第三幕


 第三幕



 日付変わって彼女らが邂逅した翌日の昼下がり、東京都大田区の羽田空港を発った始末屋とヴァルヴァラ、それにグエン・チ・ホアの三人は機上の人となった。と言っても、彼女ら三人が揃って同じ飛行機に乗ったと言う訳ではない。グエン・チ・ホアはフォルモサ行きの全日空機に乗り込み、残る始末屋とヴァルヴァラの二人は、ロシアのシェレメーチエヴォ国際空港へと向かうアエロフロート・ロシア航空の旅客機に乗り込んでいたのである。

「ねえ始末屋、あたし達、これからどこに行くの?」

 高度10000mを飛行する国際線の旅客機の機内で、眼下に広がる雲海を窓から見渡しながら、隣に座る始末屋にヴァルヴァラが尋ねた。

「モスクワだ。そこで車に乗り換えて、ウラジーミルへと向かう」

「ふうん、そのウラジーミルに、パパが居るの?」

「ああ、そうだ。そこに貴様の父親が居る筈だから、これから迎えに行く」

 そう言った始末屋とヴァルヴァラを乗せた旅客機はユーラシア大陸を横断し、やがてモスクワ郊外のシェレメーチエヴォ国際空港の滑走路に着陸すると、およそ十時間に及んだフライトの幕を閉じる。

「入国の目的は?」

 やがて旅客機を降りた始末屋とヴァルヴァラが空港のターミナルビルへと移動し、入国ゲートの前へと移動すると、入国審査を行う審査官が始末屋に尋ねた。

「仕事だ。この子の父親を迎えに来た」

 始末屋がヴァルヴァラを指差しながらそう言うと、如何にもやる気が無さそうな審査官は、事務的な口調でもって重ねて尋ねる。

「滞在期間は?」

「そうだな、早ければ、二日か三日と言ったところだ。仕事の進行具合によっては、もう少し掛かる」

 淀み無くそう言った始末屋の堂々とした姿に、どうやら審査官は不審な点は無いと判断したらしい。

「ごゆっくり。ロシアを楽しみなさい」

 審査官がそう言って提示されていたパスポートを返却すれば、始末屋とヴァルヴァラの二人は入国ゲートを通過した。そして通過した入国ゲートから充分距離を取り、審査官の姿が見えなくなったところで、ヴァルヴァラが口を開く。

「パスポート、バレなかったね」

「当然だ。あたしが用意したパスポートが偽造である事が、そうそう簡単に看破される筈も無い」

 やはり事も無げにそう言った始末屋の言葉通り、彼女のパスポートこそ正真正銘の真物であったものの、急遽用意されたヴァルヴァラのパスポートは始末屋の手による偽造パスポートであった。そしてそんな偽造パスポートでもって密入国を果たしたヴァルヴァラの足取りはうきうきと軽快で、少しばかり楽しそうである。

「偽造パスポートで密入国するだなんて、まるで今のあたしってば、スパイ映画のスパイみたい!」

「浮かれるな。ここから先も、未だ未だスパイ映画の様な展開が待ち受けているかもしれないからな。気を抜いていると、最悪の場合、命を失う事にもなりかねんぞ」

 彼女のトレードマークである駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋はそう言って忠告し、仕事や観光でもってこの地を訪れた人々でごった返す空港内を縦断したかと思えば、鮮やかな看板が掲げられた一軒の店舗の前で不意に足を止めた。前を歩いていた彼女が急に立ち止まったがために、後ろを歩くヴァルヴァラは思わず追突しそうになってつんのめる。

「よし、ここで飯にするぞ。あんな機内食だけでは物足りないし、どうにも食い足りないからな」

 そう言った始末屋が足を止めたのは、シェレメーチエヴォ国際空港のターミナルビルにテナントとして入居する世界有数のファストフードチェーン、つまりバーガーキングの店先であった。

「ワッパーバーガーを十個、それにフレンチフライとペプシを二つずつだ。急げ、早くしろ。ぐずぐずしていたら、その尻を蹴り上げるぞ」

 バーガーキングの店内へと足を踏み入れた始末屋が流暢な英語でもってそう言って、カウンターの向こうに立つ女性スタッフに注文すれば、そんな彼女の様子を見ていたヴァルヴァラがその量の多さを憂慮する。

