大暑 前編


 若者は。


 褒めてもらいたかっただけなのだ。



 蝉時雨に包まれた森を分けたその先に。

 ぽっかり突き出た岩の上。


 暑さの盛りに眩む空。

 髷の下に手でひさしして。


 四つ遠くの山を見つめて思う。


 ここで過ごして五年。

 最愛の両親は、ようやく儂を褒めてくれることだろう。



 牛蒡のようだったかいなには、流々と血管が浮き。

 背も随分と高くなった。


 故郷とはまるで違う時を過ごしてきたが。

 男は片時も忘れたことは無い。


 その術は、簡単なようで難しい。

 荷を、欲しいものと換えて歩くこと。


 男は、金を牛に換え。

 牛を鶏に換え。


 首尾よく、家の方から砥石を盗んで逃げる男を見つけると。


 一も二も無く。

 背負うた鶏と交換した。



 男は。

 褒めてもらいたかっただけなのだ。



 なのに、ようようと敷居をまたぎ。

 自信満々に包みを開くと。


 目論見とは違って。

 散々に叱られることになった。



 親方にいくら褒められても。

 それでも、満足などできるものではない。


 男は、筋骨たくましく。

 立派ななりになったとて。


 結局は。

 親に褒めてもらいたい。

 そんな小童のままだったのだ。



 ……そこで問おう。

 彼にとっての幸せは。


 親方に褒められる山か。

 両親に叱られる山か。



 赤の他人が見れば。

 一目瞭然の答え。


 でも、童からすれば。

 逆の答えが当然なのである。




 特別編 『金塊か、砥石か』


 ~ 七月二十二日(木) 大暑 ~

 ※一唱三歎いっしょうさんたん

  すばらしい詩文を褒め称える言葉




 木漏れ日の柱を縫いながら。

 沢へと抜ける翠色の風が。


 赤い火の粉を巻き上げながら。

 パキリと薪を叩いて逃げる。


 そんな音ひとつにころころと鈴を鳴らすのは。

 元気な四匹の子リスたち。


 飛び交う蝶が。

 どこに掴まろうか悩むほど。


 子リスらは華やかな服と可愛らしい帽子で。

 森の中、赤に黄色に咲き誇る。



 色は、文化。

 文化は、歴史。


 歴史を、争いと文化の記録と解くならば。

 今、この森に歴史が生まれる可能性がある。


 傑出した文化が。

 四つの花を競うように輝かせ。


 そんな花たちが。

 人の欲望を掻き立て、そして。



 争いを生む……。



「あー!! それ、僕が育ててた玉ねぎ!」

「にゅ!」

「ちょっと、しゅり。私のアスパラガスもっていかないでよ」

「…………人はその戦を、平和と呼んだ」


 争いは。

 歴史だ。


 その、箸でチャンバラを始めた姿は。

 俺たちの記憶に、いつまでも残ることだろう。


 でもお前らの争いまで。

 全部記録して歩いていたら。


 歴史の教科書だけ。

 間違いなく。



 クラウド化。



 ――さて。


 どうして歴史に思いを致したのか。

 それには実に簡単な理由があって。


 俺たちがいる、この界隈が。

 世界が認めた文化だから。


 歴史の生き証人。

 飛越にまたがる世界遺産。


 その土地の名は。



 白川郷。



「お前らおもしれえな。普通、バーベキューだと肉でケンカするものと思うが」

「だって、高級肉ならともかく……」

「豚肉だもんね。ケンカになんかならないよ」

「にゅ!」

「……おい、にゅ。なんで今、俺の肉と自分のを交換した」

「にゅ?」

「えっと、明らかに焦げた自分のと、いいかんじに焼けてる先輩のじゃ換えて当然って言ってると思う」

「……なりかけてんじゃねえか、ケンカ」

「大人気ねー!」

「ほんとに」

「にゅ」

「よしお前ら。三対一だからって手は抜かない方がいいぜ?」


 俺はトングを構えてカチカチと鳴らしながら挑発すると。


 三人も腰を浮かせて。

 箸を構えて俺と正対した。



 ……暦は大暑。

 それでも、風は涼しい川縁のバーベキュー場。


 宿にしているホテルから徒歩十分。

 夏らしいイベントにはしゃぐメンバーは。


 Tシャツに赤いショート丈のジャケット。

 ホットパンツに野球帽。

 子供っぽい可愛らしさの新田にった珠里しゅり


 白いYシャツにGジャン。

 デニムパンツにおしゃれな黒キャップ。

 落ち着いた雰囲気の二岡におか丹弥にや


 黄色いふわふわなワンピース。

 さっきから、モンキチョウがやたらと止まる麦わら帽子。

 わがままな小動物、錦小路にしきこうじゆあ。


 そして。


「私服が、至福」

「お前は。でへでへみんなを眺めてないで、とっとと食え」

「既に、お腹一杯……」

「そうか。仙人の主食は霞だと思ってたんだが。邪な気持ちでもお腹が膨れるのか」


 三人組の私服姿がよっぽどお気に召したのか。

 朝からずっと、ヴァイオリンの穴みたいな目をしたまま涎を垂らしてるのが。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 そんなこいつの服装は。


