十二章 王都攻防戦 第三話
開戦より六日。包囲を続けるスレイベン陣営から、一羽の鳩が飛び立った。鳩は風に向かって、一路、南へと飛ぶ。
向かい風は鳥にとっては、楽な風である。その翼に風を受け、気流の力で高度を維持する。飛行速度は追い風の方が速くはなるが、追い風の中では、平衡を保つために始終、羽ばたかねばならない。向かい風であれば、そう羽ばたかなくとも、前から吹く風を翼で捉えているだけで良い。
初夏から盛夏へ向かわんとするこの時期、太陽に熱された地平を冷ますかのように南からの風が吹く。その風に乗り、鳩は三度の昼と夜を迎え、やがて一つの城に降り立った。
場所はスレイベン州、州都イノダ。ゲシュリエクト家を主とするスレイベンの州城である。
老人は出窓に降り立った鳩に気づいた。ちょうど朝食の片づけを終えたところ。もうすぐ交代の時間になる。今、この州では魔族と州軍、国王軍が戦っているが、戦は貴族の仕事である。自分はいつも通り、主人の命令に従って、雑用をこなすだけ。鳩が運んでくる伝書を主人に届けるのも自分の仕事であり、これを怠れば、主人の不興を買うことになる。
今、この城の本来の主は留守にしている。しかし、その男は下僕が少々、さぼろうとも気づく事はない。真に恐ろしいのはその妹であり、今はその女主人が一切を取り仕切っていた。
もし、戦場から届いた伝書を届ける事を怠ったと彼女に知られれば、恐ろしい仕打ちが待っているだろう。老人は嫌々ながらも、鳩を出窓から迎え入れた。
老人は鳩の足には管が括り付けられた管を取り、上階にいる女主人の元へと向かった。
扉を叩き、跪いて静かに声を待つ。
入れ、の声がなければ、入ってはならない。
声が掛かるまでは、物音を立ててはならない。
老人は声が掛からない事を願ったが、無情にも女主人の声があった。
「入れ」
老人は無念そうに小さく息を吐き、扉を開けた。
女主人は金の刺繍で彩られた豪奢な布張りの椅子に腰かけ、ワインを飲みながら、窓の外を見ていた。その薄い青の瞳は美しいが、恐ろしい。
「鳩が到着いたしました」
老人は入り口で跪いて言った。
「ここへ」
女主人は無感情に言った。
老人は女主人の前へと進み、再び跪いて、両手で管を捧げた。女主人は老人の捧げたその管を無視して言った。
「読め」
老人は震える指で、管から小さな巻紙を取り出し、それを広げた。
「……王都包囲戦、六日が経過。戦況に動きなし」
女主人の顔が一瞬にして青ざめた。
「何をのんびりやっておるのだ!」
「ひっ!」
怒声と共に顔にグラスが飛んできた。薄い
老人は
逃げ出した
兄を
――おそらく王は勘付いていた……
王の到着は異常に早かった。いくら五万の馬人族が出たとはいえ、かなりの無理をしなくてはあの速さで王都からスレイベンまで行軍する事などできない。あの時、ギサはその早すぎる到着を疑問に思った。しかし、その時は馬人族五万という数に焦って飛んできたのだろうと思った。もし、こちらの企みに勘付いているのなら、王が出てくるわけはないはずだと――たかをくくっていた。
間違いだった。
王はこちらの罠に乗った上で、馬人族から州民どもを守り、さらに王都をも守る自信があったのだ。
王に軍を割らせ、鎮圧戦を長引かせる。そのために、あえて馬人族も分散させた。ギサの計画では、この計略によって国王軍を分散させ、防衛戦に移行させる予定だった。夏は防衛側に有利に働く。地の利、天の利を得れば、防衛は容易い。時間はかかるが犠牲は少なく済む。戦に長けた王ならば、必ず防衛戦を選ぶだろうと思っていた。
王が馬人族からの防衛戦に時間を取られている隙に、ゲラルフ率いる主軍が数の利を活かして王都を包囲し、攻め落とす。もちろん容易ではないが、計略によって王を誘き出し、十分な兵と装備を用意して臨んだはずだった。
しかし、ギサの予想を裏切り、王は全軍を用いて各個撃破するという作戦に出た。王は多少の被害は見越した上で、あえて早期の決着をつけようとしている。
――あの男はこちらの罠を看破していたのだ
見透かされ、上を行かれた。
再び、ギサの中に強い怒りが湧き起こった。
既に、西の馬人族一万は、援軍を得た国王軍によって撃破されたと報せがあった。あの国王と火竜の騎士にかかっては、一万、二万の馬人族では、時間稼ぎもままならぬ。せっかく苦労して集めた五万の馬人族を分散させたのが裏目に出た格好である。おそらく王は他の馬人族を撃退次第、即、王都に取って返すだろう。
――もはや猶予はない
ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら、ギサは決意した。侍従を呼びつけ、言った。
「至急、鷲を準備させよ!」
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