第六幕


 第六幕



 ドライブインの駐車場に着陸した二機の軍用ヘリコプターの内の一機は、ロシアの航空機メーカーであるMVZが開発した重武装のMi28攻撃ヘリコプターであり、もう一機は世界最重量を誇るMi26輸送ヘリコプターであった。

「始末屋、あれ、何?」

 窓ガラス越しに駐車場の様子をうかがいながらそう言ったヴァルヴァラに、彼女の斜向かいの席に腰を下ろす始末屋は応える。

「おそらく、いや、間違い無く『アーリアン・ドーン』の連中だろう。あたしが刑務所を襲撃し、アキモフ博士を奪還した事がこうも筒抜けだったとは、奴らを見縊みくびっていたあたしの失態だ」

 そう言って省みる始末屋を他所に、駐車場に着陸したMi26輸送ヘリコプターのハッチが開いたかと思えば、およそ二十名ばかりの軍服姿の男達が機体の外へと駆け出した。そして彼らが間隔を空けながら左右二列になって、花道を形作れば、ヘリコプターのハッチの向こうから新たな二つの人影が姿を現す。

「ジーク・ハイル!」

 すると指先をぴんと伸ばした右手を斜め上方に掲げるナチス式敬礼と共にそう言った軍服姿の男達の間を、まるで花道を渡るような格好でもって、その二つの人影はこちらに向けて悠々と歩み寄った。二人の内の先頭に立つのはヒットラー・ユーゲントの制服にも似た半ズボンを穿いた浅黒い肌の少年であり、その後ろに続くのは、革の軍用コートと厳めしいガスマスクに身を包んだ天を突くような大男である。そしてそのどちらも、軍服の胸元にはドイツ騎士団を意味する鉄十字の紋章が縫い留められ、左腕には鉤十字ハーケンクロイツかたどった腕章が巻かれていた。

「ジーク・ハイル!」

 半ズボンの少年がそう言って返礼すれば、駐車場の中央に立つ彼は軍用ヘリコプターに搭載された拡声器のマイクを口に当て、始末屋らに警告する。

「ボリス・イワーノヴィチ・アキモフ博士! ヴァルヴァラ! そして始末屋と名乗る女に告げる! 機銃掃射によって蜂の巣にされたくなければ大人しく姿を現し、我が手に落ちよ! 抵抗は無意味だ! この建物は、既に我ら『アーリアン・ドーン』が包囲している!」

 拡声器越しにそう言って警告する半ズボンの少年の言葉に、彼から投降を勧告されたボリス・アキモフ博士とヴァルヴァラは、ドライブインのレストランの店内でその身を竦ませた。突然の敵勢力の出現に戦慄する彼ら彼女らの視線の先で、Mi28攻撃ヘリコプターの主武装の一つである30mm機関砲の砲口がぎらりと輝く。

「ねえ始末屋、あたし達、どうしたらいいの?」

「いいかヴァルヴァラ、貴様はアキモフ博士と共に、ここを動かず物陰に隠れていろ。奴らはこのあたしが殲滅して来るから、心配するな」

 そう言った始末屋は窓際のテーブル席から腰を上げ、一体全体何が起きているのかも理解出来ぬまま困惑するばかりの食事中の客達の間を縫いながら、レストランの玄関の方角へと足を向けた。そしてヴァルヴァラとボリス・アキモフ博士をその場に残したまま、彼女一人だけでもって玄関扉を潜って駐車場へと足を踏み入れると、半ズボンの少年と真っ向から対峙する。

「へえ、キミが噂に名高い始末屋かい? 想像していたようなマッチョじゃないし、女にしては、随分と背が高いんだね」

 果たして始末屋と対峙した半ズボンの少年は、開口一番、始末屋の頭の天辺から足の爪先に至るまでの全身をじろじろと睨め回しながらそう言った。

「そう言う貴様こそ、誰だ」

 こちらに砲口を向ける軍用ヘリコプターを前にしても決して怯む事無く始末屋がそう言えば、半ズボンの少年は故意に嫌味ったらしい仕草でもって、うやうやしく頭を下げながら名を名乗る。

