。劇的な悲しい出来事があったわけでもないのに、1日の始まりが、悲しい。というよりは、夢の終わりが名残惜しい?


夢の中の方が楽しいことがよくある。


昔仲がよかったのにもう二度と会うようなことはない人たちが出てきたりとか、どうしようもない冒険をしてみたりだとか、直前まで読んでいた小説の中で生きてみたりしたりして、現実よりも派手で、でも不安はなくて、まさに夢心地な空間。


それと同時に、眠りに入ることがすごく苦手だ。


頭の中で自分がひたすらにぐるぐると考えていて、脳みそが止まらなくて、寝付くのに何時間もかかってしまう。


少し寝るのがもったいないなという感覚もある。自分で、どのタイミングで1日を終わりにすればいいのかがよくわからない。


みんなどうやって1日を終わりにしているのだろう?わたしは、いつから眠れなくなったかもう覚えていない。眠りたくないのに、朝起きたくない。矛盾がすごい。


寝られない時に、勝手に脳みその中の誰かがわたしにインタビューを始めたりする。


自分もノリノリで、インタビューのくだらない質問に答えたりしてみるけど、それは意識的に答えようとしているのではなく、脳みその中のわたしと質問者が勝手に始めている。


あまりにも無意識なので、インタビューが始まってから何分も経った後にハッとして、あ、今わたし誰かと話してたわ、と気がつくことがある。


我に返った瞬間が一番楽しい気がする。これもみんなやっていることだと思っていたのだけれど、わたしの家族は誰もやっていませんでした。


ずっと会ってない友達との会話を想像したりもする。


これはとても失礼なことに、相手がなんと反応するかなんて誰にもわからないのに、わたしの脳みそはその人を勝手に連れ出してきて、勝手にわたしとの会話を始めてしまったりする。


久しぶりにその人に現実にあった時に、わたしの中で起きた会話と現実がごっちゃ混ぜになって、話してないことをあたかも既に話したことがあるかのように勘違いしたまま、現実の会話を進めてしまうことがある。


これは本当に失礼なのでやめたい。


わたしの勝手な押し付けで、その人と会話してはいけないと思うのです。


しかし、自分が意図的にやっていることではないので、やめるというのもなかなか難しい。せめて、現実と脳みそ会話ははっきり区別できるようにしなければいけないな。


もしかしたらデジャブというのも、わたしの脳みその脳みその中で起こっているのかも知れないな。


いや、脳の中で行われているのでしょうけれども、なんだか、デジャブはもう少しスピリチュアルな、人間離れの技だという勝手な偏見がありましたので。


だって、デジャブに気がつく瞬間って、もう言葉では表せないくらい不思議じゃないですか?


絶対知っているのに思い出せなくて、周りの音が耳の遠くの方で聞こえて現実味がないのに絶対夢じゃないんですよ。


あーわたしこのまま消えてしまうかも知れない、って少し怖くなる。わたしは。


朝と夢とデジャブのお話。


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