第2話 メイドのお化け

 

 これは加藤春が叔父の総一郎と東雲桜に出会う始まりの話。


 加藤春は4歳の時に両親を交通事故で亡くした。


 その後、始めは母方の叔母の家庭に預けられるが、ハルの特異体質、お化けが見えることに恐れを抱いて、わずか数カ月、ハルが5歳になる頃に、次は同じく母方の叔父の家庭に預けられた。


 ハルの亡くなった両親はハルのお化けが見える体質に対して、寛容だった。

 元々楽観的な両親だったが、お化けが見えることは「個性」だとし、ハルの特異体質を受け止めていた。


 そのため、ハルは「お化けが見えること」は皆にとって、普通のことだと思っていた。


 しかし、叔母の家庭でお化けが見えることを伝えると、皆が気味悪がって距離を置いた。

 その結果、半ば追い出されるかのように叔母の家を出ることとなった。


 この経験から、ハルは「お化けが見えること」は良くないことと認識し、次の叔父の家では「お化けが見える」ことを隠していた。


 しかし、小さな子供が「お化けが見えること」を隠すのは難しく、お化け、怪奇現象に出くわすとどうしても反応してしまう。

 その姿は周囲からすると普通ではなく、異常に見えてしまった。


 結果、やはりここでも長く続かず、今度は父方の叔父、恵一に預けられた。

 預け先が変わる度に引っ越して、友達もろくにできないまま、ハルは気づけば、小学生になった。


 もう追い出されたくない。


 そんな思いで、ハルは今度はお化けが見えても決して驚かないようふるまおうと思った。


 が、どうしてもお化けが見えると驚いてしまう。


 その度、家族に気味悪がられ、ぞんざいに扱われた。


 叔父の恵一は比較的優しかったが、仕事が忙しかったようでほとんど接することがなかった。

 叔父の妻とハルより2歳年上の聡(さとし)は「部屋が狭くなった」、「気味が悪い」と、うっとおしそうにハルを扱った。


 しかし、ハルはめげずに叔父の妻が料理や掃除をさぼる様を見て、自分がやると志願し、必死に気に入られようと努力した。

 そのおかげか、よそ者扱いは変わらないが、追い出されることは無く、1年が過ぎようとしていた。


 居心地は悪いが、置いてくれるならとハルは日々、過ごしていた。




 小学2年生になったばかりのある日の晩のことだった。


 ハルはいつも通り、聡の部屋の床に布団を敷いて、寝ていた。

 聡はベッドで携帯をいじりながら寝転がっていた。


 すると、聡が急にハルに言った。


「なぁ、怖い話ししようぜ。」


 ハルは眠たかったが、無視するわけには行かず、少し身体を起こして、言った。

「急にどしたんですか?」


 聡は携帯の画面を見せた。

「これによると、夜中怖い話をするとお化けが寄ってくるんだって。

 お前、お化けが見えるって嘘ついてるじゃん。

 だから、怖い話してお化けが出なかったら、お化けなんていないってことになるだろ?

 俺が証明してやるよ。」

 ハルは聡に良く理屈の分からないことを言われた。


 ハルは絶対に嫌だった。

 聡に言ってやりたかった。


(あなたにお化けが見えるなら、絶対にそんなことは言わない!

 わざわざ怖い思いをする意味が分からない!)


 しかし、今のハルに選択の余地はなかった。


「分かりました。でも、私は怖い話を知らないです。」

「何だよ~お化け見えるくせにないのかよ~

 やっぱり嘘つきじゃん。

 まぁ、いいや。

 携帯で検索するから、俺が話してやるよ。」

 そうして、聡は携帯で検索した怖い話を話し始めた。


 聡は初めは怖がる様子もなく、「そんな訳ないじゃん。」等と言って笑いながら話していたが、いくつかの話をしていく内に自分も怖くなったのか、笑いは少なくなっていった。


 寝ながら黙って聞いていたが、ハルはどんどん気味悪くなっていくのを感じた。


 聡は話をやめることなく続けた。ただただ携帯の画面を見ながら淡々と話し続けた。


 ハルは一体いつまで続くのかと、聡は怖くないのかと思いながらもしばらく聞いていた。


 しかし、悪寒が止まらず、限界だと感じたハルは上体を起こして、聡に言った。


「もうやめよう!」


 ハルは聡の様子を見て、ぞっとした。


 聡は正座で座り、携帯をまっすぐ手に持ってはいるが、左右の二つの目は一点を捉えておらず、それぞれが違う方向に動き回り、携帯の画面など見ていなかった。


 にも関わらず、ハルの言葉に反応する様子もなくただただ、どこから出てくるかも分からない怖い話を話し続けていた。


 ハルは思わず、聡を突き飛ばした。


 その拍子で聡はベッドからドンっと落ちてしまった。


 ハルはすぐに落ちた聡を確認すると、聡は落ちた拍子に額を切って、血を流していた。


「いてぇ!!」

 聡は大きな声で叫び、泣き出した。


「どうしたの!!」


 叔父の妻が大きな音と聡の声を聞き、慌てて部屋のドアを開けた。


 叔父の妻は血を流している聡を見て、そばにいたハルを押しのけて、聡に駆け寄った。


「どうしたの聡!すぐに病院に連れて行かないと!」

 叔父の妻は携帯で病院に電話しながら、怒りの表情でハルをにらみつけた。


 ハルはどうしたらよいのか分からず、怖くなり、走って家を飛び出した。


 ハルは当てもなく走った。


(聡君の様子は一体何だったの?)

(聡君大丈夫かな?)

(でも、私は悪くない!!)

(どうしていつも私だけがこんな思いをするの?)

(どうして私だけにこんなことが起こるの?)

(私は一体、どうしたらいいの?)


 頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、走った。


 しばらくしてハルは疲れて、立ち止まると、胸の内にため込んだたくさんの思いを吐き出すように大きな声で泣いた。


 周囲に人はいなかった。


 ハルは真っ暗な中、光る街灯の下でポツンと一人、ただただ泣いた。


 すると、そこに一人の男が近づいてきた。


「どうしたの?大丈夫?」


 男は優しい声でハルに話しかけた。


 しかし、ハルは泣き止まず、男は困った。

 男はハルの顔を見て、何かに気付き、泣いているハルに尋ねた。


「もしかして、ハルちゃん?」


 そう聞かれたハルは泣きながら、男の顔を見た。

 しかし、ハルに心当たりはなかった。


「そうだげど、おじぢゃんだれ~?」

 泣きながらもハルは男に聞いた。


「僕は君のお父さんの弟の総一郎だよ。

 大丈夫。おじちゃんは君の味方だよ。

 とにかく、一旦、落ち着こうか。」


 そう言って総一郎はハルの頭を撫でた。


 ハルは総一郎の言葉を聞くと、なぜか少し落ち着いて、しばらくしてようやく泣き止んだ。



 立ち話もなんだからと、ハルと総一郎はすぐそばにあった公園のベンチに座った。


 まだグスっとしているハルに総一郎は言った。


「恵一兄さん達も心配しているだろうから、電話するね。少し待っててくれるかい。」

「…分かりました。」

「ありがとう。あっ、ちょっと待ってね。」


 総一郎は近くの自動販売機で何やら買った後、戻ってきた。

「まだ、肌寒いからね。待っている間、これでも飲んでて。」

 買ってきたホットココアの蓋を開けて、ハルに渡した。

 そして、自分のコートをハルの肩にかけるように着せた。

「熱いから気を付けてね。」

 そう言って総一郎は少し離れた場所へ行き、携帯で話し始めた。


 ハルはもらったココアをふぅふぅ冷まして、一口飲んだ。


(聡君、大丈夫だったかな。ちゃんと謝らないとな。

 でも、もう家は出て行かないといけないだろうな…)


 ハルはココアの口を見ながら、ぼーっと考えていた。



 しばらくして、話が終わった総一郎が戻ってきて、ハルの隣に座った。


「もう落ち着いたみたいだね。良かった良かった。」


 総一郎は笑顔でハルに語り掛けた。

 ハルは怖かったが、勇気を出して総一郎に聞いた。


「…聡君は大丈夫でしたか?」


 総一郎は笑って答えた。

「うん。額ってのは切れやすくて、血が出やすいからね。見た目ほど大したことないのが多いんだよ。

 意識もはっきりしているみたいだし、中身も大丈夫そうだって。

 まぁ、元々頭は悪い方だからって恵一兄さんは笑ってたよ。」


 ハルは安心しながらも、まだ気持ちは落ち込んだ様子で言った。

「…良かった。」


「でも、ハルちゃんは優しいね。」

 総一郎はハルの頭を撫でて言った。


 ハルはびっくりして、総一郎の手を振り払って聞いた。


「どうしてですか?私がケガさせたのに!?」


 総一郎は振り払われた手をそのままにして、答えた。


「だって、君は最初に聡君の無事かどうかを聞いてきただろう?