「これはこれは、申し遅れてしまったね。僕の名は、アドルフ・ブラフマン。見ての通り未だ未だ若輩者ではあるものの、不肖の身ながら『アーリアン・ドーン』の最高指導者を務めさせてもらっているよ」

 十二歳のヴァルヴァラと同じくらいの背格好の半ズボンの少年はそう言って、如何にもインド・アーリア人らしい浅黒い肌に覆われたその顔に不敵な微笑を浮かべつつ、彼こそが『アーリアン・ドーン』の最高指導者である事を自ら吐露してみせた。

「その最高指導者が、こんな辺鄙な場所まで何の用だ?」

 始末屋が重ねて問えば、アドルフ・ブラフマンと名乗った半ズボンの少年は微笑を崩さぬまま返答する。

「そんな事は、言うまでも無い事だろう? 僕らははるばるこんな場所まで足を運び、アキモフ博士と彼のお嬢様であるヴァルヴァラを迎え来たんだ。だからキミには申し訳無いけど、手ぶらで帰る訳には行かないのさ」

「だとしたら、あたしと貴様らとは相容れない関係だな。あたしはアキモフ博士とヴァルヴァラを貴様らから救い出すよう依頼されたし、一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのがあたしのモットーだ。例外はあり得ない」

 軍用ヘリコプターの砲口を向けられた始末屋はそう言って、身の丈が210㎝に達する彼女より頭三つ分は小柄なアドルフ・ブラフマンをジッと睨み据えた。しかしながらアドルフ・ブラフマンもまた最高指導者の面目躍如とでも言うべきか、文字通りの意味での上から目線でもって睨み据えられても顔色一つ変えず、決して動じる事は無い。

「キミのモットーが何であれ、僕らの計画にアキモフ博士が必要不可欠である以上、その依頼は反故にしてもらうよ」

「計画? それは、アーリアナイズ・プロジェクトとやらの事か?」

 始末屋がそう言って問い掛ければ、アドルフ・ブラフマンはその顔に浮かべた微笑を崩し、少しばかり驚いた様子であった。

「おやおや、どこで情報が漏れたのかな? キミの様な下賤の輩が僕らの計画を把握してしまっているだなんて、これはどんなに言いつくろったとしても、僕らの失態と言わざるを得ないね」

「御託はいい。そのアーリアナイズ・プロジェクトとやらは一体何なのか、その詳細を教えろ」

 そう言った始末屋を前にしながら、アドルフ・ブラフマンは一度は崩し掛けた微笑を再びその顔に浮かべつつ、まるで勝ち誇ったかのような表情と口調でもって計画の詳細を語り始める。

「そうだね、どうせ計画に支障をきたしかねないキミと言う存在はここで排除される運命なのだから、冥途の土産に教えてやっても構わないかな? アーリアナイズ・プロジェクトとはその名の通り、全人類をあまねくアーリア人へと変貌させる、まさにアーリア人化計画ナイズプロジェクトそのものなのだよ」

「全人類をアーリア人へと変貌させるだと? そんな馬鹿みたいな絵空事が、本当に可能だとでも?」

「従来の既存の技術であれば、確かにアーリア人化ナイズなど絵に描いた餅、もしくは机上の空論、控えめに言っても非現実的な夢物語だ。しかしながらアキモフ博士が開発したレトロウイルスによるゲノム編集技術の力を借りれば、不可能が可能となる。そして最も模範的なアーリア人であるアドルフ・ヒトラー総統閣下の遺伝情報が埋め込まれたレトロウイルスに全人類を感染させる事によって、子から孫、更に曾孫へと世代を重ねる内に、やがて地球上に存在する全ての人民がアーリア人としての資質を備える事となるのだよ」

