カシスの日 後編


 観光地の店と言えば。

 五時くらいには閉まってしまうのが当たり前。


 ぽつりぽつりと建ち並ぶのは。

 はたして土産物屋か食べ物屋か。


 それすら容易に判断がつかなくなっている。

 薄暗い通りを歩く五人組。


 夏の黄昏時は、時計を確認すると驚くほどの時刻になっているせいで。


 妙な不安感が胸に湧いてくるものだ。


「先輩、大丈夫なんですか?」

「地図は間違ってないと思うんだけど……」

「あ。あれじゃないかな。暖簾が揺れているように見えた」

「にゅ」

「よ、よかった……」



 合掌造り民家園から戻って来るなり。

 今日はもう一歩も歩きたくないと。


 部屋にも戻らず、ロビーのソファーでぐったりしていた拗音トリオ。


 俺と秋乃が呆れて見ていると。

 不意に、宿のご主人がやって来て、こう言った。



 今日の夕食は、作って無い。



 おかしな話に憤慨した三人をなだめると。

 ご主人が、慌てて訳を説明してくれたんだが……。



「もう歩けない……。お礼が、ガチ風邪の時のお見舞いなんですけど……」

「今のは、有難迷惑って意味です」

「通訳ごくろう」


 昨日、朱里が貰って来た大量の鶏肉。

 とても食いきれないから、半分を宿に差し上げたんだが。


 それを夕食に使ったところ、お客様から随分と好評だったようで。


 お礼に、美味しい料理を無料でご馳走しましょうと。

 知り合いの店なる場所を教えてもらったんだが……。


「先輩。なんで断らなかったんですか?」

「断ったところで、飯が宿に無いんじゃしょうがあるめえ」

「今日は歩き疲れた……。私、既に食欲無くなっているんですけど」

「にゅ……」

「あのね、立哉君。それ以上に……」

「そうなんだよな」


 丹弥が見つけた暖簾のお店。

 間違いなく、紹介して頂いた店なんだが。


「こういう観光地来ると、無性に食べたくなるとは思うんですよ。思うんですけど……」

「これなら、宿の料理の方が良かったかな……」

「もう言うな」


 ご主人が、絶対に美味しいからと、鼻息荒く勧めてくれた場所には。

 『松葉庵』なる暖簾が揺れる。


 そんな藍色に。

 どうしても納得できない白抜きのひらがな五文字。



 そばうどん



「……高級蕎麦の実を食べさせて育てた、超高級な鵜を甘辛く煮込んだ丼」

「なわけあるかい」

「騙されてないですか!? いくら美味しいからって、お蕎麦ですよ!?」

「実は俺もうっすらそう感じてる」

「私、宿の料理、かなり豪勢だと昨日の夕食の時に思っていたんですけど」

「店の前でディスるわけにいかねえから我慢してんだ。俺も同じ言葉を叫びそうだからこれ以上言うな」


 こういう時。

 にゅは助かる。


 文句ばっかの二人と違って。


「……にゅ」


 なに言ってっか分かんねえからな。



 しかし、文句はあれど。

 マッチポンプと思わなくはない。


 疲れ果てた一年トリオには。

 軽く、蕎麦くらいがちょうど良かろう。


 まさかそこまでの計算だったりしてと。

 宿の親父を最後まで疑いながら。


 暖簾を分けて。

 店の扉を開いてびっくり。



 ジュウゥゥゥゥゥ……



 すきっ腹に響くこの音は。

 まごうこと無き、肉の焼ける音。


「ほい! いらっしゃいませ! 高校生五人組ってのはあんたたちかい?」

「そうですが……」

「普段は閉めてる時間なんだけどね! たまにこういう無茶言って来るんだあいつは!」

「えっと……、お蕎麦屋ですよね?」

「あはは! うちの大将、もともと銀座の鉄板焼きでシェフやってたのよ!」

「なんだそりゃ!?」

「だから、知り合いだけの隠しメニューよ! 美味しい飛騨牛のステーキ食べて行ってね!」


 なんと、飛騨牛!?

 まさかそんな高級料理が待っていたとは!