 小学生くらいの子はそれよりも自分が怒られるのを嫌がるから、「叔父さんは怒ってた?」とか「なんて言ってた?」とかって聞いてくると思っていたよ。」


 総一郎は再び手をハルの頭にのせて続けて言った。


「ハルちゃんは自分のことよりも他の人を心配できる優しい子だよ。」


 ハルは総一郎の言葉を聞いて、むずがゆくなり、何とも言えない気持ちになってモジモジした。


「だから、不思議なんだ。そんなハルちゃんがどうして、聡君を突き飛ばしてしまったのか。

 何か理由が必ずあると思うんだ。よければ、話してくれないかな。」


 少し真面目な顔になった総一郎が言った。

 ハルは総一郎を見ていた顔を伏せて、黙ってしまった。


(聡君の様子がおかしくなっていった話を信じてくれるかな。)

(話を信じてもらえなくて、変だと思われて、こんな優しい人にも嫌われてしまうかも。)


 ハルはどうしても言い出せなかった。

 下を向いて黙ったハルを見て、頭にのせていた手を一旦おろして、総一郎は笑って言った。


「言いたくないならいいんだ。

 どうしても言いたくない、言えない理由もあるだろうしね。

 言わないとダメだと自分で決めた時に話してくれればいいよ。」


 ハルはあっさり引いた総一郎に少し驚いた。


「こんな言葉を知ってる?「墓までもっていく」って。

 自分だけが知っている秘密を死ぬまで誰にも話さないって言葉なんだけど、案外この言葉って、そんなに悪い印象を与えるものではないんだよ。」


 ハルは不思議に思って聞いた。


「そうなの?

 知っていることは正直に話さないとダメなんじゃないの…ないんですか?」


 総一郎はぷっと笑って、答えた。

「敬語じゃなくていいよ。親戚なんだから。

 そうだね。正直に話すことはいいことだと思うよ。

 でもね。何もかも正直にみんなに話してたら、傷ついてしまう人も出てくるんだよ。」


「どういうことですか?」

 ハルは今度はちゃんと敬語で言った。


「敬語じゃなくていいのに。

 例えば、君の友達が好きな人を君にだけ教えてくれたとするでしょ。

 それを君がみんなに「この子、あの子のこと好きなんだって」って言ったら、友達はどう思う?」

「間違いなく、怒ると思います…実際にそういうなんでもしゃべっちゃう子いたけど、嫌われてました。」


 総一郎はまた少し吹き出して言った。


「はは。いるよね。大人でもそんな人がいるからね。

 分かるでしょ?

 何でもかんでも正直に話さなきゃならないってことじゃないんだ。」

 ずっと笑顔の総一郎を見ているうちに、ハルは気づくと少し笑っていた。


 総一郎はまた、ハルの頭を撫でながら言った。


「人間誰しも秘密は持ってるもんだ。

 後ろめたい理由でしゃべれないことが多いと思うけど、ハルちゃんの場合はそうじゃない。

 しゃべってしまうことで、誰かに嫌われたくないとか、誰にも傷ついてほしくないとか、そういう優しい理由があって、言えないのだと思ってるよ。

 だから、その話は墓まで持っていってもいいんだよ。」


 ハルは総一郎の言葉を聞いて、思った。


(どうして、この人は少ししか話していないのにこんなに分かってくれるんだろう。)


(この人なら信じて、分かってくれるだろうか。)


 しかし、どうしても総一郎には言えなかった。



 その後、しばらく、ハルと総一郎は他愛もない話をした。


 ハルにとって、こんなに長い時間、人と話しをして、楽しい思いになったのは久しぶりであった。

 ハルがココアを飲み干したタイミングで総一郎が言った。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。

 このままだと、風をひいてしまうしね。」


 ハルはこの楽しい時間が終わってしまうと思い、寂しくなった。


 何より、あの家に戻るのが嫌だった。


 しかし、そういうわけにはいかない、聡に謝らなければとハルにも分かっていたので、答えた。


「はい…」



 帰りの道中、二人は並んで歩いていた。


 ハルは下を向いて、黙って歩いていた。

 これまでたくさん話してくれた総一郎も何かを考えているのか、黙ってハルの歩幅に合わせて歩いていた。


 すると、総一郎が急に立ち止まり、ハルに言った。


「ハルちゃん。もし君さえよければ、うちに来ないかな?」


 ハルは総一郎の突然の提案に驚き、総一郎を見つめた。


「行きたい!」


 ハルは即答した。

 

 出会って間もないが、これまで預けられたどの親戚よりも長い時間話して、1番自分のことを分かってくれると感じた人の提案を断る理由がなかった。


「良かった~

 断られるかと思って、なかなか言い出せなかったんだよ。

 ごめんね。

 あと、ありがとう。」

 

 総一郎はホッとして、壁に手をやり、もたれかかりながら、胸をなでおろした。


 ハルはその様子を見て、かわいいと思い、ポンポンと総一郎の背中をたたいてあげた。

 総一郎はニコッと笑って、ハルの手を握って、また、歩き始めた。


 そして、歩きながら、総一郎はハルに言った。


「でもね。手続きとかいろいろあって、うちに来るのは少し時間がかかるから、そのつもりでいてね。

 何より、このままうちに来たら、ハルちゃんは聡君を傷つけて家に居づらくなったから逃げたということになる。

 これは、君にとって、とても良くないことだ。

 だから、誰にも逃げたとは言わせない形で今の家を出れるよう努力してほしい。

 これは大人でもとても難しいことで、多分、100%納得できる形にはできないだろうけど、君が、君自身が、心残りがない形でうちに来てくれるように頑張ってほしい。」


 総一郎は今までにない真面目な顔でハルに言った。


 小学2年生のハルにとって、少し難しい話で、恐らく、完全には理解はできなかったが、ハルは胸が熱くなり、今までにない前向きな気持ちになった。


「はい…!」

 ハルは力強く答えた。


 家に帰ったハルは恵一の妻に散々、罵声を浴びせられて、泣きそうになったが、決して目をそらさず、全てを受け止め、謝った。


 恵一の妻とのやり取りが一通り終わった後、すぐに聡に謝りに行った。

 聡は怖い話の途中からの記憶が無いようで、困惑していて、気づいたら頭から血を流していたとハルに言った。

 それでも自分のせいでケガをしたのに変わりがないので、ハルは誠心誠意謝った。


「ごめんなさい!

 あの時、どうしても怖い話を止めたくて、つい、突き飛ばしてしまったの!

 本当にごめんなさい!何なら殴っていいから!!」


 ハルは頬を聡に突き出した。

 聡は少し拗ねた様子ではあったが、「分かったよ」とハルを許してくれた。


 ハルは意外とあっさり許してくれたことを不思議に思ったが、とりあえず、良かったと安心した。


 総一郎は恵一と何か難しい話をして、早々に帰った。




 それから数カ月、恵一の妻の小言と嫌がらせが増えた。


 しかし、ハルは赤の他人が家にいること、ましてやそれが自分の子供を傷つけたのであれば、そうなるのもしようがないと納得していた。

 そして、これまで以上に家事を進んで行うようにした。


 聡は特に変わった様子がなく、今まで通り、むしろ、少しやさしくなったように感じた。


 ハルの小学2年生の夏、正式に総一郎の家に引き取られることが決まり、家を出ていくことになった。




「今までこんな私をお世話してくれて、ありがとうございました。」


 ハルは恵一一家に向けて、最後の挨拶をした。

 この頃にはハルは決して嫌味ではなく、心からそう思えるようになっていた。


「こちらこそ、今までありがとう。

 いろいろと助かったよ。

 こっちは気にせず、元気でね。」

 恵一は少し察した大人の言葉を送ってくれた。


 恵一の妻は見送りには来なかった。友人とランチだそうだ。


 意外にも聡は見送りに来てくれていた。その聡が下を向きながら、ハルに言った。

「…あの時はごめんな。

 俺、お化けなんていないんだぞって、お前に教えたくて…

 だから…その…悪かったよ。」


 聡は少し照れた様子だった。

 その様子を見て、ハルはクスっと笑った。


「ううん。私が悪かったんだよ。

 だから、気にしないで。

 今までありがとう。楽しかったよ。聡お兄ちゃん。」


 そう言って、ハルは総一郎の車に乗った。


「いろいろと悪いな。総一郎。」

 恵一は総一郎に申し訳なさそうに言った


「恵一兄さん。むしろお礼を言わせてほしいよ。こんな良い子を僕に預けてくれて。」

 総一郎は笑いながら言った。


「そうだな。また、誠一の墓参りの時にでも会おう。元気でな。」

「恵一兄さんも体に気を付けて。じゃあ。」


 そう言って、総一郎も車に乗り、発進させた。


 ハルは恵一と聡が見えなくなるまで、手を振り続けた。

 

 

 総一郎は運転しながら、ハルに聞いた。


「寂しい?」


 ハルは涙を浮かべつつ笑いながら、答えた。


「うん!

 でも、なんだか寂しいのに嬉しいの!!