にわかには信じられない話だな」

 始末屋はそう言って疑義を呈するが、アドルフ・ブラフマンは動じない。

「しかしながら、揺るぎない事実だ。そして我々は、既にアドルフ・ヒトラー総統閣下の遺伝情報も手に入れている」

「ヒトラーの遺伝情報だと? 奴はナチス・ドイツの敗北を悟ると同時に拳銃自殺によって死に果て、その遺体はガソリンを掛けられた上で完全に焼却され、残った遺骨はエルベ川に散骨された筈だ。そんなヒトラーから、一体どうやって遺伝情報を採取すると言うんだ?」

「ああ、これは失敬。確かにキミの言う通り、焼却された上に散骨されてしまっては、如何に僕らが有能であってもアドルフ・ヒトラー総統閣下の遺体ばかりは手に入れようがなかった。しかしその代わり、僕らは総統閣下の隠し子である一人息子、つまりアダム・ヒトラー氏の血液と体細胞を採取する事に成功したのだよ」

「アダム・ヒトラー? アドルフ・ヒトラーに隠し子が居たなどと言う話は、聞いた事がないな」

 初めて耳にする名前に、始末屋はそう言って小首を傾げた。

「まあ、無学無教養かどうかは別として、キミが知らないのも無理は無い。アダム・ヒトラー氏の存在は、世間一般には公表されていないからね。彼はアドルフ・ヒトラー総統閣下とその実の姪であるゲリ・ラウバル女史との間に生まれた不肖の息子であり、終戦と同時にナチス・ドイツの残党の手によってアルゼンチンに移送され、そこで幼い娘と共に余生を過ごす身だ」

「そして、そのアダム・ヒトラーとやらの血液と体細胞を採取し、それをアドルフ・ヒトラーの遺伝情報とうそぶいていると言う訳か」

「そうとも、まさにその通りだ。アドルフ・ヒトラー総統閣下から直接採取した遺伝情報ではないが、半分は総統閣下、もう半分はその姪の遺伝子なのだから、これはもう総統閣下御本人のそれと言っても差し支えないだろう?」

「欺瞞だな」

 そう言ってきっぱりと断ずる始末屋に、やはりアドルフ・ブラフマンは不敵な微笑を向ける。

「欺瞞で結構。要は、模範的なアーリア人の遺伝情報が採取出来ればいいのだからね。そしてその遺伝情報が組み込まれたレトロウイルスがアキモフ博士の手によって分離培養され、ゲノム編集を可能とするこれを世界中にばら撒けば、晴れて僕らの悲願は達成されると言う訳だよ」

「レトロウイルスによる全人類のアーリア人化ナイズ……そんな事をして、一体何になる? その真意は?」

 駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋はそう言って、眼の前の半ズボンの少年に改めて問い掛けた。すると問い掛けられたアドルフ・ブラフマンは、その顔に浮かべた微笑を益々深めながら返答する。

「僕ら『アーリアン・ドーン』の真の目的は、全地球規模での恒久的かつ完全なる人種差別の撤廃だ」

「人種差別の撤廃?」

「ああ、そうだ、そうだとも。全人類が一人残らず高貴なるアーリア人へと変貌し、眼の色、肌の色、髪の色と言った些末な差異によって人種や民族を区別し合う事に意味が無くなってしまえば、自然とこの世から差別は解消されるに違いないだろう。昨今流行りの政治的正当性ポリティカル・コレクトネスなどと言う生温なまぬるい思想や手段などではなく、我々がレトロウイルスの手を借りて、強制的に全人類を等しく平等にするのだ!」

「成程、如何にも子供が考えそうな、幼稚で稚拙な発想だ」

「何とでも言うがいいさ、始末屋。しかしながらメスゴリラにも等しいキミの様な劣等人種もまた僕らの様な高貴なるアーリア人に生まれ変われるのだとすれば、わくわくしないかい?」

「わくわく? どちらかと言えば、むかむかするな」

 顔色一つ変える事無くそう言った始末屋は、アドルフ・ブラフマンの穢れ無き瞳をジッと真正面から睨み据えた。するとアドルフ・ブラフマンもまた彼女をジッと睨み返しながらも、その顔に浮かべた不敵な微笑を崩さない。