「あたし、ハンバーガーを十個も食べられないよ?」

「問題無い。あたしが九つ食うから、貴様は一つ食えば充分だろう。それとも、二つ食うか?」

 現金での会計を終えた始末屋はそう言いながら注文した商品の数々を受け取り、それらが乗せられたトレーを手にしながら、白いダウンコートに身を包んだヴァルヴァラと共にテーブル席に腰を下ろした。

「さあ、食え」

 そう言って命じた始末屋とヴァルヴァラの二人はバーガーキングの店内の一角で、テーブル席に向かい合って腰を下ろしながら、肉汁滴るワッパーバーガーをむしゃむしゃと食み始める。

「このハンバーガー、美味しいね」

「ああ、そうだな。美味い。それに安くてボリュームもあるし、この空港に来た時は、この店に限る」

 ヴァルヴァラの言葉にそう言って同意した始末屋は、まさに鯨飲馬食とでも表現すべき豪快さでもって大きなワッパーバーガーを次々に胃袋に納めて行くと、ものの十分と経たない内に彼女の前に置かれたトレーは空になってしまった。

「凄いね始末屋、もう食べ終わっちゃったの?」

 始末屋の健啖家ぶりに驚くヴァルヴァラが、彼女が手にしたワッパーバーガーを急いで食べようとしたところで、始末屋が忠告する。

「なにも、貴様が急ぐ必要は無い。貴様は貴様のペースで食べればいいだけの事だ。周りに流されず、常に自分らしく行動しろ」

 実に九つものワッパーバーガーをあっと言う間に平らげてしまった始末屋の忠告に従い、ヴァルヴァラはゆっくりとお行儀良く、一口一口良く嚙んで味わいながら彼女の分のワッパーバーガーを食べ終えた。するとソースと肉汁でべたべたになってしまったヴァルヴァラの口の周りを、始末屋が紙ナプキンでもって拭き取ってやる。

「ほらヴァルヴァラ、汚れてるぞ。貴様は綺麗な顔をしているんだから、少しは身嗜みだしなみに気を付けろ」

「うん、ありがと」

 そう言って礼の言葉を口にしたヴァルヴァラと始末屋はワッパーバーガーに続いてフレンチフライを食べ終え、ペプシも飲み終えると席を立ち、やがてバーガーキングの店舗を後にした。そしてシェレメーチエヴォ国際空港のターミナルビルの正面玄関の扉を潜って戸外の空気にその身を晒せば、母なるロシアの大地を吹き抜ける冬将軍の息吹が彼女ら二人を出迎える。

「寒っ!」

 ターミナルビルから一歩を踏み出したヴァルヴァラは、あまりの寒さにぶるぶると肩を震わせながらそう言って、細く華奢なその身を竦ませた。顔や指先と言った露出した素肌から見る間に体温を奪い去り、まるで息を吸って吐く度に肺が凍り付いてしまいそうな空気の容赦無い冷たさは、ほんの十一時間前まで彼女らが居た東京のそれとは比べものにならない。

「ねえ始末屋、ここからどうやってウラジーミルまで移動するの? バス? 電車? それとも、タクシー?」

「車を調達して来る。貴様はここで待っていろ」

 トレンチコート姿の始末屋は特に寒がる素振りもみせずにそう言うと、多くの人々が行き交う空港の正面玄関前にヴァルヴァラを残したまま、敷地の外れの駐車場の方角へと足を向けた。そしてほぼ満車状態の広範な駐車場に足を踏み入れ、周囲をぐるりと見渡した彼女は、一台の車輛に目星を付ける。

「♪」

 後付けのオプションとして搭載された大型スピーカーを激しく震動させながら、周囲一帯に漏れ聞こえる程の大音量でもって音楽を奏でているその車輛は、車椅子が乗り降りするためのスペースが確保された障害者専用駐車場に停められた一台のトヨタ社製のSUV車であった。そしてそのSUV車の運転席に座るのはアディダスのジャージに身を包んだ坊主頭の男であり、如何にもロシアのチンピラ然とした彼は音楽に合わせて身体を前後させつつも、狭い車内ですぱすぱと煙草を吹かし続けている。

