第5節 神を殺した神(後編)

[アースガルズ]


トール  「ロキ。もうやめろ。他の神のことを悪く言うな」

ロキ   「なんでだよ、本当のことばっかりだぞ。もっと言ってやる。次はブラギだ。ブラギ、お前は口先ばかりで、大好きな“兄さん”の光に隠れる臆病者だ。どいつもこいつも、何が偉大なる神だ? 人のことばかり悪者呼ばわりしておいて、笑わせるぜ!」

トール  「ロキ! 今なら間に合う。他者を害するのはやめろ。悪を演じるな。次こそ、本当にオーディンの怒りを買うぞ。俺がお前を救ってやれるうちに──」

ロキ   「うるさい! お前は分かってない。お前も、俺よりバルドルが好きなくせに」

トール  「は……? 俺は一度もそんなこと――」

ロキ   「なら、俺が一番だと言えるか?」

トール  「ロキ。その考え方が、お前自身を苦しめてるんだ」

ロキ   「答えになってない。お前は、そういうヤツだよ。フン。神がダメなら、人間で遊ぶだけだ。人間は面白いぜ。俺が変身したら、目を白黒させてさ」

トール  「よせ。神の身で、人間を弄ぶことはオーディンが禁じてる」

ロキ   「俺には禁忌なんて関係ない。なにせ、アースガルズ一の嫌われ者だからな!」

トール  「ロキ……!」




 別の日、バルドルがロキを呼び出す。


バルドル 「……。……あ……、ロキ。来てくれたんですね。ありがとうございます」

ロキ   「呼び出したりして、なんの用だよ。光のカミサマ。ついに俺を、オーディンに告発する気にでもなったか?」


 物陰から2人の様子を見守るブラギ。


ブラギ  「……」


ブラギ  (兄さん。その邪悪な者と2人きりになるなど、貴方はやはり、脇が甘すぎる。だが……いい機会だ。奴は絶対に尻尾を出す。言い逃れなどさせない。その瞬間を、ここからはっきりと見届けてやる)


ブラギ  (そしてすべての神に知らしめ、永久に、このアースガルズから消し去るまで……!)


バルドル 「告発なんてしません。僕は……ただ、あなたと、仲直りがしたいと思ったんです」

ロキ   「仲直り? 俺とお前が、一度でも仲がよかったことがあったような口ぶりだな」

バルドル 「あなたから見れば、そうだったのかもしれません。でも……僕は、ずっとあなたを尊敬していました。あなたは、変身の力はもちろん、はっとするほどの賢さと華やかさを持っていて……オーディン様のおっしゃる通り、彼の片目となるにふさわしい神だと思います」

ロキ   「やめろ。お前のおだては癇に障る」

バルドル 「――本当です。本心なんですよ、ロキ。僕は、あなたを尊重したいと思っています。オーディン様だって、きっとそう思われているはずです」

ロキ   「……あいつの名前を出すな。お前に、何が分かる……!」

バルドル 「……はい。お父様の……偉大なオーディン様のお心を、僕が代弁できるはずもありません。ですが、あなたのことを語るオーディン様の口ぶりは、いつも誇らしげです。オーディン様が僕のことだけを取り立てていらっしゃるなんてことは、本当にないんです」


バルドル 「もしもそう見えてしまっているなら、僕がオーディン様に甘えすぎているせい……。だから、ロキ――」

ロキ   「やめろ。もう一度言ってやる。俺は、お前のそういうところが、心底嫌いだ……!」


ロキ   「そうやって、自分が悪いのだと薄幸そうな顔をしていれば、周りのヤツらは言うだろう。『バルドル様は悪くありません』『バルドル様はアースガルズの光です』。そしてお前は、傷付くことのない場所でぬくぬくと過ごす」


