第九幕


 第九幕



 彼女を待ち構えていた『アーリアン・ドーン』の南極総本部を警護する構成員達の第二陣は、駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋の手によって、いとも容易たやすく鏖殺の憂き目に遭ってしまった。

「まったく、この身の程知らずどもめ」

 ふんと鼻を鳴らしながらそう言った始末屋は左右一振りずつの手斧を素早く振るい、その切っ先にこびり付いた真っ赤な鮮血と乳白色の皮下脂肪を切り払うと、要塞のより中心に近い方角へと足を向ける。まるで何事も無かったかのような確かな足取りでもって歩く彼女の背後の通路には、その手斧の一撃によって真っ二つに叩き割られてしまった『アーリアン・ドーン』の構成員達の死体がごろごろと丸太の様に転がり、その眼を覆いたくなるような惨状は筆舌に尽くし難い。

「さて、アキモフ博士とヴァルヴァラはどこだ?」

 やがて要塞の通路を渡り切った始末屋はぐるりと周囲を見渡しながらそう言うと、分厚いコンクリート敷きの床に突然這いつくばり、その床の匂いをくんくんと嗅ぎ始めた。そして警察犬も顔負けの常人離れした嗅覚を誇る彼女は間髪を容れず、取り敢えず手始めに、ボリス・アキモフ博士の行方を難無く嗅ぎ当てる。

「あっちか」

 そう言った始末屋は、通路の分岐路を西の方角へと足を向けた。そして広大な要塞内を横断するような格好でもって通路を歩き続けると、やがて電子キーでもって厳重にロックされた鉄扉の前へと辿り着く。

「ふん!」

 気合一閃、始末屋は厳重にロックされていた筈の鉄扉をまるで紙の扉の様に簡単に蹴り開けた。するとそこは空気の清浄度が確保されたクリーンルームの前室であり、その出入り口に設けられたエアシャワーでもって服や身体にこびり付いた塵埃じんあいを吹き飛ばした始末屋は、本来であれば返り血まみれのトレンチコート姿では入室する事が許されない筈のクリーンルーム内へと足を踏み入れる。

「始末屋!」

 すると明るく清浄なクリーンルーム内に居た一人の男がそう言って彼女の名を呼びながら、始末屋の元へと駆け寄った。全身をすっぽりと覆う白い防塵服と防塵マスク、それに頭を覆うフードに身を包んでいるため、ぱっと見ただけでは彼が一体どこの誰なのか見分けがつかない。

「アキモフ博士、貴様か」

 そう言った始末屋の言葉通り、防塵マスクとフードを脱いだその男は白髪混じりの胡麻塩頭の中年男性、つまりヴァルヴァラの実の父であるボリス・イワーノヴィチ・アキモフ医学博士その人であった。

「それでアキモフ博士、貴様、ここで何をしている?」

 駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋はそう言ってボリス・アキモフ博士に問い掛けながら、ぐるりとこうべを巡らせてクリーンルーム内を見渡した。すると見渡した室内には電子顕微鏡や培養棚、それに各種の遠心分離機や冷凍庫フリーザーなどがずらりと立ち並び、ここが何らかの生化学に関する研究施設である事を如実に物語っている。

「私はここで、アドルフ・ヒトラーの遺伝情報が埋め込まれたレトロウイルスの培養に手を貸すよう強要されていました。ヴァルヴァラが人質に取られてしまっているために、仕方が無かったんです」

 ボリス・アキモフ博士がそう言って始末屋に釈明していると、不意に培養棚の陰から姿を現した防塵服姿の二人の男達が、無防備な背後から始末屋に襲い掛かった。どうやらこの研究室に詰める研究員であると同時に『アーリアン・ドーン』の構成員でもあるらしい彼らの手には、それぞれ即席の武器として、医療用のメスと炭酸ガスを噴き出すタイプの消火器が握られている。

