テレワーク・デイ 後編
にゅと話したい。
俺たち全員が。
同じ気持ちでいるんだが。
「ふむ。これが、君の言っていた体験からの学習という事かな?」
親父さんとお袋さんが。
午後になってもくっ付いて来て何もできん。
せめて、俺が犠牲になって。
二人をどこかへ追いやれば。
残った三人が。
にゅを説得することができるだろう。
「……あ。ここからしばらく道がぬかるんでいるので。俺と一緒に引き返……」
「構わんよ、靴は足の代わりに汚れるのが道理だからな」
うーむ。
作戦失敗。
「どうぞ、私達はいないものとして、いつも通りに活動してくれたまえ」
「……いつも通りになんかできるわけあるか」
「ん? なんだね?」
「いえ何も。それではくれぐれも気を付けて歩いて下さい」
にゅの親父さんとお袋さんまで引き連れて。
予約しておいた竿をレンタルしての渓流釣り。
とは言っても、川の一部分を区切って作った釣り堀みたいなものだから。
素人にも簡単に釣れるようにしてある、レジャー施設だ。
多分、朝のうちに施設の人が適当に放り込んでおいた川魚。
それを釣って、さばいて。
焚火で塩焼きにする体験コース。
運動嫌いなこいつらでも。
楽しめると思っていたんだが……。
「それどころじゃねえや。どうにかしねえと」
誰も口を開かないまま。
河原へ降りた俺たちを待っていたのは。
賑やかな家族連れが数組と。
騒がしい友達グループが一組。
そこに場違いなグループが一組加わると。
めいめいが適当な丸石に腰かけて。
黙って釣り糸を垂れる。
エサすら付けずに放り込んでるけど。
それでも釣れることあるんだよな、この手の釣り堀だと。
……朝まで雨を降らせていた薄雲が。
まるで、地上まで降りてきたような世界。
淡く、霧の残滓が残っているぼやけた景色は。
俺たちだけに見える幻なのだろうか。
つい朝までの世界と異なる場所。
あんなに楽しかった時間と、切り離された世界。
ひょっとしたら、本当の俺たちは。
昨日までと変わらぬ今日を送っているのに。
ウソの世界に迷い込んだ俺たちだけが。
こんなにつらい思いをしているんじゃないだろうか。
隣に腰かけている、みんなのマスコット。
こいつが、親父さんのせいで他の部へ移籍してしまう。
何か話しかけないと。
そして、もう一度考え直してもらわないと。
思いばかりがつのるけど。
すぐ真後ろに親父さんが立っていては何も話せん。
ああ、今、ここで。
奇跡は起きないものだろうか。
もうこうなれば。
恥も外聞もなく、何にでも頼ってやる。
神様。
仏様。
パラガス様!
プルルルルル
プルルルルル
「でかしたパラガスっ!!!」
マジか!
ここで親父さんに電話?
「ああ、もしもし。先ほど連絡した錦小路だ。ちょっと込み入った注文をしたいのだが……」
釣りをしてる人のそばで電話はない。
案の定、俺たちからどんどん離れていく親父さん。
今しかない。
でも、通訳も無しで、会話成り立つかな?
不安はあれど、選択肢の方が他に無い。
俺は単刀直入に。
にゅへ話しかけた。
「……えっと、さ。さっき聞こえちゃって……、廊下での立ち話」
「にゅ?」
うおおお!
心が折れるなお前のアイデンティティー!
だが、方法はある。
ひとまず携帯だ。
「筆談がいいか? 返事はここに書いてくれ。……お前、他の部に移る気なのか?」
俺の言葉に。
にゅは、目をぱちくりさせたかと思うと。
急に、手をポンと合わせて。
苦笑いを俺に向けた。
「それで、みんな、よそよそしかったのですか?」
「お、おお」
こいつの話し声は。
思ったよりも随分と、お嬢様のそれで。
出会った頃、秋乃と話した時の。
妙な距離感がそこはかとなく漂っていた。
……聞いていた通り。
そして、親父さんから感じた通り。
こいつは、名家のご息女だったのか。
俺は、余計な思考にとらわれながら。
続く言葉をいつまでも待ち続けていると。
「私にとって、お父様の仰ることを守るのは当然のこと。お父様が喜ぶ姿を見ることが、私の幸せです」
「そ、そうなのか? でも、それって……」
「はい。一般的ではないですよね。……でも、訳があって」
どうあっても感じる距離感。
もしかすると、こいつが妙な擬音だけで過ごしているのは。
これを相手に感じさせないため?