ロキ   「その影で、光を浴びることなく、枯れていくものがあることも知らずにな!」


ブラギ  「……っ」


バルドル 「……僕は……!」

ロキ   「『そんなつもりはない』だろ。だからタチが悪いんだ。もういい、近寄るな、消え失せろ。……これ以上、俺から、居場所を奪うな……っ!」

バルドル 「居場所なら……! 居場所なら、僕が作ります、ロキ!」

ロキ   「……なに?」

バルドル 「例えば……そう、オーディン様はこの頃、人間たちの文化を特に好んでおいでです。踊りや、歌や芝居……。近々、僕たちにもそれらを学ばせて、アースガルズで公演をしたいと仰っていました。最高神でありながら、遊び心のある方ですよね」

ロキ   「……それがなんだ」

バルドル 「だから、ロキ。もしよかったら僕と一緒に、その公演に出てみませんか? へイムダルや、トール、ブラギもきっと一緒です。みんなで、オーディン様を喜ばせるような出し物を――」

ロキ   「……呆れて、ものも言えないぜ、バルドル」

バルドル 「……え」

ロキ   「お前の魂は光に満ちて、一点の曇りもない。だから、そんな残酷なことが言えるんだな。このロキ様に人間の猿真似をさせ、挙げ句、“みんなで一緒に”オーディンを喜ばせろだと? ふざけるな……ふざけるな、ふざけるなぁっ!」


 ロキ、怒りを炎に変える。


バルドル 「あ……! ロキ! やめてください……!」

ロキ   「お綺麗で可愛らしいバルドル様。俺の炎で、お前の肌を焦がしてやろう! 平気だよな? だってお前は、どんな武器でも傷付けられないよう、オーディンの加護を受けて守られてるんだからな!」

バルドル 「ロキ……! そんなことをしては、僕が無事でも、あなたに罪が降り掛かってしまいます!」

ロキ   「こんな時まで俺の心配か。優しいな。オーディンの言う通り、俺とお前は違う……! 違いすぎて、同じ場所にはいられない。だから……。お前さえいなければいいんだ。そうすればオーディンだって、俺のことだけ見る。オーディンの目になれるのは、俺だけだったと気付く。……そうだろ、オーディン!!」


 ロキの炎が勢いを増し、木々に燃え移る。


バルドル 「あ……っ!」

ブラギ  「……兄さんっ!!」


 燃えた木から枝が落ち、バルドルへ落下する。


バルドル 「っ……!!」




女神   「……何か、大きな音が……。えっ? あそこに倒れているのは、まさか……バルドル様!? ……き、きゃぁあああ!」


ヘイムダル「!? 今の叫び声……!」


 女神の叫びを聞き、ヘイムダルとトールが駆けつける。


ヘイムダル「おい、バルドルっ! ロキ! どうした!?」


 目を閉じ、ぐったりと倒れているバルドル。


バルドル 「…………」

ロキ   「……どう……して。だって、バルドルは……!」

ヘイムダル「くそっ……オレ、オーディンを呼んでくる!」

ブラギ  「兄さん!! っ……あれは……、あの焼け落ちた枝は、まさか、ヤドリギ!? 貴様……! どこまで下劣なんだ! ヤドリギが倒れると分かっていて燃やしたのか!」

ロキ   「……っ!?」

トール  「ロキ。お前……。バルドルに何をした?」


 ロキ、動揺を隠せない。


ロキ   「ちょっと炎を……けしかけただけだ。だって……あいつには、どんな武器も効かないんだろ……?」

トール  「ああ。だが、たった1つ例外がある。お前が放った炎は、何を燃やした?」

ロキ   「その辺りの森を焦がしただけだ。落ちたのだって、ただのヤドリギの枝で……」

トール  「そのヤドリギだけが、例外だ。ヤドリギに触れればバルドルも傷つく。それどころか、命だって危うい。ロキ……本当に知っていてやったのか?」

ロキ   「そんな……俺は……。……違う。殺すつもりなんて……」


 混乱するロキ。


ロキ   「…………いや。違わない。俺は確かに思ってた。あいつさえ、いなければ……」


トール  「言うな、ロキ。バルドルはきっとオーディンが救う。だから謝りに行こう。俺も付いていくから」

ロキ   「…………」

トール  「……お前、前にも言っていたことがあるよな。巨人族の国にも居場所はなかった。虐げられていたと。それをオーディンに救われ、心を開いた。オーディンを独占したいと願っていた。叶わぬ望みとも知らずに……。本当は、バルドルを殺すつもりはなかった。羨ましかったんだ。表現の仕方を間違えただけだろう」


