大暑 後編


 高校生男女混合旅行。

 夕食後、トランプした後の地下一階。


 青と赤の並んだ暖簾。

 そこに風呂セットを持って、待つこと十分。


 かなり長風呂したんだが。

 それでも男より時間がかかるのは当然か。


 待ち合わせ時刻は五分前。

 待たされる時間が。

 妄想を大きくさせていく。



 俺はこう見えてそれなりスケベだからな。

 そりゃあ想像するさ。


 色っぽい浴衣姿を。


 ……そう。

 ほんの三十秒前までは。

 そんな事をずっと考えていた。



「先輩! もっと裾広げて歩いて! ちらっと見えるか見えないかあたり!」

「にゅ!」

「腕を、袖の中に全部入れて欲しいかな」

「にゅ! にゅ!」


 そう。

 まるで色気を感じないお前らにだって。


 少しは期待したさ。

 浴衣姿ってやつを。


 ポロリもあるよってやつを。


 三人いわく、部屋着なる服。

 わざわざそんなものに着替えたようだが。


 そうだな、TPOに合わせて何着も服を持って来る。

 その方がおしゃれさんってことはよく分かる。


 でもな、そういうこっちゃねえんだよ。

 風呂上りは浴衣だろ、普通。


 そして。


 浴衣姿にドキドキするのは男子の仕事だし。

 しかも、ドギマギして話しかけづらくなるもんだ。


「先輩! ドギマギして、口ごもってないで! ほれ、もう少し裾を……」

「あと、胸元から手を抜いて、顎をさすってくれませんか?」

「にゅー! にゅー!」

「……お前らは俺に何を期待してるんだ?」

「「「ぽろりもあるよ?」」」

「ないない」


 たまに、にゅがまともにしゃべったと思えばそれか。


 こいつ、それなりお嬢様って聞き及んでるけど。

 大丈夫かな、こいつらといて。


「お前らは着ないんだな、浴衣」

「ぽろりもあるからね」

「一応、先輩もいるし」


 今の一言をまともと捉えるべきか。

 階段を上り切って、未だに明りが灯ったお土産コーナーを眺める。


 電車でちょっと移動しただけのご近所だ。

 買おうと思えばすぐ買いに来れるようなもんだが。


「まあ、そういうもんでもねえか」

「先輩! そのお饅頭買うんですか?」

「いや、買うなら帰りに…………、おい」

「すいません! おばちゃん! これ下さいな!」

「にゅ!」

「いやいや。だから、土産なら最終日にしろ」

「……あれはね、先輩。部屋で食べる分」

「通訳ご苦労だがまじか」


 晩御飯も散々食べたと思うんだが。

 お前ら、小さい体によく入るな。


 ……まあ、凜々花も同じか。

 小さい奴ほどよく食べる。


「ん? そう言えば、大きいのに大食らいな奴はどうした」

「先に上がってたけど。先輩、見てないの?」

「見てねえな。もう部屋だったら別に……」

「舞浜先輩、浴衣だったけど」

「すぐ探して合流しねえと」


 はしゃぎながら戻って来た二人が。

 苦笑いの丹弥を見て怪訝な顔してるけど。


 いけねえいけねえ。

 ちょっとは自重しろ、俺。


「じゃあ、女子部屋でゲームしますか?」

「あー、そう……、だな。うん」

「ん? なんか先輩からスケベ親父の守護霊オーラが湧いてる!」

「にゅ!」

「そんな悲惨な守護霊ある!?」


 守護霊って、あの、青白く浮かんでるやつだろ?


