第2話 後悔

 私はずっと、あの子のことを気にしている。小学校の頃、まだ私に友達がいたあの頃。元親友の浅倉さやかだ。彼女は出来の良い妹と比べられ、不憫な環境で暮らしていた。

 彼女は五年生の時、罪を犯した。

 同級生の更級琴音をいじめた。私は加担こそしなかったけど、見て見ぬふりをしていた。あの時は人の気持ちを全然分かってなかったと思う。琴音は、ついには学校に来なくなった。中学受験をしてどこか遠くの場所で生活しているということしか、卒業後のことは分からない。さやかはというと、中学の頃に不登校になったせいで高校は通信制だったということしか知らない。それも、ゴシップに詳しい当時同じ部活だった子が教えてくれた話だった。私も、小学生の時浅倉と一緒にいた奴だから、という理由で仲間外れにされた。私たち二人は、中学に居場所なんてなかった。

 もう私たちが絡むこともなく、かつての親友はバラバラになってしまった。卒業アルバムの写真は、一度もちゃんと見ていない。

 中三の時に一度だけ、塾の帰りにコンビニに寄った時、髪が鮮やかなピンク色になったさやかを見た。彼女の周りには金髪の屈強な男や露出の多すぎる服を着た女たちがいたから、とても私が話しかけられる状況じゃなかった。

 私は何もかも全部、さやかのせいだと思っていた。彼女と私は三日月のように、二人はずっと一緒にいられると信じていたのに。さやかが変わってしまったから、二人の間に壁ができちゃった。

 でも、今は二人の責任だと思っている。私がさやかの悪行を止めていれば、私が琴音に手を差し伸べていれば、未来は違ったかもしれないから。

 私もさやかと同じ、罪人だ。

「さやか、なんで逃げるの」

「琴音が追いかけてくるからに決まってんじゃん。今日は私、あんたと一緒に遊ぶ約束してない。うちは沙里と遊ぶから。」

「いつも沙里、沙里って。私のことなんで無視するの?」

「無視なんてしてないじゃん。今こうして喋ってるし。」

「昨日、明日は琴音と遊ぶって約束したじゃん。今日は私も入れてくれるんじゃないの。」

「そんな約束してない。」

「なんでいつも私を入れてくれないの。私も友達でしょ。今日くらいいいでしょ。」

「誰がそんなこと決めたの。うちは沙里と遊ぶって言ってるじゃん。沙里、行こ。」

「先生に言うよ。さやかが約束を破ったって。」

「どうぞご勝手に。沙里。」

 さやかにはもう琴音が見えていなかった。

「うん。鉄棒しよ。」

「おっしゃ、抱え込み回りで対決だ!」

 私はただ、さやかという友達のことが好きだった。一緒に遊んでいると楽しいから。琴音のことは、それには関係なかった。

「更級さんが言っていることは本当なの。」

「嘘に決まってる。先生こそ、まるでうちが悪いみたいに言うなんて酷い。何も悪いことしてないよ。」

「でも更級さんは浅倉さんに無視されたりしてるって言ってるわ。」

「そんなことしてないよ。そんなにうちのことが疑うなら沙里に聞いてよ。沙里ならうちと琴音が喋ってるところ見てるよ。喋ってるなら無視してることにはならないじゃん。」

 とにかく児童の人気者になりたい若い担任教師は、さやかを問い詰めることはなかった。歪んだ関係を見抜き、そして修正できるのは私しかいなかったんだと、何年も経ってから気付いた。でも、私は何もしなかった。その後、学年主任だったか教育主任だったか、大仰な肩書きの男から私たちは呼び出される。相談室と銘打たれた部屋は、実際は埃だらけの倉庫のようなものだった。

 私は後になって、自らが犯したことを理解した。さやかには当然非があるが、自分も同じなんだって。

「更級が言っていることは本当なんだな。」

「嘘。無視してないし仲間外れにもしてないし琴音の物を取ったりもしてない。琴音が間違ってます。」

「じゃあどうして更級が声を上げているんだ。何もないなら更級が先生に相談することもないだろう。正直に言いなさい。」

「琴音が間違ってるって言ってるじゃないですか。うちは正直です。」

「更級の気持ちを考えろ。ここで嘘をついても良いことはないぞ。」

 私は隣の特活室で琴音が泣いていることを知っていた。でも、私にも琴音が言っていることはあまりに大袈裟すぎると思っていた。さやかは私と遊びたいんだ。琴音じゃなくて、私と遊びたいんだ。だから当然じゃないか。琴音と遊ばなくたって。

 何も分かってなかった私にとってあの時のことは仕方なかったんだ、と信じていたい。そう思っている私は馬鹿だって、そんなことはもちろん分かってる。

 本当に、私はさやかのことを何も理解していなかったんだ。なぜさやかは何もしていないと言い張るのに琴音は苦しむのか。

 さやかも、私以外に友達と呼べる人はいなかったと思う。何年生の時に一緒だった誰々ちゃんとか、そんな関係の子は見たことがないから。

「何で先生はうちのことを信じてくれないの。どうしてうちが嘘つきだって決めつけるの。」

「じゃあ新海さん、あなたはどうなの。」

「私も、さやかと同じです。」

 今は思う。あの時のさやかは、自分の気を引きたかっただけなんだって。さやかはただ、寂しかっただけなのだろうって。さやかは琴音を仲間外れにすることで、私とより近づこうとしていたんだ。そのために、親友の目の前で悪事を働いていたんだって。

 担任の女が口を挟んだ。

「自分の行動は必ず自分に帰ってくる。このボールみたいに。」

 その場にあったバレーボールを壁に投げつけた。

「あなたたちは必ず更級琴音さんと同じ目に遭う。」

 バレーボールは大きく跳ね返った。

 誰も自分と関わってくれない辛さを身に染みて感じた中学生の頃、あの時の琴音の気持ちが、やっと分かった。

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