第四幕


 第四幕



 どこか遠くから自分の名を呼ぶ声に、うとうとと微睡まどろんでいたヴァルヴァラはハッと眼を覚ました。

「……ママ……?」

 今は亡き母の面影を脳裏に思い描きながら目覚めてみれば、彼女の名を呼んでいたのは褐色の肌の大女、つまり駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋だったので、ヴァルヴァラは少しだけ落胆する。

「ヴァルヴァラ、ようやく起きたか」

「……なんだ、始末屋か……」

 眠い眼をごしごしと擦りながらそう言ったヴァルヴァラは、彼女を乗せたSUV車が人気の無い街道の路肩に駐車されている事に気付くと同時に、その路肩の向こうに高い塀と鉄条網がそびえ立っている事にも気付かされた。

「……あれ? あたし、寝てた?」

「ああ、そうだ。すっかり熟睡していたから起こさなかったが、不服か?」

「ううん、いいの。別に気にしてないから」

 そう言った助手席のヴァルヴァラに、運転席の始末屋はシートベルトを取り外しながら降車を促す。

「さあ、貴様も降りろ。目的地に着いたぞ」

 そう言った始末屋がSUV車から降りて運転席側の扉を閉めれば、助手席のヴァルヴァラもまたシートベルトを外し、その小さな身体を躍動させながら降車した。そしてアスファルトで舗装された人気の無い街道、つまりペスチャナヤ通りの路面へと降り立つと、眼の前にそびえ立つ塀と鉄条網を見上げながら始末屋に問い掛ける。

「ここに、パパが居るの?」

「ああ、そうだ。このウラジーミル中央刑務所に、貴様の父親であるボリス・アキモフ博士は囚われている」

「刑務所? ねえ始末屋、ここって、刑務所なの? なんでパパが刑務所に入れられてるの?」

「その謎を解き明かすためにも、これからアキモフ博士に直接会って、彼に問い質さねばなるまい。行くぞ、ヴァルヴァラ。ここから先は何が起こるか分からんから、あたしの傍から一歩も離れるな」

 始末屋はそう言うと、高い塀と鉄条網、それに窓に嵌め込まれた鉄格子に囲まれたウラジーミル中央刑務所の正門の方角へと足を向けた。そして白いダウンコートに身を包んだヴァルヴァラを背後に従えながら正門に歩み寄れば、その門扉の傍らに立っていた一人の歩哨の刑務官がこちらに気付く。

「おい、そこのお前! ここは関係者以外立ち入り禁止だ! 用が無いなら、さっさと立ち去れ!」

 そう言って警告する刑務官の言葉を馬耳東風とばかりに無視すると、始末屋は刑務所の正門へと確かな足取りでもって歩み寄りながら、駱駝色のトレンチコートの懐に自らの両手を差し入れた。そして次の瞬間、懐から引き抜かれた彼女の両手には、左右一振りずつの手斧が握られている。

「緊急事態発生! 緊急事態発生! 正門前に、刃物で武装した不審者が現れた! 繰り返す、正門前に、刃物で武装した不審者が現れた! 至急、応援を要請する! 至急、応援を要請する!」

 すると濃紺色の制服と制帽に身を包んだ刑務官は無線機に向かってそう言いながら、手にした半自動散弾銃セミオートショットガン、つまりイズマッシュ社製のサイガ12を構えた。

「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」

 刑務官はサイガ12散弾銃の照準を始末屋の胸のど真ん中に合わせながらそう言って警告するが、銃口を向けられる格好になった始末屋は彼の言葉に耳を貸さず、その歩みを止めはしない。

「糞!」

 最後にそう言って悪態を吐くと、これ以上の警告は無意味と判断した刑務官は、立射の姿勢でもって構えたサイガ12散弾銃の引き金を引き絞った。耳をつんざく銃声と共に数多の鉛弾が射出され、こちらへと歩み寄る始末屋に襲い掛かるが、彼女は手斧の斧腹でもってこれらを易々と弾き返す。

「ふん!」

 飛び来たる銃弾を弾き返した始末屋は、野球やソフトボールで言うところのアンダースローの要領でもって、左の手斧を投擲した。投擲された手斧はくるくると回転しながら虚空を切り裂き、サイガ12散弾銃を構えた刑務官の顔面に直撃すると、彼の頭部を真っ二つに叩き割ってその命を奪う。

