第14話

「よし。いいのが買えたぁ。」


茶葉が入っている袋を開けば、いい香りが鼻をかすめる。

最近心が乱されていることが多いから、店員さんのアドバイスを聴きながら選んだ好みの香りで癒されよう。


「あ、お姉さん少し時間ありますか?」

「え?あ、はい。」


帰路の途中、大きな図書館の前で爽やかなお兄さんに引き止められる。

メタルのナイロール型メガネをしている彼は、どことなく圭に似ていた。


「すみません。ありがとうございます。図書館がどこだか分からなくて教えていただきたいんです。」


ん?


「図書館なら目の前にありますけど…?」

「いや、あの分からないんで一緒に行ってもらえると嬉しいんですけど…。」

「いえ、あの後ろを向けば図書館の入口ですよ。」


吹き出しそうになるのを必死に抑えながら彼の後ろを指すと、困ったように笑われた。


「また失敗か〜!」

「お兄さん多分向いてないですよ、ナンパ。」


我慢できずに笑い出してしまう。

目的地の前で道を教えてくださいとは、なんて間抜けなんだろう。

圭ならもっと上手くやって女の子を釣ってしまうんだろうなぁ。


「いやー、ナンパなんてしたことなかったんですけど、罰ゲームで。」

「あー。お兄さん大学生ですか?」

「そうです。いやぁすみません。お姉さんに迷惑かけちゃって。」


へらっと笑う顔も圭に似ていて、ドキッとする。

いや、でも圭はもっとしっかりしているな。仕事もよく手伝ってくれるし。


「お姉さん、付き合わせて申し訳ないんですけど、この後時間あったらお茶でもどうですか?迷惑かけたお詫びに奢ります。」


ナチュラルに左手を差し出して微笑む彼に苦笑する。

正直、傷心を癒すため、新しい恋をしたかった。この人との出会いは、出会いの少ない私にとっては貴重だ。

この後の予定はないし、ついて行くのも悪くない。

はずなのに。

頭が目の前の彼を拒絶している。


「だめ、ですか?」


両手を包み込まれ、拒絶しようとした瞬間、後ろから強い力で男の子の腕が剥がされ、引き寄せられた。


「あー。こいつ、返してもらえるか?」

「あっ、すみません!彼氏さんですか?」

「こいつに何か用?」

「い、いえ!じゃあお姉さんすみませんでした!」


男の子は勢いよく私たちに頭を下げ、人混みに紛れてしまった。

その姿を見送ったあと、私を引き寄せたままの男に体を向ける。


「あの…どうしたんですか、部長。」

「お前が俺の帰り道で男に絡まれてるからだろうが。」

「好きで絡まれたわけじゃないんですー!でも、ありがとうございました。」


引き寄せられた腕が離れるのを確認してお礼を言う。


「というか部長、既婚者なのになんでバレなかったんですか?」

「これ。」


顔の前に突き出された彼の左手には、いつもつけている結婚指輪がない。


「えっ!?離婚!?」

「割って入るために外したに決まってんだろ!」


頭の上に軽いチョップが飛んできて笑ってしまう。


「でも、ほんとに助かりました。」

「湊になんかあったら綾子(あやこ)と圭に怒られるからな。」


綾子さんは、部長の奥さんで部長と結婚する前から私と圭をとても可愛がってくれている。


「圭は怒らないでしょ。」

「……そうかもな。でも、珍しいな。湊が知らない男について行くなんて。」

「ついて行ってないです!」

「差し出されてた手握ろうとしてたじゃねぇか。」

「え?」


そんなつもりは全くなかった。断ろうと思ってはいた。少し悩んでしまったけれど。


「振られたのは聞いたが、ヤケになって変な男に捕まるなよ。話なら聞いてやるから。」

「圭だけじゃなくて私の話も聞いてくれるの部長!」

「お、おう。昔からそのつもりでいたぞ俺は。」


