十三章 真円の戦場 第五話

 まもなく日の出を迎える。敵からの返答はない。


――ならば、まだ少し早いが、仕方ないだろう


ゲラルフは腰の剣を抜き、並べておいた人質から、一番、若い女を選び、首を出せ、と言った。


女は恐怖で喉から息を漏らし、ぶんぶんと首を振る。控えていた兵士が女をうつぶせに引き倒し――ゲラルフは頭上に剣を構えた。


 その時だった。


「おい!」


兵士の声が聞こえた。何事かと思って、そちらを見る。


 兵士は王都城の上部を見つめている。ゲラルフが目を凝らすと、そこには差し掛けた朝日をきらきらと青白く反射する物体があった。


――あれはたしか……


ゲラルフが思い出す間に、「それ」は、ばっと翼を広げ、宙に舞い出た。その背中には一人の少年――


「竜が逃げるぞ!」


兵士が叫ぶ。ゲラルフは我に返った。


「あれを逃がすな! 捕らえよ!」


ゲラルフの声に、鷲騎士達が鷲に飛び乗る。


「行け! 行けぇー!」


その時、王都城からも大量の鷲が飛び立つのが見えた。


「全騎だ! 全騎で行けえ!」


竜はまっすぐ王都の東に飛んでいく。




 朝日が差してきた。自分とアイトラに敵が気づいたのを確認し、飛び立った。


 敵が湖あたりで追いつくよう、わざと速度を抑えて飛ぶ。正行の背後を、レアードと彼の四番隊、さらに鷲に乗って自ら護衛を務めてくれるサザーテが固め、その後方には防衛戦を生き残った約八十の鷲騎士達。


 すぐに湖が見えた。その上空には大きな雲。その雲は白く、まだ帯電していない。

正行はアイトラに語り掛けた。


(あれを雷雲にできるな?)


アイトラは確信を持って答えた。


(出来る!)

(よし!)


 後ろでは、早くも敵軍鷲騎士達が追いつこうとしていた。正行はサザーテを振り返る。


「このまま湖上空で交戦してください!」


サザーテが頷いたのが見えた。


「抜刀!」


サザーテの声で、鷲騎士達が剣を抜く。正行も腰に佩いた太刀を抜いた。その刃が、東から差してきた朝日をきらりと反射する。初めて人を斬るかもしれない。そう思い、固くなりかける体にゆっくりと息を入れ、大きく吐く。


――覚悟はした


アイトラの翼に当たらぬよう、右手の刀を肩に担ぎ、飛ぶ。

正行達と、その後尾に食いつく敵軍の鷲騎士達が湖に入ったところで、サザーテが指示を出した。


「散開!」


サザーテの指示に、自軍鷲騎士隊は花が開くように散った。それを見て、敵も空戦陣形を取る。


 一瞬にして、湖上空は戦場となった。敵味方が入り乱れ、そこかしこで刃がきらめく。既に朝日は昇り、湖面は強い陽光を反射している。正行はなるべく湖の東側を飛ぶよう、アイトラに指示を出した。光を背負う事で、少しでも有利にする――


「魔導部隊をお願いします!」


サザーテに叫んだ。それを受けて、サザーテが右手の剣を頭上で二度回す。


 湖岸の林の中から、魔導兵たちが姿を現し、詠唱を始めた。動ける魔導兵はもはや六十程度。それを五人一組に組み直し、配置してあった。


 湖岸から火炎が飛んだ。その火炎が低い位置を飛んでいた敵の鷲騎士をかすめる。それを皮切りに、湖岸からは次々と火炎が放たれ始めた。罠を気取けどられぬよう、湖面だけでなく、時に敵兵も狙いながら、様々な軌道で飛ぶ火炎は少しずつ湖面の水を削り取り、空中に霧散させていく。


 そこに、敵の地上部隊がようやく湖まで駆けつけてきた。上空の鷲騎士や湖岸の魔導兵を守るため、味方の地上部隊が交戦を始める。湖上空で始まった戦闘は今やその周辺まで拡大し、その空は怒声や悲鳴で埋め尽くされた。


 正行とアイトラは、サザーテやレアード達に守られながら、湖を高速で飛翔する。アイトラは飛びながら、魔導兵たちが作り出す水蒸気を気流に乗せて、雲まで運ぶ。その作業に気を取られ、どうしても視野が狭くなるため、正行はアイトラの分まで周りを警戒しながら飛んでいた。


 一瞬、目の前に影がよぎる。それに気づき、上を見上げると、敵の鷲騎士が襲ってこようとしていた。正行は右手の太刀で、振り下ろされた相手の剣を弾いた。相手と上下を入れ替わるようにしてかわすと、相手の背中から、さらにもう一騎。正行は二騎目の鷲を斬りつけ、アイトラと共にその場を離脱する。斬られた鷲が乗り手と共に落ちて行くのが見えた。


――気にしちゃだめだ。今は……


正行は振り払い、他の敵が来ていないか、周りを確認する。


 湖上は魔導兵たちの火炎攻撃により、早朝だというのにゆだるように暑くなっていた。この熱の中、霧が出たように水蒸気が湖上を満たし、熱された気流に乗ってどんどん上に持ち上げられていく。その上には、水蒸気を吸収して分厚くなり始めた雲が空を覆っていた。


(アイトラ! どうだ?)