「ん?」

 その時不意に、SUV車の運転席側の窓ガラスがこんこんと二回ノックされたので、車内で音楽に合わせて身体を前後させていた男は煙草を吹かしながらそちらを振り向いた。するとそこには褐色の肌の大女、つまり駱駝色のトレンチコートに身を包んだ始末屋が立っている。

「あ? 何だ、お前は? 俺に何か用か?」

 アディダスのジャージを着たチンピラ風の男は運転席側の窓を開けると、眼の前の始末屋を車内から睨み据えながら、威嚇するような表情と口調でもってそう言った。

「貴様、障害者か?」

 SUV車の窓枠越しに始末屋がそう言って問い掛ければ、アディダスのジャージの男は厳つい顔を皺だらけの梅干しの様にしかめながら、益々威嚇するような表情と口調を彼女に向ける。

「何だと? おい女、お前、俺の事を馬鹿にしてんのか? 俺のどこが障害者に見えるってんだ? あ?」

「障害者でないなら、何故貴様はここに駐車している。見ての通り、ここは障害者専用駐車場だぞ」

「知った事かよ! ここが空いてたから、俺が駐車してやってんだ! 分かったらとっとと失せやがれ、この黒んぼのメス豚め! これからスケを迎えに行くところだってのに、縁起が悪いったらありゃしねえよ!」

 アディダスのジャージの男はそう言って吐き捨てると、まるで彼女を小馬鹿にするような格好でもって、吸っていた煙草の煙を始末屋の顔面に向かってふうっと勢いよく吹き掛けた。普段から健康に気を遣い、酒も煙草もたしなまない彼女にとって、これは最大にして最上級の侮辱そのものと言っても決して過言ではない。すると始末屋は顔色一つ変える事無く男を凝視し、無言のまま、窓枠の向こうの男の顔面を右の拳でもってしたたかに殴打した。

「あぱ」

 眼にも止まらぬ速度の一撃でもって顔面を殴打された男は頓狂な声を喉から漏らしながら一瞬にして意識を失い、ぐったりとSUV車のハンドルにもたれ掛かった彼の身体がホーンボタンを押し込んで、耳障りなクラクションの音が空港の駐車場中にわんわんと鳴り響く。

「やかましいぞ、この露助ろすけめ。貴様の様なチンピラは、冷たい地面に寝転がっているのがお似合いだ」

 冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく少しだけ感情を露にしながらそう言った始末屋は、窓から手を差し入れてドアロックを解除すると、SUV車の運転席側の扉を開けた。そして気を失ったままぴくりとも動かないアディダスのジャージの男の襟首を強引に掴み上げ、彼の身体を無造作に車外へと放り捨てると、今度は彼女が運転席に腰を下ろしてハンドルを握る。勿論言うまでも無い事だが、行儀や礼儀、それにマナーや作法と言った法律以外の決まり事にうるさい始末屋は、乗車すると同時にシートベルトを締める事を忘れない。

「……」

 運転席に腰を下ろした始末屋はスマートキーがダッシュボードの上に置かれているのを確認するとスタートボタンを押し、無言のままエンジンを始動させ、慣れた手付きでもってトヨタ社製のSUV車を駐車場から発進させた。そして法定速度を維持しつつ、空港の外周をぐるりと迂回すると、正面玄関前で待ちくたびれているであろうヴァルヴァラの元へと馳せ参じる。

「待たせたなヴァルヴァラ、乗れ」

 やがて空港の正面玄関前へとSUV車で乗り付けた始末屋はそう言って、そこで待っていたヴァルヴァラに乗車を促した。そして助手席に乗り込んだ彼女がシートベルトを締め終えた事を確認すると、始末屋は車を発進させる。

「ねえ始末屋、この車、どうしたの?」

「借りた」

「ふうん、そっか」

 モスクワとサンクトペテルブルクとを繋ぐロシア連邦道路M11を南下しながらの始末屋の返答に、ヴァルヴァラはそう言って得心すると、首を縦に振って頷いた。どうやら始末屋の「借りた」と言う一言から連想されるイメージによって、彼女はこの車がレンタカーか何かだと勘違いしているようだが、まさかアディダスのジャージを着たチンピラ風の男から力任せに強奪した物だとは夢にも思うまい。