 変なの!!」


 総一郎は前を見ながら、笑って言った。


「それは良かった。きっとハルならできると思ってたよ。」




 ハルと総一郎を乗せた車は総一郎宅に到着した。


 ハルは始めて総一郎の家を見て、思わず声を上げた。


「すご~~い!!でか~~い!!」


 総一郎の家は家というよりもお屋敷というのが正しく、非常に大きな古い洋館であった。


 ハルはこれからこんな大きな家に住めるのかと思い、目をキラキラさせて、興奮していた。


 総一郎は嬉々としているハルを見て、嬉しく思い、ハルに言った。

「すごいだろう?元は貴族の住むおうちだったんだ。」

「うん!すごい!貴族って王子様ってこと!?総一郎ってお金持ちなんだね!!」


 ハルは現金なことを言った。


「い、いや、そういうわけではないんだけど…まぁ、喜んでくれて何よりだよ。」

 総一郎は少し言葉を濁した。


 そして、総一郎は玄関のドアを開けて、ハルに言った。


「どうぞ、お嬢様。」


 ハルはこれからどんな素敵な生活が始まるだろうとワクワクしながら、屋敷に入った。



 しかし、屋敷に入ったハルはすぐにその幻想が崩れることになる。


「な、何か臭いんだけど…」


 玄関は見た目は思っていたよりも少し雑多なくらいだったが、臭いがまず気になった。


「えっ!そ、そうかな?」

 総一郎は少し誤魔化し気味に答えた。


 ハルは臭いがする方に近づいて行った。


「あっ!そっちは行かないで!」

 荷物を降ろしていた総一郎は慌てて、ハルを制止した。


 総一郎を無視して、ハルが臭いのする部屋のドアを開くと、そこは地獄だった。


 パンパンになっている大量のゴミ袋で足場もなく、一体何の部屋かも分からない程、荒れ果てていた。


 異臭の漂う中、ハルは鼻をつまみながら、総一郎に聞いた。


「…総一郎…これは…?」


 総一郎は頭をかきながら、苦笑いでハルに言った。

「いやぁ~僕、掃除が苦手でハルが来るってなったから、とりあえず、ゴミを集めてこの部屋に押し込んでたんだよ。

 あはは。みっともないところを見せてしまったね。

 ごめんよ。」


 ハルは掃除が苦手というレベルじゃないと不安になり、何も言わず、その他の部屋も急いで確認しようと走った。


「ちょ、ちょっと!待ってハル!!」


 総一郎は再び慌ててハルを止めようとするが、聞くわけもなく、ハルは屋敷中のドアを片っ端から開いた。


 ハルの思った通り、最初の部屋だけでなく、あちらこちらがゴミであふれており、まさしくゴミ屋敷と化していた。


 ただ一つの部屋を除いて。


 ハルが最後に確認した二階の奥の部屋はどうしてかきれいに片付いていた。


 その部屋にはきれいな新しいベッドと新品の勉強机、古めかしいタンスが置かれていて、他に何もなかった。


 今までの部屋と比べると明らかに異質で、ハルが何だこの部屋は?と不思議に感じていると、総一郎が申し訳なさそうに言った。


「ホント、ごめんよ。

 とりあえず、ハルの部屋だけはと思って、この部屋だけはちゃんと掃除してたんだ。

 けど、何を置けばいいのか分からなくて、かわいげのない部屋になっちゃった。」


 ハルは驚いて、総一郎に言った。


「ここが私の部屋?」


 総一郎は笑って言った。


「そうだよ。好きに使って」


 ハルは部屋を黙って見ながら、今まで、こんな広い自分だけの部屋を持っていなかったので、少しづつ嬉しさが込み上げてきた。


「ありがとう!!総一郎!!大切に使うね!!」


「うん。とりあえず、荷物おろすの手伝ってくれないかな?」

「分かった!」


 ハルは最初はかなり不安になったが、今はワクワクが止まらなかった。


(ここから、私の新しい生活が始まるんだ!!)




「掃除をします!」


 荷物を一通りおろして、ハルは意気揚々と総一郎に言った。


「掃除?大丈夫だよ。慣れたらなんともないよ~」


 総一郎は恐らく居間であろう部屋のソファーで、両脇のゴミ袋に手をかけながらあっけらかんと言った。


(この男はダメだ…

 ゴミとの生活に慣れすぎて、感覚がおかしくなっている…)


 ハルは深くため息をついて、総一郎に行った。


「ダメです!

 せっかくの私の新しい生活がこんなところで始まるのは悲しすぎる!!

 こう見えて私、掃除得意だから、任せて!

 ただ、総一郎もちゃんと手伝ってよ!!」


 総一郎は小学2年生にたしなめられたら、さすがにしょうがないかと了承した。


「分かりましたよ。じゃあ、僕は何したらいい?」

「うむ!

 まずは捨てれるものは捨てていくのが掃除のコツです。

 とりあえず、大量のゴミ袋と捨てるものを車に積んでって。

 一通り積んだらクリーンセンターに持って行って、捨てていこう。」

「クリーンセンター?ちょっと待って調べるね。」


 総一郎は携帯でクリーンセンターを調べた。


「あった。へぇこんなのあるんだ。

 知らなかったよ。ハルは良く知ってたね。」


 ハルはあきれた様子で言った。

「クリーンセンターなんて、大抵の町にあるよ…

 社会科見学でも行ったし。

 むしろ知らない方がおかしい。

 どんだけ、ゴミと一緒に住んでたんだよ。」


「そ、そうなんだ。はは。よし!じゃあ、早速集めていきましょうか!」

 総一郎は腕まくりをしてごまかしながら、ゴミ袋を集めだした。


(この男、ゴミ捨ての曜日も知らないんだろうな…)


 ハルは前途多難だとため息をついた。


 ハルと総一郎はごみを集めて、車にポンポンと積んでいった。


 幸いなことに総一郎はごみを袋にまとめて入れておく習性があり、ある程度まとまっていた。

 また、ほとんどがコンビニ弁当やペットボトルばかりで、重いものがなかったので、小一時間で、車の中はパンパンになった。


 大分、屋敷の中の足場は増えてきて、掃除機はかけられる程度にはなってきた。


「よし!じゃあ、総一郎はクリーンセンターに捨てに行ってくれる?」

「分かった。ハルは来ないの?」

「まだゴミは多いから、玄関に集めておいて、掃除機かけておくよ。

 掃除機はどこにあるの?」


「掃除機?この家にあったかな?」

 総一郎は恐ろしいことを言った。


「う、嘘でしょ?」

 ハルは青白い顔をしながら、恐る恐る聞いた。


「ははは。嘘だよ。ちょっと待って、取ってくるよ。」

 総一郎は笑いながら言った。


 ハルはだんだんと総一郎のことが分かってきた。

 顔は小学2年生から見てもかっこいいのに、未だ独り身である理由が分かってきたのだった。



 しばらくして、総一郎が戻ってきた。


「はい。これ。じゃあ、僕はゴミ捨ててくるね。」


 そう言って、総一郎は少しホコリをかぶった古そうな掃除機をハルに渡して、さっさとクリーンセンターに向かった。


(掃除機についてツッコまれたくなくて、逃げたな…)

 

 ハルは何度目か分からないため息をついた。


 ハルはちゃんと動くのだろうかと念のため、電源ケーブルをコンセントにさして、電源スイッチを押した。


 すると、掃除機は大きな音を立てて動いた。


 ハルは良かったと思いつつも、今時こんなうるさい音の掃除機あるんだと逆に不安になった。


 掃除機の電源を消した後、ふと一人になったハルは屋敷の様子を見回した。


 チクタクと音を立てている古びた時計。

 2階に続く大きな階段。

 何か秘密が隠れてそうな部屋のドア。

 古い傷がついている柱。


 小さな子供にとって、汚いけどキラキラしているものばかりであった。


 たくさん不安はあるけど、今まで感じたことのないワクワク感が出てきた。


(よし!やるか!)


 ハルは顔を軽くたたいて、まずは残っているゴミ袋を玄関に集める作業を始めた。


 2階のゴミ袋のある最後の部屋のゴミを集めていると、ハルはゴミ袋の下に丸い形をした黒い機械を発見した。


「…これ。あれじゃん!自動で掃除してくれるやつじゃん!」


 ハルが発見したのは巷で有名な全自動掃除機であった。


「こんなところで電池がなくなったんだ。ゴミ袋の下だなんて。

 なんてかわいそうなやつだ。」

 ハルは憐みの表情でその機械に語り掛けた。


「総一郎が帰ってきたら、叱ってやるからね。とりあえず、これは大切においておこう。」

 ハルは近くにあった机の上に全自動掃除機を置いた。


 その時、ハルの全身に悪寒が走った。



「…珍しいですね。

 ようやく掃除婦でも雇ったのでしょうか。」



 ハルは後ろで女性の声を聞いた。


 しかし、ハルはこの声がお化けのものだとすぐに分かった。


「しかし、小さな掃除婦ですね。

 まだ、子供ではないですか。」


 お化けは独り言のようにつぶやいた。


 ハルはお化けに遭遇した時、お化けが見えていることに気付かれると碌なことがないと、経験上、知っていた。


 大抵のお化けはハルが見えていることを知ると、ターゲットをハルに絞って、ついてきてしまうのだ。


 だから、ハルは声がする方は見ずに何事もなかったかのようにゴミ袋を集めた。


 しかし、このお化けはハルの動きの戸惑いに気付き、ハルに近づいて言った。


「おや?