「しかし、まあ、今更そんな事はどうでもいい事だろう。どうせキミには今ここで、表舞台からご退場願う事になるんだからね」

「あたしと貴様、果たしてこの世から退場するのはどちらかな?」

 そう言った始末屋は素早く腰を落とし、臨戦態勢へと移行したかと思えば、その身を包む駱駝色のトレンチコートの懐に両手を差し入れた。そして引き抜かれたその手には左右一振りずつの手斧が握られており、その手斧を大上段に振り被りながら地面を蹴って跳躍すると、眼の前のアドルフ・ブラフマンに襲い掛かる。

「死ね」

 冷静沈着を旨とする始末屋はそう言うと、アドルフ・ブラフマンの無防備な頭頂部目掛けて手斧の切っ先を振り下ろした。しかしながら彼の背後から姿を現したもう一つの人影の手によって、惜しむらくも獲物を捉え切る事無く、振り下ろされた手斧はアドルフ・ブラフマンの頭部を真っ二つに叩き割る寸前でもって受け止められてしまう。

「!」

 頭上で交差した二本のナイフの抜き身の刀身でもって、常人離れした膂力を誇る始末屋の手斧を真っ向から受け止めてみせたのは、アドルフ・ブラフマンの背後に控えていた革の軍用コートと厳めしいガスマスクに身を包んだ天を突くような大男であった。

「貴様の好きにはさせんぞ、始末屋! ブラフマン閣下の高貴なる御身体には、指一本触れさせん!」

 ガスマスクに覆われた顔をこちらに向けながらそう言った革の軍用コートの大男と始末屋は睨み合い、彼が手にした大ぶりなククリナイフと手斧とで暫し鍔迫り合いを繰り広げると、やがて始末屋は後方に飛び退すさって距離を取る。

「クシャトリヤ! やってしまえ! 高貴なるアーリア人の手によって、我らに仇なす障害を排除せよ!」

 やはりその顔に不敵な微笑を浮かべたアドルフ・ブラフマンが始末屋を指差しながらそう言って、彼女の抹殺を命じた。すると彼がクシャトリヤと呼んだ革の軍用コートの大男はこちらへと歩み寄り、始末屋が飛び退すさった分の距離をじりじりと詰めると同時に、互いに左右一振りずつの手斧とククリナイフの間合いを測り合う。

「ふん!」

 先に動いたのは、先手必勝を良しとする始末屋であった。彼女はコンクリートで舗装されたドライブインの駐車場の路面を蹴って跳躍すると、駱駝色のトレンチコートの裾をなびかせながら素早く身体を一回転させ、その遠心力を上乗せした強烈な手斧の一撃をクシャトリヤの脳天目掛けて叩き込む。

「ちょこざいな!」

 しかしながら時代掛かった言葉遣いでもってそう言ったクシャトリヤは、常人では考えられない程の関節の柔らかさを発揮しながら上体を仰け反らし、この始末屋の必殺の一撃を紙一重のタイミングでもって華麗に回避してみせた。そして仰け反らした上体を元に戻す際の反動を利用して、今度は彼が攻勢に転じ、始末屋の喉元目掛けて長大なククリナイフの切っ先を振りかざす。

「ふんっ!」

 虚空を切り裂くククリナイフの丹念に研ぎ上げられた鋭利な切っ先を、かすめた頬に僅かな裂傷を負いながら、始末屋もまた紙一重のタイミングでもってこれを回避してみせた。そして始末屋が手斧を振るえばクシャトリヤがククリナイフでもってこれを弾き返し、クシャトリヤがククリナイフを振るえば始末屋が手斧の斧腹でもってこれを受け止め、互いに身の丈が2mに達する大女と大男による熾烈かつ苛烈な一進一退の攻防戦が繰り広げられる。

「!」

 まさに両雄相まみえるとでも表現すべき鋭利な刃物同士による立ち回り、はたまた文字通りの意味でもって火花を散らす鍔迫り合いを繰り広げた始末屋とクシャトリヤは、全く同じタイミングでもって背後に飛び退すさって互いの距離を確保した。そして左右一振りずつの手斧とククリナイフを改めて構え直し、牽制を交えながら、再びじりじりと距離を詰めてそれぞれが得意とする間合いを測り合う。

