九章 翼、開けり 第三話

 三人と一頭は急ぎ足で歩いて、竜卵宮を出た。アリノはその年のわりに足が速い。正行は初めての飛行で疲れてはいたが、当然、文句を言う気などない。ひたすら附いて歩く。


 と、王宮正殿中央あたりまで来て、アリノは右に曲がった。正行が初めて通る道である。


「内殿に向かいます」


 王宮には外殿と内殿がある。外殿には外交や儀礼、式典、その他、主に外向きの政務に使われる部屋があり、謁見の間や大広間もその一つである。対して、内殿には王の執務室や私室があり、直属の家臣や王族、特別な賓客以外は立ち入る事がないと教えられていた。


 早足で歩き、アリノは内殿のある一室の前で止まった。アリノが扉を叩く。すぐに


「入れ」


と声がした。


 そこは今まで正行が入った中では最も小さな部屋だった。教室一室よりもやや狭いくらい。いくつかの机や椅子。棚や書物が置かれていた。


 部屋にいたのは四人。部屋最奥の机には、王が入り口に正面を向くようにして座っており、その傍らには宰相とメリダ。そして、先ほど別れたばかりのレアードがいた。


レアードがいた事には意外さを感じたが、何も言わず、部屋に入る。ステラは壁際に控えるようにして立ち、正行はアリノに、竜と共に部屋中央まで進むよう促され、王の正面に進み、跪く。


「面を上げよ」

顔を上げると、王は話し始めた。


「呼び立ててすまなかった」

「いいえ。遅くなりまして申し訳ありません」

「話すべき事があって呼んだ。これより戦が始まる」

王の声は静かだった。


「はい」

「南にスレイベンという州がある。そこに五万の馬人族が侵入したと、火急の報せがあった」


淡々と話す王の声に緊張は感じられない。アリノに習った事から考えれば、五万の馬人族は相当な脅威であるはずだが。


「わしは二万を連れて、スレイベンに向かう。騎兵、歩兵の他、鷲と魔導兵もそれぞれ二百を連れて行く」

二万と二百。国王軍の三分の二である。


「はい」

「王都に一万しか残さぬというのは異例の事だが、馬人族五万を抑えるためにはやむを得ぬ」

王は続けた。


「スレイベンを治めるのは、ゲラルフ・ゲシュリエクトという諸侯だ。お前も知っているな?」

「……はい」


(あいつ嫌いだ)


アイトラの呟きが聞こえた。


「祝宴の夜、奴が不届きな振る舞いをした事は聞いておる。――お前がステラを救ってくれた事も」

今、この話題が出るとは思わなかった。正行は何と返していいのか分からず、目を伏せた。


「何だ? ステラも子供ではない。お前たちの事はお前たちの好きにすればいい。呼んだのはそんな話をするためではない」


王は続けた。


「ゲシュリエクトは前々から怪しいと思っていた。あの祝宴の後に馬人族五万の襲撃。襲撃の時期も、数も、どうにも臭う」


王は声を落とした。


「罠の可能性がある」

「――罠? ですか?」

王は頷いた。


「例年、真夏に馬人族が動く事はない。この時期はやつらも物資に困っておらず、真夏の遠征は攻め方に不利だ。それに五万という事は、複数の部族による共同戦だろうが、この時期にそんな大掛かりな事をする理由が見えぬ」


王の言わんとする事が、正行にも見えてきた。しかし、ならばなぜ――


「五万の馬人族は陽動だろう。ゲシュリエクトは馬人族と通じ、わしを誘き出そうとしている」

「なっ――分かっておられるのならば、なぜ陛下が出陣されるのです!?」

「……正行殿、言い方にはお気を付けられよ」

宰相が静かに言った。王が手で制す。


「罠だと確定したわけではない。それに、罠の可能性があったとしても、行かねばならぬ。馬人族五万とあらば、わしが出ねばどうにもならぬ。既に他州と火竜国には援軍の要請もした。それよりも、問題はお前だ」

