ポジティブボーイのバレンタイン
毎年バレンタインの季節になると、「今年こそは誰かからチョコレートを貰えるかもしれない」と無性にソワソワする。
単純なオレはなんだかやけに女子に対して優しくなったり、臆面なく甘いものが好きだとアピールしたりして、冷たい視線を投げかけられることもしばしばだった。結果、貰えるのはクラスの女子が配り歩いている義理チョコがせいぜいだったのだけれど。それでも毎年凝りもせず、「今年は貰えるかも」という根拠のない自信が湧いてくる。
しかし、今年のオレは一味違う。根拠のない自信で浮ついていた去年までのオレ、さよなら。
なにせ、今のおれには可愛い可愛い彼女がいる!
「バレンタイン、楽しみだなー!」
独り言にしてはやけに大きいオレの声が、教室中に響き渡る。正面に座った紬ちゃんは、やや困ったように眉を下げた。
オレが紬ちゃんと付き合い始めてから、およそ半年が経とうとしている。正反対の性格のオレたちだけれど、どうやら相性は最高らしく、ここまで大きなケンカなどをすることもなく順調な交際を続けている。
二月に入ってから、オレは毎日のように「バレンタインが楽しみだ」と紬ちゃんに言い続けている。紬ちゃんは優しい女の子だから、きっとオレのためにチョコレートを用意してくれるだろうけれど、万が一にも「忘れてた」だなんて悲劇を防ぐためだ。うーんオレって親切。
「オレ、甘いものすげえ好き! あ、できたら手作りがいいな! あれなんだっけ、フワフワのスポンジみたいなやつ」
休み時間、オレは紬ちゃんの前の席に移動して、彼女の机に頬杖をついていた。ニコニコしながら紬ちゃんを見つめていると、彼女はキョロキョロと周りを見回す。
「……あ、あの、瀬那くん。それ、もしかして私に言ってます……?」
「当たり前だろ! 紬ちゃん以外の誰に言うんだよ!」
「ヒェ……」
紬ちゃんの顔がみるみるうちに青ざめていく。この寒いのに、額には汗が浮かんでいる。冬の紬ちゃんはブレザーの下に紺色のカーディガンを着ていて、それが似合っていてとても可愛い。
「こら、芳川くん。あんまり紬にプレッシャーかけないでよ」
そのとき、ペシンと後頭部を軽く叩かれた。振り向いてみると、河野さんが呆れた顔でこちらを見下ろしていた。眼鏡の向こうの瞳が冷たくて怖い。こんな目に睨まれて喜んでいる成海は、まさしく変態である。
予想外の言葉に、オレは紬ちゃんを見て目を丸くする。
「え!? 紬ちゃん、プレッシャーだった!?」
「そ、そ、そ、そそそそんなことは……」
紬ちゃんはふたつ結びを揺らして、ぶんぶんと首を横に振った。首だけでなく、全身がバイブレーションのように震えている。彼女は何よりもプレッシャーに弱いのだ。誰かに期待をかけられるのも苦手なのだと、以前溢していたことがある。
それでも、オレは彼女に期待せずにはいられない。だってオレにチョコレートをくれるような女神は、紬ちゃんしかいないのだ。オレは小さな両手をがしりと掴んだ。
「オレ、紬ちゃんに無理してほしいわけじゃないけど、でも紬ちゃんからチョコレートもらえたらすげえ嬉しい!」
「ほ、ほんとに……?」
「当たり前だろ! 神棚に飾って三日三晩拝むよ! オレんち神棚ないけど!」
紬ちゃんのふっくらとした頰が真っ赤に染まる。やがて小さな小さな、蚊の鳴くような声で「がんばります」と呟くのが聞こえた。
調子に乗ってじりじりと顔を近づけていくと、後頭部を今度は強めに叩かれてしまった。河野さん、結構容赦がない。
そして一週間が経った二月十四日、バレンタイン当日。
憂鬱な連休明けの月曜日だったが、オレの心は晴れやかだった。
朝から紬ちゃんの周りをチョロチョロとついて回って、「チョコレートは!?」と恥ずかしげもなく繰り返す。さすがに言いすぎたのか、「放課後にあげるから、ちょっと待ってて!」と強めに嗜められてしまった。いつも気弱な紬ちゃんにたまに叱られるのも、新鮮で良いものだ。
このあと紬ちゃんからバレンタインチョコを貰えると思えば、凍えるような寒さの中での練習だって耐えられる。冬場はランニングや筋トレなどの基礎練習が中心のメニューでキツいのだけれど、今日のオレは誰よりも気合いが入っていた。
「瀬那と成海、外周あと五周追加な」
ようやくランメニューを終えたところで、先輩の無慈悲な指示が飛んできた。成海が「ええ!? 何でですか!?」と絶望的な声をあげた。
「おまえら、浮かれオーラが出ててムカつくんだよ! 彼女持ちは死ね!」
「う、浮かれてんのは
「うるせぇ! 俺だって幼馴染の彼女からチョコ欲しいよ! あと桜井、ついでにおまえも走ってこい!」
「え、俺彼女いないのに……」
「口ごたえすんな! モテる男も死ね!」
桜井にしてみれば、とんだ八つ当たりだ。がっくりと肩を落として、渋々走り始める。
そういえば桜井は練習が始まる前、知らない女子から呼び出されているところを見た。本人は以前付き合っていた彼女からこっぴどくフラれたことが原因で、「もう恋愛なんて二度としない」と言っているのだが、やはり顔の良い男はモテるのだ。
とはいえオレは、先輩のように桜井を妬んだりはしない。なにせ今年は、紬ちゃんから――好きな女の子から、本命チョコを貰えるのだから!