「死ね! ブラフマン閣下に仇なす劣等人種め!」

 そう言いながら襲い掛かる防塵服姿の構成員達の内の一人の首を、始末屋は彼が振り下ろす医療用のメスの切っ先をかわしつつ、手斧の一撃でもって難無くね飛ばしてみせた。グレーチングが敷かれたクリーンルームの床を、ね飛ばされた構成員の頭部がころころと転がる。

「ひいっ!」

 そして返す刀の要領でもって、仲間の首がね飛ばされた事に恐怖して思わず痙攣ひきつけを起こしたかのような声を上げてしまったもう一人の構成員の防塵服に包まれた胴体を、始末屋は一刀の下に真っ二つに両断してみせた。

「ぎゃあああぁぁぁっ!」

 しかしながら胴体を腹の真ん中から真っ二つに両断されたと言うのに、上半身と下半身が離れ離れになってしまった防塵服姿の構成員は幸か不幸か死ぬに死に切れず、その上半身だけがクリーンルームの床の上を陸に打ち上げられた魚の様にばたばたと激しくのた打ち回る。

「うわぁっ!」

 眼の前で繰り広げられる凄惨な光景に、血まみれの臓物をまろび出させながらのた打ち回る『アーリアン・ドーン』の構成員の上半身から逃げ惑いつつ、ボリス・アキモフ博士がそう言ってその身を竦ませた。するとそんな博士には眼もくれず、構成員の上半身の元へと歩み寄った始末屋はその胸を足で踏み付けて身動きが取れないようにしてから、彼の脳天に手斧の切っ先を振り下ろす。

「死ね」

 始末屋がそう言って防塵服姿の構成員の頭部をフードとマスクごと真っ二つに叩き割れば、上半身だけになってのた打ち回っていた彼の身体はようやくその動きを止め、断末魔の叫び声を上げる間も無くあっさりと息絶えた。そして始末屋が手斧を切り払うと、二人分の人間の血と臓物にまみれて用を為さなくなったクリーンルームにほんの一時の静寂が訪れるが、その静寂もそう長くは続かない。

「それでアキモフ博士、貴様は無事だとしても、ヴァルヴァラはどこだ?」

 無謀にも彼女に襲い掛かった二人の構成員達を難無く屠り終えた始末屋が、改めてそう言って問い掛けると、いまだ動揺の色が隠せないボリス・アキモフ博士は居住まいを正しながら返答する。

「詳細な所在は承知していませんが、娘は、ヴァルヴァラは、アドルフ・ブラフマンの眼の届く範囲以内に監禁されている筈です。彼は娘の身の安全と引き換えに、私に『アーリアン・ドーン』の計画に協力するよう強要していたのですから、そんな大事な人質から眼を離す訳がありません」

「成程、だとするとこの要塞のどこかに居る筈のアドルフ・ブラフマンの居所を突き止めれば、自然とヴァルヴァラもまた見つかると言う訳だな」

 そう言った始末屋はくるりと踵を返し、要塞の研究施設のクリーンルームの出入り口の方角へと足を向けた。

「さあ、アキモフ博士、アドルフ・ブラフマンとヴァルヴァラを探しに行くぞ。さっさと着替えて準備しろ。ぐずぐずしていたら、その尻を蹴り上げるぞ」

「は、はい!」

 ぶるぶると身を竦ませながらそう言ったボリス・アキモフ博士は尻を蹴り上げられては堪らないとばかりに慌てふためきながら、エアシャワーの向こうのクリーンルームの前室でもって防塵服を脱ぎ捨て、彼が遠くロシアの地で拉致された時と同じ分厚い革のジャンパーを羽織って身支度を整え終える。

「それで始末屋、これから私達はどこに向かうんですか? アドルフ・ブラフマンとヴァルヴァラの居所に、何か心当たりが?」

「取り敢えず、この要塞の中心部を目指す。ネオナチの最高指導者なんてものは得てして自己顕示欲が強いから、大抵の場合、自分と言う存在を物理的にも精神的にも組織の中央に据えたがるものだ」

