第6節 ノルッパと一緒
[アースガルズ]
ロキと真尋の様子を見ているオーディン。
オーディン「………叶真尋。あの人間に、ロキを任せたのは正解だったな。ロキの心根に、変化の兆しが見える。ロキよ。叶真尋を通して深く人間の心を知るのだ。それが、神として生きるためお前に必要なことだろう」
オーディン「………………」
オーディン(……それにしても。実に面白いな。2人芝居というものは。ここから何度か中都高校の公演を見ていたが、どれも見事な舞台だった。役者が多く派手な方が面白い芝居になるとばかり思っていたが、そう単純なことでもないようだ)
オーディン(しかし、虹架に編入したトールらの芝居もまた、ロキの2人芝居とは異なる趣向で、心が踊る。やはり、芝居とは素晴らしい。……アースガルズからのぞいているだけでは、臨場感に欠けるのが口惜しいな)
オーディン「………………」
オーディン(……私も、ロキらの芝居を直接観たい)
オーディン「…………」
オーディン(……いや! いやいや、ならん。私までアースガルズを留守にするわけには……)
オーディン「…………」
オーディン(そう。だからトールらを見張り役につけているのだ。私まで行く必要は……)
オーディン「…………………………」
オーディン(……待て。ロキに条件を出したのは私だ。
オーディン「……少しだけ、降りてみるとしよう」
[
オーディン(……ここが瑞芽寮だな。ふむ。実際に来てみると、狭いが設備は整い清潔だ。ロキが安心して寝食するのも頷ける──むっ?)
ロキ 「はー。夕飯間に合った!」
真尋 「ギリギリだったね」
ロキ 「お前が電車の切符なくしたせいだぞ。危うく、夕飯の時間に間に合わなくなるところだ」
真尋 「ごめんってば」
ロキ 「つーか、地味助とかみんな、切符じゃなくてトランプみたいなカードで電車に乗ってたぞ。なんでお前だけ、切符なんだ?」
真尋 「ICカード自体をなくしちゃうから、仕方なく……」
オーディン(ロキ! 姿を見られてはまずいな……しかし、神の力は使えん。却ってロキに気付かれる。ひとまず、どこかに隠れて……)
[瑞芽寮_衣月と律の部屋]
オーディン(ここは……ふむ。南條衣月と北兎律の部屋か。姿を隠すには申し分ない。ロキと叶真尋の部屋は論外。西野総介と東堂章は、万が一、私を見つければ大げさに騒ぎ立てるだろう。……うん? あそこに置かれているのはアザラシの人形か。以前はなかった気がするが。……ヘイムダルが見れば、卒倒しそうだな)
扉の向こうから、律が部屋に戻る足音。
オーディン「!」
オーディン(アザラシよ、お前の身体を一時借りるぞ)
あたりがまばゆい光に包まれ、オーディンの姿が消える。
部屋の扉があき、律が入室。
律 「……はぁ……。ほんと、西野先輩、人使い荒い……。稽古も佳境なのに、もう1曲増やせとか、壁を叩く音にもっと臨場感出せとか……。まあ、そういうところが、いい演出家ってとこなのかもしれないけど……。……ちょっと、休憩。あー……もう、疲れたよ、ノルッパ……」
ノルッパのぬいぐるみをぎゅっと抱く律。
律 「はぁ……ノルッパかわいい。衣月さん、ノルッパのぬいぐるみまで作っちゃうなんて本当にすごいよね。……このふかふか感。落ち着く……。……ノルッパ。少しだけ抱っこさせてね」
オーディン(なっ……この人形に話しかけたぞ。これは……何か応答するべきなのか?)
律 「……ん? なんか、ノルッパ……いつもと違う……?」
オーディン(しゃべらないことに違和感を覚えているのか……? やはり、しゃべった方がいいのか!)
ノルッパ(オーディン)「お……お帰り、律くん!」
律 「……えっ!?」
ノルッパ(オーディン)「今日は、部活楽しかった? ボクは、たくさんお魚を食べたよ!」
じっとノルッパを見つめ、眉根を寄せる律。
律 「………………」
オーディン(な、なんだ? 違うのか? 分からん。その顔はどういう感情なのだ!?)