 あなた、ひょっとして私の声が聞こえるのですか?」


 ハルはぞくっとしながらも、絶対に声のする方は向かずに黙々と作業を続けた。


 すると、頭から血を流している無表情な女性の顔がハルの目の前に現れた。


「いや、絶対に聞こえてますよね?」


 突然の出来事にハルは思わず、声を上げてしまった。


「ひっ!!」


 それを聞いて、お化けは不気味な笑いをして、言った。


「ふふふ。

 これは面白いですね。

 まさか私が見える人間がこの屋敷に来るとは。」


 ハルは思わずのけぞって、お化けの全体像を見た。


 長い黒髪をまっすぐに垂らして、頭から血を流して不気味に笑う顔。

 そして、長いロングスカートの全体的に黒を基調としたメイド服を着ていた。


 ハルは訳が分からなくなり、怖くなって、すぐさまその場を逃げ出した。


(怖い!怖い!)


 声にならない声を出して、ハルは玄関まで走った。


 そして、一旦、外に出ようとした。


 しかし、玄関のドアノブに手をかけた時、ハルはピタッと止まった。


(また、逃げないといけないの?

 せっかく、素敵なお屋敷で新しいワクワクの生活が待ってるのに!?)


(…それにここでお化けがいるから掃除をやめたなんて、総一郎に言ったら、嫌われてまた家を出ないといけなくなるかも…)


(なんで、私はいっつもお化けのせいでこんなことに…)


 色々なことを考えているうちにハルはお化けに対して、怒りがわいてきた。


(…こうなったら、意地でもお化けなんか無視して、掃除を続けてやる!!)


 ハルはそう思い立ち、再び、2階のお化けに出会った部屋に向かった。


 そこには机の上にぷかぷか浮いているお化けの姿があった。


「これはまた驚きました。

 まさか戻ってくるとは。」


 お化けが無表情でハルに言った。


 ハルは一瞬びくっとなったが、怖さよりも怒りの方が勝り、ぷいっとそっぽを向いてゴミ袋を集め始めた。


「おや。どうしたんですか?少し話しましょうよ」


 お化けはハルに興味が出たのか、執拗に話しかけてくる。


「ねぇ。話しましょうよ。」

「話さないといたずらしますよ。」

「ほらほら、さぁさぁ。」


 それでもハルは無視をし続け、部屋のゴミ袋を一通り、玄関まで集めた。


 ハルはこんなにお化けに対して、無視し続けることができたのは初めてかもしれないと思い、少し自分に自信を持った。


 すると、ハルの目の前に再び、お化けが顔を出し、不気味な笑いを浮かべて言った。


「面白い。

 それでこそ追い出しがいがありますよ…」


 そういって、お化けはふっと消えた。


 ハルは急な出来事にへたりと座り込んだ。

 気を張ってはいたが、その糸が緩むとまた恐怖が沸きあがってきた。


 しかし、ハルは負けないぞと再び重い旧式の掃除機を持って、掃除を続けた。




 総一郎が帰ってきた頃には、見違えるほど、屋敷はきれいになっていて、総一郎は驚いた。


「ハル、ありがとう。すごいね!」


 総一郎に頭を撫でながら褒められて、ハルは嬉しくなった。

「まだまだ、掃除しなきゃならないところはいっぱいあるけどね。」


 しかし、ハルの頭の中にはあのお化けのことが離れないでいた。




 晩御飯はキッチンがまだひどいことになっていたので、総一郎がピザを頼んだ。


 届いたピザをハルと総一郎が食べながら、話していた。


「ご飯もちゃんと作らないと。

 総一郎はいっつも出前なの?」


 ハルはあのゴミ袋の様子を見て分かっているが、念のため、総一郎の食生活を案じて、言った。


「いや。

 いつもは帰りにコンビニのお弁当を買って、食べてるよ。

 最近のコンビニは栄養管理がしっかりしてるものが多いから、体調が悪くなったことはあんまりなかったよ。」

 総一郎は言い訳がましくハルの思っていたことを言った。


「やっぱり!

 しょうがない。

 私がごはん作るよ。任せてよ!」


 これまで恵一の家で実践してきた料理の経験が役に立つと、ハルは胸を張って言った。


「いや、さすがに小学2年生に全部任せるのは気が引けるよ。

 …そうだな。休日は僕ができるだけ作るようにするよ。」

 総一郎は罪悪感からか、料理の当番制を提案した。


 しかし、それにしても休日だけとか、出来るだけとか、言い出しからハードルを下げているあたり期待できないなとハルは思った。


「…総一郎はそういうところがダメだと思うわ…」


「えっ!そ、そうかな。」

 頭をかき、苦笑いしながら総一郎はピザをほうばった。


「そう言えば、総一郎、ここってゴミの日はどうなってるの?」

「えっ!ゴミの日?ちょ、ちょっと待ってね!」


 総一郎が携帯で慌てて調べだしたのを見て、やっぱりなとハルはあきれた顔をした。



 すると、突然、あの頭から血を流したお化けがハルの目の前に現れた。


「こんばんわ。」


 ハルは不意を突かれ、びっくりして、手に持っていたピザを落としてしまった。


「あった!

 えっと、月曜日が燃えるゴミで水曜がリサイクルゴミ、木曜日が燃えないゴミ、後はいろいろややこしいことが書いてるけど、大学で印刷して、どっかに貼っておくよ。」

 総一郎が携帯の画面をハルに向けながら言った。


 しかし、様子のおかしいハルを見て総一郎は言った。

「ハル?大丈夫?顔色が良くないけど。」


 ハルはハッとして、答えた。

「い、いや!大丈夫だよ。

 総一郎がゴミの日知らないのにびっくりして、ピザ落としちゃったよ~」


「そ、そんなにびっくりすることなのか…

 以後、気を付けるよ。」

 総一郎は少し反省した様子を見せて、ピザをまた食べだした。


 ハルは落としたピザを拾って、生ごみ入れに捨てた。


 気づくとお化けはいなくなっていた。


(こんな、急に出てくるなんて。

 明らかに今までのお化けと違う…)


 今までは悪寒や気味の悪さでなんとなくお化けの出てくるタイミングは分かっていたが、今回は完全にその意識の外からの出現であった。


(よりにもよって、総一郎がいるところで…

 あのお化け…ホント、むかつく!!)


 その日から、ハルとお化けの戦いは始まったのだった。




 ハルが総一郎の屋敷に来たのは8月でちょうど夏休みであった。


 平日は総一郎は大学の仕事で、朝から夕方、遅ければ晩まで帰ってこなかった。


 その間、ハルは転校先の学校の宿題や掃除の残りをして、朝・昼・夜ご飯は初めの方は食材がそろっていなかったため、コンビニ弁当やインスタントラーメン等が多かったが、その内、ハルが作るようになっていった。


 しかし、そんな中、事あるごとにあのお化けが驚かしにくるのであった。


 突然、わっと驚かしたり、生々しく血があふれ出ている頭の傷を見せてきたり、料理中に食器を動かして邪魔をしたり、多種多様な嫌がらせをしてきた。

 寝ようとしているときにも邪魔をしてきて、眠れぬ夜が続いた。


 二週間程たつと、ハルは精魂尽き果てた状態になっていた。


(もう嫌だ。なんで、私ばっかり…)




 ある日の朝、総一郎は大学に行き、ハルは眠気眼で掃除をしていた。


 始めてお化けと出会った部屋を掃除している時、全自動掃除機が目に入った。


(そういえば、忘れてたな。

 これの充電器ってどこにあるんだろ?)


 ハルはあたりを探して、充電器を探した。


 そして、机の下をのぞいた時、あのお化けがそこで不気味な笑いを浮かべながら、こちらを見ていた。


 ハルは驚いて、尻もちをついた。


 その様子を見て、お化けは高笑いしながら、ハルに言った。


「ははは。あなたを驚かすのは本当に楽しいです。」


 ハルはもう我慢できず、泣き出してしまった。

 ハルのたまっていた感情が噴出した。


「なんで、こんないぢわるずるの~」


 わ~わ~泣いているハルにお化けは高笑いをやめて、無表情になり、ハルに答えた。


「それはあなたを追い出すためですよ。

 ここは私のお屋敷なのだから。」


 それを聞いて、更に悲しくなったハルは泣き声を大きくして言った。


「どうじでいつもわだじはおいだされなきゃならないの~

 なんでだよ~~」


 お化けはハルに無表情ながらも少し怒っているように言った。


「あなたは自分のせいだとは思わないのですか。」

「だっでおばけのせいだもん~~」


「泣くのはやめなさい!!!」


 お化けはハルにこれまでにない大きな声で、怒鳴りつけた。


 ハルは思わず、涙を流してはいるものの声をひっこめた。


「あなたは今まで、自分は悪くないと…

 全部お化けのせいにしてきたのですか?」

 お化けはまた無表情に戻ってハルに尋ねた。


「…だって、そうだもん…」

 ハルはグスグス言いながら答えた。


「じゃあ、あなたはそれ相応の努力をしてきたと。」

「してきたもん!!