「私には、年齢の離れたお姉様とお兄様がいるのですが。二人とも優秀で、何かにつけて比較されて、叱られて……。私は、負い目を感じて過ごしてきたのです」
「親父さんからか? 叱られたって」
「はい」
「なら、従う事なんかねえだろ。誰かと比較するなんてひどい話だ」
「…………金塊と砥石」
「え?」
急に、脈略から外れた単語が飛び出して面食らったが。
なるほど。
赤の他人から見れば、ふざけた話でも。
子供にとっては。
自分が自分でいられる唯一の理由。
親から。
愛されるという事。
「だから、お父様の望みに沿うのが、私にとって一番の幸せなんです」
「……お前が、にゅしかしゃべらないのも、それが原因?」
「そちらは違いますよ……。でも、多分。部長はお気づきでしょう?」
「ん? ……まあ、なんとなく。分かった気がする」
いや。
そうだったのか。
普段とは、まったく変わらない人物なのに。
今の俺は、こいつのことを。
『ゆあ』としか呼べなくなっている。
そして、もしもこいつがただの『にゅ』だったら。
強引に説得して、同好会に残ってもらうよう説得するところなんだが。
「そ、それでさ……」
「私からお話しできることは、以上です。……ゆあは、にゅへ戻ります」
「ちょ、ちょっとまっ…………!」
「にゅ?」
おいおい、きたねえぞ。
そんな戻られ方されたら。
もう、なにも言えねえじゃねえか。
……入学式の日に出会ってから。
いままで四か月もの時間を過ごして来て。
知らなかった真実。
こいつは、お嬢様の体でマスコットの着ぐるみを被ると。
エサもついてない針を。
水面へ放り込んだ。
霧の残滓が河原を横切る。
すべてが夢なのだと、俺の耳にささやき続ける。
ならば、この夢の中で。
俺がこいつにしてやれることは、なんだ?
「部長くん。……部長くん」
何時間もの間、ゆあと話していた錯覚。
それこそ幻に包まれていた心地で、親父さんの声にようやく返事をすると。
「この上にギャラリーがあるらしい。今、アポイントを取っておいたが、君の判断でこのまま不毛な時間を過ごすかどうか決めたまえ」
なんとも。
普段の俺なら噛みつきたくなるようなことを言われたんだが……。
「お前。絵画とか好きなのか?」
「ふにゅ……」
「…………ははっ」
なんとか、一つだけすくわれた気分だ。
こいつはいわゆるパパプレか。
朱里なら猛反撃するところだろうけど。
お前なら、喜んで受け取るんだな。
……この合宿が。
俺たちと過ごす、最後の時間になる。
ならば、こいつが一番うれしい選択をしてやろうか。
「行こう」
俺の言葉に、不満顔をする三人。
でも、にゅの笑顔を見て。
無言ながらも、考えを改めてついて来る。
「上って、釣具屋の先ですか?」
「そうだな。川の反対側なんだが……」
山道に入って、斜面を上りながら。
親父さんの見せてきた携帯に目を落とす。
川の反対側って。
どうやって渡るんだ?
「……橋?」
「うむ。あると書いてあるが。……まさか、これか?」
一同揃って。
同時に足を止めて眺めるそれは。
ワイヤーに木板を渡して作られた。
つり橋だった。
ただ。
普通のつり橋とは。
明らかに異なる特徴があって。
それは。
「先輩先輩。つり橋、水面すれすれ」
「いや、すれすれと言うか……」
真ん中のあたり。
ほぼ、水に浸かってねえか?
「やば……。先輩、ちょっとテンション上がってんですけど、ぼく」
「わかる」
やたらと低い高さに作られたつり橋は。
河原に落下しても、きっと足が痛くなる程度。
川に落ちてもダメージゼロ。
でも。
「逆に言うと、何度か落ちそうだな」
だって、木板がびしょびしょじゃねえか。
こんなの、滑るの大前提だ。
「にゅ……」
「お前、一番苦手そうだな」
不安顔を、俺だけに見せて。
親父さんに悟られないようにしてるとか、健気な奴。
こいつの手を握って歩きたいけど。
両手が空いてた方が安全だよな、きっと。
「うーん…………。おい、秋乃」
「は、はい……」
「お前の面白グッズばっかり詰まったカバンにロープあるだろ。主にパラガス用の」
秋乃は、一つ頷いた後。
スポーツバックを漁って、中からザイルロープを取り出して俺に渡……。
ほんとにパラガス君用って書いてある。
なんか、これ使うのイヤだな。
「まあいいか。ほれ、こっち来い」
俺は、にゅを手招きすると。
腰回りにしっかりと結び付けてやった。
そして、一メートルぐらい間を開けて。
俺の腰にも巻いて、出来上がり。
……こっちは引き解け結びにしとこう。
解くの大変だからな、ザイルロープって。
「よし、これでいつ落ちても平気」
そんな言葉に。
にゅは、いつもの、楽しそうな笑顔を向けてくれたんだが。
にゅーとか言ってはしゃぐわけにもいかないわけで。
無言のままだから、なんか調子が狂う。