「……ねえ、先輩。舞浜先輩、なんでスチュワーデスさんみたいなかっこしてんの?」

「ツアコンだってさ」


 しっかり引率するからって。

 三角旗まで持って来たのに。


 早くも、涎を垂らすだけの仙人と化した秋乃。


 俺は、結局一人で四人の面倒をみる事になるんだろうなとため息をつきながら。

 焦げた豚肉に齧りつく。


 ……いや。

 やっぱ、一対四は無理。


 いつも頼って悪いとは思うが。

 ここは丹弥も巻き込もう。


「そうだ、先輩。午後は歴史資料館じゃなくて違うところ行きたい」

「頼むからお前までハチャメチャチームに行くな。丹弥は引率チームに回ってくれ」

「えー? …………まあ、気持ちは分かるけど」


 役に立たない秋乃と。

 目を離すといなくなるにゅ。


 二人だけでも面倒なのに。


「じゃあ、ぼくが貰って来た鶏肉やいちゃうぞー!!」

「にゅーーー!」

「ってことで、先輩! よろしく!」

「にゅ!」


 余計な仕事を増やすこいつ。

 朱里が一番めんどくさい。


「大量に貰いすぎだ。半分は宿に引き取ってもらったからよかったものの」

「そんなことより! 鉄板に並べてくださいよ!」

「いや、良い鶏はこれが美味い」


 鉄板をバーベキュー台から下ろして。

 薪をばらして広げた後。


 網を乗せて。

 しっかり焼いたところで油を塗って。


 串を打った鶏を並べていく。


「すげえ! 焼き鳥! 先輩、何者なんですか!?」

「どこにでもいる、ごく普通の高校生だ」

「やっぱそうだと思ってたんですよ! めちゃめちゃレアキャラじゃないですか!」


 そう。

 俺は完璧なまでの主人公体質。


 さればこそ。


「よし、食っていいぞ」

「へ? タレも付けてねえのに?」

「いいから。騙されたと思って食ってみ?」

「うまっ!? え? なにこれ!?」

「……おお。さすが主人公属性」

「にゅ」

「朱里が砥石と交換してきた鶏肉、有名なんだよ。良い鶏肉は炭火だけで美味い」


 そして、俺も朱里の功績を堪能してみたが。

 これは久しく食ったことが無いほどの美味。


 この、皮から溶けだす油の甘さたるや。

 調味料なんていらないぜ。


「うん。……午前中の酷い苛めのお詫びとしては上々だね」

「こら、苛めとはなんだ。夏休みの宿題、一つ片付いただろ?」

「確かにそうだけど……」

「よっし! ゆあ、午後は牧場行こう、牧場! ソフトクリーム!!」

「にゅーーーー!!」

「私もそうだったんだけど。苦痛だったよ?」

「むぐ……。じゃあ、せめて歴史資料館は明日にするか……」


 午前中は、宿でこの地の面白いお話を伺って。

 感想文を書かせて。

 事前に聞いていた夏休みの課題を一つ終わらせてやった。


 そんな俺の功績に、恨みしか抱いていないとは何事だ。

 罰として、感想文を添削しまくって何度も書き直しさせてやる。


 そう考えながら、三人が感想を書いた原稿用紙を手にしてみれば。


「揃いも揃って『金塊と砥石』!?」

「だって、他のお話、難しくて……」

「にゅ」

「私は純粋に、一番心に残ったものの感想を書いたんだけど」


 一時間半もお時間を作って下さったのに。

 webじゃお目にかかれない、生の郷土史を聞けたというのに。


 でも、パッと見た感じ。

 あの昔話に、何を感じたか。

 それぞれが違う感想を持っていて面白い。



 『欲張ろうが、分け与えようが、結果同じなんだから楽しく交換しよう』