ノルッパ(オーディン)「ぼ……ボクだよ! 寒い国からやって来た、可愛い可愛いアザラシのノルッパだよ……!」
律 「……黙って」
律 「はあ……。またロキか。こんな訳分かんないイタズラ……。しかも、よりによってノルッパに変身するとか、ホントに許されないんだけど! 衣月さんが作ってくれたノルッパはどこにやったわけ?」
ノルッパ(オーディン)「…………」
律 「あと、これだけは言っておく。ノルッパはそもそもしゃべらないから」
ノルッパ(オーディン)「……なんだと?」
律 「なんだと? じゃない。しゃべらない。動きと表情だけのクレイアニメ。だから、お前の今やってるモノマネは、モノマネにすらなってない。ただの冒涜」
ノルッパ(オーディン)(しまった……)
律 「……はあ……いい加減元に戻ってくれない? 早く衣月さんのノルッパ返さないと、いくらノルッパの見た目でも許さないからね。ロキの真似じゃないけど……燃やしてやろうか」
ノルッパ(オーディン)を睨む律。
ノルッパ(オーディン)「ま、待て、北兎律! 私は、ロキではない!!」
律 「は? 今さらそんなの通じると思って……」
オーディン「私は、アースガルズの最高神、オーディンだ! ロキの様子を見に降りてきたのだ!」
律 「……オーディン、だって?」
オーディン「私は、ノルッパの身体を借りているだけだ。燃やしてはならん」
律 「は? 貸した覚えないけど、何してるんですか?」
オーディン「うむ。これには深い訳があるのだ、北兎律よ……」
オーディン、事情を説明する。
律 「……何ひとつ深くない。結局、仲間はずれが寂しくて好奇心に負けて降りてきたってことでしょ」
オーディン「そう言われては、身も蓋もないが……だがしかし、この人形に入れたのは幸いだった。これなら、ロキにもバレないだろう。次回公演を観るまで、ここで過ごさせてくれないか?」
律 「絶対嫌です。神ならもう間に合ってます」
オーディン「ぬっ!?」
律 「ノルッパを正しく理解しない奴も、個人的に許せません。しかもこれ、衣月さんが俺のために作ってくれた世界に1つだけのノルッパなんですよ! 危うく燃やすところだったし! ますます許す気になりません。今すぐ、出てってください」
オーディン「なんと……最高神である私の言葉をすげなく却下するとは……」
律 「オーディンがなんだっていうんですか。こっちはロキの相手で手一杯なんです。その上、ライバルだかなんだか知らないけど他の神まで寄越して。神ってそんなに暇なんですか? 寂しくなったからって来ないでください! 俺のノルッパから早く出てってよ!」
オーディン「ぐっ……。ブラギでも私にそこまでは言わんぞ……」
扉が開き、衣月が部屋に入ってくる。
衣月 「律、どうしたの? 外まで声が響いてるよ?」
律 「衣月さん! 聞いてください、ノルッパが!」
衣月 「ん? どこかほつれてきた? 貸して。すぐに直してあげるよ」
オーディン「おお! 南條衣月! 待っていたぞ! ようやく話の通じそうな者が戻ってきたな!」
衣月 「…………。……悪霊でも取り憑いたかな?」
律 「悪霊よりももっとタチが悪いです! これ、オーディンだって言うんですよ!」
衣月 「ああ……そうだったんだ。すみません、びっくりして」
オーディン「……全然びっくりしているようには見えんな」
衣月 「まあ、初めましてでもないですし。ところで、今日はどうしてこちらに?」
オーディン「うむ。お前たちに頼みがあるのだ……」
オーディン、衣月にも事情を説明。
衣月 「次の公演までここに……ですか。僕は構いませんよ」
律 「嫌です! 少なくとも、ノルッパからは出て行ってもらいます!」
衣月 「まあまあ。少し話を聞いて、律。オーディンは、ロキのお義兄さんなんですよね?」
オーディン「うむ。ロキが話したのか?」
衣月 「ロキが来たときに、少し北欧神話を調べました。人間界の北欧神話がどこまであっているのかは分からないけど、さすがに、何も知らないわけにはいかないと思って。真尋たちには、内緒ですけど。オーディンは……心配なんですね、ロキのこと」
オーディン「ああ。伝わってはいないようだがな……」
衣月 「……律。ノルッパに入られたのが嫌なんだよね。このノルッパ、大事にしてくれて嬉しいよ。でも、次の公演までだ。ダメかな?」
律 「……衣月さん……。だったら、公演の日だけ来ればいいんです!」
オーディン「できれば、ロキの日常風景も近くでよく見たいのだが」
律 「図々しい……! しかも過保護!