「おいヴァルヴァラ、遅れずについて来い。そんな所でぐずぐずしていると、置いて行くぞ」

 投擲した手斧を真っ二つに叩き割られた頭部から回収した始末屋は、地面に崩れ落ちたままぴくりとも動かない刑務官の死体に気を取られているヴァルヴァラに向けてそう言いながら、やがてウラジーミル中央刑務所の正門前へと辿り着いた。そして「ふん!」と言う再びの掛け声と共にその門扉を力任せに蹴り開ければ、どこの誰が非常ボタンを押したのかは分からないが、非常事態の発生を告げる耳障りなサイレンの音が広範な刑務所の敷地中に響き渡る。

「ねえ始末屋、どうしよう、見つかっちゃったよ!」

 手に手にサイガ12散弾銃を携えながら、刑務所の敷地内の官舎の方角からこちらへと駆け寄って来る幾人もの刑務官の姿に、ヴァルヴァラがそう言って身を竦めた。

「問題無い。あの程度の雑兵風情がどれだけ束になって掛かろうと、このあたしの相手になるものか」

 しかしながら始末屋は、響き渡るサイレンの音を気に留める素振りも見せぬまま獄舎の方角へと足を向け、やはりその歩みを止めはしない。

「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」

 するとおよそ十人ばかりのサイガ12散弾銃でもって武装した刑務官達が寄り集まり、ワンパターンな警告の言葉を繰り返し発しながら、獄舎へと続く通路を歩く始末屋とヴァルヴァラの二人を取り囲んだ。

「雑兵め」

 ぼそりと独り言つようにそう言った始末屋は地面を蹴って跳躍し、左右一振りずつの手斧を振るいながら、彼女らを取り囲む刑務官達へと襲い掛かる。

「ぎゃあっ!」

 眼にも止まらぬ速度でもって繰り出された始末屋による手斧の一撃が、彼女から見て最も近い位置に立っていた刑務官の上半身と下半身をいとも容易たやすく両断せしめると、上下真っ二つになった刑務官は断末魔の叫び声を上げながら絶命した。そしてその刑務官の裂けた腹からまろび出た血まみれの臓物が地面に零れ落ちる前に、返す刀の要領でもって二撃目の手斧が振るわれ、今度は脳天から左右真っ二つにされた別の刑務官が悲鳴を上げる間も無く絶命する。

「糞! 撃て! 撃ち殺せ!」

 二人の同僚を一瞬にして屠られた刑務官達は混乱し、手にしたサイガ12散弾銃を慌てて構え直しながら始末屋を捕縛、もしくは亡き者にしようと奮闘するが、所詮は一介の公務員に過ぎない彼らに勝機は無い。

「ぎゃあっ!」

 始末屋が左右一振りずつの手斧を振るえば、三人目、そして四人目の刑務官達が頭部を真っ二つに叩き割られ、真っ赤な鮮血と薄灰色の脳漿とを撒き散らかしながら地面に崩れ落ちる。

「囲め! 囲んで距離を取るんだ!」

 すると一人の刑務官がそう言って、五人目六人目と新たな犠牲者を生み出し続ける始末屋の胸に照準を合わせながら、サイガ12散弾銃の引き金を引き絞った。耳をつんざく銃声と共に、正真正銘の実弾、それも数多の散弾が始末屋目掛けて射出される。しかしながら彼が構えた散弾銃の銃口から射出された散弾は、始末屋が身を翻してそれを回避してみせたが故に、彼女の向こうに立っていた別の刑務官に直撃してしまった。そして味方である筈の同僚の手によって射殺される格好になった刑務官の身体が、おびただしい量の血飛沫と共に弾け飛んで命を散らす。

「駄目だ、銃は使うな! 同士討ちになる!」

「とにかく距離を取るんだ!」

「追加の応援を要請しろ! 早く!」

 刑務官達は口々にそう言って対応策を講じるが、迂闊に始末屋に近寄れば手斧の一撃によって脳天を叩き割られ、距離を取ろうとすれば投擲された手斧の餌食になるのだから堪らない。