「はあ、そんなものですか」

 少しばかり納得が行かない様子でもってそう言ったボリス・アキモフ博士を背後に従えながら、クリーンルームを後にした始末屋は、彼女の言葉通り要塞の中心部を目指して通路を歩き始めた。そして道中何度かの散発的な抵抗に遭いつつも、それらを難無く退けた彼女ら二人は、やがて通路の天井まで届くような荘厳な造りの観音開きの鉄扉の前へと辿り着く。

「ふんっ!」

 行く手を遮る観音開きの鉄扉を前にした始末屋は気合一閃、鼻息も荒く黒光りする革靴を履いた足を上げながら、それを力任せに蹴り開けた。

「やあ始末屋、遅かったね。あのヘリの攻撃を前にして生き延びるとは、大した身体の頑丈さだ」

 すると蹴り開けられた鉄扉の向こうには再び広範にして浩蕩なレセプションホールか何からしき空間が広がり、有名なナチ党時代のドイツの国会議事堂のそれにも似た装飾が施されたその部屋で待ち構えていたアドルフ・ブラフマンが、壁沿いに設置された豪奢な造りの椅子に腰掛けたままそう言って始末屋を出迎える。

「ヴァルヴァラ!」

「パパ!」

 果たして豪奢な造りの椅子に腰掛けたアドルフ・ブラフマンの傍らには革の軍用コートと厳めしいガスマスクに身を包んだ天を突くような大男、つまり彼の右腕であるラインハルト・クシャトリヤが立っており、そのクシャトリヤが背後から拘束するヴァルヴァラとボリス・アキモフ博士とが互いの身を案じてその名を呼び合った。

「おい貴様、ヴァルヴァラを今すぐ解放しろ。今ここで貴様らの計画を断念し、大人しく引き下がれば、その命までは取らないでおいてやる」

 始末屋はそう言って警告するが、四方を覆う壁と言う壁一面にナチ党の象徴である鉤十字ハーケンクロイツかたどった懸垂幕が掲げられ、特にライヒスアドラーと呼ばれる巨大な鷲と鉤十字ハーケンクロイツのレリーフの下で足を組んで頬杖を突いたままこちらを見据えるアドルフ・ブラフマンは、そんな彼女の言葉など一向に意に介さない。

「計画を断念して、大人しく引き下がれだって? なあ始末屋、どうやらキミの様な劣等人種には、眼の前の現実が見えていないようだね。キミが守るべきヴァルヴァラは僕らの手に落ちたし、キミは今からこの場所で、ここに居るクシャトリヤの手によって亡き者にされると言うのにさ」

 不遜な態度のアドルフ・ブラフマンはそう言って始末屋を挑発しながら、くっくと愉快そうにほくそ笑む。

「黙れ、この糞ガキめ。貴様にその気が無いのなら、亡き者となるのはあたしではなく貴様らの方だ」

 挑発された始末屋は努めて冷静な表情と口調でもってそう言って、その身を包む駱駝色のトレンチコートの懐へと両手を差し込み、やがて引き抜かれたその手には左右一振りずつの手斧が握られていた。

「仕方が無い、クシャトリヤ、やれ。この劣等人種に、我ら『アーリアン・ドーン』に仇為した事を後悔させてやれ」

「承知しました、ブラフマン閣下」

 そう言って最高指導者の命令を承諾したクシャトリヤは彼が背後から襟首を掴み上げていたヴァルヴァラの左の手首に手錠を掛け、彼女が逃げられないようにその手錠のもう一端をアドルフ・ブラフマンが腰掛ける椅子の肘置きに固定すると、いざ始末屋と雌雄を決すべく彼女の元へと歩み寄る。

「さあ、始末屋よ! 貴様と再びこうして相見あいまみえ、刃を交える事を私は幸福に思うぞ!」

 革の軍用コートと厳めしいガスマスクに身を包んだクシャトリヤはそう言いつつも、腰のベルトに固定されたシースから左右一振りずつの大ぶりなククリナイフを引き抜き、そのククリナイフを構えながら臨戦態勢へと移行した。