びゅうびゅうと全身に突き刺さる風は痛いほどに冷たかったけれど、オレの足取りは軽く、あっというまに外周を走り終えてしまった。
今日は部活が終わったあと、紬ちゃんと二人で帰ることになっている。紬ちゃんは図書委員の当番の日なのだ。たぶん帰り道に公園に寄って、そこでチョコレートを貰えるんだと思う。チャンスがあれば絶対キスしよう、と決意に燃える。
成海はこれから河野さんの家に行くのだと、嬉しそうに言っていた。「毎年のことだし、別にいまさらって感じなんだけどさー」とニヤニヤしている。なんだかんだ言いつつ、こいつも大概浮かれているようだ。
着替えを猛スピードで済ませると、成海と連れ立って更衣室から出る。紬ちゃんの姿は見当たらなかったが、女子の三人組がこちらを見てヒソヒソしているのが見えた。名前は知らないけれど、たしか桜井と同じ五組だったはずだ。
「あ、もしかして桜井? 呼んでこようかー?」
オレが声をかけると、中心にいた女の子がびくっと肩を揺らす。ちょっと紬ちゃんに雰囲気の似た、おとなしそうでカワイイ女の子だ。まあ、オレから見ると女の子はだいたいカワイイけど。もちろん紬ちゃんは特別カワイイ!
「いえ、あの、違くて」
たじろいだ彼女は、両脇の女子に背中を押され、意を決したようにこちらに駆け寄ってくる。それから、手に持った小さな紙袋を、オレに向かって差し出してきた。
「あの、これ……よ、芳川くんに」
「え!? オレ!?」
オレは驚きつつも、紙袋を受け取った。彼女は頰を赤らめて俯きながらも、ボソボソと続ける。
「わたし、夏の大会のホームラン、見てたの。かっこよかったなって、ずっと思ってて……」
「え、マジで!? ありがとー!」
まさか、紬ちゃん以外の女子からバレンタインを貰えるとは、思ってもいなかった。去年までとは大違いだ。もしかすると、これは正真正銘のモテ期なのかもしれない。まあ、いまさら訪れても何の意味もないんだが。
「これ中身なに?」
「シフォンケーキ。手作りだけど、大丈夫かな……」
「あ、もしかしてフワフワのスポンジみたいなやつ? すげー、そんなのほんとに作れるんだ」
「おい、瀬那、瀬那!」
隣にいる成海に、バシバシと背中を叩かれる。成海は怖い顔をして、女子の背後を指差した。
「八重樫さん、こっち見てんぞ!」
見ると、胸の前でバッグを抱えた紬ちゃんが、呆然とした様子で立ちすくんでいた。
――あ、紬ちゃんだ。図書委員の当番、終わったんだな。
オレは紬ちゃんに向かってぶんぶんと手を振ると、貰った包みを高々と掲げてみせる。
「見て見て紬ちゃん、これ貰ったー!」
オレがそう叫ぶと、紬ちゃんの顔が泣き出しそうに歪んだ。そのまま、踵を返して走っていってしまう。
唖然としているうちに、彼女の姿はあっというまに見えなくなってしまった。紬ちゃんは意外と足が速い。
「あ、あの……も、もしかして今の、彼女?」
「え? うん、そうだよ! めっちゃカワイイっしょ!」
「えっ、ご、ごめんなさい。わたし、彼女いるって知らなくて……」
目の前にいる女子の顔が青ざめる。理解が追いついていないオレの背中に、成海の渾身の蹴りが入った。突然の衝撃によろめく。
「馬鹿か! ほんとに全力で地雷を踏み抜くな、おまえは!」
成海の罵声に、オレははたと我に返った。
もしかしてオレ今、他の女の子にチョコを貰って浮かれている姿を、思いっきり紬ちゃんに見せてしまった……?
「うわーっ! つ、紬ちゃん、ごめん! ち、違うんだよ!」
そんなつもりはなかった。たしかに浮かれていたのは本当だけど、別に紬ちゃん以外の女の子に心が動いたとか、そういうことではまったくないんだ……!
いまさら必死で言い訳をしても、謝るべき人はもうここにはいない。オレは「紬ちゃーん!」と大声で叫ぶと、猛ダッシュで彼女のことを追いかけた。
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