劇中劇「悪魔に祈りを」

 田舎町の教会の懺悔室。2つの部屋が仕切りによって区切られている。

 仕切りには小さな小窓があるが閉められている。

 どうやら互いの顔を見えないよう配慮されているらしい。

 片方の部屋には1人の女性(悪魔)が座っている。

 もう1つの部屋の扉が開き、神父が入ってくる。


神父(真尋)「ようこそいらっしゃいました」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「緊張しておられますか? ご安心ください。ここでの会話はあなたと私、そして神しか聞いておられません。どうぞ心を開き、神の声をお聞きください」

悪魔(ロキ)「……神の声?」

神父(真尋)「ええ。神は今、あなたに呼びかけていらっしゃるはずです。自らが犯した罪を認め、悔い改めるようにと」

悪魔(ロキ)「……何も聞こえないけど?」

神父(真尋)「ああ……神の声は、耳で聴くものではありません。心で聴くのです」

悪魔(ロキ)「そんな器用な真似できないわよ『心で聴く』って……『鼻で食事しろ』って言ってるようなもんじゃない」

神父(真尋)「いえ、そういうことではなく……」

悪魔(ロキ)「まぁ私、昔、酔っ払って鼻からワイン飲んだことあったけどさ」

神父(真尋)「あの、すみません」

悪魔(ロキ)「何? その話聞きたいの? いいけど、ちょっと長くなるわよ」

神父(真尋)「その……あなたは、懺悔をしに来たのではないのですか?」

悪魔(ロキ)「懺悔? なんで私があんたみたいなガキに懺悔しなきゃなんないのよ」

神父(真尋)「……」


 神父、小窓を開ける。


神父(真尋)「……やっぱり。また君か」

悪魔(ロキ)「ひどい言い草ね」

神父(真尋)「……今日はまた、ずいぶん若い姿なんだな」

悪魔(ロキ)「ふふ。綺麗でしょ?」


 悪魔、小窓から神父にしなだれかかってささやく。


悪魔(ロキ)「触ってもいいのよ」

神父(真尋)「……よせ」

悪魔(ロキ)「あ。こないだみたいな年上の姿の方が好みだった? それとも、美少年のほうがいいとか?」

神父(真尋)「……どれも必要ない」


 神父、悪魔を引き剥がす。


悪魔(ロキ)「あん」

神父(真尋)「人目につかないうちに、さっさと出て行ってくれ」

悪魔(ロキ)「冷たいじゃない。訪れる者はすべて受け入れる……それが教会でしょ? もっと歓迎してよ」

神父(真尋)「……“悪魔”を歓迎する教会がどこにある?」

悪魔(ロキ)「悪魔? 私、自分のこと“悪魔”だなんて言ったっけ?」

神父(真尋)「……いつもいつも違う年齢の姿で現れ、人を惑わすような言葉を囁きかけては、煙のように姿を消す……これで悪魔じゃなきゃ、なんだって言うんだ?」

悪魔(ロキ)「まぁ、あんたが悪魔だって思いたいならそれでいいけどね」


 悪魔、懺悔室の外へ歩き出す。


悪魔(ロキ)「みなさんどうも、悪魔でーす」

神父(真尋)「おい!」


神父、悪魔を追って懺悔室を出る。


神父(真尋)「誰かに見つかる前に早く消えてくれ! 聖職者の私が悪魔に付きまとわれてるなんて知れたら、町の人たちが不安がるだろう?」

悪魔(ロキ)「あら、聖職者だって言うんなら、悪魔の1匹くらい追い払ってみなさいよ」

 