「そうか、それは良かったな。まあ、あたしは別に、貴様と相見あいまみえても幸福には思わんがな」

 クシャトリヤの出鼻を挫くようにそう言った始末屋もまた左右一振りずつの手斧を構え直し、臨戦態勢へと移行すると、その丹念に研ぎ上げられた鋭利な切っ先が照明の光を反射してぎらりと輝く。

「いざ!」

 始末屋とクシャトリヤは暫し互いの出方を窺いながら睨み合った後に、果たして先に動いたのは、常に先手必勝を良しとする始末屋に他ならない。彼女は赤黒白の三色の合成繊維を利用して鉤十字ハーケンクロイツが描かれた絨毯が敷かれた床を蹴って駆け出すと、議事堂にも似たレセプションホールをまさに猪突猛進とでも表現すべき勢いでもって駆け出しながら、左右一振りずつの手斧を素早く投擲した。投擲された手斧は空中でくるくると回転しつつも虚空を切り裂き、ククリナイフを構えたクシャトリヤの脳天目掛けて飛び来たる。

「遅い!」

 しかしながらクシャトリヤは手にした大ぶりなククリナイフを振るい、彼目掛けて投擲された始末屋の二振りの手斧を、空中でもっていとも容易たやすく叩き落としてみせた。とは言えそこは始末屋も、まさか初手からあっさり決着が付くなどとは微塵も思ってはいない。彼女はクシャトリヤが投擲された手斧に気を取られている隙に彼との距離を詰めると、新たな手斧をトレンチコートの懐から引き抜き、間合いに捉えた獲物に一気呵成に襲い掛かる。

「死ね」

 始末屋はそう言って、クシャトリヤのガスマスクに覆われた頭部を真っ二つに叩き割るべく手斧を振り下ろした。

「なんの!」

 するとクシャトリヤは振り下ろされた手斧を刃が内側に湾曲したククリナイフで巧みに弾き返したかと思えば、返す刀でもってそのククリナイフを振るい、攻守交代とばかりに始末屋に切り掛かる。

「ふん!」

 切り掛かられた始末屋はククリナイフの一撃を手斧の斧腹でもって受け止めると、間隙を突くような格好でもってクシャトリヤ目掛けて手斧を振るうが、彼もまたこの始末屋の一撃をククリナイフの刀身でもって受け止めた。そしてそのまま暫しの間、二人はほぼ互角の技量を発揮し合いながら、手にしたククリナイフと手斧による一進一退の攻防戦を繰り広げる。

「これで終いだ」

 繰り広げられる熾烈で苛烈な攻防戦は一見すると互角であったが、玄人眼に見れば始末屋がやや優勢であり、そう言った彼女は丹念に研ぎ上げられた手斧の一撃をクシャトリヤのこめかみ目掛けて横薙ぎに振るった。常人離れした膂力を誇る始末屋の手から放たれた必殺の一撃は、その速度と破壊力も相まって、もはや何人なんぴとにも回避出来るものではない。

「ちょこざいな!」

 しかしながら時代掛かった言葉遣いでもってそう言ったクシャトリヤは、やはり常人では考えられない程の関節の柔らかさを発揮しながら上体を仰け反らし、この始末屋の必殺の一撃を紙一重のタイミングでもって華麗に回避してみせた。そして仰け反らした上体を元に戻す際の反動を利用して、今度は彼が攻勢に転じ、始末屋の喉元目掛けて長大なククリナイフの切っ先を振りかざす。

「ふん!」

 始末屋は振りかざされた二振りのククリナイフの白刃を、やはり二振りの手斧でもって受け止め、彼女とクシャトリヤとは互いの鼻息が吹き掛かるほどの至近距離からの鍔迫り合いを繰り広げた。駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋と革の軍用コートと厳めしいガスマスクに身を包んだクシャトリヤの膂力は拮抗し、ククリナイフと手斧の刃を交えながら、まるでプロレスで言うところの手四つの力比べの様な姿勢のままその動きが止まってしまったように見受けられる。

「!」

 すると次の瞬間、鍔迫り合いを繰り広げるクシャトリヤの斜め後方から新たなククリナイフが振り下ろされ、力比べの姿勢のまま身動きが取れない始末屋の不意を突くような格好でもって彼女に切り掛かった。

