第6節 君のための魔法 

[サクラパビリオン_楽屋]


有希人  「──真尋。来てくれてありがとう」


真尋   「……有希人。うん。来たよ。『ルーク&エリック』の稽古場も、ここだったよね。予選の時は、見回してる余裕もなかったけど。改めてちゃんと見ると……この鏡の汚れとか、床の傷も、あんまり変わってない」


真尋   「でも、あの頃より狭く感じる。俺たちが成長したからかな」

有希人  「そうだね。それだけ、時間が経ったってことだ。真尋、今日は怖くない?」

真尋   「っ」

有希人  「最後に会ったのは、この稽古場だったから。“あの時”から、真尋はここにも来なくなった」

真尋   「怖くないよ。今は……」

有希人  「……そっか。ごめんね。決勝前夜なんかに呼び出して。でも、今日じゃなきゃ、ダメだったんだ」

真尋   「うん。俺も、きみに会いたかったから」

有希人  「……なら、少し、あの頃の話をしていい?」


 有希人、稽古場をゆっくりと歩く。


有希人  「……ここで、よく2人で一緒に稽古したね。『ルーク&エリック』のときも、も……。ふふ。思い出すな。鏡の前を、普通に歩くとだいたい20歩。足をぎりぎりまで広げた大きな歩幅で、10歩くらい」


有希人  「両側から、1歩ずつ。真ん中の印に向かって歩いた。──覚えてる?」

真尋   「1人で端から端まで歩いたときと、2人で数えたときの数が合わなくて、なんでだろうって言い合ったよね。『鏡の前に来る~! 鏡だけに、ミラークルー!?』──って」

有希人  「あはは。そのギャグ、覚えてるよ。懐かしいな。合宿の時も言ってたけど、今でもダジャレ、好きなんだね」

真尋   「……俺たちがそうやってふざけて騒いでると、演出家の先生に怒られたよね。ちょうど、ここかな……窓際のこの辺りに、先生はいつも座ってた」

有希人  「そうそう。みんなが帰った後、そこに座って──『叶くん。神楽くん。子役といっても立派な役者なんです。稽古は遊びではありません』……なんて、真似してみたりして」

真尋   「そんな風に、有希人が茶化してくれるから、芝居で怒られても、落ち込みすぎずにすんだ」

有希人  「……俺も同じだよ。劇団に真尋が来てくれて、本当に、本当に楽しかった。……“芝居の神様”が来てくれたと思ったんだ」

真尋   「“芝居の神様”?」


 有希人、穏やかに笑う。


有希人  「そう。芝居が楽しいものだって、俺に教えてくれる……神様」



――――――

[回想]

有希人  「叶くん……。君みたいな子、初めてだよ!」

真尋   「神楽くんだって、本物の魔法使いみたいだった。……きみと一緒にやるの、すごく楽しい!」

有希人  「……うん。僕もだ……!」

――――――


有希人  「君が現れて、世界が変わった」

真尋   「それを言うなら、俺だって──」

有希人  「ううん。真尋が思うより、ずっと、俺は真尋みたいな存在を待っていたんだ。……あの頃の俺にとって、同年代の子役は退屈な存在だったんだよ。一緒に演っても、上手くハマらない。俺だけが浮いてしまう。どうしても……」


有希人  「無駄な足踏みに付き合わされてる気がしてた。芝居がどんどんつまらなくなっていった。俺はもっと前に進みたかった。もっと上手くなりたくて、もどかしくて……。──でも、そこに君が現れたんだ」

真尋   「俺が……?」

有希人  「どんなセリフを言っても、俺の想像以上の芝居を返してくれる。予想外の演技をしてくる。負けたくないって思えた。楽しいって思えた。それがどんなに嬉しかったか、真尋に分かる?」


有希人  「真尋と芝居をしていると、俺まで上手くなっていくのが分かるんだ。前に進むどころじゃない。身体が軽くなって、どこまでも行ける気がした。ううん。とんでもない速さで、どんどん遠くに連れて行かれるみたいだった。俺1人じゃ、行けないところまで──」


真尋   「……」

有希人  「だから……あの『ルーク&エリック』の3日目。──君が舞台上でセリフを失ったとき。俺は、君を助けたかった。舞台上には俺と君しかいなかったんだから、それができたのは、俺だけだったのに」

真尋   「助けようとしてくれたじゃないか。アドリブのセリフまで言って」

有希人  「そんなの、意味なかった。真尋は降板して、稽古にも来なくなって……。あの時、俺がもっと上手にフォローできていたら──って。歯がゆくて、悔しくて、自分の力不足が、許せなかった」

真尋   「有希人のせいじゃない。俺がいけないんだ。俺が失敗して、有希人を巻き込んだ。だから……だから、きみは……」


有希人  「『真尋なんてキライだ、もう真尋には、芝居なんかやれっこない』」


真尋   「……うん。そう言われて、当然だよ」

有希人  「真尋。ずっと聞きたかったんだ。……あの時、どんな気持ちだった?」

真尋   「……つらかった。あれから、芝居をしようとすると有希人の言葉が聞こえてきて。嫌われてしまったことも、芝居ができなくなるかもって予感も、怖かった。なのに、芝居を好きな気持ちは全然消えなくて……1人で、泣きながら稽古してた。今もふとしたときに、怖くなるよ」


