かき氷の日 前編


 ~ 七月二十五日(日)

      かき氷の日 ~

 ※寸草春暉すんそうしゅんき

  親の愛情、あるいは恩義は大き過ぎて。

  子は、ほんのわずかさえ報いるのが

  むずかしい。




 事件や事故は連鎖する。

 これは、珍しく親父から教えてもらった教訓だ。


 昔、親父が。

 お袋のゴルフクラブを持ち出して。

 部屋で素振りをしてた時。


 何の気の迷いか。

 実際にゴルフボールを打って。


 サッシにどでかいクモの巣を張ったことがある。


 俺は、凜々花を連れて。

 団地の砂場で遊んでいたんだが。


 帰って来るなり。

 二人揃って、お袋にものすごく怒られた。


 子供は、叱られた時。

 何が悪いのか、半ば分からないまま泣くのが普通だ。


 だからその時も、お袋の言葉に混ざる。

 窓ガラスやらランプシェードやら伊万里焼やら親父が足を切ったやら。

 ご近所からのクレームやら床の修繕費やらクラブが曲がったやら。


 そんな物が、何を指すのか意味も分からず。

 ただ二人して、ごめんなさいと泣き続けたんだ。



 大人になってよく分かる。

 悪夢のような負の連鎖。


 そして、お前らに言いたいのは。


 教師としての親の責務。

 反面教師でも、それはそれで成り立つことがあるってこと。



 …………そんな話を。

 笑い話としてできる事。


 俺は、心から幸せに思っていた。



「にょー!? 何連コンボしてるんですか一体!!」

「二連鎖したっていう話の派生としては、派手過ぎですよ」


 ここは、初日に使った河原のバーベキュー場。

 森を抜けて、涼しい心地になった風が吹き抜ける、小さな避暑地。


 宿をチェックアウトして、土産物で膨れた大荷物を抱えながら。

 最後にここへ来たのには訳がある。


「むはー!! 伊勢海老、うんめえ!」

「あ、それ一匹しか無かったよね。ちょっとちょうだい?」

「ほんじゃ、そっちのホタテと交換!!」

「おっけー。こっちのタコもおいしいよ」


 ……昨日、二つ続いた大事件。

 にゅが、他の部へ移籍する話と。

 川へ転落して、溺れかけたこと。


 暗い気持ちを抱えて宿へ戻った俺たちに。


 家に戻ると告げた錦小路さんから。

 差し入れをいただいた。


 てっきりその時は。

 感謝の気持ちというより。


 まるで、手切れ金のように思ったんだが。


「よ……、よかった……。ぐすっ」

「ふにゅー!」

「おい。お前が抱き着いてるせいで食いにくそうだろうが」


 にゅが、いなくならないと分かって。

 途端に抱き着き魔へと変貌した。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 昨日の晩で飽きたのかと思いきや。

 今日も起き抜けから抱きしめっぱなし。


「しかし、こんなキンカイに化けるとは……」

「駄洒落で終わるとは思ってなかったよ」

「近海・海の幸セット! やべえ、まだ発泡スチロールに半分も残ってますよ!」

「おお。そんじゃ次は、鯛焼くか」

「待ってました!」

「やんややんや」


 この辺りのコンビニじゃ、必ず置いてある炭を買って。

 豪華な昼食を堪能する俺たち部活探検同好会。


 今後も、この五人でいられるその訳とは。


「まさか……、勘違いだったとは……、ね?」

「まったくだ。先入観って良くねえな」


 タイを網に乗せた後。

 ウニの解体に取り組みながら。


 俺は、秋乃と顔を合わせて苦笑い。


「ん!! ほへ!! はんではへふへーひてふはい!」

「はひふへほだけになってるぞ、朱里。食ってから喋れ」

「はふっ! ホ、ホハヘ……。はふっ!」

「結局はひふへほなんかい」


 いいホタテなんだから、そのまま飲み込むなよ?

 熱いんなら一旦お帰りなさいしとけ。


「んぐ、んぐ……、うんめええええ!! やばあ、ぼく履歴書とか書く時、好きなものの欄にホタテって書く!」

「ねえだろそんな欄」

「そんで? どうしてこんなことになったのか教えてくださいよ!」

「うん。私も気になってた。先輩がゆあパパを説得したんですか?」


 いや、そうじゃねえんだけど。

 話しても問題ねえのかな?