 家事だってするし、ちゃんと気に入られようと努力したもん!!」

 ハルは涙を浮かべながら、お化けに反論した。


「気に入られるための努力というのがまず、おかしいです。

 媚びへつらって、本当に人に好かれると思っているのですか?

 それで好かれたとして、あなたはそんな媚びへつらって好きになってくれる人が好きなのですか?」

 お化けは淡々とハルに言った。


「そんなこどいっだって、難しくてわかんないよ…」

 ハルはぐずりながら言った。


「子供だとかは関係ありません。

 好かれたい人に対して、ちゃんと真摯に向き合ったのかどうかです。」

「だから、言ったじゃん!!私は家事とか・・・」


「じゃあ、どうして、お化けが見えることを隠しているのですか?」


 お化けはハルの言葉をさえぎって、言った。


 ハルは少し間をおいてしまったが、再び、反論した。


「…だって、お化けが見えるって言ったら、総一郎に嫌われて、また、家を出なくちゃいけなくなるかもしれないもん!!」


「要は、嫌われるのが怖いから本当のことが言えない臆病者で、好かれたい人に嘘をつき続ける嘘つき者ということですね。」


 ハルは言い返すことができず、下を向いて黙ってしまった。

 お化けは相変わらず無表情で続けた。


「結局、あなたは逃げているだけです。

 嘘ばかりついている人が好かれるわけがないでしょう。

 あなたは好かれたい人を信じることのできないただの嫌われ者です。

 だから、追い出されるんですよ。」


 ハルはむぅ~と涙を浮かべて、またわぁ~と泣き出してしまった。


「はぁ~興ざめしました…

 とにかく、さっさと出て行ってくださいね。」

 お化けはそう言って、ふっとどこかへ消えていった。


 ハルはしばらく、グスグス泣いて、お化けに言われたことを考えていた。


(総一郎は前、墓まで持っていっていいって言ってたけど、お化けが見えることは本当にそうなのかな?)


(総一郎に私は嘘をついていることになるのかな?)


(このまま、私は嘘をつき続けていくのかな?)


(でも、信じてもらえるかどうかも分からないし…

 私はどうしたらいいんだろ…)


 そんなことをグルグル、グルグル考え続けていた。




 ハルは知らないうちに寝ていたようで、気づくと18時になっていた。

 夕飯の準備をしないとと思い立ち上がると、総一郎が帰ってきた。


「ただいま~」


 ハルは帰ってきた総一郎の元に走って向かった。


 そして、総一郎に抱き着いて、顔を総一郎のお腹にうずめながら言った。


「総一郎…」


 いつもの「お帰り」を言おうとしたが、声が出なかった。


「ハル?どうしたの?」


 ハルは自分の気持ちをどう伝えたらいいのかが分からなくて、また、声を小さくして泣きだしてしまった。


「…よっぽど怖いことがあったのかな?

 ごめんね。いつも一人にしちゃって。

 大丈夫?」

 総一郎はそう言って、ハルの頭を撫でながら続けた。


「正直、僕頼りないかもしれないけど、何でも思ったことは言っていいんだよ。

 ハルがどんなことを言っても、僕は決してハルのことを嫌いにならないし、出来るだけ力になりたいと思っているんだから。」


 ハルは総一郎に優しくそう言われて、決心した。


 そして、涙で溢れた目で総一郎を見上げて、言った。


「総一郎、この屋敷にお化けがいるの!!

 退治して!!」


 総一郎はハルの言葉を聞いて、少し驚いた様子を見せて、ハルに聞いた。


「ハルはお化けが見えるの?」


 ハルは見上げていた顔を再び、総一郎のおなかにうずめて言った。


「うん…」


 総一郎はハルの頭を撫でながら、再び、聞いた。


「そのお化けはどんな姿をしているか教えてくれる?」


 ハルはそのまま顔を隠しながら答えた。


「頭から血を流してて、長い黒い髪のメイドのお化けなの…」


 ハルの言葉を聞いて、総一郎は撫でていた手をピタッと止めていった。


「…やっぱり、まだこの屋敷にいたんだ…」


「…やっぱり?」

 ハルは不思議に思って、総一郎を見上げた。


「い、いや、何でもないよ。

 でも、実はこの屋敷のお化けには心当たりがあるんだ。

 一旦、落ち着いて、話を聞かせてくれないかな?」

 総一郎は少し言いよどんで、ハルに答えた。


 ハルは総一郎がとにかくお化けが見えることを信じてくれたことがあまりに嬉しくて、安心して、また、泣き出してしまった。


 総一郎はまた頭をなでながら、ハルに優しく言った。 


「そうか…そのことをずっと悩んでたんだね…

 よく頑張ったね。」


 ハルが泣き止むまで、総一郎はぎゅっとハルを抱きしめた。




 ハルが泣き止んだ後、片付いた居間のソファーで総一郎とハルは並んで、座っていた。


「とりあえず、お腹がへったし、今日は出前を頼もうか。

 ハルは何が食べたい?」

 総一郎はハルに聞いた。


「…メイドのお化けが嫌いそうなもの…」

 ハルはなかなか難しいお題を出した。


「はは。よっぽど、そのお化けが嫌いなんだね。

 じゃあ、メイドって洋風だし、和風のお寿司でも頼むね。」

 総一郎は少し困ったが、これ以上、この話が伸びると面倒なことになりそうと思い、早々に宅配お寿司を注文した。


「…さて、早速だけど、ハルはどうして、メイドのお化けを退治してほしいの?」


 総一郎は携帯でお寿司を注文した後、ハルに尋ねた。


「だって、掃除の邪魔したり、料理の邪魔したり、寝るの邪魔したり、ずっと私に嫌がらせしてくるんだもん!」

 ハルはむくれながら、総一郎に答えた。


「それは確かにしんどいね。

 今日は一緒に寝ようか?」

 総一郎は心配そうに言った。


「嫌だよ!!恥ずかしいし!!」

 ハルは全力で断った。


「そうか…そうだよね…ごめんね。

 未だに小学2年生との距離感が分からなくて…」

 総一郎は悲しい目をしながら、言った。


「いや、決して嫌ってるとかじゃないからね!

 今まで親戚の人達にそういうことしてもらえたことなかったから…

 でも、今日だけお願いするかも…」

 ハルは恥ずかしながら、総一郎に頼んだ。


「うん!いいよ。

 ハルにお願いされるのはなんだか本当にうれしいんだ。」

 総一郎は笑いながら言った。


 ハルは照れながら、話を逸らそうと総一郎に聞いた。

「そういえば、メイドのお化けに心当たりがあるって言ってたけど、どういうこと?」


「あぁ、実はこの家って所謂、事故物件ってやつなんだ。昔、誰かがここで死んでしまったんだって。」


 総一郎はあっさりと恐ろしい話を何事もないように言った。


 ハルは驚いて、怒りながら、総一郎に言った。


「どうして、言ってくれなかったの!!」


「変に怖がらせても嫌だったし、今まで僕がそういった怖い目にあったことがなかったから、言わなくてもいいかなと思ってたんだ。

 でも、そうだね。

 ハルがこの家に来る前に言うべきだったよ。

 本当にごめん。」

 総一郎はハルに頭を下げながら、謝った。


「…ハルはもうこの家を出たいかな?」


 総一郎は恐る恐る聞いた。


 ハルは総一郎をまっすぐ見て言った。


「嫌だ!!もうどこにも行きたくない!!」


 総一郎はそれを聞いて、安心した。

「良かった〜僕もハルにはずっとここにいて欲しいと思ってるよ。だから、これからも宜しくね。」

「うん!」

 ハルと総一郎は顔を見合わせて、お互い笑った。


(それにしても、この男はお化けを全く怖がらないんだな)


 ハルは頼もしさを感じるとともに少し呆れた気持ちになった。


「じゃあ、メイドのお化けについて、確認していこうか。

 ちなみに今この部屋にそのお化けはいるかな?」


 総一郎にそう言われて、ハルは辺りを見回した。


 すると、呼ばれたから出てきたようにハルと総一郎が座っているソファーの前にふっとメイドのお化けが現れた。


 ハルはビクッとなりながらも、顔をそらしながら、お化けの方を指差して、答えた。


「うん…いる…そこに。」


 総一郎は何故か少し嬉しそうに驚いた。


「いるんだ!