 浮足立つ姿をひた隠しにしながら。

 俺は勇んでテーブル席へ腰かけたんだが。



 どうしたお前ら。



「おいおい、嬉しい誤算じゃねえか。落とされて持ち上げられるとか最高の演出」

「いや、ぼく……」

「そうだね。ちょっと、この状態でお肉は……」


 あ、そうか。

 もはや蕎麦の方がいいよな、お前ら。


「でも、すげえ断り辛い」

「わかる。なんか、すまん」

「もう、覚悟を決めるか……」

「どれくらいの量出て来るんだろ」

「御礼って事だから、奮発してるんじゃ……」

「にゅ……」


 そうだな。

 下手に三百グラムとか出された日にゃ。

 食いきれねえだろうな。


 でも、お前らには悪いが。

 ピンピンしてる俺と秋乃にはかなりのプレゼントになった。


 何なら、お前らが残した分まで全部食べてやるよ。


 だから気にせず。

 食べれる分だけ食べればいい。



 ……それにしても。

 なかなか落ち着いた雰囲気の蕎麦屋だ。


 観光地にしては珍しく。

 かなり明るめの内装が、清潔感を漂わせる。


 わざわざ貸し切りにしていただいた俺たちは。

 乾いた喉に水を流し込んで人心地つきながら。


 料理が運ばれてくるのを。

 ちょっぴり重ための空気と共に待つことにした。


「やれやれ……。ぼく、こないだも似た様なことあったんですよ」

「へえ? どんなことだ?」

「パパが、ぼくが買って来た二百円のアイス食べちゃったんですけど」

「あるな、その現象」

「お風呂上がりに怒鳴り散らしたら、代わりに買って来たのが五十円の棒アイス」

「似てるのか? その話とこの件」


 意味分からん。


 でも、そんな話が。

 こいつには刺さったようだ。


「ふんにゅーーー!! にゅ! にゅ!」

「でしょ!? 怒りのツープラトンが、もうどっちのなにをどうやって怒ったらいいか分かんなくてさ!」

「にゅにゅにゅ! ふんすーーーー!!」

「だよねーーー!! まったく、うちのパパときたら……」


 そして始まる、朱里の愚痴。

 それにやたらと相槌を打つにゅなんだが。


「おい、にゅ。お前んとこの親父さんも似た感じなのか?」

「にゅ?」

「いや。やたら共感してるけど」


 普通の疑問。

 俺は、深く考えずに聞いただけ。


 でも、こいつは昼間と同じよう。

 ぼけっと虚空を見つめながら。


 何か物思いに入り込む。


 これは失敗だったかな。

 俺は、ちらりと秋乃を見たが。


 そんな仕草を。

 丹弥に目ざとくチェックされた。


「先輩。そんなに舞浜先輩が気になるんですか?」

「え? いや、別に……」

「そう言えば昨日は、月が綺麗でしたか?」

「それ、ある意味おっさん発言だからな」

「誤魔化してるってことは、良い感じだったと?」

「ないない。なあ、秋乃」


 話を振ってみたものの。

 察しの悪いこいつには、何の話か分からなかったようで。


「……昨日、月、出てなかった」

「まあ、そうなんだが」

「立哉君、浴衣、似合ってた」

「そしてどうしてその発言!?」


 ああもう、最悪の返しだ。

 朱里まで一緒になってニヤニヤし始めたじゃねえか。


「おにあうおにあう」

「おにあうおにあう」

「からかうんじゃありません。牛、残しても食べてやらねえぞ?」

「うぐ」

「意地悪だ、先輩」


 何とか黙らせたが。

 この話題は避けるようにしねえと。


 ここは、話題がコロコロ変わる。

 朱里に期待して……。


「あれ? ……あれれ? …………あれれれれれれれ!?」


 いや、期待はしたけどさ。

 なんだお前。


「どうした?」

「いえ、もしかして……。鶏肉が、牛肉になりました?」

「は? 何をいまさら」


 なに言ってんだこいつ。


 そうだよ、お前が宿に鶏肉あげたから。

 こうして代わりに飛騨牛のステーキを…………。




 ん?




「………………ああっ!? ほ、ほんとだ!!!」

「と、砥石が、鶏になって……」

「鶏が牛になってる!? なんだよお前の呪い!」

「呪いとか言わないで下さいよ!」


 ちょっと待て。

 万が一にも、この牛が他人の手に渡ったら。


 最後には……。


「き、金塊?」

「ははっ! ままま、まさか!」

「で、ですよねそうですよね!」

「でも、もしかして…………」


 急に黙りこくった俺たちの頭に。

 邪の一文字がゆらゆら揺れる。


 するとその時。

 まるでこの呪いを肯定するかのように。


 引き戸が勢いよく開け放たれた。


「すいません! まだやってますか!?」

「ほい、ごめんなさいね! 今夜は貸し切りで……? あら、土産屋さんとこの?」

「そこを何とかなりませんか! 商談が長引いてこんな時間になって、お客様に昼夜我慢させるわけにいかないんです! 五人前、お蕎麦でもなんでもいいんで!」

「そうは言っても、麺がもう無いわよ。今から打ったら一時間はかかるわよ?」


 …………おい、朱里。

 やっぱりこれ。


「呪いじゃね?」

「違うけど! 万が万が万が一のワンチャンあったりしますかね!?」

「だとしたら……」


 俺の言葉が終わるか終わらないか。

 そんなタイミングで同時にがたっと席を立った俺たち。


 もちろん揃って。


 その目は$マーク。


「実は俺たち、ちょっと急いで戻らなくてはいけませんので!」

「どうぞこちらの方に、飛騨牛のステーキを召し上がってもらってください!」

「そう! 牛を!」

「牛を!」

「え? え!? ちょっとお客さん!?」

「ではそういうことで!」

「ほら、にゅ! 行くぞ!」



 慌てて店を後にした。

 金の亡者たちは。


 足の疲れはどこへやら。

 足早に宿への道を突き進む。



 果たして、朱里の呪いはどこまで本物なのか。

 今は、誰もその答えを知る者はいないのであった…………。





「さ、最終的には、砥石になったりして……」

「「「そういうフラグいらない!!!」」」



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