三章 王、帰還す 第五話
ステラが王と食事を共にしている頃、竜卵宮にも正行の食事が運ばれてきた。正行の生活の世話をしてくれているジェインは、まだ二十代の後半ほどに見えるが、身分を気にしてか、普段、多くを喋る事はない。
邪魔にならぬよう、出過ぎぬよう、しかし、正行に困った事はないかと、常に細やかに目を配ってくれている事に、正行も気づいていた。
この日の料理も、相変わらず豪華で、量も多い。ただ、腹は減っているが、なんとなく手を付ける気になれない。
正行は、昼に聞いたステラの言葉がまだ引っかかっていた。料理の皿を前に考え事をしている正行を竜は一瞬、見たが、すぐに運ばれてきた自分の皿に顔を突っ込み始めた。なかなか手を付けようとしない正行の様子に気づき、ジェインが声を掛けてきた。
「料理にお嫌いなものが入っておりましたでしょうか?」
「……いえ、そういうわけでは……」
「すぐに違う料理を運ばせるようにいたしますので」
そう言って侍従を呼ぼうとするジェインに正行は慌てて言った。
「いえ! 大丈夫です。嫌いなわけではないので……」
ジェインはそう言う正行を不思議そうに見た。
「体調が優れませんか? 先ほどは気づきませんでしたが……」
「いえ……そういうわけでもないんです」
正行はつい口にしてしまった。
「……ステラから、この国の子供たちは大人になる前に半分が死ぬと聞きました」
ジェインは、はっとしたような表情を見せた。
「……はい」
「戦争や病気で死ぬだけではなく、飢えて死ぬ子も多いと」
ジェインは無言で、しかし、それにも頷いた。
「向こうには、そのどれもがありませんでした。全くなかったわけではありませんが、ほとんどありません。子供が生まれれば、大抵は死ぬことなく大人になります」
――そう、少なくとも正行のいた日本では
「……今も……飢えて死ぬ子達がこの国にはいるんでしょう?」
自分が食べなければ、飢えがなくなるわけではない。それも頭では理解していた。しかし、十に満たない子供たちが半分も死ぬ――。それを聞いた後に、このような豪華な料理に手を付ける気は起きなかった。
ほかほかと目の前で湯気を立てる料理と、自分の知らないところで飢えていく子供たち。向こうの世界でも自分の知らないところで死んでいく子供がいる事は知識として知ってはいた。何億という数の人間が次の日の食事に困っていた。
それでも、正行が向こうにいた頃、それは同じ星の話ではあっても、同じ世界の話とは感じていなかった。遥か遠い、正行の想像も及ばない場所に、そういう人たちがいた。
しかし、こちらでは違う。数キロか、数十キロか分からないが、それほど離れていない、歩いてでも行けるほどのところに、今、飢えている人がいる。この料理を持っていけば、誰かの命が少しだけ延びるかもしれない――。それが無意味な話だと分かってはいても、正行は料理に手を付ける気が起きなかった。
部屋に竜が咀嚼する音が響く。
「――私の話をしてもよろしいでしょうか?」
正行は顔を上げてジェインの顔を見た。彼女は迷うような表情をしている。珍しい――と正行は思い、頷いた。
「昔……私は結婚していました。夫は騎士として王に仕えており、無口でしたが、思いやりのある方で、やがて私たちは男の子を授かりました」
ジェインは、ゆっくりと、思い出すように話を始めた。
「その子が二歳になる頃、国境のそばで魔族との紛争が起きました。随分な大軍だったそうです。陛下は兵をまとめて出陣し、夫も騎士として陛下に付き従って出兵しました。その戦は長く、四か月ほど続き――夫はそこで命を落としました。その年の暮れ、息子も魔素の病で亡くしました」
ジェインの言葉に、あの悲しさが正行の中に蘇ってきた。正行にとって母を亡くした事はこれ以上ないくらいに辛い出来事だった。夫や、子を失う辛さだって、それと同じ――いや、もしかしたら、それ以上なのかもしれない。
「そのどちらも、大変つらく、私は泣きました。何日も泣いて、涙が出なくなっても、私の心が晴れる事はなく、大きな穴が開いたまま……。でも、こちらではよくある事なのです。ほとんどの民が家族を失う辛さを知っています」
ジェインは言葉を切る。
「――ステラ様から正行様のお世話を言い渡された時、私は神に感謝いたしました。ようやく太陽が新たな竜をお与え下さった。私のような涙を流す者が少しでも減るよう、次の竜騎士様にお仕えしようと。でも――」
ジェインはくすりと笑う。
「実は初めてお会いした時、新しい主はまだ子供だと思いました。平和な国からやってきた、何も知らない子供である、と」
ジェインは正行の目を見つめた。その優しげな茶色の瞳。正行と同じ、家族を失う辛さを知っている瞳――
「しかし、私が間違っておりました。正行様は慈悲の心を備えておられた。慈悲の心を持たぬ者に民を想う事などできましょうか――」
ジェインは床に両膝をつき、椅子に座った正行の顔を見上げた。
「竜は間違えない。竜は正しく主を選んだのだと今さらにして気づきました。もし、民をお憐れみくださるのでしたら、私どもの不幸を少しでも減らしてくださいますよう、いつか立派な竜騎士様になってくださりますよう――切に、お願い申し上げます」
ジェインは床に手をつき、深々と、正行に頭を下げた。
正行は十ほども歳上のこの女性が、ただの高校生である自分に頭を下げるのを見ていた。
――いや、違う
ジェインは、ただの子供に頭を下げているのではない。彼女は、竜に選ばれた者に、乞い願っているのだ。愛した夫と、幼い我が子を失くしたこの女性は、同じ悲しみを民のほとんどが知っていると言う。自分も――それを知っている。
――お読みいただき、ありがとうございます。本作はカクヨムコン7に出展中の作品です。ご期待いただける方はぜひ★評価をお願いします。
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