 そうか…

 じゃあ、怖いかも知れないけど、お化けに名前を聞いてみてくれないかな?」


 総一郎の提案にハルはびっくりして聞いた。


「やだよ!なんで、そんなことしなくちゃいけないの?」


 怯えてしまったハルに総一郎は優しく言った。


「怖いと思う。

 とても難しいことをお願いしてると思う。

 でもね。多分、ハルは今までお化けを理解しようとしたことはなかったんじゃないかな?」


「お化けを理解する?

 そんなことできるの?」


 ハルは不思議そうに総一郎に言った。


「きっとお化けと話すことができるハルなら出来るよ。

 お化けも元は人なんだ。

 人もお化けも理解すれば、怖くなくなるよ。」


 ハルは今までお化けを理解するなんて、考えたこともなかった。


 ハルは背けていた顔をお化けに向けた。


「ハルはこれからもお化けには出会ってしまうと思う。

 けど、その度に逃げてるだけじゃあ、怖いままでしんどいと思うんだ。

 だから、僕はお化けを知ることでその恐怖を克服して欲しいと思っているんだけど、ダメかな?

 ハルにはそれが出来ると思ってるよ。」


 総一郎の言葉を聞いて、ハルは思った。


(今まで、どうしたらお化けが怖くなくなるかはいっぱい考えてきたつもりだけど、お化けを知ろうとは思わなかった。)


 ハルは意を決して、お化けに向かって言った。



「あなたのお名前は?」



 お化けは舌打ちをして、嫌な顔をしながら言った。


「どうして私を退治しようとしている人に名前を教えなければならないのですか。」


 ハルは怖くなって、再び顔を背けた。


「お化けはなんて?」


「退治しようとしてる奴になんで教えなきゃいけないのかって。

 怖い顔しながら、言われた。」


 ハルの怯えた様子を見て、総一郎はハルの指差していた方を真っ直ぐ向いて言った。


「申し訳ありません。

 退治というのは言い過ぎでした。

 しかし、あなたは私の大切な人に意地悪をしました。

 正当な理由もなく、意地悪をしたと言う事なら、あなたを何かしらの方法で退治しなければなりません。」


 ハルは驚いて、そんなこと言ったら、お化けが総一郎に何かするのでは?と不安になり、お化けを見た。


 しかし、お化けは無表情で黙って聞いていた。


 総一郎は淡々と続けた。


「私達も出来れば退治などしたいとは思っていません。

 理由をお聞かせ頂きたいと考えています。

 そのためにまずはお互いの事を知っておきたいと思い、お名前を聞かせて頂きました。」


 総一郎は最後に頭を下げながら、お化けに向かって言った。


「名乗り忘れて恐縮ですが、私は加藤総一郎と申します。

 今のこの家の所有者になります。

 こちらが加藤春です。

 どうぞ宜しくお願いします。」


 ハルは総一郎に肩を叩かれて慌てながら、頭を下げて言った。


「か、加藤春と言います!

 さっきは退治してなんて言ってごめんなさい!

 宜しくお願いします!」


 しばらく、二人が頭を下げていると、お化けはため息をついて、答えた。



「東雲桜です。」



 ハルはお化けが答えてくれたのにびっくりして顔を上げた。


 名前を聞いただけだが、今までの恐怖が大分薄まったように感じた。


 そして、総一郎の肩を叩いて教えた。

「しののめさくらさんだって!

 すごい!総一郎!

 答えてくれた!」


 総一郎はばっと顔を上げて、今まで見たことない顔でハルを見た。


「ごめん。ハル。

 もう一度、お化けの名前を言ってくれないか?」

「だ、だから、しののめさくらさんだって」


 ハルが少し戸惑いながら答えると、総一郎はつぶやいた。


「…すごいよ。ハル。

 君は本当にお化けの声が聞こえるんだね。」


 ハルはキョトンとして総一郎に言った。

「だから、言ったじゃん。

 ひょっとして信じてなかったの?」


 総一郎は我に返ってハルに言った。

「ごめん!

 信じてなかったわけではないんだ。

 でも、お化けの名前を言ってくれたことで、確信に変わって驚いたんだ。」

「どういうこと?」

 ハルは何が何だか分からなかった。

「え〜とね、つまりね…」


「貴方達、私をほおって勝手に話をしないでくれますか。」


 せっかく名前を教えてやったのにハルと総一郎に放置されてしまったことにイラついて、桜は腕を組みながら、二人に言った。


 それを聞いて、ハルは総一郎をすぐに止めた。


「総一郎!桜さんが怒ってるから、止まって!

 ごめんなさい!」

「あっ、つい話に夢中になってしまった。桜さん、申し訳ありません。」

 総一郎も慌てて桜に謝った。


「…で、私がなぜ、その娘…ハルと言いましたか?

 ハルになぜ意地悪するかということでしたね。

 私はあなたをこの屋敷から追い出すために意地悪したのです。」


 桜は胸を張って、二人に言い張った。


「…えっと。桜さん?

 どうして、私を追い出したいんですか?」

 ハルはちゃんと説明してほしくて、桜に聞いた。


「この屋敷は私の居場所で、あなたが邪魔だからです。」

 お化けは以前、ハルに言ったことと同じことを言った。


「…それは分かったけど、でも、総一郎はいいんですか?」

 ハルは思ったことをそのまま伝えた。


「…もちろん、この男も追い出そうと物を動かしたり、驚かそうとしましたが…

 この男は全く気にも留めない様子ですし、この屋敷をゴミ屋敷にするわで…もう諦めました…」

 桜はうんざりした顔で答えた。


 ハルは気の毒にと思い、総一郎に聞いてみた。


「ねぇ、総一郎。

 今まで怖いことがなかったって言ってたけど、急に物が動いたりとかしなかった?」


 総一郎はケロッとした顔で答えた。

「そういえば、食器とかがよく勝手に落ちてダメになったな。

 でも、ねずみとか静電気とかで動いたのかなって思って別に気にしなかったよ。

 それにその内、食器も使わなくなったしね。

 あとはテレビが勝手についたりしたかな?

