カシスの日 前編


 ~ 七月二十三日(金)

      カシスの日 ~

 ※呑花臥酒どんかがしゅ

  春に花を愛でて酒を飲む。

  行楽の極みを尽くすこと。




 花より団子とはよく言ったもの。


 ピクニックシートの上で。

 普段は目にすることができない光景を前にしておきながら。


 こいつら。


「にょーーーー!! これほんとにお酒じゃないよね!?」

「大丈夫さ。ジュースって書いてあるから」

「でも、ゆあが酔っ払ってる!」

「え……」


 雰囲気のせいか。

 べろんべろん。


 ご機嫌に頬を赤くしたにょがゆらゆら揺れる。


 まるでリズムを取りにくい。

 きっちり動かないメトロノーム。


「まあ、カシスって聞いたらお酒っぽく聞こえるの分かるけど。ただのジュースだ」

「先輩が言うんじゃそうなのかな…………。うえ、苦い」

「そうか? 俺はこの苦みが好きなんだけど」

「じゃあボトルでどうぞ! ぼくはサイダーがいい!」

「おお。お子様舌」

「……舌はお子様なのに、お子様ランチを注文できない悔しさが先輩に分かるか?」「分かるわけねえだろ」


 珍しく、朱里が座った目で俺をにらんで来るんだが。

 まさかお前も酔った?


 俺は、カシスジュースのラベルを何度も見て。

 やっぱりアルコールが入っていないことを確認すると。


「こ、この珍しい景色に酔ってる……、とか?」

「よく見ろ。こいつらの目は、俺特製真っ茶色弁当に夢中で合掌造りなんか見ちゃいねえ」

「だ、だよね……」


 焼きから揚げにチーズドッグ。

 ポテトペッパーにミニハンバーグ。

 パンケーキにソース焼きそば。


 誰が名付けた、真っ茶色弁当。


 ……あ。

 名付け親は凜々花だった。


 そんな凜々花のお気に入り。

 心ここにあらずなこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 なんでちゃらんぽらんなのか。

 そのわけは、実に単純明快。


「普段は逃げられる猫が寄って来る幸せ……」

「そんなに頭を撫でるな。余計に酔うわ」


 揺れるにゅを介抱すると称して。

 膝に乗せてご満悦。


 こういう時は。

 そんなに抱きしめたらいかんのじゃないのか?



 ――宿から六キロ。

 のんびり歩いて約二時間。


 ここは白川郷。

 合掌造り民家園。


 野外博物館となっているこの場所で。

 お弁当とか非常識とも思えるのだが。


「敷地内じゃなきゃ構わんだろ」


 遠くに臨む合掌造り。

 田園の様子も再現されて。


 これが、太古の話じゃなく。

 四、五十年前には普通に存在していたなんて。


 驚くべき話だ。



 放っておけば。

 自然と淘汰されていたはずの景色。


 それがこうして保護されたことによって。

 見る者に、何か大切なことを教えてくれようとしている。


 時代の変化を嘆いているのか。

 急激な時の奔流に置いて行かれるなという警笛なのか。


 俺は思いを馳せながら。

 先生への定時報告を済ませた。


 ……そう言えば。

 こいつもそうか。


 時代の変化の象徴。

 スマホ。


 こいつが世に出たのが十年ちょい前で。

 親父曰く、こんなに普及するなんて。

 当時はまるで想像もできなかったとの話だ。


 携帯自体、三十年ほど前から普及し始めたってことで。

 親父は、社会人になってから初めて持ったと言ってるが。


 じゃあ、学生時代に友達と、どうコミュニケーションを取っていたんだ?



 世の中の当たり前が、当たり前じゃなかった時代から。

 十年。


 俺が生まれてから。

 十六年の間にも。

 世界は変化している。



 ……ならば、俺は?


