第1話 キモデブは卒業する!

 ――20xx年3月5日。

 

 時間だけは誰にでも平等だ。

 あっという間に月日は流れ、俺も高校の卒業式を迎えた。

 

 ボッチとイジメという3年間を過ごした学び舎には何の思い入れもない。

 涙を流すこともなく卒業証書を片手に校門を出た。

 

 ――ん?

 

 ロールスロイスだろうか。

 映画でしか見たことのない高級車が校門前に停車していた。

 

 町では有数の進学校ではあるが、ただの公立校なので、そこまでの金持ちとなると……。

 

 思い当たる相手はふたりほどだろうか。

 だが、あの連中は最後まで学校に残り、あれやこれやと仕事をしていそうだ。

 

 いずれにしても俺には関係の無い話しなので、素通りして帰路を急ぐ。

 

 俺の住む町は、船頭川せんどうがわ という、そこそこ大きい川で分断されていた。

 

 川向うの家へ帰るため、多くの生徒が【水無月橋みなづきばし】を渡る。

 ただ、ここを通るのも今日で最後に――、

 

「……くんっ」

 

 唐突に背後から、呼び止められた。

 

「細臣くんっ……ま、待って」

 

 振り返るとそこには【星河ほしかわ みのり】がいた。

 

 走って追いかけてきたのか、ハァハァと息を整えるように胸を手で抑えている。

 彼女の輪郭を覆う髪の毛が少し唇にかかっていた。


「ふぅ」

 

 軽く息を吐き出して、俺を見上げる。

 

 こうして間近でじっと見られると、かなり緊張してしまう。

 3年間同じクラスとなったが、まともに話したことなど無かったのだ。

 

 俺はイジメられっ子で、彼女はボッチのまま過ごした。

 

「あ、あの……最後だから。細臣くん引っ越すって聞いて……だから」

 

 俺は……というより細臣家は、明日、引っ越しをするのだ。

 ローンで買った小さな家を手放し、父方の祖母の元へ行く。

 

 高校卒業後の進路が決まっていない……ニートの俺も同行することになるわけだ。

 

「ああ」

 

 話し下手というか、そもそも女子が苦手な俺はそう答えるのが精一杯だった。

 

「あのね、今さらだけど……お礼を言わなきゃって。ずっと私、言わなきゃって」

 

 お礼か……。

 

 たぶん初日に、エージとエータという不良に絡まれていた時の話しだろう。

 結局のところ俺はふたりに返り討ちにされ、情けない姿をさらしただけだった。

 

「ずっと言いたかった……ホントにありがとう」

 

 そういえば、1度だけそんなことを言いたそうにしていたタイミングはあった。

 

「いや……ダメ……だったろ」

 

 ううん、と星河が首を振る。

 

「お礼だけじゃなくて……謝らないと……」

「……?」

 

 星河は少し言い辛そうに話し始めた。

 

「……あのせいで細臣くんは大変なことになったんだと思う」

 

 ボッチとイジメられたことか。

 

 まあ確かに大変だった。

 大変だったのだが、実は途中からは少し麻痺してきていた。

 

 ボッチは昔からだし、色々と諦めがついていたのだ。

 結局のところ、俺は人の輪にうまく入れないのだろう。


 いいのか悪いのか、死んでもおかしくない目にあっても、頑丈なせいで大怪我もしない。

 

 その上、家庭でより大きな問題が発生したため、相対的に学校の問題は小さくなっていた。

 

 とはいえ、やり直せるなら……、

 いや、過ぎた事だ。

 

「いいよ」

 

 だが、星河は俺に対して深々と頭を下げる。

 

「何も……何もできなくてホントにゴメンなさい」

 

 彼女は、少し泣いていたのかもしれない。

 だが、ボッチである彼女にできる事など何も無かっただろう。

 

 そもそも謝るべきなのは彼女ではない。

 

 うまく、そういった気持ちを伝えたかったが俺には難しい。

 

「気に……しないでくれ」

 

 それだけ言って俺は、その場を立ち去った。

 

 星河は、まだ何か話したそうだったが、どのみちすべては手遅れだ。

 明日には、もうこの町に俺はいない。

 

 ◇

 

 星河と別れ、公園前を過ぎたところで、前方に1台の車が停車した。

 

 校門前で見たロールスロイスだ。

 ありふれた住宅街で、とてつもない違和感を放っている。

 

 ヤクザでも乗っているのだろうか?