「ぽあっ!」

 そして最後の一人が頓狂な叫び声と共に素っ首をね飛ばされ、首から上が無くなったその刑務官の身体が切断面から鮮血を噴き出しながら地面に崩れ落ちると、およそ十人ばかりの刑務官達全員が物言わぬ死体と成り果てた。

「行くぞ、ヴァルヴァラ」

 やがて全ての刑務官達を屠り終えた始末屋が、獄舎の方角へと足を向けながらそう言って背後を振り返ると、まさに死屍累々とでも言うべき死体の山の中央で立ち尽くすヴァルヴァラが眼に留まる。

「どうした、ヴァルヴァラ? いつまでもそんな所で立ち止まってないで、早くこっちに来い」

 始末屋はそう言うが、眼の前であっと言う間に十人ばかりもの人間が血と肉の塊へと変貌する様を見せつけられれば、齢十二歳の幼女が言葉を失ってしまったとしても致し方ない。

「……だって始末屋……こんなに……こんなに人が死んじゃって……」

 涙眼になったヴァルヴァラは嗚咽交じりに言葉を詰まらせながらそう言って、地面を濡らす真っ赤な鮮血や真っ白い湯気がもうもうと湧き立つ臓物から漂って来る生臭い匂いに戦慄し、ぶるぶるとその身を竦ませる。

「なんだ貴様、人間の死体を見るのはこれが初めてか? だったら、早く慣れてしまう事だな。空港でも言った通り、今後もスパイ映画の様な展開が待ち受けているだろうし、スパイ映画に死体は付き物だろう?」

 所詮はフィクションに過ぎないスパイ映画を引き合いに出しながらそう言った始末屋の言葉に、幼いヴァルヴァラはその場に立ち尽くしたまま彼女に圧倒され、ぎゅっと固く眼を瞑った。そして自分自身を奮い立たせるかのように深呼吸を数回繰り返すと、やがてごくりと唾を飲み込んで意を決し、前を歩く始末屋の背中を追って刑務所の通路を駆け出し始める。

「覚悟は決まったか、ヴァルヴァラ?」

「うん、だって、パパに会うためだもん! パパに会うためだったら、あたし、何も怖くない!」

「そうだ、それでいい。いつだって真っ直ぐ前を向いて、後ろを振り返らずに前進し続けるんだ」

 ヴァルヴァラに忠告、もしくは鼓舞するかのような表情と口調でもってそう言った始末屋は、気合を込めた掛け声と共に刑務所の戸外の通路と獄舎とを繋ぐ鉄扉を力任せに蹴り開けた。たとえ囚人が何人掛かりで挑んだとしても開ける事が出来ない鉄扉でさえも、常人離れした膂力を誇る彼女の前では用を為さず、その行く手を遮る事は出来ない。そして蹴り開けられた鉄扉を乗り越えて煉瓦造りの獄舎の内部へと足を踏み入れると、始末屋はぐるりとこうべを巡らせながら、狭い廊下沿いに立ち並ぶ数多の雑居房の様子を確認する。

「女だ! おい、女だぞ!」

「誰の仲間だ! 誰を脱獄させに来やがった!」

「おい女、こっちを向けよ! 女の姿を見るのは久し振りなんだ!」

「子供だ! おい、子供も居るぞ! それも女の子だ!」

「キスしてくれよ! おい女、こっちに来てキスしてくれよ! キスしてくれってば!」

「俺は子供とキスするぞ!」

 廊下沿いにずらりと立ち並ぶ雑居房に収監された数え切れないほどの囚人達が、それらの雑居房と廊下とを隔てる鉄格子越しに始末屋とヴァルヴァラの様子をつぶさに観察しつつ、口々に自分勝手な罵詈雑言の声を上げて彼女らを挑発した。その様子はまるで動物園を訪れた行楽客と動物のそれに似ていながらも、こちらとあちらのどちらが行楽客でどちらが動物なのかと言った点に関しては、誰にも判別し得ない。すると始末屋は手近な雑居房の一つへと歩み寄り、そこに収監されていた一人の歳老いた囚人を睨み据えると、鉄格子に顔を寄せながら問い質す。