まあ、それはさておき。
準備は整った。
やたら低い橋に挑んでみますか。
……先頭は秋乃。
間に三人組を挟んで。
一番後ろを俺が歩く。
見た目通り。
フレームは滅茶苦茶頑丈で。
全員が乗っても揺れやしないんだが。
「案の定、滑るな……」
湿り切ってる木板は。
逆にグリップがいいんだが。
乾いたところに、今朝の雨で濡れた板は。
予想以上に滑る。
そんなところで。
下手に力のかかるような事したら……。
「へっくにゅ!」
「誰のか一発で分かるくしゃみ! ……ぐへっ!?」
思わず突っ込みを入れた俺の腰に。
あり得ない程の負荷がかかって足を踏み外す。
俺は、なんとか足下に渡っていたワイヤーに股でしがみついて耐えることに成功したんだが。
くしゃみのせいで、滑って落ちたにゅの方は。
川に半分浸かったまま、俺と繋がってるロープにしがみついていた。
「おい! 早く引き揚げろ!」
「ゆあ!」
「ゆあ!」
朱里と丹弥が、慌てて駆け寄って来たが。
どうしたらいいか分からずまごつくばかり。
ここは自力で、にゅを引き揚げたいところだが。
「くそっ! 意外と重い!」
まずは自分がワイヤーの上に登らないと。
でも、腰にかかったにゅの重さでそれも適わない。
そして今更。
ヤバいことに気が付いた。
「わぷっ! ……ごぼっ!」
下手に腰のロープで引っ張られてるせいで。
水上スキーのボード状態になったにゅは。
それなり速い川の流れにもまれて、浮かぶこともできずに。
何度も、小さな波を顔にかぶって苦しそうにしていた。
「お、溺れるぞこのままじゃ!」
「ゆあ! 足が付くから! 慌てないで!」
「引っ張って! 早くゆあを助けて!」
朱里と丹弥が悲痛な叫び声をあげる。
錦小路さんも、全力で俺を引っ張り上げるがびくともしない。
どうすればいいのかまるで分からずに。
頭が真っ白になりかけたその時。
…………下着姿の美女が。
俺の目の前から、ゆっくりと川の中に飛び込んだ。
一体、何があったのか。
これも、薄霧の残滓が見せた幻なのか。
まるで血が廻らない頭が。
次に理解した光景は。
「げへっ! ごほっ! ……はあっ! はあ……」
ゆあの体が。
川の下からもち上げられて。
ようやくゆっくり呼吸ができるようになったと。
安堵の表情を浮かべていた。
……と、いうことはもちろん。
川の中に潜ったまま。
ゆあを持ち上げてるのが……。
「そうか! 解けばよかったんだ! 待ってろ秋乃!!!」
自分の側に結んだロープ。
遊びの側を引っ張れば、あっという間に解けて、手からするっと離れていく。
すると、
川の流れに任せて泳ぎつつ、次第に岸の方へ寄って。
今、河原へぐったりとその身を投げ出して寝ころんだのであった。
「よ……、よかった……」
「先輩!! やくたたねえ!!」
「そうだよ! ロープが逆に邪魔になったじゃない!」
「いや、確かにそうだけども! ロープが無ければ誰も助けに行けなかったでしょうが!」
「言い訳とか!?」
「言い訳とか!?」
「ああうるせえ! 秋乃! だいじょぶか!? ……うおう」
そうだそうでした。
あいつ、朱里に荷物預けて。
服脱いで飛び込んだんだった。
「あ! 忘れてた! 先輩、何見てんの!?」
「このスケベの目を塞がないと」
「いだだだだ! 加減考えろ! 眼球を穿つつもりかお前ら!」
「うるさい! スケベ親父の守護霊オーラ出してるんじゃねえ!」
「だからそんなもんいねえっての!」
「そう言いながら、頭の上で手を振って、何を書き消そうとしてるんです?」
「じゃかましい! いいから離れろこんなとこで暴れんな! あぶねえだろが!」
そして、ようやく眼球を押しつぶそうとしてた二人の手を引きはがした俺が。
痛む両目で最初に捉えたものは。
「げ」
すげえ難しい顔した。
ゆあの親父さんだった。
「あ……」
「やば……」
「お前ら、今まで猫被ってた意味な!?」
もう手遅れだ。
俺は、観念して。
つり橋の上に正座しようとしたら。
滑って川へ落っこちた。
……いや違う。
俺はそんなドジっ子じゃねえ。
これは、あれだ。
秋乃たちの所に向かっただけだ。
「ああ! 先輩、変態! 下着姿、そばで見ようって魂胆だ!」
「最低だ」
……ああそう。
じゃあ、言い直すよ。
俺は今から。
海底に沈んだパラガスを探しに行くんだ。
さて。
こんな事件起こして。
化けの皮も剥がれて。
一体、どんな沙汰が出るのやら。
俺は、川に流されながら。
ゆあの姿を探すと。
あいつは、岸辺から。
不安そうに俺のことを見つめていた。
そう。
俺は、ゆあを見ていたんだ。
だから、その隣にいた。
肌色多めな物体は見てません。
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