「なんかこの車、煙草臭い!」

 SUV車が発進してから数分後、堪りかねたヴァルヴァラが鼻を摘みながらそう言って不満を訴えた。

「前に乗ってた奴が、喫煙者だったんだろう。きっとそいつは、どうしようもない屑の下衆野郎だ。しかしあたしも臭くて堪らんが、こう寒くては窓は開けられないし、エアコンが空気を入れ替えるまでは我慢しろ」

 そう言って我慢を強いる始末屋に、ヴァルヴァラは重ねて尋ねる。

「パパが居るウラジーミルまでは、どのくらい掛かるの?」

「直線距離でおよそ200㎞ほどだから、仮に渋滞に巻き込まれなかったとしても、この車では三時間から四時間は掛かるな。どうする? それまで、寝てるか?」

「ううん、飛行機の中でぐっすり寝たから、眠くない。窓の外を見てるから、気にしないで」

 助手席のヴァルヴァラはそう言うと、SUV車の車窓から臨むモスクワの街並みに眼を向けた。かつてアメリカ合衆国と覇権を争ったロシア連邦の首都であると同時に、世界有数の大都市でもあるモスクワの街路は多くの観光客や地元民でもって溢れ返り、その繁栄ぶりは眼を見張るものがある。

「あ……」

 その時不意に、街路を歩く彼女と同い歳くらいの幼女を連れた白人の若い夫婦、つまり如何にも幸福そうに微笑みながらモスクワの街を散策する親子連れの姿にヴァルヴァラの眼が留まった。両親と手を繋いで歩く幼女に自らの姿を重ねたヴァルヴァラは、その幼女に羨望の眼差しを向けて止まない。

「……あたしね、小さい頃はロシアに住んでたの」

 ヴァルヴァラはそう言って、彼女の身の上を語り始める。

「あの頃は未だママも生きていて、サンクトペテルブルクの広いお家で大きなシベリアンハスキーも飼っていて、本当に毎日が楽しかったな。だけどママが交通事故で死んじゃってからはパパもあんまり笑わなくなっちゃったし、東京に引っ越して来てからは、犬も飼えなくなっちゃったの。もしもママが生きていたとしたら、今も毎日が楽しいままだったのかな?」

「なんだ貴様、母親が恋しいのか?」

「うん、だってママが死んじゃった時、あたしは未だほんの六歳の小学一年生だったんだもん。そんな小さな頃に親を失ったりなんかしたら、たまには恋しくもなる事もあるってば。……ねえ始末屋、そう言うあなただって、あなたのパパやママが恋しくなる事くらいあるでしょ?」

 ヴァルヴァラがそう言って、トヨタ社製のSUV車の運転席でハンドルを握る始末屋に問い掛けた。

「いや、別に。あたしは物心ついた幼児の頃には既に両親は他界していたから、恋しくなるべき父親や母親との思い出が存在しないからな」

 特に感傷的になるでもなくそう言った始末屋の言葉と彼女の身の上に、ヴァルヴァラは興味を惹かれる。

「そうなの? パパもママも、どっちも居なかったの? だったらあなたは、誰に育ててもらったの?」

「あたしは十五歳で中学校を卒業し、義務教育を修了するまでは、公営の児童養護施設で育てられた。その後は施設を脱走してから『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューターとなり、世界中を飛び回りながら依頼を完遂し続け、こうして今日まで生き延びている」

「それってつまり、親代わりの人も居なかったって事?」

「親代わりと言えるかどうかは分からないが、一人だけ、今のあたしを育て上げた師匠とでも呼ぶべき人物が居た」

 興味深げなヴァルヴァラの問い掛けに、始末屋はハンドルを握ったままそう言って返答した。

「そのあなたの師匠って、どんな人?」

「そうだな、一言で言ってしまえば、強い人だった。強く美しく、そして孤独、いや、孤高の人とでも表現すべき唯一無二の人物だったのかもしれない。あたしもいつか、師匠の様な孤高の人になりたいものだ」

 車の進行方向をジッと凝視しながらそう言った始末屋は、彼女の身の上話を強制的に打ち切る。

「あたしの話は、もうそのくらいでいいだろう。そんな事よりも、貴様の両親に関する情報をつまびらかにするんだ」

 そう言った始末屋とヴァルヴァラを乗せたSUV車はクレムリンやボリショイ劇場、それに聖ワシリイ大聖堂と言った著名で有名な観光名所が立ち並ぶモスクワの街の中心部をぐるりと迂回し、やがてロシア連邦道路M7へと進入した。