 神父、空中で十字を切る。


神父(真尋)「……父と子と精霊の御名において……神よ、この者に裁きを与えたまえ!」


間。


神父(真尋)「……裁きを与えたまえ!」


間。


神父(真尋)「えーと……神よ、聞こえていらっしゃいますか? 今私、祈ったんですけども……念のため、もう一度やりますね。父と子と精霊の御名において……」


悪魔(ロキ)「無駄よ。の神父の祈りなんか、聞いてくれるわけないじゃない」


神父(真尋)「……? 何を言ってるんだ?」

悪魔(ロキ)「あんたは旅の途中で偶然この町を訪れた。そして神父のふりをして、誰もいないこの教会に住み着いた。……そうでしょ?」

神父(真尋)「!? ……どうしてそれを――」

悪魔(ロキ)「神様がなんでもご存知なのと一緒で、悪魔だって何でも知ってるのよ」

神父(真尋)「……」

悪魔(ロキ)「みんな驚くでしょうね。神の使いなんて言われてるあんたが、真っ赤な偽者だなんて知ったら」

神父(真尋)「……だからなんだ?」

悪魔(ロキ)「え?」

神父(真尋)「本物じゃなきゃなんだって言うんだ」 

悪魔(ロキ)「あれ、開き直っちゃった?」

神父(真尋)「……私が初めてこの町を訪れた時、ここには先の戦争の爪痕がまだ生々しく残っていた。誰もが貧しく、食べ物の奪い合いや諍いが絶える日はなかった」


 別空間に町の人々のシルエットが影絵で浮かび上がる。


男性1(ロキ)「おい、テメェだろ、うちの畑荒らしやがったのは!」

男性2(真尋)「それがどうした? お前が俺ん家の犬殺したってのは分かってんだぞ?」

男性1(ロキ)「うるせぇって言ってんのに吠えるのやめねぇからだよ! お前ら、あの犬食ったらしいじゃねぇか……殺す手間省いてやったんだから感謝しろよ!」

男性2(真尋)「だったらテメェのガキも殺して食ってやるから連れてこいよ!」



神父(真尋)「……彼らは希望をなくし、ただただ互いへの憎しみを募らせていた。自分より少しでも幸せそうな者を決して許さず、憎しみは歪な円のように循環し、いつしか、町ひとつを飲み込まんばかりに溢れかえっていた」


揉めあう人々。


神父(真尋)「……見るに見かねた私は、人々に向かってこう言った。……自分は神の使い。私には“神の声”が聞こえるのだと――」


人々、争い合うのをやめ、神父を見つめる。


神父(真尋)「神はあなた方におっしゃっておられます。あなた方が今感じている苦しみは、全て試練なのだと。それを乗り越えた時、本当の幸せが訪れることでしょう」


人々、しばしの間の後、神父に向き直り、祈りを捧げる。


神父(真尋)「町の人たちは私の言葉を信じた。他者への憎しみを捨てようと努力し始めた。毎日のように行われていた喧嘩もなくなった。その後も私はこの町にとどまり、人々を幸せに導くため、神父としてこの教会で暮らし始めた――」


人々のシルエットが消えていく。


神父(真尋)「 ……確かに私は聖職者ではない。だが、この町の人たちは私を信じ、必要としてくれている。あの嘘は、この町を幸せにするために必要だったんだ」

悪魔(ロキ)「……本当に?」

神父(真尋)「何?」

悪魔(ロキ)「本当にあんたは、町の人たちのためを思って嘘をついたの?」

神父(真尋)「……当たり前だろう? 私は彼らを幸せにするために――」

悪魔(ロキ)「はい、嘘」

神父(真尋)「嘘だって?」

悪魔(ロキ)「だって本気でそう思ってるなら、私があんたの前に現れるわけないもの。あんたさ、なんで私がこうして、あんたに会いに来てると思う?」

神父(真尋)「……私をたぶらかすためだろう? 私を失墜させれば、町の人たちは神を信じる心を失う……そうやって、人間を悪の道に引き摺りこむつもりなんだ」

悪魔(ロキ)「あはは! 悪魔がそんな面倒なこと、するわけないでしょ?」

神父(真尋)「じゃあ……何が目的なんだ?」

悪魔(ロキ)「決まってるじゃない。あんたの願いを叶えるためよ。あんたは頭の中で願ったはずよ」


 悪魔、神父の耳元でささやく。


悪魔(ロキ)「誰かに自分の本心を打ち明けたいって……聞いて欲しいって……

だから私は来たの」

神父(真尋)「……」

悪魔(ロキ)「あんたは今、こう思ってる……。この町の人たちは、誰も幸せになんかなってないって」

神父(真尋)「……違う」

悪魔(ロキ)「そもそも、自分に誰かを幸せになんてできるわけがない。幸せが何かなのかすら分かってないんだから。自分が幸せだったことなんて、一度もないんだから――」

神父(真尋)「黙れ!!」 


間。


悪魔(ロキ)「……この町のはずれに女が住んでるわよね? 自分勝手で、口が悪くて、金さえもらえば誰とでも寝る女……彼女は町のみんなからひどく嫌われ、教会のミサに来たことも一度もない。……ところが、ひと月前、突然彼女はこの懺悔室にやってきた」


