十一章 雲の中で 第三話

 二人は、分厚く、冷たく、暗い雲の中を飛び続け、ついにその場所に辿り着いた。


 そこは、この巨大な雲のほぼ真ん中、凄まじい暴風が吹きすさび、周りは濃い霧に包まれたように視界は灰色で、暗い。雲の下部で正行達にまとわりついた水蒸気は、いまや氷に変わり、正行の服やアイトラの体にはところどころ薄い氷が貼りついている。さらに轟々と音を立てる風の中、無数の氷の粒が舞っている。その一ミリにも満たぬほどの極小の粒は、この分厚い雲の中にもわずかに入ってくる光を時折、反射しながら、強い気流に煽られ、上下左右に飛び回っている。まるで雲全体が怒り狂っているかのように荒れる雲の中、正行は何とか怯まぬよう努力していた。


 いつもアイトラと飛んでいるような、安定した気流の中とは違い、上下左右に乱れるように風が吹く。アイトラはその風に木の葉のように飛ばされそうになりながら、その度に必死にバランスを取り直す。


(大丈夫か?)


今度は正行が聞いた。


(……大丈夫)


アイトラが答えた。正行とて、暴風に振り回されるアイトラの背中に、必死にしがみついているのがやっとだった。


 アイトラが言った通り、この付近は帯電していた。強い力が充満し、音を立てて空気が震え、時折、雲の中を光が走る。電気をはらんだ雲は積乱雲と呼ばれる。これは、まぎれもなく積乱雲だった。



 その時、正行の心にアイトラの感覚が伝わってきた。何かの、鍵が開いたような感覚。


(正行! 注意して!)

(どうした?)

(雷を落とす!)

(なに!?)


返事も聞かず、アイトラの心が閉じた。何かに集中している。


 正行は不安だったが、自分に出来る事は何もなかった。アイトラに全てを任せ、アイトラの背にくっつくように身を屈めた。


 次の瞬間、轟音と共に閃光が走った。


目がくらみ、耳をつんざくほどの轟音に、正行は何とか耐えた。――が、次に別の恐怖が訪れた。



――落下している!


(アイトラ! おい!)


アイトラの意識を感じられない。その間にも、アイトラと正行は速度を上げ、分厚い雲の中をほぼ垂直に落下していた。


(アイトラ!)


下が明るい。

もうすぐそこに雲の切れ目が見えた。


――雲を出る!


 雲が切れ、眼下に強く日光を反射する正円の湖面が見えた瞬間、正行の体に、がくんと強い力がかかり、再び、上に跳ね上げられた。


(アイトラ!?)


アイトラの意識が戻って来たのを感じる。


(ごめん! 意識が飛んでた!)


言って、アイトラは首を振り、上昇気流を探した。


 すぐに一つの気流を見つけ、そこに乗り移る。翼を広げ、帆翔姿勢を取り、ようやく正行は息をついた。


(死ぬかと思った……)

(ごめん)


アイトラは少し笑って言う。


(……お前、よく笑えるな)


竜と竜騎士が落っこちて死ぬなど、間抜けもいいところだ。きっと後世にまで語り継がれるだろう。


 風の中、焦げたような匂いが漂ってきた。見れば、湖岸の木が何本か、真っ黒に焼け焦げ、煙を上げている。


(あそこに落ちたのか)


本当にアイトラが雷を落としたことに愕然とした。


(お前、どうやったんだ?)

アイトラに訊く。


分からない――という意識が伝わってきた。


(あそこにいた時、雲が電気を逃がしたがってるって感じた。それを手伝った感じ……)

(ふうん……)

(気絶するとは思わなかった。ごめんね)

(まあ、いいさ。死ぬかと思ったけどな)


――本当に死ぬかと思ったけど


 その時、地上遥か遠く、地平線のあたりに何か黒いものが見えた気がした。


――なんだ?

気にかかりつつ、円を描いて飛んでいると、別の方角にも同じようなものが見えた。


 アイトラに速度を落として旋回するように言い、今度は注意して、遠くを見た。豆粒よりも小さく見えるそれは、馬に乗った人らしき集団。旗のような長いものを持ち、たくさんの荷物を運んでいるような……


――軍!


王の言葉は当たっていた。太陽と、市街地を見て、方角を確認する。


――南西と真北


(戻るぞ!)

(うん!) 





(――お読みいただき、ありがとうございます。本作はカクヨムコン7に出展中の作品です。ご期待いただける方はぜひ★評価をお願いします――)

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