「そこまでだ、始末屋!」

 すると凍れるロシアの西風を挟んで睨み合う両雄が再び切り結ばんとした、まさにその刹那。Mi26輸送ヘリコプターに搭載された拡声器越しにそう言いながら、始末屋とクシャトリヤとの真剣勝負に水を差すような格好でもって、変声期前の少年らしいアドルフ・ブラフマンの声が周囲一帯に響き渡った。そこで手斧を持つ手を止めた始末屋がそちらへと眼を向ければ、そこには浅黒い肌に覆われたその顔に不敵な微笑を浮かべたアドルフ・ブラフマンと、彼が最高指導者を務める『アーリアン・ドーン』の構成員である軍服姿の男達に捕らわれたヴァルヴァラとアキモフ博士の姿が見て取れる。

「始末屋、助けて!」

 軍服姿の男達の手によって自由を奪われ、こめかみにモーゼル拳銃の銃口を押し当てられながら助けを求めるヴァルヴァラの姿を眼にしてしまっては、進退窮まった始末屋に打つ手は無い。どうやら彼女がクシャトリヤとの死闘に掛かり切りになっている間に、姑息にもドライブインのレストランへと侵入した軍服姿の男達に銃口を向けられたアキモフ親子は、身を守るすべも無いままあっさりと捕らえられてしまったのだ。

「くっ……」

 悔恨の念に堪え切れずぎりぎりと歯噛みするばかりの始末屋に、ヴァルヴァラとボリスのアキモフ親子を人質に取る格好になったアドルフ・ブラフマンは、まるで勝ち誇ったかのような表情と口調でもって警告する。

「その斧を捨てろ、始末屋。そしてその場に腹這いになり、脚を広げ、両手を頭の後ろで組んで服従の姿勢を維持するんだ。早くしたまえ。ぐずぐずしていると、ここに居る可愛いヴァルヴァラの小さな頭が、壁に叩きつけた腐ったトマトの様に爆散する事になってしまうよ?」

 如何に百戦錬磨、常勝無敗を誇る始末屋と言えども、こうなってしまってはアドルフ・ブラフマンの言葉に従う他に為す術が無い。そこで彼女は言われた通り、左右一振りずつの手斧を放り捨ててから駐車場の地面に腹這いになると、両手を頭の後ろで組みながら足を広げた。

「ブラフマン閣下! 何故に我らの戦いを止めるのですか! 私は人質を取るような卑怯な真似をせずとも勝てたのですぞ!」

 すると地面に腹這いになった始末屋を他所に、ククリナイフを手にしたクシャトリヤはそう言ってアドルフ・ブラフマンに詰め寄り、真剣勝負に水を差された事に対して不満を露にする。

「そうは行かんぞ、クシャトリヤ。確かにキミの実力ならば、百度戦えば百度勝利し、始末屋に負ける事は100%有り得ないだろう。だがしかし、我らが悲願を成就する過程に於いて、万が一にも億が一にもキミを失う訳には行かんのだ。だからここは万全の上にも万全を期し、人質を取った事による汚名と恥辱にまみれながらも、敢えて確実かつ堅固な安全牌を選ばせてもらう」

「……承知しました、閣下……」

 言葉尻に不満と未練の色を滲ませつつ、完全には納得し切っていない様子で不承不承ながらもそう言わざるを得なかったクシャトリヤは、手にした左右一振りずつのククリナイフを腰のベルトに固定されたシースへと納め直した。そして臨戦態勢を解いた彼と彼の上官であるアドルフ・ブラフマン、それに『アーリアン・ドーン』の構成員達はヴァルヴァラとアキモフ博士の二人を人質に取ったまま、彼らをここまで乗せて来たMi26輸送ヘリコプターの方角へと足を向ける。

