生きている
月野
人間のふり
自分のことを、人間してるな、と俯瞰的に感じることが多々ある。
昔はよく、本当は人に合わせたいと思っていないのにみんなの噂話に面白がってるフリしてみたり、流行りの洋服なんて全然興味ないのにふんふんなんて相槌を打ったりしていた。
これが大人になるってことなのか?
でも、もっと小さかった時の方が人間するのうまかったなって。
その「フリ」にあまり違和感を感じていなかったし、苦痛でもなかったのだけれど、少しずつ時が経つにつれて違和感が膨らんで、体の中にある芯の部分の自分と、外から見える部分の自分の乖離にもっと敏感になってきているような、そんな感覚。
できれば、他人の悪口なんて聞きたくないし、人の悪意にはできるだけ触れたくないのだけれど、社会の中で普通の人間として生き抜いていくためには自分の違和感を無視していかないといけないのかもしれない。
何年も会ってない人の噂話なんて興味ないし、芸能人のゴシップも本当に心から関係ないと思ってしまう。
でも、他人と違うからといって排他されるの、怖過ぎじゃないいですか?人から嫌われるのが怖いというよりかは、自分が人と違う、みんなが面白いと思うものを楽しめない自分が恐ろしかったのだと思う。
もちろん、人に嫌われるのは怖いけれど、わからないと思われるのが怖かった。
本当の自分は、話すのも苦手だし、上下関係も苦手なのに、宇宙人と思われるのが嫌で物分かりのいいふりをして、いろんなところに気を回して、目の死んだ笑顔を貼り付けている、と思う。
私の中のわたしは社会に馴染めてないと思っているのに、社会にいる人たちは私が社会に馴染んでうまくやっていると思っている、その私とわたしの不一致がいつも苦しい。
人間とは、みんなと同じようになることなのか?
一人ひとり、違うはずなのに、同じように考えるはずなんてないのに、とても不思議じゃないですか?
そんな私も、ついこの間まで、周りのみんなも私と同じように、人と会うと疲れて、会話すると後で落ち込んで、心が疲弊するのに社会に出て人と関わっているなんてすごいなと思っていた。
自分は何て弱くて、出来損ないなんだろうって。
実際には、人と会うのが心から好きで楽しめる人たちがいると知ってすごくびっくりした。
みんな、私と同じように人と会うのが苦痛と喜びのコンビネーションだと思ってたから。
みんなが自分と同じだなんて推し量ることほど怖いことなどないのにな。
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