真尋   「──この公演が最後だったら? やっぱり、舞台に立てたのはまぐれで、また同じ闇の中に戻ってしまったら……って。そのたびに、有希人の声が頭の中で響いてた」

有希人  「……」


 有希人、笑みを深くする。


有希人  「……そっか。じゃあ、“魔法”は、ちゃんとかかってたんだね」

真尋   「……“魔法”?」

有希人  「俺たちが、初めて一緒に稽古をした演目、覚えてる?」

真尋   「初めて一緒に、稽古を……」


――――――

[回想]

魔法使い1(有希人)『ああ、大変だ! 愛らしい王女様に、悪い魔法がかけられてしまった……! このままでは、王女様は15歳の誕生日に、糸車に指を刺されて、命を落としてしまう』

――――――


真尋   「『眠れる森の美女』……」

有希人  「うん。……あのお話では、悪い魔法使いが、王女様が死ぬ魔法をかけてしまうでしょう? それは誰にも解けない。だから、俺たちが演じた、いい魔法使いたちは、ある方法を思い付いた」


有希人  「悪い魔法の上から“王女様は死なずに眠り続けるだけ”っていう、別の魔法をかければいいって」

真尋   「そう……だったね」

有希人  「あの日……真尋が最後に、この稽古場に来た日。真尋は、『芝居がしたい』って泣いていて、なのに真尋自身ですら、どうしようもなくて……まるで、悪い魔法にかかっているみたいだった。俺は、真尋のためにできることを、必死に考えた。そして思いついた。“誰にも解けない悪い魔法”なら、その上から、別の魔法を掛ければいい」


有希人  「俺が、君の魔法使いになろう──って」



――――――

[回想]

有希人  「僕だって、もっと真尋とやりたかった。だから、あの時、本当は……僕が……。どうしたら……」


有希人  「…………。……真尋」

真尋   「……何?」

有希人  「……僕……。そんな真尋なんて、嫌いだ」

真尋   「!」


13章6節


有希人  「真尋には、もう……芝居なんか、やれっこない!」

――――――


真尋   「……!」

有希人  「……真尋にかけられた、悪い魔法を上書きしたかった。“真尋が舞台に立てないのは、失敗したからじゃない。俺に酷く傷付けられたからだ”……って。その魔法が上手くかかれば……」


有希人  「真尋にとって、芝居ができない理由が変われば──俺がいつか迎えに行って、“真尋はまた芝居ができるよ”って言ってあげれば、きっと、真尋はまた芝居に戻って来られる。また、2人だけで芝居ができる。……そう、信じてたんだ」


真尋   「……有希人……」

有希人  「……あの後、俺は真尋を“迎えに行ける役者”になるために、なんでもやった。来る仕事は全部やって、人に会って、本を読んで、役作りのためにあらゆることを経験して……そうでなきゃ、迎えに行く権利も、説得力もないと思ったから」


有希人  「君が、演劇部のない高校に入ったと知ったときはホッとしたよ。真尋はまだ、芝居に戻れずにいる、自分を磨く時間はまだあると思えたから。ただ漫然と芝居をしてるだけじゃ意味がない。具体的な目標も作った」


有希人  「鷹岡さんの演出を受けるために虹架に入って、サクラ演劇コンクールで最優秀賞を取る。そして、最短で日本若手俳優アワードの最優秀主演男優賞を取る」


真尋   「若手俳優アワードの……。初めて聞いた」

有希人  「誰にも言ったことないからね。でも、俺にとっては分かりやすい目標だった。サクラ演劇コンクールは去年最優秀賞を取れたけど、今年ももちろん納得いく芝居をして連覇を狙う。若手俳優アワードもノミネートされてるんだ。間もなくだった。誰から見てもすごい役者になって、君を迎えに行くまで」


有希人  「君は、“あの神楽有希人”が認めるほどの役者なんだって言えば、少しは説得力が出るって。……なのに……」


有希人  「なのに、あの神様が現れて事情が一変した。君は、俺が迎えに行くまでもなく、芝居に戻ってきた。……焦ったよ。それは俺の役割のはずだって……。それに……真尋のために行動することは、“俺が芝居をする意味”にもなっていたから」


有希人  「真尋はきっと、まだ無理をしてる。“俺の魔法”はかかったままだ。そう思いたかった。だから夏合宿の時、本番の舞台に立てなかった君を見て、嬉しくさえあったんだよ。ああ、まだ間に合う。真尋は、まだ、俺の魔法の中にいるって」