 俺は、確認のために、にゅを見つめると。

 こいつは意図を察して。


 一言呟く。


「にゅ?」

「いや伝わんねえよ。二人に話してもいいのか?」

「にゅ」


 いやはや、こいつの昨日の姿。

 やっぱり幻だったのかな。


 俺は、にゅの頭を撫でる秋乃を横目に。

 俺たちの勘違いについて話してやった。


「親父さんが、なんて言ってたか覚えてねえか?」

「なぜ箱の底を見る?」

「そこじゃねえ。……このメンバーがどうしようもないって思うなら、移籍しろって」

「そうだったね。それでゆあの返事を聞いて、良かったって…………? あれ?」

「分かったか? 俺たちは、にゅの返事が聞こえてない」

「にょーーー!? そうか、てっきりぼく……! だってゆあパパ、ゆあのこと他の部に入れたがってたから!」


 お前だけじゃない。

 俺たちはみんな、そう思ってた。


 だから勘違いすることになったんだ。


 醤油で焼いたイカにたっぷりマヨネーズをかけて。

 にゅが、幸せそうにかぶりつく。


 こいつは。

 親父さんのことを信じていたから素直に返事をしたんだ。


「……お前、断ったんだろ?」

「にゅ」

「だから、にゅの親父さんは、俺たちが信頼できるってことを喜んで、良かったって言ってくれたんだ」


 それきり黙る俺たちの耳に。

 途端に蘇る蝉しぐれ。


 沢の音、葉のさざめき。

 すべてが、よかったねと。

 親父さんと同じ言葉を紡いでいるように、俺には聞こえた。



 ……にゅの判断に。

 照れて俯く二人をよそに。


 にゅは、秋乃の下を離れると。

 俺に、手紙を一つ手渡した。


 その時の仕草が。

 視線が。


 一瞬、ゆあに見えてドギマギしたが。

 差出人の名前を見て。


 気を引き締める。



 炭がパキリと爆ぜる音に合わせて。

 朱里が、丹弥が。

 網の上に乗った食材が焦げないように脇へよけたのを見て。


 俺は。

 封のされていない封筒から手紙を取り出した。





 本日は、活動の邪魔をして失礼した。

 部の活動内容には、正直疑問がある。

 だが、社会の仕組みがそうであるように、組織は内容よりも人間関係こそが重要だと私は考える。


 お互いを思いやる部員の皆。

 きっとこの人間関係は、部長である君の人柄が作り上げたものなのだろう。


 最近、ゆあは使用人に対してとても心を砕くようになってきた。

 時に彼らと共に仕事をこなし、私や妻の前では決して見せぬ笑顔で汗を拭う。


 その成長が何によるものなのか。

 私と妻は、彼女が属しているという耳慣れない部活にあると考えていた。


 そんな折も折。

 君たちが、食事を見ず知らずの者に譲ったという話を耳にして、居ても立ってもいられず、こうしてお邪魔したという訳だ。


「すまん。そこだけは謝っておくが、心からごめんなさいだが、ただのあんたの誤解だから。全員そろって金に目がくらんだギャンブラーになってただけだから」


 そして君たち二年生は、若くして先人たる者としての自覚が備わっているようだ。


 君が、安全に気を配って、娘をロープで結んでくれたこと。

 一年生たちには伝わっていないようだったが、君が言った通り、あれが無ければ事態はもっと直接的に彼女を危機に落としていたことだろう。


 そして、舞浜さんの行動力。

 本来ならば私がその答えに至らなければならなかったのだ。

 心から尊敬の念を抱くものである。



 私は、娘がお二人の姿を見てさらに成長してくれたら嬉しいと、心から願う。



 今後とも、娘をよろしくお願いします。




 …………俺は、手紙を額に押し頂く。


 秋乃がいなかったら、危険に対して敏感になる意識は身についていなかったし。

 後で考えたら、俺が川に飛び込んでればそれで済んだ話だったわけだし。


 でも。

 これほど期待されているんだ。



「……がんばろう」



 俺は、そう口にして。

 秋乃に、手紙を手渡した。


 ……いや?

 もう一枚あった。

 終わりじゃねえの?





 追伸


 この部活の解釈なのだが。

 皆にとっての気の置けない場所という解釈でよいのだろうか。


 ならば、共感できる節もある。

 私も、家名や妻から離れて、今朝はほんの二時間程、魂の洗濯をしたところだ。


「はあ、そうなんだ」


 ところで、その洗濯の際に使っていた品を宿の部屋に置いて来てな。

 娘に、こっそり持って帰って来るよう伝えておいてくれたまえ。



「うはははははははははははは!!! お前がゲームしてた犯人かよ!!!」



 急な大笑いに。

 みんなが揃って俺を見上げる。


 でも、一瞬だけ寄せていた眉根は。

 すぐに苦笑いで上書きされた。


「なにが書いてあったんです?」

「見せてくださいよ」

「そっちの二枚は読んでいいよ。でも、この三枚目は、にゅと俺だけの秘密だ」

「にょーーー!? なんですそれ! 気になる!!」

「気になる」


 朱里たちがぎゃーぎゃーうるさいが。

 お前らに見せるわけにはいかん。


 案の定、にゅへ手紙を手渡すと。

 こいつは、もう宿なんか出ちゃったわよという思いをため息に変えながら。


 渋い顔と共に。

 炭火の中に、手紙を放り込んでしまった。


「にょー! 燃やしちゃった!」

「何が書いてあったのか気になる……」


 残念がる二人は。

 秋乃から渡された手紙を、奪い合うように読みだした。


 そして、こいつは。


「…………にゅ」

「ああ。どんなに好きでも、呆れるタイミングってあるよな」



 にゅ、一音。

 俺は、この合宿を経て。


 こいつの『襟懐きんかい』を。

 推し量れるようになれたのかもしれない。





 ――合宿は、このバーベキューで終了。

 部活は、来年の夏まで。


 そして、同じ学校に通う仲間でいられるのは。

 あと一年半か。



 昨日、離れ離れになると思っていたんだ。

 そう考えたら、五百日ものボーナスを貰えたわけだけど。


「よし! そんじゃ、気を取り直して盛り上がっていくぞ!」

「にょー!? 先輩が咆えた!!」

「うわ、どうしたんですか暑苦しい」

「にゅ! にゅー!!」


 一分でも。

 一秒でも。


 お前達と過ごす掛け替えのない時間。


 そのすべてを、俺は。



 笑って過ごそうと決めたんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る