「リセットしろお前ら! 騎士とか女神とか、ファンタジー系のを要求する!」

「いや、先輩。頭の上でパタパタ仰いだところで」

「おっさん怒ってる!」

「ほんとだ。腹巻のあたりがおぼろげにされたせいだ」

「なんかものすごくイヤ!!!」

「スケベな先輩は、退場です!」

「どわっ!?」


 非力な朱里のどすこいアタックも。

 不意打ちならば効果的。


 ロビーそばの廊下。

 中庭へ下りる扉から外に押し出された俺は。


「こらバカ! 鍵かけるな!」


 中から手を振る三人に見捨てられて。

 放置されたんだが。


 薄暗がり、ロビーを背負った逆光のサッシ越し。

 みんなの顔は柔らかく微笑んで。


 誰かが、ごゆっくり、なんて。

 口を大きく動かしていたってことは……。



 未だ、目が慣れない暗がりに振り返る。

 するとそこには、黄緑色に光る綿雪が舞い踊り。


 庭の中央、芝生の上に降ろうとしていた結晶が。

 薄紅の帯を闇の中に映し出す。


 天にたゆたう黒い川が。

 月を底に沈めているおかげで。


 そこに立つ女性が誰なのか。

 未だ、俺には分からない。



 こちらに気付いていないのか。

 女性は手にした団扇で、天に浮かんだ雪の粒を丸く切り取る。


 すると、そこから一粒。

 黄緑の雪粒が女性の元へと零れ落ちた。


 団扇の上を、ゆらゆらり。

 雪は季節を間違えたせいで。

 思うところへ降りれない。


 それはお困りでしょう。

 冬になったらまたおいで。


 女性は、ふわりと雪を仰いで。

 再び空へと帰してしまった。



「…………はたき落とせない」

「やめんか可哀そうだろ」


 どうせそんなこったろうとは思っていたが。


 お前が何を考えていたか。

 今回については、それは問題ない。


 ただ俺が、お前の姿を見て。

 ドギマギして、上手く話せなくなっていることの方が問題だ。



「捕まえたいのに……」

「何と言うか、蛍追いは風情があるな」


 それが、ピンクの浴衣を羽織った女子となれば。

 これはもうなおさらのこと。


 でも。


「捕まえて何とする」

「光る仕組みを解析……」


 やはりか。


 とは言え、お前が何を考えてるか。

 今夜の所は、それは問題ないんだ。


「追うから、逃げるんじゃねえのか?」

「急に恋愛講座?」

「ちげえよ」


 こら、恥ずかしがってることがバレるだろうが。

 そういう話題を振るな俺に。


 慎重に、絶対に手が触れないよう意識して。

 団扇を秋乃から横取りすると。


 俺は、こいつがやっていたように。

 天高く、それを掲げた。



 ただ待っている時間が。

 無限にも感じる。


 風呂上がりだからだろうな。

 頭から噴き出す汗が、前髪からぽとりと落ちる。


「あ……」


 そしてようやく。

 待ち人来たり。


 蛍は、うちわの縁を目指して。

 ゆらり天から降りて来ると。


 柔らかな風に吹かれて落下地点を見誤り。

 秋乃の胸元にポトリと落ちた。


「ふんにゃああああああ!!!」

「俺の守護霊、霊力ハンパねえ!!!」


 いや違ったなに言ってんだ俺は!

 蛍に照らされた胸元を、スケベ親父と二人で見てたことがバレちまう!


「…………霊力?」

「なんでもねえ!」


 よかったバレてねえ!

 急いで誤魔化さねえと!


「と、とにかく、追ってばかりじゃ捕まえられねえってことだ!」

「そうでもない……、よ? えい」

「わぷっ!? 虫取り網かぶせんな!」

「追っても捕まえられる……」

「俺を捕まえてどうする気だ!」

「…………当局へ連行」

「すいませんでしたああああああ!!!」


 気付いてんじゃねえかこのやろう!


 俺は、秒で芝生に平伏したが。

 蛙の声に混ざって。

 くすくすと鈴の鳴るような音が聞こえて来る。


 ……なんか、前にもこんなことがあったな。

 どうにも俺は、成長していないらしい。


 空回りばっかりだけど。

 成長しようともがいている秋乃と違って。


 俺は、一つ所に留まって。

 ふわふわり。


 風に吹かれるまま。

 漂っているだけなんだろうか。


「……なあ」

「ん?」

「この合宿で、あいつらが一つ成長できると良いな」


 そんな目論見なんて、元々は無かった。

 急ごしらえの思い付き。


 それが知れたせいだろうか。

 秋乃は首を左右に振って。


 俺に向かって手を差し出しながら。

 ぽつりとつぶやいた。


「一番大事なのは……、あの子たちに、怪我や病気をさせない事」


 掴んだ手と手を離さないまま。

 秋乃の間近に立ち上がる。


 すると暗がりに浮かぶ端正な秋乃の顔が。

 ふらり、頭上を通り過ぎた雪の明かりで右からゆっくり照らされた。


 こいつが、美人だってことは知っていた。

 でも、こんなに大人びた顔をしていただろうか。


 もはや、隠し通すこともできなくなった鼓動を気にせず。

 俺は素直に、目の前の女性に頷いてみせた。


「確かに。お前の言う通りだ」

「うん。……そのおまけで、なにか成長してもらえれば、儲けもの」


 そう言い残すと。

 秋乃は、足下に置いていたバッグを手に。


 宿へと足を進める。


「三人が、どう変わるか……。楽しみ……、ね?」

「変わらんだろ、四日くらいじゃ。少なくとも、今日は変化なし」

「男子三日逢わざれば刮目して見よ」

「女子だろうが」


 そして俺は。

 取り残されることに、不安を感じたせいだろう。


 慌てて。

 秋乃の隣を歩く。


「変わるとしたら、朱里の鶏肉ぐらいだろ、なにに変わるかな?」

「体重」

「うはははははははははははは!!!」

「あるいは、牛」

「……いや。そういうお約束はいらない」

「くすくす。起きたら牛になってたり?」

「それは病気にさせたってことにならねえか?」

「そうね。……ちゃんと、見ていてあげないと」


 秋乃が教えてくれた。

 怪我も病気もさせないって言葉。


 俺は、それを心に誓いながら。

 みんなの待っている場所へ向かうために。


 扉を開いた。




「…………どうした、の?」

「かぎ」



 ここは。

 怪我したってことを内緒にしておこう。


 なんせ、合宿は。

 始まったばかりだからな。




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