「何だと?」

 そう言った始末屋は不意を突かれながらも、まさに動物的な勘と反射神経、それに常人離れした動体視力でもってこのククリナイフの一撃を回避するために素早く後方に飛び退すさるが、それでも完全に回避する事は出来ない。そして一旦クシャトリヤと距離を取った彼女の左の頬には、ククリナイフの鋭利な切っ先が掠めた事による深い裂傷が刻まれ、その裂傷から滲み出た真っ赤な鮮血が頬から顎を伝って絨毯敷きの床にぽたぽたと滴り落ちる。

「おい貴様、何だそれは?」

 鉤十字ハーケンクロイツが描かれた絨毯が敷かれたレセプションホールの床を蹴って後方へと飛び退すさり、獲物であるクシャトリヤから充分な距離を取った始末屋がそう言って眉をひそめながら訝しむのも、無理からぬ事であった。何故ならクシャトリヤがその身に纏った革の軍用コートの背中側を突き破るような格好でもって、これまた左右一振りずつの大ぶりなククリナイフを握る、二本の機械の腕が生えていたからである。

「どうだ、驚いたか、始末屋よ! しかしながら、本当に驚くのは未だ早い! これを見よ!」

 訝しむ始末屋の視線の先でくっくと愉快そうにほくそ笑みながらそう言ったクシャトリヤは、その身に纏う革の軍用コートと厳めしいガスマスクを歌舞伎で言うところの早変わりさながらに一瞬で脱ぎ捨てると、その仮面の下に隠されていた正体を白日の下に晒すのであった。

「どうだ、これが私の真の姿だ!」

 まるで勝利を確信したかのような表情と口調でもってそう言ったクシャトリヤの真の姿とは、半分は鈍色に輝くチタン合金の機械と装甲、そしてもう半分はインド・アーリア人らしい浅黒い肌が露出した生身でもって構成された、まさに半人半機の異形の存在そのものに他ならない。

「成程。クシャトリヤよ、自己顕示欲の塊の様なネオナチの一員のくせに、勿体ぶるようにいつまでもマスクでもって顔を隠しているかと思えば、貴様はサイボーグだったと言う訳か」

「ああ、そうだ、そうだとも! まさにその通りだ! 私は奸賊の魔の手から幼きブラフマン閣下をお守りし、我らが『アーリアン・ドーン』に仇為す者どもを完膚なきまでに打ち滅ぼすべく、自ら進んで改造手術を受けてサイボーグとなり果てたのだ! そしてこの身体を手に入れてからと言うもの血の滲むような猛特訓を繰り返し、やがて四本の腕を自在に制御出来るようになった私の脳と肉体の可能性に打ち震えながら、貴様は今ここで切り刻まれるがいいぞ、始末屋!」

 彼の正体を看破してみせた始末屋に、やはり歌舞伎で言うところの見得か啖呵を切るような格好でもって、クシャトリヤは惜しげもなく自らがサイボーグとなった経緯を語るのだった。

「ふん、いつまでも大仰ぶって隠し通していた正体が知れてみれば、時代遅れのナチ公の軍服の下に居たのが、只のブリキで出来た木偶人形だったと言う事実が露呈したに過ぎない。そしてクシャトリヤよ、残念ながら今ここで切り刻まれるのはあたしではなく、貴様の方だ」

 始末屋はふんと鼻を鳴らしながらそう言って挑発すると、頬に負った裂傷から滴り落ちる真っ赤な鮮血をトレンチコートの袖でもって拭いつつ、クシャトリヤを迎え打つべく手斧を構え直す。

「その意気や良し! ならばどちらが先に切り刻まれるか、さっそく試してみようではないか!」

 すると挑発されたクシャトリヤもまたチタン合金とカーボンナノファイバーに覆われた顔に不敵な笑みを浮かべながらそう言って、四つの手に左右二振りずつ、合計四振りのククリナイフを構え直したまま始末屋を睨み据えた。