 俺は少し警戒心を抱き、ロールスロイスから離れるように歩道を歩く。

 

 その時のことだ。

 

 バタン。

 

 後部座席のドアを開けてひとりの男が降りてきた。

 高級感のあるスーツに身を包んでいるが、年齢的には大学生ぐらいにも見える。

 

「やあ」

 

 知人でもあるかのような挨拶で俺に近付いてきた。

 まったく心当たりがない相手。

 

 だが、その男をテレビか何かで見た記憶はある。

 

「怪しく見えるだろうが……フム、いや怪しいよな実際」

 

 そう言いながら、有無を言わさず俺に左手で名刺を渡す。

 名刺の渡し方に少し違和感を感じた。

 

 ――キャピタル・アセット・パートナーズ株式会社 代表 藤堂とうどうしげる――

 

「キミは、細臣拓哉くんだろう。すまないね、一応調べさせてもらったんだ」

 

 なぜ、こんな田舎町の高校生の名前を知っているのだろうか?

 ハッキリ言って怪しい以外の何物でもない。

 

「そう構えるなって。ボクは……たぶん君にとって天使のようなモノだ。いや天使代理かな?」

 

 まだひと言も発していない俺を気にすることなく藤堂は話しを進めていく。

 俺としてはすぐにでも逃げ出したい気分だ。

 

「この素晴らしい体験は言葉では伝えられない。だがキミは選ばれた。ボクによって」

 

 宗教……これは宗教の勧誘に違いない。

 どうにか逃げられないかと言葉を挟むタイミングを図っていると――、

 

「これを受け取ってほしい」

 

 それは、スイッチがひとつだけある黒いキューブ型のボックスだった。

 藤堂は、左腕だけを使って器用に、俺のカバンにボックスを滑り込ませる。

 

「そいつで、キミは体験する。今夜……0時0分0秒に体験できるんだ」

 

 熱を帯びた口調に、少なからず狂気も感じた。

 遠目には大学生くらいに思えたが、間近で見る男はもっと年を取っているように感じた。

 

 ――ひどく疲れた瞳をしている。

 

「な、何の話しだ……ですか?」

「キミは全てを手に入れる事が可能になる。金も女も地位も名誉も。その代償は必要だが」

 

 ここまで来ると、俺は怖くなっていた。

 

 ようやく俺の怯えに藤堂は気付いたようだ。

 少し冷静な口調を取り戻す。

 

「すまない、話しが長すぎたね。ボクも年を取ったらしい」

 

 そう言って少し目を伏せた。

 

「ともあれキミにはチャンスだ。これを活かしてほしい」

 

 俺の肩を、左手でポンポンと叩く。

 

 ようやく俺はそこで気付いた。

 

 彼の右腕は義手だ。

 

「良いリバースを……あ、そうだ」


 ようやく解放された、と胸をなでおろす俺に彼はこう告げた。


「困ったら、検索したまえ。【藤堂茂 ハッピーエンド】」

 

 それだけ言って、藤堂はロールスロイスの後部座席に戻っていった。

 

 ◇

 

 ――夜。


 すっかり引っ越しの準備も終わり、段ボールだらけの部屋にひとりいる。

 階下では、この時間でも、両親が暗い声で話しをしているようだ。

 

 たぶん金策だろう……。

 

 俺はといえば、藤堂という男から貰ったボックスを持ち、スマホの時計を眺めていた。

 

 今夜……0時0分0秒、つまりは3月6日に何かが起こる?

 藤堂についてはネットで調べた。


 5年ほど前にメディアを賑わせていたらしい。

 

 ――奇跡の高校生投資家!

 ――ミラクル高校生、デイトレでミリオネア?

 

 どうやら高校当時に投資で成功し大金持ちのようだ。


 ちなみに、【藤堂茂 ハッピーエンド】でも検索したが、何も見つからなかった。俺の聞き間違いだったのかもしれない。


 会社についてはWEBサイトがあり、藤堂の顔写真つきで代表あいさつのような文章が掲載されている。


 なんだか立派なことが書かれているようだが、高校生の俺にはあまり意味が分からない。

 

 ともあれ、完全に社会的成功者なのだろう。

 だが、そんな男が、俺になぜこんなモノを渡したのか?

 

 スイッチがひとつだけついている小さな箱だ。

 すでにスイッチは何度か押してみたが何も起きなかった。

 

 時刻は、23時59分55秒。

 もうすぐ答えが――、


「!!!」


 突然、全ての光が消え完全な闇に包まれた。

 

 停電にしては暗すぎる。

 何も見えない空間にひとり残された俺は、怯えながらも頭をフル回転させた。

 

 これが、藤堂の言っていた「チャンス」なのか?