「おい、そこの貴様、独居房はどこだ?」

 始末屋が鉄格子越しにそう言って問い質せば、彼女に問い質された歳老いた囚人は無言のまま廊下の先を静かに指差し、目指すべき独居房が獄舎の最奥に位置している事を暗に伝えた。

「成程、あっちか」

 そう言って頷いた始末屋が背後にヴァルヴァラを従えながら、獄舎の廊下の先へと足を向けたところで、その足を向けた方角から新たな刑務官達が姿を現す。

「居たぞ! こっちだ!」

 獄舎の廊下の先からそう言ってこちらを指差す刑務官達は、ついさっき鏖殺の憂き目に遭ったばかりの一団とは違って、サイガ12散弾銃だけでなくケブラー製のヘルメットとボディアーマーにも身を包んだ重武装の刑務官達であった。しかも彼らの内の一人はぎゃんぎゃんと吠え立てる立派な体躯の警察犬、つまり如何にも獰猛そうな雄のジャーマンシェパードを連れている。

「行け!」

 するとこちらを指差しながらそう言った刑務官の一人が連れていた警察犬の拘束を解き放ち、晴れて自由の身となったジャーマンシェパードはまさに猪突猛進とばかりに一直線に廊下を駆け抜けると、眼の前の獲物の喉笛を食い千切らんばかりの勢いでもって始末屋に飛び掛かった。

「ふん!」

 しかしながらこちらへと飛び掛かって来たジャーマンシェパードの口吻を、始末屋は素手でもって空中で掴み取ってみせると、出鼻を挫かれる格好になった眼の前のジャーマンシェパードをジッと睨み据える。

「誇り高き野生動物のくせに、人に媚びるな。犬は犬らしく、猫の尻でも追い掛けているがいい」

 そう言った始末屋は、空中で口吻を掴み取られたまま身動きが取れないジャーマンシェパードの干し葡萄ぶどうの様に艶々とした鼻の先端に、おもむろに噛み付いた。するとがりっと言う鈍い音と共に鋭敏な感覚器官である鼻を齧られてしまったジャーマンシェパードは、白眼を剥きながら悲痛な声を上げ、始末屋が手を放すときゃいんきゃいんと言う悲鳴交じりに逃げ惑う。

「おい、貴様ら。よりにもよってこのあたしに犬をけしかけた事を、後悔させてやる」

 始末屋はそう言いながら、その長い手足を生かした確かな足取りでもって獄舎の廊下を前進し続けと、やがて重武装の刑務官達に襲い掛かった。

「撃て! これ以上先に進ませるな!」

 刑務官達はそう言ってサイガ12散弾銃を乱射するが、始末屋は飛び来たる鉛の弾を手斧の斧腹でもって巧みに弾き返す、もしくは素早く身を翻して回避し、12番口径ゲージの散弾を前にしても決して怯む事は無い。そして彼女が手にした左右一振りずつの手斧の切っ先が刑務官達の頭部や腹部をヘルメットやボディアーマーごと真っ二つに両断すれば、雑居房に収監された囚人達の興奮は最高潮に達し、食器や靴の踵でもって鉄格子をがんがんと打ち鳴らしながら始末屋を称賛する。

「いいぞいいぞ、黒んぼの姉ちゃん! 誰を脱獄させに来たのかは知らねえが、そこの糞生意気な刑務官どもを一人残らず血祭りにあげちまえ!」

「そうだそうだ! 俺達囚人に代わって、日頃の恨みを晴らしてくれよ!」

 口々にそう言って歓声とも罵声ともつかない声を張り上げる囚人達を前にして、獄舎の廊下を歩くヴァルヴァラは今にも立ち竦んでしまいそうになる自分の足に必死で鞭打ちながら、父との再会だけを夢見て一歩一歩前進し続けていた。そしてそんな彼女の視線の先では始末屋が猛威を振るい、並み居る刑務官達を手斧の一撃でもって屠り続ければ、やがておびただしい数の惨殺死体の山が築かれると同時にウラジーミル中央刑務所は一瞬の静寂に包まれる。