「朱里らしい……。というか、お前の交換騒ぎもようやく終わったな」

「はい! 最後はすっごくおいしくいただきました!」



 『人生、欲をかくとろくなことにならない。デッドクロスで確実に売るべし』



「こら! 丹弥! なんで株の話になってんだよ!」

「え? 舌切り雀しかり、おむすびころりんしかり、世の中にある昔話の大半はトレードのハウトゥだと思ってるけど……」

「どうなってんだお前の感性」


 意外にも、今日は面白担当に転びがちの丹弥が焼き鳥の櫛を振りながら答えて来たが。


 お前までチャランポランチームに入ったら俺は帰るぞ。

 それなり近所なんだから。


 食後のお茶をペットボトルから紙コップへそそいで一口すすり。

 俺は、残った原稿用紙に目を移す。


 どうせ、にゅの感想は二文字で終わり。

 そうなると、このやたら綺麗な文字が秋乃の感想文なんだろうけど……。




 親と子の関係性は、双方向に等しくあるものではない。数多の人間相関と同じく相互に常時影響を与えあう単体のベクトルであると考えられよう。

 そして幾方面への関係性それぞれに気を張る視野を持った親とは異なり、子が親へ向けるそれは特異なもので、他をないがしろにしても維持せねばならない唯一無二の存在である。

 これは、十分な成長を遂げるまでの食糧確保、安全確保、そのような生存本能に基づく思考であることに疑いはないが、本作の主人公氏が求めるところ、すなわち『褒められる』という事象を欲する感覚にも私が同調できる件についての説明がつかない。

 ここで、ウィトゲンシュタインによって構築された論理哲学体系に照らしてみると……



「うはははははははははははは!!! こら秋乃! もうこれ、結論最初に書いて欲しいレベル!」


 感想文の意味知ってるか?

 俺は、そんな思いを込めて、原稿用紙で秋乃の頭をぺしぺし叩いたんだが。


 こいつは、何も言わずに。

 残った一枚の原稿用紙を指差した。




 砥石を割るノミって、ずっと研がずに使えそう。




「うはははははははははははは!!!」


 バカな発想!

 ああ、お前のはこれか。


 じゃあ。


「丹弥、感想文の他にこんなの書くな」

「私じゃないよ。それは……」

「にゅ」


 そうか。

 やたら時間かかってたから丹弥の悪ふざけだと思ってたんだが。


「そうか。朱里の意外な一面発見だな」

「ぼくじゃないよ。それは……」

「にゅ」


 なんだよ。

 それじゃ、一人しかいねえじゃねえか。


「おい秋乃、ウソつくんじゃねえ。やっぱりお前が書いた悪ふざけじゃねえか」


 そして、再び頭を原稿用紙でポカリとすると。


 秋乃は、俺を見上げながらぽつりとつぶやいた。


「いい加減、認めたら?」

「にゅ」

「認めるのはお前の方だろ。丹弥も朱里も違うって言ってんだ。あと、これを書けるやつは……」

「にゅ」

「宿のおっちゃんと俺を除けば、必然的に……」

「にゅ」

「秋…………」

「にゅ」



 大暑だというのに。

 涼しい風が吹き抜ける川縁のバーベキュー場。


 楽しい夏の一ページを。

 部活探検愛好会メンバーで楽しんでいたはずの俺は。


 未曾有の衝撃に襲われて。

 原稿用紙を握りしめ。


 ……にゅを見つめたまま。

 膝から崩れ落ちたのだった。



「うそだろーーーーー!?」

「にゅ」



 後半へ続く♪

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