十二章 王都攻防戦 第四話

 風竜国南部スレイベン州は、広く平らかな平原地帯である。この平原に流れる川は、フルブ山脈から流れる大河であり、これがスレイベンの小麦の風味を養う。このフルブ山脈はスレイベン州の東、オルダス州にあった。オルダスはその広さに対して、平地は少なく、大半が山である。


 山の多すぎるこの州は、経済的にも貧しく、兵の数は少ない。しかし、山間地を守るために多くの空騎兵を所有している。その数二百。


一騎で歩兵数十を屠るこの兵科は、その威力に比例して運用する負担も重い。それなりに力のある貴族でなければ、鷲獅子を維持するのもままならぬため、大抵の州ではせいぜい百騎揃えばいい方である。


山と森に囲まれ、空を鷲が守るこの地を魔族は避ける。




 オルダスの州都、アブゼダ市も空騎兵が守る、山に囲まれた盆地であった。


 ギサは鷲を飛ばして二日、オルダス州候ジャラド・ゲイの城を訪れていた。隣州候の令嬢の急な来訪に怪訝な顔をしながら出迎えた下男は、ギサを城の一室に案内した後、主人を呼ぶため部屋を出ていった。




下男が部屋を出たのを見やった後、ギサは客室を見回した。


――この部屋はかつて一度だけ来た事がある


それはギサがまだ幼い頃であった。オルダス州候家は代々続く名門である。その歴史はゲシュリエクト家よりも古い。ギサの父、先代スレイベン州候がまだ健在だったころ、先代のオルダス州候とは懇意の仲であったと聞く。


かつて父に連れられ、ギサとその兄ゲラルフはこの城を訪れた。今のオルダス州候とは、その時に初めて会ったのだ。


 ギサは上着を脱ぎ、下に着ていたドレスの胸元を開いた。その柔らかな白い肌がよく見える事を確認し、再び椅子に腰かけた。


 現オルダス州候、ジャラド・ゲイは醜悪にして、愚鈍な男である。年は三十半ば、ぶよぶよとした脂肪を全身に纏い、その髪は薄く、常に半開きの口から覗く歯は黄色く汚れている。先代にこの容姿を嫌われ、彼は後継者から外されていたのだが、二人の兄、さらに従兄たちまでが病で死に、結局、彼が跡目を継いだ。その容姿を噂される事を嫌っているのか、彼が国の行事に姿を見せる事はほとんどない。



 こんこん――と音がして、扉が開く。この城の当主ジャラド・ゲイがおどおどとした様子で現れた。


「レディ・ギサ・ゲシュリエクト。突然のご来訪驚きました」


小さな声でそう言うと、部屋の肘掛椅子になんとかその樽のような腹を収めた。


「閣下、お久しゅうございます」


ギサはカーテシーを取って、満面の笑みを見せた。

その笑顔に戸惑う様子を見せつつも、ジャラドは訊いた。


「一体、何用ですかな?」

「じつは……」


ギサは話しかけて、言葉を止めた。うつむき、両手の指を胸の前で組む。

そして――


「ああ! どうなされた!」


ギサは両目からぼろぼろと涙を零した。


「私の兄が――!」


言って、ギサはジャラドの膝にすがりついた。


「兄が殺されそうなのです!」

「なんと、スレイベン候が!?」


ジャラドは驚いた顔を見せた。


「先の竜の祝宴で、私は王に……」

「ああ、すまぬ。私は――」


行っていない、と言おうとするジャラドをさえぎり、ギサは喋り続けた。


「私は王に剥かれ、辱めを受けました……」

「なっ――王が?」


「それを兄が知り、兄は謀反を起こしたのです!」

「何という事を……」


恐れ多い、と言いたげに、ジャラドは首を振った。


「兄は私の名誉のため、挙兵しました。簒奪者さんだつしゃそしりを受けることになるにも関わらず、挙兵し、今……ああ! 今、兄は王都で戦っております……」


ジャラドは口を開いたまま聞いている。


「兄は今、あの国王軍相手に互角の戦いをしております……。しかし! もし、負ければ、兄は斬首! 首を晒され、骸を鴉に突かれるのです!」


ギサは続けた。


「ああ! 私はあの優しい兄がそんな死を迎えるなど見ていられません! どうか! どうか閣下のお助けを!」


「しかし……」


ジャラドは困ったように言う。


「今、兄に必要なのは、ほんのわずかな手助けなのです! それさえあれば、兄はあの憎き国王に打ち勝ち、次の玉座に座るでしょう!」


ジャラドは動揺し、迷うように目を泳がせている。


「閣下はその助けになるものを持っておられます――何卒! 閣下の鷲騎士たちを我が兄にお貸しくださいませ……」


ギサは思い切り、目に涙を浮かべて懇願した。膝に縋り、大きく開いたドレスの胸元が、ジャラドの目に入るように、下から見上げた。


「もちろん、ただでとは申しません――私に差し出せるものなら、何でも閣下に献上いたします――」


ギサは、ジャラドの濁った目が、自分の谷間に食らいついたのを確認した。


「な……なんでも……?」

「はい――なんでも……」


ジャラドがごくりと唾を飲む音が聞こえ、ギサは心の中でほくそ笑んだ。


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