SUB2 光と影
[神5ハウス]
ヘイムダル「あれ? 有希人は?」
ブラギ 「とうに出かけましたよ」
ヘイムダル「この間の合宿で倒れたばっかだってのに、また仕事かー?」
トール 「ああ。まだ本調子じゃねえんだがな。止めても聞きやしねえ……」
バルドル 「そうだ! 僕たちで、有希人くんに精のつくものを買ってくるというのはどうでしょう?」
ヘイムダル「お! いいな、それ。有希人が帰ってきたら、びっくりさせてやろうぜ!」
バルドル 「ねえ、ブラギも──」
ブラギ 「行きません。私は本を読みたいので。留守は預かります」
バルドル 「……そっか」
ヘイムダル「なら、待っててくれよな、ブラギ! バルドル、トール、早く行こうぜ!」
トール 「ああ。そうするか」
バルドル 「……。……それじゃあ、行ってくるね。ブラギ」
ブラギを残し、3人が外出。
ブラギ 「…………。はあ……」
ブラギ (ようやく、1人になれた……。今ならば、誰に止められることもなく、静かに人間界を去れる)
ブラギ 「まとめるほどの荷物もないが……。人間界で揃えた本を残していくのは、少し惜しい。……詩の走り書きも、ずいぶん溜まったな」
ブラギ、詩を書き溜めた本をめくる。
ブラギ 「『光は、闇を知らぬゆえに美しい。闇は、光を羨むゆえに醜い』──か」
ブラギ (“お綺麗なカミサマ”……あのロキは、兄さんをそう呼んだ。まるで自分だけが、兄さんの美しさの持つ棘に気づいていたとでも言うように)
ブラギ (けれど、そんなこと――誰よりも前から、私は知っていた。あの清らかな光は、生まれた時からいつだって、私の側にあったのだから……)
――――――
[回想]
[アースガルズ]
バルドル 「ねえ、ブラギ! 一緒にお父様……あ、オーディン様のところに歌を歌いに行かない? オーディン様は本当に人間の文化がお好きだけど、最近は、歌に興味があるみたい!」
ブラギ 「兄さんだけでどうぞ。私のことはお呼びでないはずですから」
バルドル 「そんなことないよ。ブラギはとっても歌がうまいし、詩だって素晴らしいんだから。ブラギの詩を歌に乗せて披露すれば、オーディン様も、きっと喜ばれるよ! ね、そうしよう。僕はブラギのこと、とっても自慢なんだよ」
バルドル 「僕の弟の素敵なところを、オーディン様にも見てもらいたいんだ!」
――――――
ブラギ 「自慢……か」
ブラギ (いつだって、兄さんは春の日差しのようにあたたかい言葉をくれた……。けれど、その言葉の1つ1つが、どれだけ私を惨めにしてきたかなど、考えたこともないのだろう)
ブラギ (私には、兄さんの思うような美点など、何一つないのに。光がなければ、影は生まれない。兄さんの言葉が、光が、私の影を濃くしていく。兄さん。貴方が憎い。ロキがあなたを憎んでいたよりも、ずっと……)
ブラギ (そんな私の醜さも知らず、兄さんはただ純粋に愛してくれる。どれだけ憎んだとしても、私はまた、その無償の愛に負けてしまう……。そんな愛など、知りたくなかった)
ブラギ (私は“影”。兄さんの光を受けながら、羨み続けることでしか、存在できない。ならば、他の誰にも、兄さんを傷つけさせるものか。兄さんを守ることこそが、私の唯一の存在意義──そう、思っていたのに……)
ブラギ 「ハッ……ロキを赦せ、などと。残酷なことを言う……!」
ブラギ (ロキでさえ赦されるなら、あとは私だけ。貴方を憎む最後の存在が消えれば、貴方の世界は完璧だ。もう、貴方を守る必要はない。ならば、永遠に去るまでのこと……)
リビングの扉が開き、バルドルが戻ってくる。
バルドル 「ねえ、ブラギ。そういえば、言うの忘れてたんだけど──」
ブラギ 「……!」
バルドル 「あれ……。人間界で集めた本、片付けてたんだね。どこかに持って行くの?」
ブラギ 「……いいえ。ずいぶんと溜まっていたので処分していただけです」
バルドル 「……そっか……。……ねえ、ブラギ。本当のことを言って。僕たち、兄弟でしょ? 嘘をつかれてお別れなんて、嫌だよ」
ブラギ 「……っ、気付いて……?」