「いいかい、始末屋? 僕らが飛び立つまで、そこを一歩も動くなよ? もし仮に動いたとしたら、ここに居る二人の命は無いからな?」

 半ズボンを穿いた浅黒い肌の少年であり、また同時に『アーリアン・ドーン』の最高指導者でもあるアドルフ・ブラフマンはそう言って、地面に腹這いになったままの始末屋に警告しながらMi26輸送ヘリコプターに乗り込んだ。そして彼に続いてヘリコプターのハッチを潜るクシャトリヤは、彼女との決着が付いていない事が心残りなのか、未練がましそうに始末屋の姿を一瞥してから小さな最高指導者の後に続く。

「始末屋! ねえ、始末屋ってば! 助けてよ! あたしとパパを助けてってば! あたしとパパを救い出すんじゃなかったの?」

 すると『アーリアン・ドーン』の構成員である軍服姿の男達の手によって、そう言って泣き叫ぶヴァルヴァラと無言のボリス・アキモフ博士もまたMi26輸送ヘリコプターに乗せられると、二機の軍用ヘリコプターはばらばらと言う激しいエンジンの回転音と風切り音を奏でながらゆっくりと離陸した。

「さらばだ始末屋、もう二度と会う事も無いだろうがな!」

 彼らを乗せた二機の軍用ヘリコプターがメインローターとテイルローターを激しく回転させながら離陸し、拡声器越しにアドルフ・ブラフマンがそう言えば、重武装のMi28攻撃ヘリコプターの主武装の一つである30mm機関砲の砲口がこちらに向けられる。

「!」

 次の瞬間、身の危険を察知した始末屋は腹這いの姿勢から素早く起き上がると、くるりと身を翻してドライブインのレストランの方角へと足を向けた。そして全力疾走でもって助走を付けてからレストランのガラス壁を突き破り、砕け散ったガラスの破片と共に店内へと踊り込むや否や、最も頑丈そうな柱の陰に退避してから小さく身体を丸めて防御の姿勢を維持する。

「!」

 始末屋が防御態勢へと移行するのとほぼ同時に、低空でのホバリングを繰り返すMi28攻撃ヘリコプターに搭載された30mm機関砲が火を噴いた。耳をつんざく砲声と眼にもまばゆいマズルフラッシュを伴いながら、直径30mmの徹甲弾が雨霰の如く次々と射出され、ドライブインのレストランはその中に居た一般市民ごと見る間に蜂の巣となる。

「ぎゃあっ!」

「ひいっ!」

 たまたまレストランを訪れていた罪も無い一般市民達は恐怖と混乱、それに苦痛と苦悶の声を上げながら、一体全体何が起こっているのかも理解出来ぬまま次々と射殺されて行くばかりで直視に堪えない。そして一通りレストランを蜂の巣にし終えたMi28攻撃ヘリコプターは、半ば廃屋と化したそのコンクリート造りの建屋に、今度はスタブウイングのパイロンに積載されたガンポッドの砲口を向けた。

「発射!」

 複座式のコクピットの前方に位置する座席に腰を下ろした射撃手がそう言えば、こちらを向いたガンポッドの砲口から小型ロケット弾が次々と射出され、それらがレストランの内外に着弾する度に凄まじい爆音と爆炎が周囲一帯を包み込む。

「いいぞ! もっとやれ!」

 Mi26輸送ヘリコプターの機内でやんややんやと手を叩きながら興奮するアドルフ・ブラフマンに見守られながら、ドライブインのレストランはごうごうと燃え盛る業火と黒煙に包まれ、見る間にコンクリートとガラスの瓦礫の山と化してしまった。そして攻撃目標が完全に破壊し尽くされたのを見届けたMi28とMi26の二機の軍用ヘリコプターはホバリングを解除し、南の空の方角へと機首を向けて移動を開始すると、程無くして視界から完全にその姿を消す。

「ふん!」

 やがて二機の軍用ヘリコプターが空の彼方へと飛び去ったかと思えば、瓦礫の山と化したレストランの建屋の柱の陰からそう言って、周囲の砲撃の残骸を押し退けようとする女性の声が耳に届いた。そして大小様々なコンクリートの破片を掻き分けながら這い出したその女性とは、言うまでもなく褐色の肌の大女、つまり駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋その人である。