「僕……?」

王は正行の目を見据えた。


「わしの読み通りなら、ゲシュリエクトの真の狙いはわしではなくお前だ。おそらく、奴はわしと軍の大半をスレイベンに誘き出しておいて、王都に奇襲をかけるだろう。王都を落とし、その隙にお前と竜の身柄を抑え、従わせる。そして、竜の威光を後ろ盾に玉座を簒奪する――」

「僕はあんな男に従いません!」

あんな下衆な男に従う理由など正行にはない。


「無理だ」

王は言った。


「ゲシュリエクトは拷問を用いる」

正行は息を呑んだ。そのおぞましい響き。


「奴は捕らえた捕虜を自ら拷問するような男だ。お前を虜囚とすれば、奴は喜んでお前をいたぶるだろう。お前は拷問され、従うよう強要される。無限に続く苦しみにお前は耐えられるか? そうでなくとも、奴は既にお前の弱みを知っている」

「――どういうことですか?」

「ステラだ」

正行は息を呑んだ。同時にステラが緊張したのが伝わる。王は声を落として言う。


「ステラを奴に嬲られても、お前は抵抗を続ける事ができるか?」


――できない

自分には。


王は正行の心を見透かしたように言った。


「お前だけではない。わしとて、娘が捕われれば、冷静ではいられぬ」

王の目が一瞬、ステラを見た。


「これがただの馬人族の襲撃であれば、撃退して終わりだ。大軍とはいえ、季節は我が方に有利。被害は出ても戦には勝てるだろう。しかし、読み通り、ゲシュリエクトの奸計であれば、この戦はお前の取り合いになる。奴の手にお前が落ちれば、こちらの負け。お前を守れば、こちらの勝ちだ」

王は正行に視線を戻して言った。


「それを分かった上で、わしはスレイベンの民を守りに行かねばならぬ。王都には、一万の軍と、鷲騎士、魔導兵、いずれも精鋭百を残す。レアード、襲撃があった場合、お前は竜とこの少年の護衛に当たれ」

「はっ」

レアードが答えた。


「王都防衛の指揮は第二師団のサザーテに取らせる。王都への襲撃があるならば、わしがスレイベンに到着する頃になるだろう。王都へ攻め込むのにスレイベン軍だけでは数が足りぬ。おそらく北のディメリア州あたりと結託して、合同軍約三万。鷲は二百程度を揃えてくるだろう。兵の総数では不利だが、防衛戦であれば十分に戦えるはずだ」

王は息をついた。


「まだ、奴の奸計と決まったわけではないが、わしはスレイベンの馬人族をなるべく早く鎮圧し、帰還する。それまでお前たちに竜と王都を託す。それとここでもう一つ言っておく」

王はステラを見た。


「もし、わしが討たれた場合はステラ、お前が国を継げ」

「――え?」

ステラが驚きの声を上げた。そして、それに答えたのは王ではなかった。


「先日の祝宴の後、エスリオス様から求婚されました」


メリダだった。その目は少し迷うように揺らいでいる。


「まだ返事はしていませんが……」

返事はしていない。しかし、メリダが望んでいる事は分かる。メリダがステラの事を考え、返事を躊躇していたろうことはすぐに分かった。


「王族が他国の竜公と結婚する場合、継承権は放棄せねばならん。そこにきて、今回の襲撃が起こった。お前には重荷を背負わせることになってしまうが……」

「承知いたしました」

風が絹を撫でるごとく、こともなげにステラは言った。


「もしかしたら、そうなるだろうとは考えておりました。お姉さまは心置きなく、エスリオス様にお返事差し上げてください」

「ステラ……」

メリダは心配そうな顔でステラを見た。


「しかし、もう少し王女のままでいとうございます。王都にて、陛下のご帰還をお待ち申し上げております」

ステラはにこりと笑って言った。


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