第17話 総一郎と桜

 

「桜さん。今、大丈夫ですか?」


 ハルが学校で太田と勉強した日の晩、総一郎がテレビの前のソファーに座って、コーヒーを一口飲んだ後、ゲーム画面を見ながら桜に言った。


 ハルは既に自室で寝ていた。


 桜はため息をつきながら、ゲームをやめて、総一郎の前にあるタブレットを操作し、総一郎に返事した。


「いいところでしたが、約束していましたからね。

 大丈夫ですよ。」


 総一郎は桜の返答に少し笑った後、真面目な表情で桜に言った。


「率直に聞きます。

 この屋敷が無くなったら、桜さんは成仏してしまいますか?」


 桜は無表情で返答をタブレット越しに返した。


「何故、そう思うのですか?」


 桜の返答を読んで、総一郎は淡々と説明を始めた。


「ハルを通して、あなたと初めて話した時、あなたはこの屋敷を無くしたいと言いました。

 この屋敷を守っているのではなく、無くすために屋敷に来る者たちを追い出してきたと。

 …実はその時から違和感を感じていたんです。

 その割には僕が来た時から、この屋敷にあるものは埃をかぶってはいたもののきれいに揃っていた。

 物を動かすことができるあなたであれば、もっと乱雑にできたにも関わらずです。

 …本当に屋敷を無くしたかったのであれば、ここにあるもの全てを滅茶苦茶に壊すことができたはずなんです。

 恐らく、その方がこの屋敷が朽ちるのは早かったでしょう。

 なのに、あなたはそうはしなかった…」


 総一郎の説明を聞いて、桜は少し笑って、返答を返した。


「確かに。そういうことはできたでしょうね。

 まぁ、あなたが代わりにゴミで滅茶苦茶にしてくれましたがね。」


 総一郎は桜の嫌味な返答に苦い顔をした。


「そ、それは本当に申し訳ないと思っています…」


 そして、総一郎はコーヒーを飲んでから、ごまかし気味に話を戻した。


「と、とにかく、あなたはやはりこの屋敷を守るために存在していたのではないかと思ったんです。

 だから、この屋敷が無くなってしまうとあなたは成仏してしまうんではないかと…」


 桜はいつもの無表情に戻り、返答した。


「あの頃は本当に屋敷が無くなってほしいと思っていましたよ。

 ただ、健次郎様が大事にしていたこの屋敷を自分の手で汚すのはどうしてもできなかっただけです。」


「じゃあ、今はどうですか?」


 総一郎は真剣な表情で桜に再び問いかけた。


 桜は考えているようで、すぐには返答ができなかった。


 総一郎は黙って、タブレットを見守っていた。



 しばらくすると、タブレットに文章が書きこまれていった。


「これは絶対にハルには秘密にしてください。」


「…はい。約束は守ります。」


 総一郎は頷きながら、桜に答えた。


 桜は気恥ずかしそうにタブレットに文章を入力し始めた。


「私は今、とても幸せなのですよ。

 ハルを驚かしたり、ハルとゲームをしたり、ハルと外に遊びに行ったり、ハルに怒ったり。

 ハルといると自分の素直な感情が出せるようになったのです。

 健次郎様の手紙には「生きて、幸せになってください」と書かれていましたが、死んで幸せになっているんだから、あの方の願いの半分は成就させることができたんではないかと思っています。」


 総一郎は桜の文章を読んで、優しく微笑んだ。


 そんな様子の総一郎を見て、桜は恥ずかしくなったが、一旦、自分を落ち着かせて、無表情で入力を続けた。


「しかし、それでも、私はまだここにいます。

 この屋敷は生前の幸せ、そして、死後、ハルに引き合わせてくれた幸せ、この大きな二つのものをこんなどうしようもない私に与えてくれました。

 絶望もありましたが、それを埋めるだけのものを与えてくれました。

 きっと、私はそんな幸せな空間を作り出してくれたこの屋敷を最後まで見守っていたいんだと今は思っています。

 恐らく、これが私の「心残り」なんだと感じていますよ。」


 総一郎は桜の答えを読んで、俯いてしばらく黙りこんだ。




 そして、悔しそうな表情で総一郎は桜に言った。


「…実は屋敷の寿命が近づいているんです…

 今まで補修を続けてきましたが、どうやら、限界が来たみたいで…

 要は建て替えが必要な時期が迫っているんです。

 …建て替えの場合、一度、屋敷をつぶす必要があり、恐らくは今の屋敷とは別物になってしまうかと…」


「そうですか。

 これでようやく私も消えることができますね。」


 これまでで最も早く桜の返答が来て、総一郎はあっけにとられて桜に言った。


「そ、そんなにあっさりと!

 いいんですか!?」


「良いも悪いもないですよ。

 しようがないじゃないですか。

 それに初めから言っているように、私は消えたいんですよ。」


 またしても早急に返答が来て、総一郎はぽけ~としてしまった。



 そして、総一郎は思わず、ぷっと笑ってしまった。


「…本当にあなたはぶれないですね。

 うらやましい限りです。」


「あなたがだらしないだけですよ。

 言っておきますが、私がいなくなって、心配なのはハルよりもあなたの方ですからね。」


「そ、それを言われると辛いものがありますね…」


「大体、40歳近くになっても浮いた話が一つもないのはどうなんですか?