 女(悪魔)の姿はいつの間にか、

 その町外れに住むという女性のものに変わっている。


女(ロキ) 「……ちょっと、神父さん」

神父(真尋)「……!」

女(ロキ) 「神父さん? いないの?」

神父(真尋)「……ようこそいらっしゃいました。懺悔をなさりに来たのですか?」

女(ロキ) 「懺悔? なにそれ? 私は、あんたに相談があってきただけよ」

神父(真尋)「相談?」

女(ロキ) 「町の連中が言ってたのよ……神の使いであるあんたに聞けば、大抵のことは解決してくれるって。ま、私みたいなアバズレに、神様が何か言ってくれるとは思えないけど」

神父(真尋)「いいえ。神は、すべての人々に等しく愛を注いでおられます。心を開き、あなたの悩みを打ち明けてください」

女(ロキ) 「……ガキができたのよ」

間。


神父(真尋)「それは……おめでとうございます」

女(ロキ) 「おめでたくなんてないわよ。……ただの失敗よ、こんなの」

神父(真尋)「……そんなことを言うものではありません。その子は、神があなたに授けた祝福なのですから」

女(ロキ) 「私みたいな女に、子どもが育てられるわけないでしょ? ……もしも産んだとしても、きっと不幸な人生を送らせることになるわ。……そうでしょ?」

神父(真尋)「……親になれば、人はその子のために“より良い自分”に変わろうとします。たとえ、どんな人間であっても」

女(ロキ) 「……」

神父(真尋)「大丈夫。あなたもその子も、きっと幸せになれます」

女(ロキ) 「……本当に?」

神父(真尋)「ええ。……神に代わって祈りましょう。あなたと、あなたが生み出す命に、祝福がありますように……」


神父が祈る中、女の姿は元の悪魔の姿に戻っている。


悪魔(ロキ)「あの日の夜から……あんたは、あくまの姿を見るようになった」

神父(真尋)「……そうだったな」

悪魔(ロキ)「あんたはあの女に言ったことを後悔してる。……そうなんでしょ?」 

神父(真尋)「……ああ」

悪魔(ロキ)「……どうして?」

神父(真尋)「あの母親はひどい女だ……昼間から酒を煽り、わがままで自分勝手。あんな女が……子どもを産んだくらいで変わるわけがない! 遅かれ早かれこう思うようになる……『自分が不幸なのは、全部子どものせいだ』って! そして最後には、きっとその子を置き去りにしてこの町を出て行く!」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「残された子どもは、いつだって周りの人間の顔色を伺うようになる……誰にも嫌われないように、“いい人間”を演じるようになる。……そうしなきゃ、誰にも必要とされないと知っているから……母親でさえ、自分のことを愛してくれなかったんだから!」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「……私には分かっていた。生まれてくる子どもは、絶対に幸せになれない。それなのに私は『授かった命は大事にすべき』などと上辺だけの綺麗事を説いた。あんな女にですら、自分を“いい人間”だと思って欲しかったからだ!」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「必要とされたい……立派な神父だと思って欲しい……そんな薄っぺらい自己満足のためだけに、私はこの町の全員に嘘をつき続けてるんだ。……いずれみんなも気づくだろう。私の言ってることは中身のない戯言だと……自分たちは幸せになったフリをしていただけで、本当は何も変わっていなかったんだと!」


悪魔(ロキ)「それはあんたが決めることじゃないでしょ?」


神父(真尋)「……は?」


悪魔(ロキ)「何が幸せかなんて、その人本人にしか分からないわ。あんたはただ、自分が幸せになるのが怖いだけよ。だから何も変わってないって思い込んで、全部台無しにしようとしてるだけ」