トール  「ロキ。俺だけは、何があってもお前の味方だ。だから──」


 放心していたロキ、顔を上げる。


ロキ   「……お前だけは、俺の味方?」

トール  「ああ」

ロキ   「それなら、トール。……一緒に逃げてくれよ」

トール  「え……?」


10章5節


ロキ   「俺は、バルドルに手をかけた罪で、これまで以上に立場が悪くなる。アースガルズにいる理由はない。けど、巨人の国ヨトゥンヘイムにも帰りたくない。だから、一緒に来てくれよ。どこか遠いところまで……」


ロキ   「2人で一緒に逃げよう」


トール  「……っ。ロキ……」

ロキ   「……できないんだろ? できないよな、お前は。ほらみろ。お前の言う“味方”なんて、その程度だ……!」

トール  「ロキ。違う。俺は……!」


ロキ   「違わない。──何も違わない! 俺は、お前なんか要らない!!」




[合宿所_ホール]


真尋   「……ロキ……」

バルドル 「……僕はあの後、なんとかオーディン様に命を助けられました」

ヘイムダル「傷は残っちゃったけどなー。背中だから見えないけどさ」

バルドル 「こんなの、本当にどうってことないのに」

真尋   「傷? あ……それで、同じ部屋になるって決まった時、着替えを見るなって……」

バルドル 「ブラギは優しいから、気にしてくれているんです。もう本当になんでもないんですよ」

ブラギ  「すべての神を照らし愛される“光の神”の命を脅かし、消えぬ傷を付けた。どんな罰も生ぬるい」

トール  「……神が神に手を掛けるのは重罪だ。それ以降、ロキはますます孤立した。人間への干渉も、度を越していった。イタズラでは済まないほど、派手に荒らし回って……」

ブラギ  「……どうです。これでお分かりでしょう? あの者の魂に巣食うのが、独りよがりな悪だと。奴は、しかも……それを貴方がたに隠していた」


総介   「……」

衣月   「……」

ブラギ  「芝居を通して、変わりつつある? そう見えるなら、それこそが奴の手口です。有希人が倒れた時、奴はこう言っていませんでしたか? 『あいつがいなければいい』と」

律    「……っ」

ブラギ  「我を通すために、衝動的に他者を傷付ける。それがあの者の本性です」


章    「……いつも一緒にいるから、忘れかけてたけど……、ロキ、一番最初に叶のこと殺そうとしたよな」

律    「……はい。本来は、危険な相手であることは間違いありません」

真尋   「…………」

衣月   「……真尋」

真尋   「……ブラギ。みんなも。話してくれて、ありがとう」

総介   「……」

真尋   「ロキは確かに、自分が一番じゃないと許せない性格だ。だから、想像はつくよ。バルドルのこと、傷つけたいくらい憎く思ってしまったのも……有希人のことを、煩わしく感じているのも」

ブラギ  「ええ。そんな危ない存在を、側には置いておけないはず。アースガルズでも同じことです。2つの条件を達成すれば、アースガルズへの帰還を許す? 甘すぎますね」

バルドル 「ブラギ……!」

ブラギ  「人間界からも、アースガルズからも、永久に追放されるべきだ……! さあ、今すぐ、オーディンに向けて証言なさい。ロキは手に負えない、人間界にも置いてはおけないと。そうでなくては、いつまた本性を表して牙を剥くか、知れたものではありませんよ」