「随分と、派手にやってくれたもんだな」

 瓦礫の山の中から這い出した始末屋は周囲を見渡しながら他人事の様にそう言って、トレンチコートに降り積もった埃と煤、それに粉々に砕け散ったコンクリートとガラスの破片をぱっぱと払い落とした。彼女の足元には種々雑多な瓦礫や破片に混じって、始末屋らと『アーリアン・ドーン』との抗争に巻き込まれてしまった一般市民の死体がごろごろと転がり、30mm機関砲によって首から下を爆散させた太った中年のウエイトレスがこちらを向いたまま息絶えているのが眼に留まる。

「……」

 埃と煤まみれの始末屋は口を真一文字に結びながら歩き出し、無言のまま瓦礫と死体の山を乗り越え、ほんの数分前までドライブインのレストランであった筈の建造物の残骸を後にした。そして騒ぎを聞き付けた野次馬の一人なのか、手にしたスマートフォンのカメラでもって燃え上がるレストランの惨状を撮影している近隣住民の男性に近付くと、そのスマートフォンを強引に奪い取る。

「おい! 何しやが……」

 スマートフォンを奪い取られた事に抗議しようとするその男性の顔面を、始末屋は有無を言わさず力任せに殴打し、鼻っ柱を殴り潰された彼はあっさり気を失ってその場に昏倒してしまった。そして昏倒する男性には眼もくれず、奪い取ったスマートフォンの液晶画面に触れて掛け慣れた電話番号をタップすると、やがて何度目かのコール音の後に聞き慣れた女性の声が受話口から聞こえて来る。

「もしもし、どなたかしら?」

「ああ、チ・ホアか? あたしだ、始末屋だ」

 果たしてスマートフォンの向こうの通話相手は、常雨都市として知られるフォルモサに居る筈のグエン・チ・ホアであった。そして彼女は語尾の音程が上擦ってしまう特徴的な口調でもって、始末屋を問い質す。

「あらあら、本当に始末屋なの? 知らない番号からの電話だったから、銀行からの投資信託を勧める電話か、一人暮らしの女性を狙った悪戯電話か何かかと思っちゃったじゃない? それで、ロシアに飛んだ筈のあなたが、昨日の今日であたしに一体何の用なのかしら?」

「チ・ホア、貴様に一つ、頼みがある」

「頼み?」

「ああ、そうだ。確か貴様は、フォルモサの空軍と海軍、それに宇宙航空開発局の上層部の連中に人脈コネがあった筈だ。だからその人脈コネをフル活用して軍事衛星でも何でも動員し、つい今しがたウラジーミル州から南の方角へと飛び去った二機の軍用ヘリコプターの行方を突き止め、あたしに教えろ」

「それはまた、随分と急な話じゃなくて? いくらあたしだって、決して万能じゃないのよ?」

 唐突な始末屋の無茶な相談に、スマートフォンの向こうのグエン・チ・ホアは呆れ顔でもってそう言って、深い深い溜息を漏らした。しかしながら行く手を阻む全ての障害を暴力だけでもって解決して来た始末屋は、その程度の事では決して譲歩しない。

「御託はいい。出来るのか出来ないのか、やるのかやらないのか、はっきりしろ」

 そう言った始末屋の有無を言わさぬ口ぶりに、グエン・チ・ホアは繰り返し溜息を吐くばかりだ。

「ええ、ええ、ほんとにあなたは昔っから、一度言い出したら他人の意見に耳を貸さない人ですものね? いいんじゃないかしら? あなたのその頼み、聞いてあげても良くってよ?」

「ああ、助かる」

 やはりぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言った始末屋は通話を終えると、30mm機関砲による機銃掃射と小型ロケット弾による攻撃で破壊されたドライブインのレストランを背にしながら、トヨタ社製のSUV車の方角へと足を向ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る