神父(真尋)「……」

悪魔(ロキ)「確かにあの女は子どもを産んでも変わらないかもしれない。だけど、変わるかもしれない。それは誰にも分からないはずよ」

神父(真尋)「分かるさ! 私にだけは分かるんだ!」

悪魔(ロキ)「あの女は、あんたのお母さんじゃないわ」

神父(真尋)「……何?」

悪魔(ロキ)「確かにあんたの母親は、子どもだったあんたに愛情を注がなかった。あの女だって、そうならない保証はない。だけど……注がなかったからって、愛情そのものがないとは限らないわ。本当に愛してなかったなんて言い切れないでしょ?」


神父(真尋)「黙れ! 悪魔のお前に……何が分かるっ!」

悪魔(ロキ)「……分かるわ」

神父(真尋)「は?」

悪魔(ロキ)「分かるのよ……私にだけは分かるの」

神父(真尋)「……何を言って……」

悪魔(ロキ)「……町のみんなだってそこまで馬鹿じゃない。自分たちが本当に幸せなのかどうか、疑ったことだってあったはずよ。だけどみんな、以前のように誰かを憎もうとはしなかった……気づいたからよ。幸せなふりをし続けることは、不幸なふりをしているよりずっといいって」

神父(真尋)「……ふりはふりだ。本当の幸せとは違う」

悪魔(ロキ)「ふりを続ければ本当になることだってあるわ。どんなに恵まれていても本人が不幸だって思えば不幸だし、辛い毎日でも、幸せだって思えばそれは幸せなのよ。……たとえ自己満足から始めたことでも、あんたの綺麗事は、みんなに希望を与えたの」


神父(真尋)「……希望?」

悪魔(ロキ)「みんなあんたの嘘を聞いて……本当にそうなったらいいなって、そう思うようになった。あんたがこの町の人たちを変えたの」

神父(真尋)「私が……」

悪魔(ロキ)「あんたは、間違ってない。本当に悩んで、考えて実行したことは、

例えどんな結果になったとしても、間違いなんかじゃないわ。唯一の間違いは……何もしないこと。私はそうだった。愛していたのに愛してるって伝えなかった……抱きしめてあげなかった」


神父(真尋)「君は……誰なんだ?」


悪魔(ロキ)「……あんたが言ったんでしょ、悪魔だって」

神父(真尋)「……初めて会った時から気になっていたんだ。私は、どこかで君と会ったことがあるんじゃないかって……」

悪魔(ロキ)「……いいわよ、思い出さなくて。あなたは一番苦しんでる時に私を呼んでくれた……例えそれが私に対する憎しみからでも、私のことをほんの少しでも覚えててくれた……それだけで十分よ」


悪魔の姿は、いつの間にか初老の女性の姿に変わっている。

神父(真尋)「……っ」

悪魔(ロキ)「……私はあんたを不幸にしたかもしれない。だけど……ものすごく自分勝手だけど、あんたは、私を幸せにしてくれたの。私が馬鹿で、その幸せの価値に気づかなかっただけ。あんたは私みたいにならないで。……不幸のままでいなくていいの。ちゃんと幸せになってもいいの」

神父(真尋)「……」

悪魔(ロキ)「じゃあ、そろそろ行くわ。……がんばってね、神父さん」


悪魔、去ろうとする。


神父(真尋)「……待ってくれ!」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「もしも、私が間違ってないなら君も――あなたも、きっと間違ってない」

悪魔(ロキ)「……」

神父(真尋)「私は……あなたを許すよ」


神父、悪魔を抱きしめる。


悪魔(ロキ)「……!」


 悪魔、驚いたような表情で固まるが、

 やがて神父を強く抱きしめ返す。

 長い間の後、ゆっくりと体を離して――


悪魔(ロキ)「……ありがとう」


 悪魔、静かに微笑む。その姿が空間に溶け込むように消えていく。

 神父、悪魔が立っていた場所に何かが落ちていることに気づく。

 それは小さな白い羽根だった。

 神父、その羽根を拾うと、窓から差し込む光にかざした。


神父(真尋)「神よ……弱く小さな1人の人間として祈ります」


神父(真尋)「あの母親と、生まれてくる命が、どうか幸せな人生を送れますように。そして願わくば……あなたのおそばにいるであろう私の母にも、安らぎと……永遠の幸せをお与えくださいますように――」


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