「あたしのパパはね、とってもとっても頭が良くて、びっくりするくらい賢いの。だから若い頃はロシアの有名な大学に雇われて、すっごくすっごく難しい、遺伝子の研究をしていたんだって」

 すると助手席のヴァルヴァラはそう言って、始末屋の命令通り、彼女の両親について語り始める。

「それでね、未だ若かった頃のママはね、パパが雇われていた大学に通う学生さんだったの。勿論ママもとっても頭が良くて、パパと一緒に遺伝子の研究をしてたんだってさ。それで同じ研究室に出入りしている内に、パパがママの事を好きになっちゃったの。だから一生懸命デートに誘ってママに気に入られようとしたんだけど、パパとママは歳が離れていたから、なかなかデート出来なかったんだって」

「そうか。歳の差ばかりは、幾ら努力しても埋まらんからな」

「うん、そうなの。男と女の歳の差の問題って、難しいもんね。だけどね、何度もデートに誘っている内に遂にパパの努力が実って、初デートでいきなりプロポーズしたんだってさ。それでパパとママはサンクトペテルブルクの教会で結婚式を挙げて、ママが大学を卒業するのを待ってから、あたしが生まれたの」

「成程な。それで、貴様の母親はどんな人物だった?」

 日本で言うところの国道7号線に該当するロシア連邦道路M7を、モスクワから200㎞の地点に在るウラジーミル市目指して車を走らせながら、運転席でハンドルを握る始末屋がそう言ってヴァルヴァラに問い掛けた。

「あたしのママはね、とってもとっても綺麗な人だったの。それにとっても優しくて料理が得意で、あたしやアルトゥール……あ、アルトゥールって言うのは飼っていたシベリアンハスキーの名前なんだけど……そのアルトゥールにも優しくしてくれた、あたしの自慢のママだったの。なのに、そんなママが交通事故で突然死んじゃってからはパパも元気が無くなって、雇われていた大学を辞めちゃったんだ」

「それが、何故日本に?」

「うん、それはね? あの頃のパパはすっかり落ち込んじゃって、あたしにも構ってくれないまま毎日お酒ばっかり飲んでたけど、そんなパパを日本の大学が雇いたいって言ってくれたの。だからあたしとパパは、ママとの思い出が残るサンクトペテルブルクの家を捨てて、日本で一から思い出を作り直す事にしたんだ」

「成程。その貴様の父親と言うのが、ボリス・アキモフ博士だな?」

 ロシア連邦道路M7を真っ直ぐ東進しながら始末屋が確認すれば、彼女の言葉をヴァルヴァラが補足する。

「正確には、ボリス・イワーノヴィチ・アキモフ医学博士! その分野では世界的に名の知れた、とっても偉い博士なんだからね!」

 ヴァルヴァラは彼女の父の名が誇らしいのか、胸を張ってふんと鼻を鳴らしながらそう言った。

「そしてそのアキモフ博士が、十日ほど前から姿をくらましたと言う訳か」

「うん、そうなの。だけど始末屋、今あたし達が向かっているウラジーミルに、パパが居るんでしょ?」

「ああ、そうだ。この先のウラジーミルに在る、とある施設に、アキモフ博士は囚われている」

「囚われている? パパが捕まってるの?」

「おそらく、その筈だ」

 自慢の父が囚われていると聞いたヴァルヴァラは驚き、憤慨する。

「だったら早く、パパを助け出さないと!」

「任せておけ。あたしは貴様と貴様の父親を救い出せと、アレクセイから依頼された。そして一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのが、あたしのモットーだ。例外はあり得ない」

 やはりぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言った始末屋は、ロシア連邦の道路交通法に則り、法定速度ぎりぎりまで加速すべくアクセルペダルを踏み込んだ。そして彼女とヴァルヴァラを乗せたトヨタ社製のSUV車は大地を駆け、直列三気筒のエンジンをごうごうと唸らせながら、ウラジーミル州の州都ウラジーミル市を目指して走り続ける。

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