 古いテレビだし、接触不良とかかなと思って…もしかして、桜さんがやってたの?」


 ハルは心底呆れた顔になった。

「桜さん。こんな男ですみませんでした…」

「えっ!なんでハルが謝ってるの?」

 総一郎は訳が分からなかった。


「とにかく、桜さんは私達に出ていって欲しくて意地悪してるんだって。

 ここは自分の場所なんだからって。」


 ハルは総一郎に説明してあげた。


 総一郎は少し考えて、桜の方を向いて聞いた。


「分かりました。

 つまり、自分の場所、この屋敷を使用人として守るために僕たちが邪魔ということですか?」


 桜は少し黙った後、答えた。


「…それは違います。

 むしろ、逆です。

 私はこの屋敷を早く無くしたいんです。

 だから、この家に来るものは全て追い出してきたんです。

 所有者が現れなければ、朽ちて潰れるだけですからね。」


 ハルは驚いて、総一郎に言った。

「桜さんはこの屋敷を守りたいんじゃなくて、早く潰したいんだって。」


 総一郎は真剣な顔でまた桜に聞いた。


「では、どうして、この屋敷を潰したいのかを教えて頂けますでしょうか。」


 桜は総一郎の目を見ながら、少しの間、黙っていた。

 ハルは内心ハラハラしながら、その様子を見ていた。


 そして、桜は答えた。


「話せば長くなりますが、いいでしょう。

 どうせ、あなた達は屋敷から出ていきそうになさそうですし。

 ほんの暇つぶしに話してあげましょう。」




「…私は見ての通り、この屋敷の使用人でした。」


 桜は無表情で語り始めた。


「私の主人は元は領主の家系でこの町で貿易商を営んでいました。

 実質的にこの町の財政を握っているほどの方でした。」


 ハルはひとまず、全部聞いてから、総一郎に伝えようと黙って聞いた。

 総一郎もハルの様子を見て、桜が話している事を察して黙っていた。


 そして、桜は続けた。


「主人はそれ程、高貴な方だったにも関わらず、身寄りのない私を使用人として雇ってくれたり、偉ぶる事なく町の人達と対等に接していました。

 そんな人柄だったので、皆に好かれていました。

 奥様も同じような方で皆から愛されていました。」


 桜の表情が柔らかくなったようにハルは感じた。


「そのおかげもあってか、こんな私にも主人と奥様だけでなく、町の皆が優しくしてくれました。」


 桜は昔を思い出すように目を閉じて続けた。


「私はそんな主人、奥様、町の人達が大好きでした。

 そして、活気あふれる市場や静かなお寺、買い物帰りに見える水平線の夕日…

 その全てが愛おしく、毎日幸せに暮らしていました。」


 ハルは羨ましくもどうしてか少し寂しく思った。


「…しかし、私は自らその幸せを壊してしまったのです。」


 桜はゆっくり目をあけて、結末を話し始めた。


「簡潔に言って、私は主人と不貞を働いてしまったのです。

 ある日の晩、酒に酔ってしまった主人をつい受け入れてしまったのです。」


 ハルは思わず聞いた。

「ふてい?って、不倫のこと?」


 桜は少し驚いて、呆れて答えた。

「ありていに言えば、その通りです。

 しかし、今時の小学生はそんなことも知ってるのですか…」


 ハルはしまったと思い、桜に言った。

「邪魔してごめんなさい!続けてください!」


 桜は少しため息をついて続けた。


「結果、主人は自分を責めて、いたたまれなくなり、奥様に正直に話しました。

 私はその時、屋敷を出ようと決めていましたが、奥様は決して私のせいにしようとはしませんでした。

 恐らく、奥様は私を実の子のように感じてくれていたのだと思います。

 奥様は私よりも主人を責めて、逆に奥様が家を出ることになってしまいました。

 …その時、私を追い出してくれたら、どんなに楽だったか…」


 桜は少し自虐的に笑った。


「その後、失意の主人は仕事も手につかず、今までうまくいっていた町の財政にまで影響が及んでしまいました。

 気づけば、町の人達から罵声を浴びせられ、町からは活気がなくなっていきました。

 まぁ、今思えば、一人の人間のせいで崩れてしまう町なんて、早い内に上手くは行かなくなっていたと思いますがね…

 それでも、私のせいで町が廃れてしまったと自覚しています。」


 ハルは桜を黙って見つめて聞いていた。


「そんなある時、私がいつも通り屋敷の掃除をしていると、主人の部屋で銃声がしました。

 急いで、主人の部屋に行くと、主人が頭を銃で撃ちぬいて自殺していたのです。」


 桜は少し間を空け、続けた。


「…私は来るときが来たなという感じでそれ程驚いたり、悲しんだりはしませんでした。

 この時、既に主人が死んだら私も死のうと考えていたので、やっと死ねるくらいでしたね。

 どうして、銃なんか持っていたのかも、貿易商をしてたので、なんとでもなるなくらいでしたよ。

 それ程、その時の私はほぼ無感情になっていました。

 …しかし、主人の目の前には遺書のような手紙が置いてあり、私はそれを読んでしまいました。」


 その時、桜は目をカッと開き、怒っているのか、悲しんでいるのか、分からない異様な表情になった。


 ハルは恐怖を感じ、息をのんだ。


「その手紙には奥様へのこれまでの思い出や感謝と今までの謝罪、そして、町の人への謝罪が延々と述べられていました。

 …そして、私への言葉は…何一つ…何も…

 思い出も!

 気持ちも!

 何もかも!

 そこには書かれていなかった!!」


 桜は怒りでも悲しみでもない、何か別の感情で言葉を発した。


 その間、食器棚の戸がガタガタ震えだし、テレビは点いたり、消えたりを繰り返し、居間のドアもガタガタと震えだした。


 ハルは周りの状況に驚くよりも桜の気持ちを考えて、泣きそうになっていた。


 総一郎は周囲の異常に多少驚いたが、むしろ、原因が何なのかを考えているようだった。


 しばらくすると、食器棚の震えはなくなり、テレビは消え、ドアの震えもなくなった。


 桜はいつもの無表情に戻り、話を続けた。


「…主人が私に対して、情も何も持っていない…

 全く気にしていなかったことが分かって、私は何一つ迷うことなく、主人の持っていた銃を自分自身の頭に向けて、引き金を引きました。」


 桜はふっと笑った。


「気が付くと、私はこの姿でこの屋敷にぷかぷか浮かんでいて、すぐにお化けになったんだなと気づきました。

 恐らく、自分自身を許せない気持ちが私の魂を現世に残したのかもしれません。

 しかし、私は早く地獄でもいいから、この世から…というよりも、この屋敷から、この町から消えてしまいたいのですよ。

 ここにいると自ら幸せから絶望に落ちたことを永遠と思い出すことになってしまうから…」


 桜は笑ってはいるものの悲しそうな表情で最後に言った。


「だから、私はあなたたちを追い出して、これから来る人間も追い出して、この屋敷を早く無くしたいのです。

 そうすれば、私は消えることができると思うんです…」

 

 ハルは桜の話を最後まで聞く頃には、声は出さなかったものの涙が止まらなかった。


 しかし、総一郎に説明しなければと思い、ハルは涙を拭いて、総一郎に説明した。


「…総一郎…

 桜さんはご主人様も…

 その奥さんも…町の人も…この町自体も…

 みんな、みんな大好きだったけど、ご主人様との不倫のせいで、全部壊しちゃったの…

 奥さんが出て行って、ご主人様は銃で自殺しちゃって…

 でも、ご主人様の遺書には桜さんのこと……

 何にも……何にも……!」


 ハルは頑張ったが、最後まで話すことはできなかった。


 最後はわぁ~と泣き出してしまった。


 総一郎はハルの頭を撫でて、優しく言った。


「…うん。

 ハル、桜さんの話をちゃんと聞いて、僕に話してくれてありがとう。

 ちゃんとわかったよ。」


 そして、総一郎は桜の方を向いて言った。


「桜さんも話してくれてありがとうございます。」


 総一郎は桜に向かって、頭を下げた。

 そして、少しためらった後、桜に尋ねた。


「…あなたのご主人の名前は和田健次郎(わだけんじろう)ではありませんか?」


 桜は驚いた。


「どうして!?」


 ハルも驚いて、総一郎に聞いた。

「総一郎、なんで知ってるの?」


 総一郎はハルにニコッと笑い言った。

「実は僕、子供の頃、君のお父さんに連れられてこの屋敷に来たことがあるんだ。」


「お父さんと!!」


「うん。お父さんはやんちゃでね。

 ここら辺ではこの屋敷はお化け屋敷として有名だったんだ。

 だから、誠一兄さんは小学生だった僕を半ば無理やり連れて、ここに肝試しに来たんだ。

 その時ね…僕も見たんだよ。

 メイドの姿をしてる女の人のお化けを。」


 総一郎の驚愕の事実を聞いて、ハルはすぐさま聞いた。


「えっ!じゃあ、総一郎もお化けが見えるの?」


 総一郎は首を振って答えた。


「ううん。

 後にも先にもお化けが見えたのはその時だけだったんだけどね。

 だから、ハルが同じようなお化けを見たって言った時はびっくりしたんだよ。

 まだ、ここにいたんだって。」


 ハルは驚いて、声を失っていた。


「でね。お化けを見てから僕は気になって、ずっとこの屋敷のことを調べてたんだ。

 そして、この屋敷の歴史を知り、この屋敷の衰退の原因も知った。

 その原因が和田健次郎という男であるということを…

 まぁ、当時の新聞だったりの情報だから、桜さん程の生の情報ではないから、和田健次郎という男の情報は基本的に悪いものばかりだったけどね。」


 総一郎は思い出すように続けた。


「で、その家の使用人、つまりメイドの名前も当時の新聞に載っていたんだよ。

 …言いづらいけど、和田健次郎と自殺した女性として…

 東雲桜と…」


 ハルはだから、桜さんの名前を言った時に驚いたのかと納得した。


「では、あなたは私からの話を聞かずとも、おおよそ察しがついていたということですか。

 腹の立つ男ですね。」


 桜は怒った様子で総一郎を睨みつけた。


 ハルは慌てて、総一郎に言った。

「桜さんが、話さなくても知ってたんじゃないかって、怒ってるよ!」


 総一郎は首を振って、答えた。


「いや、どうしても分からないことがあったんです。

 …ちょっと待っててもらえますか?」


 そう言って、総一郎は小走りに部屋を出て行った。



 桜と突然二人きりにされてしまったハルはどうしても聞きたい事を桜に聞いた。


「桜さん…

 奥さんのことばかり気にしてたご主人様を嫌いにはならなかったの?」


 桜はハルをきっとにらんだ。

 ハルは怖かったが、決して目をそらさないでいた。

 桜はため息をついて、答えた。


「…子供のあなたには分からないでしょうね。

 嫌いになれれば、どんなに楽だったか…」


 桜は心なしか泣いていたようにハルは感じた。



 そして、総一郎が戻ってきた。


「これは、あなたの恐らくご主人の部屋だったであろう本棚の奥に隠されていたものです。」


 そう言って、総一郎は折りたたまれた1枚の紙を桜の前にあるテーブルに丁寧に広げた。


「宛名は書かれていませんでしたが、文面から見て、間違いなくご主人があなたに向けた手紙だと思います。

 不倫相手への手紙だったからか、あなたへの配慮であろうか、誰にも気づかれないよう大切に隠されていました。

 きっと、掃除の最中に見つけてくれると思っていたのでしょうね…」


 桜は読むのをためらったが、読まずにいられず、その手紙を覗き込んだ。


 手紙には実の子のように思っていたが、いつしか、一人の女性として愛してしまったこと、望まない形で手を出してしまったこと、そして、そのことに対する謝罪が簡潔に書かれていた。


 桜はぼろぼろと涙を流し、最後まで読むことができなかった。


「…これでは、どちらにせよ…

 …結局…結末は同じだったじゃないですか…

 これを読んで…どうやって、私は…

 …私を許せと言うのですか……」


 手紙から顔を背けた桜にハルは泣きながら言った。


「ちがうよ!!

