第4話 彼らのおかげで

「沙里ちゃん、沙里ちゃん。」

「あ、すみません。」

「ボーッとしとったよ。大丈夫?」

「全然大丈夫です。何でもないですよ。」

「急に変なこと聞いとるのかもしれんけど、沙里ちゃんてさ、どうして三日月が好きなの。」

「何ですか、急に。」

「三日月が好きって言うと、何の曲好きなの、とかどんなところが好きなのって聞かれるやない。沙里ちゃんはいつもなんて答えてるの?」

「分からないって。」

「分からない?」

「だって三日月は三日月ですから。どんな曲とかどんなところとか、そういうんじゃないの。」

 三日月のメンバーはバンド活動だけでなく、ドラマに出演したりバラエティタレントとして活躍したりもしていた。小野くんがボーカル、松井さんがギター、村岡くんがキーボードだ。

「私は小野くんが好きだから、三日月も応援してるって言ってる。本当に好きなのは三人揃った姿なんだけどね。沙里ちゃんは松井くん推しでしょ。でも、誰にも松井くんが好きって言わないのよね。」

「言わないっていうか、言えない。私より松井くんに詳しい人なんて、いくらでもいますから。」

「そうね。上には上がいるもの。

 私、何も知らない人に小野くんが好きって言うと、必ず気を遣われるから嫌なのよね。小野くんがやりたいことを思う存分やれるようにって、私はそれを願ってるんだけどね。まあ、解散して欲しくないとは言えないけど。」

 自嘲気味に尚美は顔を綻ばせた。きっと、あの三人だけのガヤガヤした雰囲気を頭に思い浮かべたんだろう。

「確かに、それはありますよね。松井くんが好きだって大学の友達に言ったとき、松井くんなら引退しないから良かったねって言われたんです。」

「あと、私は十五年くらい応援してるって言うとさ、もっと気を遣われちゃうのよ。」

「それは辛いですよね。私は『夢幻泡影』からだから深くはないですけど、歴の長さで決まるわけじゃないのに。」

「えっと、それって九年前じゃない。沙里ちゃんも結構長い方ね。」

「でも尚美さんは『Blue』の時からじゃないですか。ブレイクするより全然昔ですよ。」

「あ、もしかして。そういえば沙里ちゃんて家庭教師のバイトもしてたでしょ。」

唐突に尚美さんは話題を変えた。

「そうですよ。」

「それ、もしかして『夢幻泡影』の影響?ちょうどFLOWERと同じ時期じゃなかったっけ。話題になったよね。」

 夢幻泡影とは、九年前に松井さんが主演したテレビドラマのことだ。主題歌は『THE FLOWER』。

「それもあるけど、それだけじゃない。」

「どういうこと?」

「心理学をやってるのも、家庭教師をやってるのも将来の為ですよ。」

「まあ、偉いわね、沙里ちゃん。うちの息子も見習って欲しいわ。」

「なんだ、オバサンの息子がどうかしたのか?」

 突然会話に参加してきた男性は、向かいに入っている精肉店のオヤジだ。この二人、まるで夫婦みたい。

「何よ、オッサン。こっちは女同士の話をしとるってのに。」

「そこの姉ちゃんの恋の話か。」

「いや、そういうわけでもないですよ。」

「オッサン、前言ったやろ。私と沙里ちゃん、このお姉さんな。三日月を応援しとるんよ。沙里ちゃん、実はオッサンの娘はかなりの三日月オタクなんやで。」

「ええ、そうなんですか。」

「おお、そうや。俺の娘は村岡くんが大好きでなあ。彼氏もおらんと村岡ばっかり追っかけてやがる。姉ちゃん、彼氏いるか?三日月ばっか追いかけとると、うちの娘みたいに逃げられるで。」

「あら、ご心配には及びませんよ。私、理解ある彼氏がいますから。」

「嘘、沙里ちゃん彼氏おったの。」

「ええ、去年からずっと付き合ってる人がいます。」

「最近の若い子は進んどるんやね。

 ていうかオッサン、そこで喋るだけなら邪魔や。手伝うかここから去るか、どっちかにしや。オッサンの店より流行っとるで、片付けも準備もあんたより大変や。」

「そう言いなさんな。初めからそのつもりや。」

「まずはそこのボードを書き換えて。大晦日の大セールや。」

「俺の字汚いけどええんか。」

「ええわええわ。このペン使い。」

「はいよ。」

 始まったな、と思いながら私はこの九年に思いを馳せる。二人の名古屋弁はもう耳に入らなくなった。

 小学六年生の春、三日月を応援し始めるきっかけとなったドラマ『夢幻泡影』が放送された。不治の病に侵された普通のサラリーマンとその周囲の愛を描いた、ヒューマンドラマだ。

 中学生になる直前の頃には、松井くんが科学者役で主演を務めた映画が公開される。これはシリーズもので、この時は二作目だった。私は第一作をレンタルビデオ屋で借りて予習してから、公開初日に映画館へ駆け込んだ。今、私は心理学を学んでいるが、本当は自分も研究者になりたかった。成績がどうしても上がりきらず、高校受験の段階で諦めてちゃったけど。もちろんそれは、この映画の影響をもろに受けてのことだった。

 その年、三日月はデビューから十五周年を迎えた。かつてそれの発表のために会見を行ったグアムで、彼らはライブを行った。私は参加できなかったけど、心はその地に飛んでいた。

 松井くん一人でなく、三人の尊さに気付いたのはこの頃のことだ。

学校よりプライベートが充実しているタイプだった私には、この思いを共有できる相手が周りにいなかった。唯一と言ってもいい友達であるさやかは不登校になってしまっていたので尚更だ。しかし今は、尚美さんやさやか以外にも何人かファン仲間がいる。彼女らのほとんどは、ネット上で知り合った。

 私が高校生になると、自分を含めたファン達は三人の様子に違和感を感じ始める。

 楽曲が暗い。ニューアルバムをリリースしても、一つの作品として統一感がない。三人で出演していたレギュラー番組でも、いつものガヤガヤ感が薄くなっていた。今までと、何かが違う。

 そしてついに、あの日がやってきた。

 その時、私はたまたまテレビを見ていた。ニュース速報で、画面上部に「大人気バンド『三日月』が来年末で解散を発表」と流れる。金縛りにあったかのように、私は動けなかった。

 まさか三日月が。別のグループの話に決まってる。いや、そんなはずはないんだ。名前が全く同じバンドなんて聞いたことないから。

 不仲になった?いや、それも違う。まさか仲違いで解散するなんて、らしくない。芸能界に嫌気が差した?そういえば十五周年の特番の時、三人中二人はさっさと辞めるつもりだったって言ってたっけ。速報が出ると同時に公開された三人のコメントを読もうとスマホを操作する私の手は、小刻みに震えていた。

 あの日以来初めてテレビでパフォーマンスした時に歌っていた曲は、ファンの間では有名だけど世間にはあまり知られていない、幻の名曲と呼ばれるものだった。

 明日、もう私は三人を追いかけられなくなる。松井さんは言っていた。最後まで笑顔でいよう、と。私は絶対、今年が終わるまでは泣かない。

 私はあの日、そう心に決めたんだ。



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