衣月 「でも律だって、動いてるノルッパと過ごせるの、ちょっと嬉しいんじゃない?」
律 「……ノルッパの意思じゃないし、変な動きされたら嫌だし、全然嬉しくなんて……」
ノルッパ(オーディン)、ぎこちなく小首をかしげる。
オーディン「ほら、ちゃんとノルッパだよ、律くん!」
衣月 「うん。可愛いよ、律?」
律 「………………。そう、です、ね……?」
律 (正直、ちっっとも可愛くないけど……衣月さんがそこまで言うなら……)
ぎこちなく一生懸命笑うノルッパ(オーディン)。
オーディン「うふふふふ……!」
律 (うわぁ……)
律 「……でも、ここに置くのはいいとして、日常を見せるって、どうするんですか?」
衣月 「まあ、素の姿で過ごしてもらうわけにもいかないし、ノルッパが動いてたら、みんなびっくりするし……。できる範囲で、僕たちがこのノルッパのぬいぐるみを持ち歩いてあげればいいんじゃないかな」
律 「え。……えぇー……」
翌日
[瑞芽寮_食堂]
オーディン「おお! 人がいるとまた違うな。北兎律。私も人間界の食事を食べてみたいぞ!」
律 「………」
律 (知り合いに会いませんように、知り合いに会いませんように、知り合いに会いませんように……)
総介 「りっちゃん、ツッキー、オハヨ~!」
章 「南條先輩、北兎、おは──」
律 「チッ!」
章 「ええー!? 朝一発目から特大の舌打ち!?」
総介 「りっちゃん朝からご機嫌斜め? ノルッパ抱えてるし、ご満悦かと思ったのに~」
律 「……話しかけないでください」
衣月 「おはよう、総介、章。真尋とロキはまだ──」
ロキと真尋が食堂にあらわれる。
ロキ 「あー、腹減った……。腹減ったぁ……」
真尋 「何回言うのロキ。あ、みんな、おはよう」
衣月 「──来たみたいだね」
ロキ 「……律、何でっかいの抱えて可愛いこぶってんだ? キモいぞ」
律 「…………。……キモくないし。ノルッパは可愛いし」
真尋 「あ、もしかして南條先輩が作ったっていうぬいぐるみですか?」
衣月 「うん。みんなにも見てもらおうと思って。可愛いでしょ」
章 「ええ!? 市販のやつかと思った! 確かぬいぐるみ初めて作ってるって言ってませんでした? 初めてでこれって……さすが、南條先輩」
総介 「それにしても、りっちゃん&ぬいぐるみ似合うねぇ。可愛い
律 「…………」
章 「いや、今の仏頂面はそんなに可愛くねーだろ。元の顔は可愛いけど」
律 (……ホントのこと言うわけにもいかないし。今はなんとか衣月さんのおかげでごまかせたけど……)
オーディン(…………ソワソワ)
律 「……はぁ……」
律 (……今日一日、乗り切れるかな……)
[中都高校_律の教室]
オーディン(ほう……ここが、教室か。皆が同じ方向を向いて黙って教師の話を聞く……。おや。中には不真面目な者もいるらしい。眠ったり、絵を描いたり……む。あの光る板は!?)