「……」

「……」

 そして今の今まで饒舌であった始末屋とクシャトリヤの二人は一転して押し黙り、じりじりと互いの距離を詰めながら手斧とククリナイフの間合いを測り合いつつも、いつ襲い掛かって来るとも知れない相手の出方を慎重にうかがい合う。

「!」

 すると今回もまた御多分に洩れる事無く、機先を制するような格好でもって先に動いたのは、如何なる戦いに於いても先手必勝を良しとする始末屋であった。

「ふん!」

 ククリナイフを構えるクシャトリヤの元へと神速とも言える素早さでもって跳躍し、獲物との距離を一気に詰めた始末屋が振るう右の手斧の切っ先が、眼前のクシャトリヤのチタン合金とカーボンナノファイバーに覆われた喉元を的確に捉える。しかしながらまたしても、常人では考えられない程の関節の柔らかさを発揮しながら、クシャトリヤはこれを間一髪のタイミングでもって回避してみせた。どうやら彼の身体が異常に柔軟なのは、半分機械化されたその関節の可動域が、通常の人間のそれを遥かに凌駕しているからだと思われる。

「どうした始末屋! それが貴様の全力か!」

 始末屋の必殺の一撃を回避してみせたクシャトリヤはそう言って挑発しながら、四本の腕に握られた四振りのククリナイフでもって彼女に切り掛かり、一気呵成に反撃に打って出た。

「くっ!」

 四振りのククリナイフと二振りの手斧とではその手数の差は歴然であり、幾らククリナイフの白刃を手斧の刀身でもってさばこうにもさばき切れず、次第次第に追い詰められつつある始末屋は防戦一方の苦境に立たざるを得ない。

「いいぞ、さすがは僕のクシャトリヤだ! そのまま始末屋に、劣等人種にとどめを刺してしまえ!」

 すると二人の激闘を見守る、もしくは高みの見物を決め込んでいたアドルフ・ブラフマンがやんややんやと喝采を浴びせ掛けるような格好でもってそう言いながら、彼の右腕とも言えるラインハルト・クシャトリヤをその両掌を激しく打ち鳴らす拍手と共に褒め称えた。

かしこまりました、ブラフマン閣下! 今すぐにでも、この女めの首を討ち取ってご覧に入れます!」

 最高指導者であるアドルフ・ブラフマンから褒め称えられたクシャトリヤはそう言って勝利を確信すると、左右二振りずつのククリナイフを振るいながら、眼にも止まらぬ連続攻撃でもって始末屋に切り掛かり続ける。そして切り掛かられた彼女はこれを手斧でもって受け止めつつ身をかわす事によって致命傷こそ回避してはいたものの、その四肢に幾つもの深い裂傷を負いながら後退し続け、やがて議事堂にも似たレセプションホールの壁際まで追い詰められてしまった。

「どうした始末屋! もう後が無いぞ!」

「くっ!」

 壁際まで追い詰められた始末屋は退路を断たれ、まさに袋の鼠とでも表現すべき劣勢に立たされる。

「これでとどめだ!」

 クシャトリヤはそう言いながら、始末屋の眉間目掛けて、鋭利なククリナイフの切っ先による神速の刺突を繰り出した。しかしながらそこは始末屋も、とどめだと言われた攻撃をはいそうですかと言って喰らってあげるほど往生際が良くはなく、この刺突を手斧の斧腹でもって弾きながら背後へと逸らしてみせる。

「!」

 すると獲物を捉え損ねたククリナイフの切っ先は始末屋の背後のレセプションホールの壁面に突き刺さり、その途端、チタン合金とカーボンナノファイバーに覆われたクシャトリヤの身体がびくびくと激しく痙攣し始めた。

「?」

 一体何事かと訝しむ始末屋の眼前で、痙攣するクシャトリヤは始末屋の背後の壁面に突き刺さったククリナイフから手を放すと、一旦後退して彼女から距離を取る。距離を取ったクシャトリヤの機械の腕が、ククリナイフを失った後も痙攣を繰り返し、満足に制御出来ているようには見受けられない。そこでククリナイフが突き刺さったままの壁面を確認してみれば、そこには壁の内側に埋め込まれていた電気のケーブルがばちばちと火花を散らしながら露出しており、どうやらたまたまこのケーブルにククリナイフの切っ先を突き立ててしまったクシャトリヤが感電したものと思われる。

