四章 少女の涙 第一話

 翌朝、いつものように顔を洗い、トイレに行く。もはや当然のようにとことことついてくる幼竜と一緒に部屋に戻ってくると、既にステラが座って待っていた。


「おはよう。今日は早いね」

「伝える事があって来たの。今日の午後、お父様との謁見があるわ」


正行は頷いた。王が帰還したのなら、そのうち会う事になるのだろうとは予想していた。


「謁見は宰相とメイスターと私が同席するわ。異界育ちだから、多少の作法違反は大目に見てくださるそうよ」


王に会う上で、行儀も作法も分からないのは一番の懸念事項と言って良かった。大目に見る、と言ってくれたのはありがたい。


「昨日、君は民に何を返す事ができるのかって言ったよね?」

「え? ええ、言ったわ」


正行はまっすぐにステラの目を見た。


「もし……、君が王様になったら、良い国を作るって約束してくれる?」


ステラは口を一文字に引き結び、頷いた。


「約束するわ。必ず良い国にする」


正行は頷き、言った。


「――なら、俺は竜に乗るよ。今、決めた」


ステラは少し驚いた顔をして、まじまじと正行の顔を見た。正行は照れくさくなって顔を逸らした。


「なんだよ」

「竜には分かっていたのかしら……」

「え?」

「じゃあまずは朝食を食べなさい。いつもみたいに散歩して時間を潰してる間に、謁見に相応しい服を用意させるから、準備をして待てばいいわ。お父様は見る目のある方よ。心配しなくても大丈夫」


そう言って、ステラはジェインを呼び、朝食の準備をさせ始めた。


 その日の朝食の最後にジェインはいつもと違う紅茶を入れてくれた。金柑のような柑橘系の香りのする紅茶で、これを飲むと落ち着くので、とジェインは笑って紅茶を注いでくれた。




 謁見は午後――と聞いていた。王の執務次第で時間が遅れる可能性はあるが、いつ呼ばれてもいいよう、早めに昼食を取り、正装に着替えることにした。ややゆったりとしたシャツにぴったりとしたチュニック、これにベストとジャケットを羽織るのがこの世界での正装らしい。色はステラの見立てで濃紺がいいだろうということで、持ってきてもらうと、光り輝く銀の糸でそれはもう、煌びやかな刺繍が施されていた。向こうの世界では刺繍が入った服を着る事などあまりない。


「……ねえ」

鏡に映った自分を見て、正行はステラに聞いた。


「……これ、ちょっと派手じゃないの……?」

「あら、そんなことないわ。それでも地味な方よ。金の刺繍にしようかとも思ったけど、最近は銀の方が流行りだから、わざわざ丈が合うものを探させたんだから」

「向こうじゃこんな派手な服着ることなかったな……」


その言葉にステラは意外そうな顔をした。


「向こうはこっちよりも豊かだって聞いてたけど、服は地味なの?」

「う~ん、普段は派手な服を着る人もいるけど、正装は大抵、無地かなあ?」

「へえ――そういえば、最初に会った時の服も随分地味だったわね。異界の中でも貧しい子が来たんだと思ったわ」

「……まあ、確かに貧しい方だったけど、服はみんなあんなもんだよ」


 そう言うステラの着ているドレスも随分と派手だ。今日は一応、正式な場だから、ということで、いつもより派手なドレスを着ている。きらきらと光る光沢のある淡い緑の生地に、至る所で揺れているひらひらとした装飾。ただ、彼女は美人だからそれも似合うが、自分の方は彼女の言う“地味”な衣装も着こなせていない気がした。


「十分、お似合いになっておられますよ」


ジェインは笑顔で言ってくれたが、気休めにしか聞こえない。しかし、どうせ自分では向こうの服の良しあしも分からなかったくらいなので、ステラとジェインを信じて、この衣装に包まれていくことにした。


 謁見の間は王宮外殿中央にほど近い場所にある。外交用の部屋の一つで、他国の大使、諸侯、時には都市ギルドの代表者との謁見において使われる。正行の場合、竜騎士として叙任されれば「竜公」となり、公爵位を授けられる。公爵位は王族か、王族と並ぶほどに王に認められなければ、賜る事はない。公爵に次いで、侯爵、辺境伯、伯爵、男爵……と続く。公爵は爵位で言えば、王に次ぐ身分と言ってよい。竜騎士は王によって叙任されるが、その位の高さを鑑み、正式な場では謁見の間が使われる事が慣例とされていた。


 分不相応な衣装にくるまれたまま、落ち着かずに過ごした正行は、使者が呼びに来た時、むしろほっとした。ところが、いつもなら正行が部屋を出ようとするとついて来ようとする幼竜が今日はついてこようとしない。寝台の上にちょこんと座り、待っていると言いたげな目で正行を見ている。竜には分かっているのだと感じた正行は、竜の頭を撫で、行ってくる、と声を掛け、使者に連れられ、正行とステラは部屋を出た。


 使者が呼びに来る前、謁見における作法はステラから聞いていた。謁見の間につくまでは誰と会っても話さず、目も合わせずにひたすら歩くようステラに言い含められていた正行は、竜卵宮を出て王宮外殿に向かう間、言われたとおりに一言も発さず、廊下を歩く。廊下は広く、天井は高い。ところどころ人が歩いているものの、皆、声を出さず、しんとしており、正行を認めると、彼らは正行に道を空け、絨毯の端に恭しく跪いて礼をとる。日本で育った正行にはおそらく立場あるだろう大人たちが自分に跪くのが、随分と居心地悪く感じたが、ひたすら無視して歩き続けると、やがて豪華な扉が見えてきた。


 その大きな二枚扉は大理石と金銀によるかなり豪華な装飾があしらわれており、威圧感すら漂わせている。正行がこの世界に来てから過ごしていた竜卵宮はあくまで竜卵の保護とそのための侍従たちの生活用の部屋が主であり、宮というよりは立派な屋敷に近い作りであったが、謁見の間は外交目的で作られた政治的な色の強い部屋である。王の力を誇示するかのような華美な装飾に正行は圧倒された。


 隣のステラも普段と違い、顔にやや緊張の色が見えたが、正行の視線に気づくと、ささやくほどの小声で「力を抜いて」と言い、前に向き直った。正行たちを連れてきた使者が扉の前に直立し、すう、と息を吸う。


「竜の主がご到着になられました!」


使者の声ががらんとした廊下に響く。廊下に響き、跳ね返り、その余韻が消えたころ、


「入室を許可する」


と声が響き、二枚の扉が左右に開いた。


 そこは二つの教室を繋げたほどの縦長の部屋であり、正面の奥には周りよりもやや高い壇。その壇上には冠を被った男が座っていた。男は年の頃五十半ばであろうか。口ひげを生やし、身に纏った光沢のある深緑の衣装は金糸で刺繍が飾り付けられている。胸板は厚く、衣装に包まれた腕は太い。男の雰囲気には余人を近づけぬものがあり、例え冠がなかったとしても、王と分かるだろうと感じた。王の傍らにはアリノと、見た事がない高齢の男が一人。おそらくあれが宰相だろう。口元にはひげを生やし、細身だが背は高く、王よりも少し年長に見える。それと左右には衛兵が四人控えていた。


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