 俺が読んできたラノベからすると異世界転生の始まりのような気もする。

 

「異世界なら、まずはギルドに行くか」

「ギルドってなんすかぁ?」

「のわぁっ」


 唐突に、背後から声がしたせいで、俺は思わず妙な声を上げてしまう。


「な、だ、は?」


 なんだお前は、と言いたかったのだが、うまく言葉にならなかった。

 目の前には、女性がひとり立っており、彼女の周りだけ後光のような光がさしている。


 彼女の周辺以外は、相変わらずの真っ暗闇だ。


「あ、どもども。初めまして。量子の狭間からコンニチハ!天使です」

「て、天使?じゃあ、俺は死んだのか……」

「いえいえ、生きてますよ。ピンピン生きてますっっ」

 

 生きているということは、異世界転生ではない。

 残るは異世界転移……。


「いやぁ、おめでとうございます。319番さんに選ばれちゃったんですねぇ」

「319番?」

「そうです。えーと、あなたは320番目の被験……じゃなくて、選ばれし者さん!」


 被験者って言おうとしなかったか?

 

「あなたがお持ちのそのボックス……名付けて【リバースボックス】!!」


 天使が、人差し指でビシッとポーズを決める。


「なんと、スイッチひとつで、ぜーんぶやり直せちゃうという優れモノ!」

「やり直す?」

「そうです。ぜんぶです。えーと……」


 ゴソゴソとタブレットのようなものを、空間から取り出すとフムフムと眺める。


「20xx年の4月5日からっす」


 20xx年といえば、俺がまだ高1だった時。

 4月5日は、えーと、


「入学式の日ですよ~」

「な、なるほど」

「320番さんは、悔いばかりの高校生活だったはず!」


 否定も出来ないので、俺は曖昧に頷いておいた。


「ところが、このスイッチをポチっとすれば、グレートリセット!」


 ようは、過去に戻ってやり直しか……。

 

 正直言って、タイムリープより異世界転生の方が魅力的な気がした。

 イケメンとして異世界転生からの、リアル知識応用で成り上がりの方が夢はある。


「異世界てん……」

「しゃーらぁーっぷ!」

 

 と言いながら、天使は俺の口に人差し指をあて最後まで言わせなかった。


「まったく、319番さんもそんなこと言ってましたよ。ぷんぷん。なーにが異世界っすか。そんなもんはねーのです!」

 

 昼間の一件からすると、319番が藤堂ということになる。

 

 彼も異世界転生の方が良かったのだろうか。

 何となくだが、妙な親しみを感じた。

 

「ただ、リバースボックスのご利用には幾つか注意点があるっす。それは……」


 天使の説明をまとめると、以下の通りとなる。


 1.初回のリバースボックス利用では、3年前の4月5日に戻る。

 2.リバースボックスは、毎年3月5日になると使用でき、2回目以降の利用では、前年の4月5日に戻る。

 3.リバース時には不利条件が追加される。


 高校3年間、毎年その1年をやり直すチャンスがあるということになる。


 1年に1回であれば、何度も利用できるので、納得いくまで高校1年生を繰り返すことも可能なのだ。

 

 ひとつ気になるのは――、

 

「この、リバース時の不利条件って?」


 天使が、気付きましたか~的な表情を見せ、コホンとひとつ咳払いする。

 

「まあ、ぶっちゃけデメリットですかね」

「デメリット?」

「はい。えっと、リバースするたびに、ちょこーっとだけ不利条件が追加になります」


 そう聞いて不安げな様子を見せた俺に、天使がワタワタと取りすがる。


「いやぁ~アハハハ。だ、大丈夫、大丈夫ですよ!ちょこっとですから!!」

「例えば?」

「ランダムなのでぇ、ひと口に言えませんけどぉ。例えば、イケメン度が下がるとか」

「い、イケメン度が!?」

「んーでも、320番さんは、もともとイケメンじゃないので心配いらないっす。フヘッフヘッ」


 最後、天使らしからぬ笑声をもらし、俺の不信感を増大させる。

 

 そこで俺は、藤堂が義手であったことを思い出す。

 あれが不利条件であるとするなら、「ちょこーっとだけ」ではない気がした。

 

 だが、本当にやり直せるならば、やり直してみたいことはある。

 

「さあ、ズバッとズビビっと押しちゃってください」


 このまま生きていったところで、多額の借金を抱えた家族とニートの俺が幸福になれるとも思えない。

 

 高校生活に悔いがあることも事実だ。


「迷ったら負けです。バーンと押しちゃいましょう」


 押してみるか……。

 半ばヤケクソな気持ちにもなっていた。

 

 俺はリバースボックスのスイッチに手を掛ける。

 

「素晴らしい!!レッツ・リバース!」


 おかしなノリの天使だが……。


「よっ大統領!」


 ノスタルジックな太鼓持ちをされる中、俺はリバースボックスのスイッチを押した。

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