(まだ!)


正行は一瞬、上を見る。水蒸気で霞む空の中、雲はかなり大きく、黒くなってきている。


(電気が溜まるまでもっとかかる!)

(わかった。続けろ!)


アイトラは飛びながらも、さらに雲作りに集中し、正行は霧と雲で悪くなった視界の中、周囲の警戒を続ける。


レアードとサザーテは、正行達に敵の鷲騎士を近づけぬよう、左右から襲い掛かってくる相手を次々と斬り伏せていた。レアードは、国一番の剣士の名に恥じぬ遣い手だった。鷲を斬り、敵を斬り、次々と相手を落としていく。


 少しずつ落ちる兵が増え始めた。落ちる数は敵の方が多いが、味方の鷲も落ちて行く。落雷が成功したとしても、相手に脅威を与えられる数の鷲騎士が自軍に残っていなければ、戦況を逆転させることはできない。正行は焦りながら、アイトラの準備が完了するのを待つ。


 高速で飛びながら、相手の剣をかわし、相手を斬る。自分たちを守る事に集中している間に、数にまさる敵軍が少しずつ押し始めてきていた。


その時、かすかに、ごろごろという音が上空から聞こえた。


(出来たか!?)


(もう少し!)


飛びかかってきた相手を斬る。そのまま一旦、上空に抜け、追ってきた相手を置き去りにするように、再度下降する。そして、さらに、大きく湖の淵を円を描くように飛び、追撃を振り切る。ごろごろ、という音が先ほどよりも大きく聞こえ、何人かの敵が、霧の中、上空を見上げるのが見えた。


――まずい!


気づかれて退却されては、策が成らない――


(まだか!?)


正行は再びアイトラに訊いた。


(行ける!)


(よし!)


正行は振り返る。そこには、この乱戦の中、必死でついてきてくれたサザーテとレアードがいた。


「撤退指示を!」


サザーテが頷く。


「退避! 全騎退避せよ!!」


サザーテの声を聞いて、一斉に自軍の鷲騎士達は高度を落とし、散るように湖から離れる。


(アイトラ!)


(うん!)


アイトラは速度を上げて、一路、雲を目指す。


「雲に逃げるぞ! 逃がすなぁ! 追えー!」


アイトラと共に高度を上げる中、下で叫ぶゲラルフの声が聞こえた。


 正行達を逃がすまいと、アイトラの尻尾を敵鷲騎士達が追ってくる。しかし、本気で飛ぶ風竜の速度にかなう鷲などいない。


 正行とアイトラは、今や、黒々と膨れ上がり、全身に雷を孕む雲を目がけて突入した。正行達の周りを迸る電流。その溜まった電量は、雲の限界を超えようとしている。荒れ狂う雲の中、正行とアイトラは叫ぶ。


「行けぇー!!!」




刹那。




目が眩むほどの光が正行達を包んだ。

次の瞬間、爆音と共に、無数の紫の閃光が湖に突き刺さった。



それは雷の雨だった。



 正行達を追っていた反乱軍の鷲騎士達は、降り注いだ幾筋もの紫電の矢に貫かれ、黒く、煙を上げながら、湖面に落ちて行く。アイトラの落とした無数の雷は敵軍鷲騎士のほぼ全てを捕えていた。わずかに雷を逃れた者達も、爆音と光にやられて、音と視力を失い、ゆらゆらと落下していく。


 突如、降り注いだ雷に味方の空騎兵を撃たれた地上の反乱軍は、落ちて行く味方の鷲の群れを呆然と眺めた。



 その時だった。


 雷を避けて一時退避していた国王軍の鷲騎士達が再び姿を現し、敵地上兵に一斉に襲いかかった。残った敵の鷲騎士はわずかに数騎。まだ地上の兵数では倍ほどにも差があったが、空からの一方的な支援を受ける国王軍は、既に統制が乱れ、空からの攻撃に抵抗する術を持たない反乱軍を次々と蹴散らし――



ここに王都攻防戦は終結した。

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