「なんだ、これで終いか」

 手斧を振るう手を止めた始末屋はそう言って、ぐるりとこうべを巡らせながら周囲の様子をうかがい、獄舎の廊下を埋め尽くす幾人もの刑務官達の死体の山を睨め回した。狭く薄暗い廊下には屋外のそれとは比べものにならないほどの血と臓物と排泄物の匂いが充満し、鼻を突くその匂いに、彼女の後ろを歩くヴァルヴァラは文字通りの意味でもってせ返る。

「すげえぞ、あの黒んぼの姉ちゃん! よりにもよって、全員ぶっ殺しちまった!」

「ああ、糞! なんてこった! こうなったら俺らの今夜の飯を、誰が用意するって言うんだよ!」

 やはり鉄格子越しにそう言って声を張り上げる囚人達には眼もくれず、白いダウンコートに身を包んだ幼いヴァルヴァラを背後に従えながら、始末屋は獄舎の廊下を脇目も振らずに前進し続けた。そしてその意志と肉体の強さを象徴するかのような確固とした足取りでもって、数多の囚人達が収監された全ての雑居房の前を難無く通過してみれば、やがて彼女ら二人の前に新たな鉄扉が立ちはだかる。

「ふん!」

 始末屋は気合を込めた掛け声と共に下半身の筋肉を収縮させると、鍵が掛けられていた頑丈な鉄扉を苦も無く蹴り開けた。すると鉄扉の先には広範な空間が広がり、簡素な長机と長椅子が幾つも整然と並べられている事から察するに、どうやらここは囚人達が食事を摂るための食堂か何からしい。

「!」

 一見すると無人かと思われた食堂に一歩足を踏み入れた始末屋は、彼女に向けられた殺意と敵意が室内に充満しているのを犇々ひしひしと感じ取り、不意に足を止めた。そしてその殺意と敵意の発生源、つまり食堂の中央に位置する長机の上に仁王立ちの姿勢でもってそびえ立つ小柄な人影に眼を向けると、左右一振りずつの手斧を構えながら臨戦態勢へと移行する。

「誰だ?」

 手斧を構えた始末屋は相手の出方をうかがいつつ、そう言って問い掛けた。すると問い掛けられた長机の上の小柄な人影は、まるで人食い鮫として知られるホオジロザメのそれの様な真っ白なギザ歯を剥き出しながら、さも愉快そうにほくそ笑む。

「おやおや、誰だと言うキミの方こそ、一体どこの誰なのかな? よりにもよって、この僕、つまり魔法少女みるきぃ★ルフィーナが守護するウラジーミル中央刑務所に特攻を仕掛けるような真似をしでかしたからには、五体満足のまま帰してもらえるとは思ってないよね?」

 そう言って自らを『僕』と呼称する小柄な人影は、フリルとレースによる装飾が施された衣装を身に纏った、ピンク色の頭髪を大きなリボンでもって二つ結いにした一人の可愛らしい少女であった。そして左右の光彩の色が異なるオッドアイの瞳でもって始末屋を睨み据える彼女の手には、先端にハート型の打突部が装着されたマジカルステッキが握られており、その打突部が窓から差し込む陽光を反射してぎらりと輝く。

「みるきぃ★ルフィーナ……さては貴様、貴様もまた『撲殺系魔法少女』の名をほしいままにする執行人エグゼキューターの一人だな?」

 始末屋がそう言って少女の正体を看破すれば、魔法少女みるきぃ★ルフィーナと名乗った少女は驚かざるを得ない。

「あれれ? キミってば、僕の事を知ってるの? ……ああ、なるほど、その駱駝色のトレンチコートと無骨な手斧、それに褐色の肌の大女と言う特徴から推測するに、キミは僕と同じ『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューターの始末屋だね? そうでしょ?」

「ああ、その通りだ。それで、みるきぃ★ルフィーナとやら。貴様は一体、こんな所で何をしている?」

 始末屋がそう言って問い掛ければ、食堂の長机の上に立つみるきぃ★ルフィーナは逆に問い返す。

「悪いけど、それはこっちの台詞セリフだよ、始末屋。キミの方こそ、一体何しにこんな所にやって来たのさ」

「あたしは『大隊ザ・バタリオン』が発効した正式な依頼に従い、この刑務所に囚われている筈のボリス・アキモフ博士を救出しに来た」

「へえ、それはまた奇遇だね。僕はキミとは逆に、たとえどこの誰が彼を奪い返しに現れたとしても、そのアキモフ博士をこの刑務所の外に出さないように依頼されたんだ。勿論この依頼だって、キミのそれと同じく『大隊ザ・バタリオン』が発効した正式な依頼だよ」

