第3話 プロフィール帳

 相談室に連れていかれた日からしばらく経ったある朝、琴音は話しかけてきた。声があまりに小さすぎて、何を言っているかさっぱり分からなかった。

 こんなに近いキョリで話すのはいつぶりだろう。なんか身長差が大きくなった気がする。私が最近どんどん伸びてるから、そんなもんか。

「なんて?」

「プロフ帳、交換しない?」

「まあ、別にいいよ。」

 熊の絵が描かれたファイルにかわいい紙が留めてある。きっとよくある大量生産の安物だ。中の用紙も熊のキャラクターが印刷されていて、いかにも琴音が好きそうだと思った。そういえば、前にさやかと一緒に文房具屋に行ったとき、同じのを見かけたと思う。たぶん気のせいだけど。

「似顔絵のところは沙里ちゃんのいらないシールでいいから。特にないところは書かなくていいから。」

「琴音に書くから、私のも書いてよ。明日持ってくる。」

「いいの?」

「まあ、別に。一方的に書くだけって、フビョウドウじゃん。」

「さやかには、このこと話すの?」

「話した方がいいの?」

「そうやって聞いたって、どうせ話すんでしょ。私がなんて書いたのか、さやかに見せるよね。」

「さやかが見たいって言ったら見せるんじゃない。あんたがさやかに読んでもらいたいなら私から見せるけど。」

「いや、いい。できれば沙里ちゃんだけにしか見られたくない。」

「わかった。じゃあそれは今日書いとくから、明日私の分ちゃちゃっと書いてよね。」

さやかと交換したかったら、直接さやかに渡すよね。わざわざ私に預けるわけないか。じゃあ何も言わなくていいよね。琴音は私と交換したいんだし。

 登校してから朝の会までの時間は少なくて、すぐに先生は教室にやってきた。教卓の上にカゴが置いてあって、そこに宿題の漢字ドリルと計算ノートを提出する。みんなまだ友達と喋っているから、カゴの中身は軽そうだ。

「沙里。ねえ、今琴音と何喋ってたの。」

「特に何も。」

「ええ、ほんと?」

「ほんとだって。嘘ついてないよ。」

 私は熊の絵のプロフ帳を、さっと机の中に隠した。なんとなく、さやかに見られちゃいけないような気がして。

「それよりさ、昨日のドラマ見た?」

「見た見た。めっちゃ泣いちゃったよ。」

「私も。松井さん歌もうまいし演技もうまいし、めっちゃいいよね。」

「沙里、もう完全にファンじゃん。」

「だってカッコいいんだもん。」

 私はさやかと一緒に宿題を出した。琴音が離れたところからそっと見ていたことに、私は気付いていた。

 今日の一時間目は社会。つまんないし眠いし、授業中に琴音のプロフ帳書いとこう。そうしたら帰ってからもう一回録画でドラマ見れるし、コーリツいいよね。


 約束通り私は次の日、自分のプロフ帳を渡すと同時に琴音にきちんと返した。その日の六時間目は算数だった。帰りのあいさつが終わったあと、あの子は早速返しにきた。地味なボーダー柄のプロフ帳は、枠外まではみ出るくらいぎっしり書いてあった。ちょっと、これ文字数多すぎじゃない。こんなに真っ黒なプロフ初めて見た。

 名前、住所。電話番号は家電とお母さんの携帯の二つが書いてある。たぶん掛けることないよ。みんなスマホ持ってるんだから、家電とか親の携帯になんて恥ずかしいじゃん。

好きな食べ物はハンバーグで、デミグラスソースをかけるのが一番好き。小二男子とかに人気ありそうなやつじゃない。どうせならショートケーキとかシュークリームとか書けばいいのに。そんなんだからみんなの中に溶け込めないのよ。

 チャームポイントは目。確かに琴音の目はぱっちりしてるし二重だし、私もあんな目だったらよかったな。

 好きな音楽は『THE FLOWER』。ここは最近のトレンド分かってる。私も大好きだよ。もしかして琴音もドラマ見てるのかな。これ、昨日のうちに受け取れたら話できたのに。もう一日経っちゃったから、今日話すには時代遅れ。ほらやっぱりね、みんな昨日のバラエティの話してるじゃん。

「持ち主の好きなところ」は、優しいところ。これ、本当にそう思ってる?私、琴音に優しくした覚えないんだけど。まあ、たぶん私に取り入ってさやかに近付きたいってことだよね。これを見るかぎり。

 え、でも。もしそうなら謎すぎる。このプロフ、さやかには見せたくないんでしょ?

結局、琴音は何がしたいの。私だけとこんなものを交換して、何のイミもないじゃん。

 明日、この部分を問い詰めてやろう。その時の答えによっては、さやかに言わなくちゃ。さやかは私の親友で、琴音とは友達じゃないから。「琴音が変なことしてきたら、ホウコクだよ」って約束してるもん。グループを超えて親友になるなんて、そんなことが簡単にできるはずがない。みんなそうだから。琴音が何も分かってないだけなんだ。


「今日は、更級さんはお休みです。」

「今日のお休みは、更級さんです。」

「今日も、更級さんはお休みです。」

「更級さんは今週はお休みです。」

「更級さんは、しばらくお休みするそうです。」

 あの日、琴音が教室に来た最後の日だった。

 伊藤さんが中尾さんに、何かを囁いた。「あのね、琴音ちゃんが来ないのは、さやかちゃんと沙里ちゃんのせいなんだよ。」

私の耳には、そう聞こえた。


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