 いい加減、結婚相手を探すなりしなさい。」


「い、いや~こんな僕と結婚してくれる女性は中々いないんじゃないですかね?」


「それもそうですね。」


「ははは。あなたから話を切り出したのに、中々手厳しいな。」


 総一郎と桜はタブレットを通じて、軽快にやり取りをするのであった。


 こうやって、二人で長い時間、話すのは初めてだった。




 この機会に桜はどうしても総一郎に聞きたかったことを聞いた。


「あなたはどうして、この屋敷に住もうと思ったのですか?」


 総一郎はう~んと考えて、桜に答えた。


「えっと、なんとなくですかね?」


「なんとなくで、当時はボロ屋敷だったのに住むことにしたのですか?」


 桜は総一郎の返答に呆れていた。


「そうですね。変ですよね。

 当時、誠一兄さんが亡くなった頃だったんですが、実は僕かなりショックを受けていまして…

 突然、自分のヒーロー、憧れの人がいなくなったのに意気消沈して、ずっと上の空だったんです。」


 総一郎は昔を思い出すように話し始めた。


「そんな中、大学の帰りにぼ~と歩いていたら、全然違う道を歩いてて、でも、変に懐かしくて…

 少しして、子供の頃、よく通ってた道って気づいたんですよ。

 それで、どうせならあの屋敷に行ってみようと思って、屋敷に行ってみると、当時の姿のままだったのに驚きました。

 少しも変わっていませんでしたからね。

 今思うと桜さんのおかげだったのかもしれませんね。」


 桜は黙って、無表情で聞いていた。


「屋敷をぼ~と見ながら、誠一兄さんのことを思い出したり、あの時見た桜さんのことを思い出したりしていたら、なんだか無性に屋敷の中に入りたくなったんです。

 でも、大学で働いていたから、不法侵入は流石にできなかったので、その場で携帯で屋敷が売られてないか調べてみたんです。

 そしたら、かなり安値で売られてるのを見て、すぐに不動産屋に電話しました。

 自分でも手が出せる値段になっていたのも、きっと、桜さんのおかげでしょうね。」


 総一郎は笑って言った。


 桜は頭を抱えながら、総一郎に伝えた。


「結局、なんとなく屋敷の中に入りたくなったから、この屋敷を購入したということですか。

 本当にどうしようもない男ですね。」


「ははは。本当、そうですよね。

 まぁ、少し真面目な話をすると、多分、少しでも誠一兄さんのことを思い出せるような場所に行きたかったというのが無意識にあったんでしょうね。

 30歳の男が情けない話ですけどね。」


 総一郎は照れながら、桜に言った。


「まぁ、あなたが来て、補修をしてくれたおかげで、屋敷の寿命が延びたというのはありますから、何とも言えませんがね。

 それにしても、見る見る内にゴミで溢れ返すわ、追い出そうと色々やったのにも関わらず、全く気にする様子もないわで、正直、あなたには相当イライラしていましたからね。」


「そ、そんなにですか?

 本当に申し訳ないです…」


「あなた、ハルが大人になって、屋敷を出て行ったら、本当に大丈夫なんですか?

 それだけが心配ですよ。」


「だ、大丈夫ですよ!!

 任せて下さい!!」


 桜は総一郎の全く根拠のない言葉に大きなため息をついた。



 どうせならと桜は次の質問を総一郎にした。


「ついでに聞きますが、ハルを引き取ったのはどうしてですか?」


 総一郎は積極的に質問してくる桜を意外に思った。


「本当になんでも聞いてきますね。珍しい。」


「こうやって、話すことができるのも最後になるかもしれませんからね。」



 桜の返事に少し残念そうな顔をしながらも、総一郎は桜に返答した。


「…そうですね。この機会にお互い全部話しておきましょうか。

 僕はハルとはあまり面識がなかったのですが、ずっと気にはしていたんです。

 ただ、先ほど言った通り、誠一兄さんが亡くなった当初は僕もまだ気持ちの整理ができていなかったり、まだ、少し若かったこともあって、すぐには引き取ろうとは思えませんでした。」


 総一郎はすっかり冷えてしまったコーヒーを一口飲んで、話を続けた。


「しかし、母方の親戚にたらい回しにされていたり、恵一兄さんの家であまり居心地が良くなさそうという話を恵一兄さんから聞いて、すぐに直接、話をしに行こうと家に向かいました。

 その時はまだ引き取ろうと決めていたわけではありませんでした。

 しかし、その道中、泣いているハルに出会って、話をしている内にこんな優しい子が悲しんでいるのは納得がいかないと思い、ハルを引き取ろうと決心したんです。」


 そう言って、総一郎は残ったコーヒーを全て飲み干した。



「…とまぁ、こんな感じですかね。」


「なるほど。分かりました。

 ですが、あなた、良くあんな状態の屋敷にハルを引き入れたものですね。

 もう少し何とかなったでしょうに。」


 桜は小言のように総一郎に伝えた。


「き、厳しいですね。

 あの時はゴミとの生活に慣れすぎて、感覚がマヒしていたんですよ。

 今はもう大丈夫ですって。」


 総一郎は苦笑いしながら、桜に言った。



 桜はいつもの無表情に戻って、タブレットに入力し始めた。


「で、その建て替え工事はいつ頃になるんですか?」


 総一郎も真面目な表情に戻った。


「…ハルの高校受験が終わるまでは何とか補修工事でもたせようと思っています。

 できるだけハルに心配をかけたくないので。」


「そうですか。

 ハルに伝えるのも受験が終わってから、ということですね。」


「はい。そのつもりです。」


 桜は少し笑いながら、呟いた。


「…全く。本当に世話の焼ける妹ですね…」


 そして、桜は最後にタブレットに文章を入力して、ゲームを再開した。


 総一郎はその文章を読んで、思わず吹き出してしまった。


「残りわずかということが分かったので、やれるだけゲームをさせて頂きますので、邪魔しないでくださいね。」


 総一郎はコーヒーカップを片付けながら、笑って呟いた。


「本当に桜さんはぶれないな。」



 続く

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