有希人  「……俺は、ずいぶん歪んでしまってた」


真尋   「……」

有希人  「……あの合宿の後、君はまたすぐ芝居を始めたよね。神之もどんどん上手くなって、君たちの2人芝居は磨かれていった。本当は、喜ぶべきだったんだ」


有希人  「……でも長い間、君のためだけに芝居をしてきた俺には……その日々が無駄になった気がした。あまつさえ、神之に嫉妬までして……。俺は……俺の中の君くらい、君の中に、俺の存在があってほしかったんだ」


有希人  「……でも、それは無理なんだって、もう、分かった。このままじゃ、俺はここから、戻ることも進むこともできない。だから……今日、ここで終わりにする」


有希人  「真尋。今、“魔法”を解くよ」


13章6節


真尋   「──っ」


有希人  「……ひどいことを言って、ごめんね。俺は、君を嫌いになんかなってないよ。初めて出会ったあの時から、君は俺にとって最高の役者だ。だから、もう大丈夫。もう一度、俺と2人で芝居をしよう」


有希人  「……真尋。迎えに来たよ」


真尋   「……有希人……」

有希人  「俺を選んで。俺がかけた魔法で傷付いたことを、責めていいんだ。だから──!」




真尋   「……そう、だね。俺が芝居をやめたきっかけは、失敗そのものじゃなく、有希人のあの言葉だった。あの時一緒に買ったお守りだって、見るのもつらかった。けど、捨てることもできなくて……」


真尋   「……嫌と言うほど分かったんだ。自分が、何があったって芝居をやめられないこと」


真尋   (……そう。暗くて、長くて、……出られないトンネルにいるみたいだった。それなのに、遠くに見える小さな光は、いつまでも消えなくて、それがかえってつらくて……一生、あの光に届かないのかと思ってた。──だけど)


真尋   「……中都に入れば、芝居から離れられるかもしれないと思ったのは、本当だよ。あの頃俺は、何もかもが怖かった。芝居にのめり込むことも、芝居を捨ててしまうことも」


真尋   「何も選びたくなくて、逃げたんだと思う。でも、その中都で……みんなに出会えた。仲間の支えがあって、ロキと、2人で舞台に立ってる。有希人、俺はね。今、生まれてきて一番、芝居が楽しいんだ」


真尋   「有希人の魔法があったからこそ、自分がどれほど芝居が好きか、知ることができた。謝らなくていいんだ。俺は、責めもしない」


有希人  「……っ」

真尋   「だから……あの時のあの言葉も、これまで俺のために芝居を続けてきてくれたことも……」



真尋   「ありがとう。……ありがとう、有希人」


章節


有希人  「…………!」



――――――

[回想]


 子役時代、真尋が芝居できなくなって数日後。


有希人  「真尋が……劇団を、やめた……」

有希人  (……僕の“魔法”のせいだ。でもこれで、いいんだよね。これで、真尋が舞台に立てないのは、僕のせいだってことになる)


有希人  (それなら、いつか僕が“魔法”を解けば、きっとまた、戻って来られる。真尋。ごめん。僕、もっとすごい役者になる。そして──今度は、僕が真尋の芝居の神様になりたい)


有希人  (待っていて、真尋。きっと僕が、迎えに行くから)

――――――


有希人  「……“ありがとう”……か。……」


有希人  「……今度こそ、何もかも無くしちゃったな。俺は、君の翼を折ったつもりでいた。それを治せるのも、俺だけだと思ってた。だけど、違ったんだね。なら、俺は……。俺の芝居は──」


 悲しく微笑む有希人。


真尋   「……有希人」


真尋   (子どもの頃の俺は、きみの隣を走ってるつもりだった。でも、劇団をやめたあの日から、きみの活躍を見るたびに、苦しくて、歯がゆくて、なのに目をそらせなくて。だけど……もしかしたら、きみも、同じだったのかな)


真尋   (俺たちは、あの時からずっと……舞台という檻の中に、囚われていたのかもしれない。きっと……有希人の魔法は有希人自身にもかかっていたんだ。俺たちはもう、自由になっていい)


真尋   「……ねえ、有希人。今日、呼び出してくれたとき、俺もきみに言いたいことがあったんだ」

有希人  「……うん」

真尋   「覚えてる? あの時、俺ができなくなった『ルーク&エリック』。その青年編を、いつか一緒に演じようって約束したこと」

有希人  「……もちろん。お守りにも、その願いをかけたね」

真尋   「うん。だから……よかったら、それを今、ここで一緒にやってくれない?」

有希人  「え……?」

真尋   「何度も見ていたから、セリフも動きも有希人なら、覚えてるでしょ?有希人がよかったら、あの約束を、今果たしたい。お客さんはいないけどさ。そうすれば、あの時芝居ができなくなった俺に、本当の意味で、さよならを言えると思う」


真尋   「それから有希人も、あの時の有希人に、さよならを……言えると思う」

有希人  「──真尋。君は……また、俺を救ってくれようとしてるの?」

真尋   「そんな大袈裟なことじゃないよ。ただ、芝居がしたいだけかも。有希人だって、そうでしょ? だって俺たち、役者なんだから」


 微笑む真尋。


有希人  「…………分かった。やろう。真尋」

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