 私には難しい漢字がたくさんあって、全然読めないけど、最後の言葉だけはわかるもん!!」

 ハルはそう言って、手紙の最後の文章を指さした。


(どうか、生きて幸せになってください。

 今まで本当にありがとう) 


「これ読んでご主人様のお願い無視することなんて…

 桜さんにはできないはずだよ!!」


 桜は再び、手紙に目を向けて、最後まで読んで、しばらく黙った後、ハルに向かって言った。


「ふふっ…そうですね。

 確かに、最後まで読んだら、こんな勝手な男のことなんて嫌いになって、きっとお化けになんてならずに済みましたね。」


 桜はこれまでにない優しい笑顔をハルに見せて、ふっと消えてしまった。




 ハルと総一郎は宅配寿司を食べながら、話していた。


「…桜さん、成仏したのかな?」


 ハルは少し寂しそうに総一郎に言った。


「どうだろう。

 それは分からないけど、多分、もうこの屋敷を無くしたいとは思っていないんじゃないかな。」

「どうして、そう思うの?」

 ハルはかっぱ巻きをとりながら、総一郎に聞いた。


「この屋敷が無くなったからって、桜さんの自責の思いが消えるとは思えないからね。

 それなら桜さんはこの屋敷じゃないどこかに行けばいいだけの話だし、それは桜さん自身も薄々感じてたんじゃないかな?」

 総一郎はマグロを頬張りながら、答えた。


「多分、きっかけが欲しかっただけなんだよ。

 自分自身を許せるきっかけが…」


「そのきっかけが、ご主人様を嫌いになるってこと?」

 ハルは少し納得のいかない様子で総一郎に聞いた。


「…時には誰かを嫌いになってもいいんだというお話だよ。

 じゃないと、自分しか悪者がいなくなってしまうから。」


 総一郎は遠くを見ながら、言った。

 総一郎の言葉を聞いて、ハルは桜に怒られたことを思い出した。


「…なんとなく分かる気がする。

 桜さんは何でもかんでも自分のせいにしすぎたんだね。

 桜さん、人のせいにするのを本当に嫌ってたもん。

 私も怒られたし。」


「そうなの?」


「うん。

 桜さんに意地悪されてる時に、どうしていつもお化けのせいで追い出されるんだ〜って言ったら、お化けのせいにするなって怒られちゃった。」

 桜は笑いながら言った。


「臆病者とか嘘つきとか散々言われて、でも、好かれたい人を信じれない嫌われ者って言われてさ〜

 そうなりたくないって思って、総一郎にお化けを退治してって頼んだんだよ。」


 総一郎は優しく笑って、ハルに言った。


「いきなり退治なんてびっくりしたよ。

 でも、やっぱり桜さんは優しい人だったんだね。

 ハルにきっかけをくれたんだから。」


 ハルはむすっとして答えた。


「優しくはないと思うけど…感謝はしてるかな?」


 総一郎はははっと笑った。


「ハルも怖かったのによく頑張ったね。」


 そう言って総一郎はハルの頭を撫でた。


 ハルは照れ臭そうにしたが、嬉しくたまらなかった。


 そして、二人は桜の話を笑って話しながら、お寿司を食べた。




「そういえば、総一郎のどうしても分からないことってなんだったの?」


 お寿司を食べ終えて、片付けをしている時にふと、ハルは気になってたことを聞いた。


「あぁ、それは桜さんがどうしてお化けになったのかってことだよ。」


「あれ?自分を許せなかったからじゃないの?」

 ハルは分かりきっていることなのになんでと、不思議に思った。


「うん。今はハルと桜さんの話を聞いてるから、そうかなとも思うんだけど、それまでは新聞とあの手紙を見ただけだったから、分からなかったんだ。

 だって、手紙の内容から二人は愛し合っていたことは確信してたんだけど、普通、愛してる人と形はどうあれ添い遂げられたんだから、お化けになる程の未練はないんじゃないかって。

 僕の見たあのお化けは東雲桜さんではなかったのかとも思ったよ。」


「なるほど。じゃあ、分かって良かったじゃん。」

 ハルは笑って総一郎の肩を叩いた。


 しかし、総一郎は少し難しい顔をして、言った。


「…本当に自分を許せなかったから、お化けになったのかと、実は今も少し疑問なんだ。」


 ハルは少し怖くなって聞いた。


「な、なんでさ?」


「さっきも言った通り、自分を許せなくなったこの屋敷にいること自体が不思議なんだ。

 自分を許したいなら、ここじゃないどこかで静かに暮らした方が忘れることもできるし、思いを風化させることができると思う。

 お化けが生きているときの未練を消したい、なくしたいために生まれたものだとしたら、桜さんの未練の象徴であるこの屋敷でお化けとして生まれたこと自体も変に感じるんだ。」


 総一郎は真剣な顔で話した。


「でも、よくあるお化けって、死んだところで出てくるよね。

 例えば、墓地とか交通事故のあった場所とか。そういうものなんじゃないの?」


「そういうお化けはその場所で生きている人に同じ目にあってほしいって未練があって、出てくるんじゃないかな。

 要はその場所でしか自分の未練を晴らせない、そんなお化けが多いってことだと思うんだよ。」


「なるほど。そ、そういう考え方もあるかもね。」


 ハルは内心、怖かったが、強がって言った。

 総一郎はハルの様子など気にせず、続けた。


「でも、桜さんはそうじゃない。

 ここで誰かが、自分と同じ境遇になってほしいわけでは決してないはずなんだ。

 だって、この屋敷を無くしたいと言っていたからね。

 じゃあ、一体どうして、桜さんはこの屋敷でお化けになったんだろうか。

 桜さんはこの屋敷に一体どういう未練があるんだろうか。

 それが僕には気になっているんだ。

 ひょっとしたら、桜さん自身も気づいていないかもしれないかもね。」


 総一郎は最後に笑って話し終わった。

 そして、気づけば片付けも終わっいた。


「さぁ、そろそろ寝ようか。」


 総一郎は話終わって、すっきりした様子で伸びをしながら言った。


 ハルは総一郎の服のすそを握って、うつむきながら言った。


「き、今日は一緒に寝るって約束したしね。一緒に寝てあげるよ。」


 総一郎はハッと気づいて、ハルに言った。

「ご、ごめんよ。

 怖がらせるつもりはなかったんだ。

 うん。そうだね。今日は一緒に寝ようか。」


「べ、別に怖がってないよ!約束しただけだもん!」

 ハルは精一杯の強がりを見せた。


 そして、総一郎の手を握って、二人は総一郎の部屋で一緒に寝たのであった。




 翌朝、いつも通り、二人は朝食を食べ、総一郎は大学に行き、ハルは屋敷の掃除をしていた。


 久しぶりにぐっすり寝れて、お化けの心配もなくなったハルは晴れ晴れとした気持ちでいた。


 初めて桜と出会った部屋を掃除していると、例の全自動掃除機を見つけた。


「また、忘れてた。

 一体、どこに充電器はあるんだ?」


 そして、机の下をのぞいた時、頭から血を流した桜がのぞき込んでいた。


「ひゃっ!!!」


 ハルは驚いて、また尻もちをついてしまった。


 それを見た桜は笑って、ハルに言った。


「ふふふ。やっぱり、あなたを驚かすのは楽しいですね。」


 ハルは怖くはなくなっていたが、不思議に思って、桜に聞いた。


「なんで?成仏したんじゃなかったの?」


 桜は腕を組み、考えながら答えた。


「なんででしょうね。

 私にも分かりませんが、どうやら成仏はできなかったみたいですね。」


 桜はいつもの無表情で続けた。


「まぁ、昨日の件で多少はすっきりしました。

 しかし、私はずっと気になっていたことがあるのです…」


 ハルは総一郎の言っていたことは正しかったんだと、何かお化けになった別の理由があったんだとゴクリと息を飲んで、桜の言葉を待った。


「…それはあなたの掃除の仕方です!

 まったくもってなっていません!」


「えっ?」


 ハルはあまりにもしょうもないことで、ぽかんとしてしまった。


「私が一から教育して差し上げましょう。」

「い、いや、いいよ!別に!今でも十分きれいなんだから。」

「甘い!!甘いですよ!ハル!

 あなたは掃除機さえかければきれいになると思っています。

 ちゃんと雑巾で床を拭かなければ、きれいになりません!」

「なんで、雑巾なんだよ!

 今時、床拭き用のワイパーみたいなのあるから!」

「ダメです!!

 雑巾でなければ、隅々まで掃除が行き渡りません!

 さぁ、早く雑巾を持ってくるのです!!」


 桜はハルを執拗に追い回して、掃除のなんたるかを語り続けた。


「もぉ~早く成仏してよ~~!!」


 ハルは切実に叫んだのであった。


 続く

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