竜崎 「…………北兎。深くは聞きたくもねえが、なんでぬいぐるみなんて持ってきてるんだ?」
律 「っ、か、鞄の中に紛れ込んでたんです、先生!」
竜崎 「……なんだか知らんが、次からは気を付けろ」
律 「はい……」
[中都高校_1年生廊下]
オーディン「北兎律。これまでアースガルズから様子を見ていたが、先ほどのような教室ばかりではないのだろう?」
律 「……音楽室や、美術室のこと? 理科室や、家庭科室、図書室とかもありますけど」
オーディン「そこだ! 見てみたい。外や、運動をする大広間も見たいぞ!」
律 「運動する大広間……体育館か。次の授業に間に合わないから全部は無理です」
男子学生1 「なあ、あれ見ろよ。ぬいぐるみ抱えてるぜ? ……けど、さすが北兎。妙に似合うな」
男子学生2 「しっ! すげー目で睨んでるぞ!!」
律 「………………。……………………はあ」
律 (教室にいればよかった。すごい見られてるし。なんで俺がこんな目に……)
[中都高校_演劇部部室]
扉をあけ、律が部室に入ってくる。
律 「…………。あ……まだ、衣月さんだけですか?」
衣月 「うん。今日はちょうど選択授業で、6限がなくてね」
オーディン「おお! ここが、部室か! 実際に降りてみると、思っていたより狭いな!」
衣月 「はは。ようこそ、オーディン。中都演劇部へ」
律 「……衣月さん、部室でも勉強してたんですか?」
衣月 「うん。衣装も受験も本気でってなると、時間が惜しいからね」
衣月 「みんなが授業やってる時間を受験勉強に充てれば、ちょうどいいと思って」
律 「……そうか。普通だったら、3年生って部活は引退しててもおかしくない時期……ですもんね……」
衣月 「そうだね。でも、最後までやり抜くつもりだよ。どっちも中途半端にはしない。だから安心して」
律 「……はい」
オーディン「北兎律! 南條衣月! 早く部室を細部まで案内するのだ。ロキが来ぬうちにな!!」
律 「……はいはい、分かりました」
ノルッパを抱え直しながら、ボソッと呟く。
律 「ロッカーに詰めてやろうかな」
衣月 「はは。それじゃあ、ここは僕が案内しましょうか」
オーディン「うむ! 任せたぞ、南條衣月!」
[瑞芽寮_衣月と律の部屋]
律 「つっっっっかれた……。やっと部屋……。今日はなんか、疲れ方が尋常じゃない……」
オーディン「ははは! やはり人間の世界は退屈せんな! 学校というのは不思議なところだ! あらゆる分野の知が得られるというのも面白い! 学び、身体を動かし、音を楽しみ、美を慈しむ……時代によってはあまりにも贅沢なことが、当たり前に得られるとは、なんとも素晴らしいではないか。実に有意義な一日だった。礼を言うぞ、北兎律。南條衣月!」
衣月 「どういたしまして」
律 「……どーいたしまして」
オーディン「ところで、南條衣月。その光る板はなんだ? 前々から一度、触ってみたいと思っていたのだ」
衣月 「スマートフォンですか? はい、どうぞ。僕のは特に面白味ないですけど、律のスマホにはゲームもいろいろ入ってますよ」
オーディン「ゲーム……? そんな小さな盤上でゲームを?」
衣月 「盤上? ああもしかして、チェスとかのことかな? そういうのもありますけど、違うゲームです」
オーディン「ふむ? いったいどのようなゲームだ?」
衣月 「ふふ。知らないことに目を輝かせるところ、なんだかロキに似てますね」
オーディン「……そうか」
ノルッパ(オーディン)がスマホを連打し、ゲームアプリ“リズム&ドラムス”をやりこなしている。
オーディン「──はは! 見ろ、北兎律! また記録を更新したぞ! “リズム&ドラムス”……このようなゲームもあるとはな。実に興味深い人間文化だ」
オーディン(ロキをこの国の人間に預けたこと、間違っていなかったと再確認したぞ! ……おっ。次の曲が解放されたようだ)
律 「……衣月さん。こいつ本当に、北欧神話の最高神ですかね」
衣月 「ふふ。やっぱり、ちょっとロキに似てる気がするよ」
[瑞芽寮_章と総介の部屋]
“リズム&ドラムス”をプレイする総介。
総介 「……おお?!!」
章 「ん? なんだよ」
総介 「いや、見てよこれ。“リズドラ”やってたんだけどさ」
章 「どれ?」
総介 「ここの、りっちゃんのスコア、急にすげー伸びてんの。なんでだろ?」
章 「うわ、マジだ! ランキング上がりまくってる。あいつ、なんかあったのか? ……今日1日、ノルッパ抱いてたし――」
[瑞芽寮_衣月と律の部屋]
オーディンが触っている律のスマホに着信。
オーディン「む? 何か出たぞ、北兎律!」
律 「……メッセージです。貸してください。…………」
衣月 「うん? 顔ひきつってるけど、誰から?」
律 「……西野先輩からです。これ」
衣月にスマホ画面を見せる。
衣月 「『リズドラ、急に神がかったスコア出てるけどどうしたの』──か。ふふふ」