「ふん!」

 このクシャトリヤの感電劇に万に一つの勝機を見出した始末屋は、ククリナイフが突き刺さったままの壁面に手を突っ込むと、その壁面の内側から電気のケーブルを引き摺り出した。引き摺り出されたケーブルはこのレセプションホール内の様々な機器に電気を送る高電圧のケーブルらしく、長く野太いそれの断面からは、尚もばちばちと火花が散り続ける。

「待て、始末屋! 貴様、何をするつもりだ? やめろ! やめるんだ!」

 そう言って狼狽する彼の言葉には耳を貸さず、始末屋は電気のケーブルを手にしたまま、すっかり腰が引けてしまっているクシャトリヤに飛び掛かった。

「ぎゃあっ!」

 そして飛び掛かると同時に壁面から強引に引き摺り出したケーブルの断面をクシャトリヤに押し付ければ、チタン合金とカーボンナノファイバーに覆われた彼の機械の身体は数千ボルトにも達する高圧電流によって再び感電し、びくびくと激しく痙攣しつつも眼にも眩い火花を散らし始める。

「くっ!」

 しかしながら、感電しているのは、何もクシャトリヤだけではない。彼にケーブルを押し付けている始末屋もまた感電し、常人ならば即死してしまっていたとしてもおかしくないほどの高圧電流によってその身を焼かれながらも、肉を切らせて骨を断つ起死回生の一手としてこれを断行しているのだ。

「クシャトリヤ!」

「始末屋!」

 アドルフ・ブラフマンとヴァルヴァラ、それにボリス・アキモフ博士の三人が彼女らの死闘の成り行きを見守りつつも、始末屋とクシャトリヤのどちらが先に感電死するのかと言った死のチキンレースは続行される。

「があああぁぁぁっ!」

 そして遂に、雌雄が決する時が来た。始末屋が手にした電気のケーブルの大元となっている配電盤が度重なる短絡ショートによって故障してしまったのか、ケーブルへの送電が止まり、彼女ら二人がもうこれ以上感電する事も無い。

「……」

 高圧電流に晒されたクシャトリヤは無言のまま白眼を剥き、内臓が焼けてしまったのか口や鼻の穴からもうもうと真っ白い煙を噴いて、半分機械化されたその身体をびくびくと激しく痙攣させていた。そしてそんな彼と共に数千ボルトの高圧電流に晒された始末屋もまた全身から煙を噴き出しながらも、電子回路が焼き切れたクシャトリヤと違ってその眼は光を失っておらず、用を為し終えたケーブルを放り捨てると新たな手斧を握る。

「死ね」

 最後にそう言った始末屋は、完全に意識を失っている、もしくは既に絶命してしまっているクシャトリヤの脳天目掛けて手斧の切っ先を振り下ろした。するとチタン合金とカーボンナノファイバーに覆われた彼の頭部は真っ二つに叩き割られ、その頭部の中に納められていた薄灰色の脳髄が露になる。そして始末屋はその脳髄をクシャトリヤの頭蓋から無理矢理引き摺り出すと、それを絨毯敷きの床に叩きつけてから、黒光りする革靴を履いた足でもってぐちゃぐちゃに踏み潰した。

「これでもう、貴様と相見あいまみえる事も無くなったな」

 皮肉交じりにそう言った始末屋に脳髄を踏み潰された事によってラインハルト・クシャトリヤは完全に息絶え、まさに袋の鼠であった窮鼠が猫を噛む格好になった彼女は、改めてアドルフ・ブラフマンを睨み据える。

「さあ、次は貴様の番だぞ、アドルフ・ブラフマンよ」

 そう言った彼女の行く手を遮る者は、もはや何人なんぴとたりとも存在しない。

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