 真尋、微笑む。


真尋   「そうかも」


衣月   「真尋……?」

ヘイムダル「『そうかも』って……。マヒロ。お前、笑ってるぞ?」

真尋   「だって東堂の言う通り、俺、一度殺されかけてるから。ロキをすごく怒らせたら、また燃やされちゃうと思う」

総介   「ヒロくん……」

トール  「……怖くはないのか?」

真尋   「うん。怖くないよ。だって、それがロキだから」

バルドル 「……!」

真尋   「初めて会った時……。ロキの“華”に強く惹かれた」


真尋   「一緒に過ごすうちに、怒りっぽくて、すごく素直なロキのことを、たくさん知った。最初は、芝居のこともバカにしてた。でも一緒にお互いの呼吸だけ感じながら舞台に立って、“2人芝居”が噛み合っていくたびに、ロキとの芝居が、どんどん楽しくなっていった」


真尋   「それが何よりも……心の底から嬉しかった。きっと、ロキもそうだと思う。でも……ロキは、ふとした瞬間に、寂しそうな顔を見せることがあって……」


バルドル 「寂しそう……?」

トール  「寂しい、なんて……人間が持つような感情が、あいつにあったって?」

真尋   「仲間なんて分からない、いらないって言いながら、居場所を探すような目をしてた。アースガルズのことを恋しがってるんだと思ってたけど、少し違っていたんだね。今のブラギの話を聞いて、分かった気がするよ」



真尋   「ロキはずっと、“たった1人の味方”を探してたんだ」



ヘイムダル「たった1人の……味方……」

真尋   「オーディンにそうなって欲しかったんだと思う。でも叶わなくて、バルドルを傷付けた」


真尋   「……だったら、俺がなる。ロキにとっての“たった1人の味方”に」


章    「叶……!」

真尋   「だから俺、ロキを探しに行くよ。ロキはもう寂しく思う必要なんかないって……。寂しさを理由に、他の人を傷付ける必要はないんだって、伝えに行かなきゃ」

ブラギ  「…………カノウマヒロ。貴方……どこか、壊れているのではないですか?」

真尋   「はは。前にロキにも似たようなことを言われたよ。でも、壊れていてもいいかな」


真尋   「ロキと、2人で芝居ができるなら」

トール・ヘイムダル・バルドル・ブラギ「「「「…………」」」」


総介   「……ふふふ。ま、そうだよねー! これが叶真尋。これがうちの大事な、芝居バカ!」

章    「正直俺は、まだ怖いけどな! 神様同士で殺すとかどうとか、手に負えなすぎるだろ。……でも、そんなの無視できちゃうのが、叶なんだよなぁ」


11章5節


律    「ロキはもともと危険な存在です。けどここまで来たら、分かった上で、手綱を付けるしかないですよ」

衣月   「律。大丈夫だよ。ロキはそんなことしなくても、僕たちを傷付けたりしない。それだけの信頼関係を作ってきたでしょ?」


11章5節


律    「今はまだ、リンゴが足りないとか、そんなことですぐ燃やそうとしますけどね」

衣月   「ふふ。それも冗談だって、僕らはもう分かってるけどね」



ブラギ  「…………。貴方がたは……」

総介   「つーかぁ、稽古の途中だったよね? ごめんね、うちのロキたんのことで時間取らせて! すぐ見つけて、連れて帰って来るから! ね、ヒロくん」

真尋   「うん。神宮寺たちと芝居をするのは、絶対に、今のロキには必要なことだと思う」

衣月   「鷹岡さんには、しばらく時間が欲しいと僕から言っておくよ」

章    「とはいえ、公演まで余裕はないし、急がないとだな!」

律    「なんとなくですけど、今回も遠くには行ってない気がします。まずは合宿所の近辺を捜しましょう」

総介   「さあ、いつものロキたん捜し、行くよ、みんな!」


真尋・章・衣月・律「「「「おう!」」」」


 ロキを探しにホールを出ていく5人。



バルドル 「……行ってしまいましたね」

ブラギ  「…………………………」

ヘイムダル「“たった1人の味方”……か。ロキ……」


 ヘイムダル、ポツリとつぶやく。


ヘイムダル「オレが、それになれればよかった。ライバルには、ムリなのかなぁ」


バルドル 「あ……トール。どこへ行くんですか?」

トール  「……俺も、ロキを捜してくる」


 トール、ホールを後にする。

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