 そう言ってギザ歯を剥き出しながらほくそ笑むみるきぃ★ルフィーナを前にした始末屋は、腰を落として臨戦態勢を維持しつつ、得物である左右一振りずつの手斧を改めて構え直した。彼女らが所属する非合法組織『大隊ザ・バタリオン』が発効した依頼がバッティング、つまり近世ヨーロッパの諸侯同士の戦争が敵も味方もスイス傭兵の手によって執り行われていた事にも近しい、ある種の共食いの様な事態が往々にして発生してしまうのである。

「だとしたら、貴様はあたしの敵だ。敵であるならば、貴様を討ち滅ぼしてでも先に進む以外に、あたしに残された道は無い」

「キミならそう言うと思ったよ、始末屋。だったら僕は、そんなキミをこの場で打ち負かすまでだ」

 しかしながら、たとえ依頼がバッティングしてしまったとしても、『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューター達は依頼を反故にしておもねったりはしない。常に闘争を求めて止まない彼ら彼女らにとって、同じ組織に属するならず者達は決して馴れ合うべき同志や仲間などではなく、故あれば共食いの窮地に立たされてでも雌雄を決すべき好敵手ライバル達なのだ。

「ふん!」

 すると視線の先の獲物に先んじて動いた始末屋が互いの距離を詰めるべく、コンクリート敷きの刑務所の食堂の床を蹴って跳躍せんとしたものの、伊達や酔狂ではなく『撲殺系魔法少女』の名をほしいままにするみるきぃ★ルフィーナもまたそんな彼女の同行を傍観してはいない。

星雲ネビュラ!」

 そう言ったみるきぃ★ルフィーナが手にしたマジカルステッキを素早く振るえば、その先端のハート型の打突部が分離し、一本の鎖でもって柄と繋がったそれが始末屋目掛けて飛び来たる。

「!」

 こちらへと飛び来たるマジカルステッキのハート型の打突部を、始末屋は手斧の斧腹でもって咄嗟に受け止めてみせたものの、予想をはるかに上回る衝撃の重さと鋭さに驚愕せざるを得ない。どれだけ贔屓目に見ても小柄な少女の手から放たれたものとは思えないその一撃の破壊力を前にして、あらゆる敵と対峙しながら常に先手を打って来た始末屋は出鼻を挫かれる。

「どうだい、僕の星雲ネビュラの威力は? キミの手斧にだって負けない力強さだろう?」

 そう言って自画自賛してみせるみるきぃ★ルフィーナの小柄な身体の周囲を、まるで彼女を守護するかのような軌道を描きながら、マジカルステッキのハート型の打突部がぶんぶんと飛び回っていた。その動きはつい先日戦ったばかりの『アーリアン・ドーン』の刺客たるシュードラのウルミのそれにも似ているが、破壊力の有無に関しては、まるで比較にならない。

「さあ始末屋、行くよ! 星雲ネビュラ!」

 みるきぃ★ルフィーナがそう言ってマジカルステッキを振るえば、再びその打突部が唸りを上げて虚空を切り裂きながら始末屋に襲い掛かる。

「くっ!」

 次々と繰り出されるみるきぃ★ルフィーナの連続攻撃に、始末屋はそれらを手斧の斧腹で弾き返す、もしくは身を翻して回避しながらも、まるで巨大な金槌ハンマーか何かでもって殴られたかのようなその破壊力の前に防戦一方であった。どうやらみるきぃ★ルフィーナはその身体の小ささや衣装や髪型の可愛らしさからは想像も出来ないほどの、始末屋のそれにも匹敵する膂力を誇るらしく、まさに『撲殺系魔法少女』の名に恥じない見事な戦いぶりである。