律 「……神がかった、じゃなくて、本当に神なんですよ。……はぁ」
[
“リズドラ”をプレイしているヘイムダル。
ヘイムダル「よっ! ほっ! はぁ!!」
バルドル 「……あっ! すごいです、ヘイムダル!」
ヘイムダル「へっへーん! 俺にかかれば、このくらい……って、うわぁあ!?」
GAME OVERの文字が画面に映る。
ヘイムダル「うっそだろ!? いいとこだったのにー!!」
バルドル 「ああ……残念でしたね。でも、次はもっと上手にできると思いますよ!」
トール 「何やってんだ? さっきから。やけにノリノリだったじゃないか」
ヘイムダル「“リズドラ”だよ、“リズドラ”! ちくしょー。次はぜってークリアしてやるぜ!」
ブラギ 「……たかが人間の暇つぶしでしょう。夢中になるなど、神の風上にもおけない」
バルドル 「そんなこと言わないで、見てよ、ブラギ。すごく面白いんだよ、このゲーム!」
ブラギ 「……結構です」
トール 「はは。仲よくやれよ」
トール、3人を微笑ましく眺めて。
トール (こっちに来たときはどうなるかと思ったが……みんな、だいぶなじんだみたいだな。……ああ、そうだ。あとで、オーディンの奴に定期報告入れねえと。この間の夏合宿で、カノウマヒロの問題が浮き彫りになった……)
トール (あれを立て直して、奴の“真実の願い”を叶えてやるのは、簡単じゃなさそうだ。どうする、ロキ。……きっと、お前はまた癇癪を起こして、放り出すんだろうな……誰の手も拒んで、自分から孤独を選んで……)
トールのスマホに、有希人から着信。
トール 「お。有希人から電話か。──よお、どうした?」
有希人 『トール? ごめん、今日帰れそうもないから、みんなのことお願いできるかな』
トール 「またか。俺たちはどうとでもなるが、お前は大丈夫なのか?」
有希人 『うん。ありがとう。今日の撮影が長引いちゃったから、予定をこなすにはスタジオの近くに泊まった方が効率的なんだ』
トール 「予定?」
有希人 『大したことじゃないよ。ジムに行くのと、警備員のバイト』
トール 「警備員……? なんでお前がそんなことをやる」
有希人 『今度のドラマで、俺がやる役が警備員でね。あ、バイトのことは内緒だよ?
トール 「役で警備員をやるってだけで、実際に働いてたら、身が持たないだろ」
有希人 『心配してくれてるの? ありがとう。でも、俺にはこれが普通なんだよ。やったことのないものを演じるの、難しいんだ。……想像でリアルにできちゃう人もいるけど、実際に経験した方がもっとその役を理解できるだろ?』
トール 「言いたいことは分かるが……それで身体を壊したら元も子もない」
有希人 『大丈夫。1週間だけだから』
トール 「1週間もやるのか?」
有希人 『足りないくらいだよ。1週間って言ったら、仕事に慣れる程度で精一杯だろうからね』
トール 「……はぁ。その情熱はどこから来るんだか」
有希人 『ふふ。だって、真尋がまた芝居を始めたんだ。このくらいやらないとね』
トール 「……あいつは、この前舞台に立てなかったことでショックを受けてる。しばらくは出てこられないんじゃないか?」
有希人 『……そうだね。もしそうだとしても、戻ってきたらまたすぐ追い抜かれる。それが真尋だ。俺は、手を抜くつもりはない。そうでないと、真尋には向き合えないからね。……それじゃあ、切るね。もう行かないと』
トール 「ああ……無理はするなよ。」
有希人 『うん。ありがとう』
電話が切れる。
トール 「…………」
トール (あいつ……本当に大丈夫なのか?)
ブラギ 「……今度は人間に、妙な肩入れをするつもりですか」
トール 「っ……。……ああ。そうだな。俺はどうも、有希人のことを特別な人間だと思っているようだ。芝居をやる者同士だからっていうのもあるが……あいつには、他の人間にはない信念がある。人間の命は短い。欲に突き動かされて終わることも多いのに、有希人は違う」
トール 「──だが、だからこそ危うい。俺は正直、そんなアイツに惹かれてる。不幸な目に遭わないよう、守りたいと思い始めてる」
ブラギ 「──時折、貴方は“孤独で哀れな者”を自ら求めているんじゃないかと思いますよ。ロキしかり、あの人間しかり。痛々しく強がる者を守るのはさぞ気持ちのいいことでしょう。さすがは強大なる力を持つ雷神、度量の広さも尋常ではない」
トール 「はは! 考えすぎだ、ブラギ。構いたくなるのは、俺の習い性でね。そういうお前も、悪い癖だぜ。そうやって、ひねくれて考えるのはな」
ブラギ 「……悪い癖、ね……」
トール 「ん?」
ブラギ 「……神が、人の運命を弄んではならない。あのオーディンなら、そう言うでしょうね」
トール 「分かってるさ。……深入りはしない」
ブラギ 「……どうだか」
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