バルドル 「分かるよ。僕たちが出かける時のブラギ、見たことない顔してた。それにこの本、ブラギが大事にしていた本でしょう? いつも持ち歩いて、繰り返し読んでいたのに、この本まで処分しちゃうなんて、変だもの」
ブラギ 「……」
バルドル 「……ブラギが本当に行きたいなら、止めちゃいけないんだと思う。人間界に来るのだって、僕に付き合わせたみたいなものだったんだし。でも僕は……行かないで欲しい。ブラギと離れ離れになるのが、一番嫌だ」
バルドルの目に涙がにじむ。
バルドル 「ブラギは、僕の家族……帰る場所なんだ。いなくなったら、どこに帰ればいいのか分からないよ」
ブラギ 「……っ!」
バルドル 「……っ、ごめん。泣くつもりなんか、なかったんだけど……」
ブラギ 「…………勝手に居なくなると決めつけて、勝手に泣かないでください」
バルドル 「うん……。ごめんね」
ブラギ 「……それより、なんの用で戻ってきたんですか」
バルドル 「あ、そうだった! 冷蔵庫に……ほら、これ!」
ブラギ 「……イチゴプリン?」
バルドル 「昨日買っておいたんだ。『留守番の間に食べて』って言い忘れちゃって」
ブラギ 「子どもの留守番でもあるまいに。しかも、なんですか。“ブラギの”って……」
バルドル 「だってブラギ、イチゴ好きでしょう? ヘイムダルが食べちゃわないように、ちゃんとフタに名前書いておいたの」
バルドル 「僕、イチゴを食べてるときのブラギが好きなんだ。美味しいって思ってるのが伝わってくるから」
ブラギ 「……兄さんも不幸ですね。その真っ直ぐな優しさを向けても、私は少しも返す気がないというのに」
バルドル 「返してほしいなんて思ったことないよ。僕が勝手に、大切にしたいと思ってるだけだから」
ブラギ 「私だけではありません。兄さんの優しさは、いつだって貴方に返らず、実を結ばない」
バルドル 「そう、かもね。ロキのことも、有希人くんのことも、大切にしたかっただけなんだけどな……」
苦笑するバルドル。
バルドル 「……僕は、誰かを大切にするのが下手だね。ブラギだけなんだよ? そんな僕のことを全部知っていて、叱ってくれるのは。だから……わがままかもしれないけど、ブラギだけは、僕の側にいて欲しいんだ」
ブラギ 「っ、……私だけ、などということはないのでは」
バルドル 「ううん。叱ってくれたり僕が甘えたりできるたった1人。僕にとって、ブラギは特別な存在だよ」
ブラギ 「…………」
バルドル 「ごめん。困らせすぎちゃダメだよね。みんなのところに戻るよ。イチゴプリン、食べてて」
バルドル、扉に向かい、背中を向けたまま。
バルドル 「ブラギ。……すぐ帰るから、絶対待っててね」
静かに部屋を立ち去るバルドル。
ブラギ 「……『ブラギだけ』……『特別な』……」
ブラギ (……私に、そんな言葉をくれるのも、また貴方だけだ)
ブラギ 「ふ……何を浮かれてるんだ。兄さんにとっては、誰だって特別なのに……」
ブラギ (けれど……こんなにも心があたたかい。まるで、春の陽に照らされたように)
ブラギ 「……また、か」
ブラギ (何度貴方に心を折られようとも、また貴方の言葉で支えられてしまうのだから、どうしようもない。兄さん……。貴方こそ、私にとっての――)
手元のプリンを見つめるブラギ。
ブラギ 「こんな、イチゴプリンにまで……。“ブラギの”……」
――――――
[回想]
バルドル 「ブラギ。……すぐ帰るから、絶対待っててね」
――――――
ブラギ 「……イチゴを食べているときの顔が好きだと言ったくせに。……仕方ない。これは、兄さんが帰ってからにしましょう。……“光の神”にあそこまで言われては、逃げ出すわけにはいきませんね」
ブラギ (ああ、本当に、どこまでも厄介だ。他に代えようもない、私の兄──。見届けて差し上げますよ、兄さん。)
ブラギ (光あるところには、影があるもの。貴方の側でしか、私は私でいられないのだから)
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