 それほどの速度で変化しているのだろうか。



「まわる…………」

「こら。地球の自転を早めるな、にゅ」


 俺が追い付けねえじゃねえか。

 困るわ。



 そういえば、合宿に来てから。

 何度か、こいつが普通に話すのを耳にするが。


 こいつ、まさか。


「今になってようやく成長を?」

「ふぐっ!? げふんげふん! そ、そんなに食べてないですよ!?」

「お前の話じゃねえ」


 相変わらずと言えば相変わらずではあるが。


 朱里も、出会ってから三ヶ月で。

 いろいろ変化してる。


 ……ん?


 お前、出会った頃は結構細身だったよな?


「あ……。他の観光客も増えて来てるみたい。ちょっと静かにしましょうか」


 そして、丹弥。

 こいつは、元気な二人と出会うことによって。


 一番成長したんじゃなかろうか。


「ちょっとしゅり! 静かにしてって言ってるんだ!」

「走って痩せて来る!」

「なに言ってるんだ!? ゆあもダメだって! なんでしゅりについてこうとするの!?」

「ふにゅ……」

「ああもう! 連れ戻してきます!」



 …………うん。


 なんか、俺の成長の解釈。


 間違ってる気がして来た。



「昨日も話してたけどさ。あいつら、この合宿で何も変わってくれないような気がして来た」

「良いと思う……。病気もケガも無ければ」


 土手を走り回る三人を見つめて目を細める秋乃はそういうが。


 ならば、合宿の意味を誰かに問われた時。

 俺は、なんて答えればいいんだ?


「それに……。ちゃんと、変わってる。昨日から、今日だけで」

「……体重が?」


 散々食いまくってるからな。

 宿と俺の飯。


 でも、秋乃の言いたい事は。

 違ったらしい。


「おお、なるほど。朱里のでかい声がちょっとだけ聞こえるな」

「うん……」


 どうやら、走り回っているうちに。

 あっという間に小さな兄妹と仲良くなったようなんだが。


 お父さんお母さんに見守られながら。

 拗音トリオの三人は。


 一生懸命、子供たちに白川郷の説明をしているようだ。


「まったく……。俺がいくら教えても、まるで聞きゃしなかったのに」

「誰かに教える必要性が出来ないと、覚えようとは思わない……」


 両手の指先を合わせて。

 あれは、昨日教わった合掌のことだな?


 朱里が身振り手振り激しく教えてるけど。

 丹弥が横からカンペさながらに携帯見せてやがる。


 そのうち、にゅも一緒になって。

 なにやらお芝居が始まると。


 お客がどんどん増えて来て。

 写真まで撮られる始末。


「あれ、『金塊と砥石』だよな?」

「ゆあちゃん。金塊は、もっと、こう、固めに……」

「いいぞ、行ってきて。お前が手本を見せてやれ、金塊の」

「あ、あたしじゃ大きすぎて……」

「懐に入らねえか。じゃあ逆に、お前が入れてやれ、昨日の蛍みたいに」

「……立ってなさい」

「うはははははははははははは!!! わるいわるい!」

「立ってなさい」

「はい」


 いかん、調子に乗った。

 やっぱこれ、アルコール入ってるんじゃねえの?


 俺は、カシスジュースの瓶のラベルを改めて確認していると。


 盛大な拍手を浴びながら。

 三人組が帰って来た。



 ……それぞれが抱く。

 異なる思いを表情に現しながら。


「にょーーーー!! 楽しかった! 二学期になったら、演劇部とか行きたくなりました!」

「そうか。……丹弥は、楽しくなかったのか?」

「悔しいな……。もっと勉強しておけば、もっと教えてあげられたのに」


 一つの出来事から。

 学ぶものは、人ぞれぞれ。


 朱里は朱里。

 丹弥は丹弥。


 何かを感じ取ったように見える。


 でも。


「…………ゆあ、ちゃん? どこか怪我でもした?」


 秋乃自慢の、困ってる人センサーなんて無くても分かる。

 明らかに、にゅが、ぼーっとしてる。


「熱中症かな。木陰木陰」

「お水お水……」


 でも、慌てる俺たちをよそに。

 にゅは、ピクニックシートの上にぽすんと座り込む。


 そんな彼女の目は。


 遠く遠く。


 まるで、四つ向こうにある。

 故郷の山を見つめているように見えた。




 後編へ続く!


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