その言葉を聞いた私は、部長を近くのカフェに連れて行き、席に座る。


「なんだ喧嘩でもしたのか?」

「誰の話とも言ってないんですけど!」

「圭のことだろ。圭が、"薫が冷たい"って機嫌悪そうにしてたぞ。」

「いや、冷たくしてたんじゃなくて、私振られたばっかりで、優しい圭といると甘えちゃうから、圭の恋路を応援するためにも少し離れようと思って。」

「お前らほんとにめんどくさいな。」

「…?」


頭をガシガシ掻いた部長は、ため息をつく。


「圭は振られたばっかりとか気にしないだろ。好きなだけ甘えたらいいじゃねぇか。」

「でも、圭には好きな人がいるし。」

「湊はどうなんだよ。」

「私…?」


質問の意図は分かっている。

分かっているけど。


「私別れたばっかりだよ。」

「関係ない。いるのか、好きなやつ。」


真っ直ぐな目で見据えられてたじろぐ。


「あ、湊は相手のこと考えすぎるからそれはなしで考えろよ。自分が好きか、嫌いかだ。」

「いないよ。仲良い人はいるけど。」

「ほんとか?圭が好きな女の話をしてる時、お前嫌そうな顔してるけど、それは嫉妬じゃないのか?」

「…嫉妬じゃないよ。少し寂しいだけ。だって聞いた?圭が好きになったんだって。次は絶対長続きするよ。そうしたらさ、もう一緒に飲んだり買い物に行ったり出来ないだろうし、会社の子が好きだって言ってたからそれなりに気を遣わないといけないでしょ?だから…少し寂しいの。」


何故か少し泣きそうになり下を向くと、頭上からため息が聞こえる。


「2回もため息ついた!!」

「湊が鈍感なのが悪いぞ。」

「私は敏感です。」

「あのなぁ…。」


頭を抱えた部長に首を傾げる。


「俺から言わせてもらうと、湊のそれは嫉妬だと思うぞ。圭が好きな人の話をしてると絶対に会話に入ってこないし、ここでするなみたいに遮ってくるだろお前。」

「そうかな…?」


…何となく心当たりはあるけれど。


「その顔は腑に落ちてるじゃねぇか。」

「だって、私に散々好きって言いながら他の女が好きって圭の考えてることが分からないじゃん。思わせぶりなことをして私を弄んでるのかもしれないけど私はそれが辛いから、聞きたくないの。」

「なんで辛いんだ?気にしなきゃいいだろ。」

「分かってるけど出来ないの。弄ばれてるって分かってても、圭のやさしさは私だけに向けて欲しいって思っちゃうの。」

「それは好きってことだろ。」

「好きじゃない。」


圭には既に好きな人がいて、この気持ちを肯定したとしても、もう報われることは無い。

それなら気が付かない振りをしていた方がずっと気楽だ。


「いいのかそれで。」

「…今更好きになっても手遅れなんだよ。だって圭が好きになった人がいるんだよ?圭には幸せになって欲しいし……っごめん。」


ずっと我慢していた涙がこぼれてしまい、ゴシゴシと拭く。


「おいおい乱暴に拭くなよ。メイク崩れるぞ。」

「今更圭が好きだって自覚させた部長が悪い!」


いつからか分からないけど、きっとずっと私は圭が好きだった。


「ごめんな。お前らにとって大事なことだから。それに、今更かどうかは湊次第だろ。」


ボロボロと涙を流す私に、ティッシュを渡しながら目を細める。


「振られて来いってこと…?いいの!私は圭が幸せになればなんでも。あーあ。この短期間で2回も失恋かー。合コンにでも行って新しい恋探そ。」

「合コン行くのか。」

「うん。部長、話聞いてくれてありがとう。少し気が楽になった。また話聞いてね。」


私はまだ顔を流れる涙を豪快に拭いながら部長に微笑んだ。

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