「どうしたどうした! トップクラスの執行人エグゼキューターとしてその名を天下に轟かせたキミがいつまでも逃げ回ってばかりじゃ、つまらないよ! もっと僕を楽しませてよ、始末屋!」

 防戦一方の獲物を前にしたみるきぃ★ルフィーナは真っ白なギザ歯を剥き出しながらそう言ってほくそ笑み、始末屋を挑発した。すると始末屋は彼女の間隙を突いて手斧を投擲したものの、その手斧はみるきぃ★ルフィーナが立っている箇所ではなく、まるで見当違いの方角へと飛んで行く。

「馬鹿め! どこを狙っている!」

 みるきぃ★ルフィーナはそう言って嘲笑うが、投擲された手斧は彼女が天板の上に乗った長机の四本の脚の内の一本を切断した。

「!」

 確固不抜とすべき足元が揺らぎ、ぐらぐらと覚束無い足場の上で体勢を崩すと、食堂の長机もろとも無様に転倒するみるきぃ★ルフィーナ。その驕り高ぶった感情、もしくは慢心が隙を生む結果となった彼女に、新たな手斧を手にした始末屋が一気に距離を詰めて襲い掛かる。

「ふん!」

 距離を詰めた始末屋は気合一閃、みるきぃ★ルフィーナの脳天を真っ二つに叩き割るべく手斧を振るった。しかしながらすんでのところでみるきぃ★ルフィーナは体勢を立て直し、致命傷に至りかねない直撃こそ回避してみせたものの、始末屋の手斧の切っ先がざっくりと突き刺さったその顔に深々とした裂傷を負ってしまう。

「ぎゃあっ!」

 顔面を切り裂かれてしまったみるきぃ★ルフィーナがそう言って、後方へと飛び退すさって始末屋との距離を取りながら苦悶の声を上げた。彼女の頬から額にかけてぱっくりと口を開けた裂傷からぼたぼたと大量の鮮血が滴り落ち、勝利を確信していた筈のみるきぃ★ルフィーナは、その傷の深さに激しく動揺する。

「顔が! 僕の顔が! 僕の可愛い顔が!」

 そう言って激しく動揺、もしくは混乱するばかりのみるきぃ★ルフィーナにとどめの一撃を叩き込むべく跳躍せんと、始末屋は腰を落として身構えた。

星雲ネビュラ!」

 しかしながら彼女に先んじてみるきぃ★ルフィーナはマジカルステッキを振るい、宙を舞うそのハート型の打突部でもって食堂の窓枠に嵌め込まれていた鉄格子とガラスを瞬時に破壊すると、一転してその窓からの逃走を試みる。

「おのれ! おのれ! おのれ! よくも、よくもやってくれたな、始末屋! この僕の世界一可愛い顔を疵物きずものにしてくれた恨み、必ずや晴らしてくれるから、覚えていろ!」

 顔面に深い裂傷を負ったみるきぃ★ルフィーナはそう言って禍々しい怨嗟の言葉を口にしながら、始末屋の手斧による追撃をかわしつつ、まるで軽業師の様な華麗な身のこなしでもって窓枠を乗り越えて食堂から姿を消した。そして彼女が高い塀と鉄条網をも乗り越え、ウラジーミル中央刑務所の敷地内から姿を消すと、一瞬の静寂が訪れた食堂には始末屋とヴァルヴァラの二人だけが取り残される。

「……ねえ始末屋、今のピンクの髪のひらひらの服を着た女の子、何だったの?」

「奴はあたしと同じ穴のむじな、つまり『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューターの一人だ。しかしあの口ぶりからすると、きっとまた近い内に、奴と再戦する事になるだろう」

 ヴァルヴァラの疑問に対してそう言って返答した始末屋は、彼女の身を包む駱駝色のトレンチコートの懐に左右一振りずつの手斧を仕舞い直すと、獄舎の最奥の独居房の方角へと足を向けた。コンクリート敷きの食堂の床には割れた窓ガラスの破片がひしゃげた鉄格子と共に散乱し、みるきぃ★ルフィーナの残滓とも言うべき血痕だけがてらてらと濡れた赤黒い染みとなって、つい今しがたまで彼女がそこに居た事を声高に主張する。

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