四章 少女の涙 第二話
正行は使者に連れられるまま王の前まで歩くと、床に左膝をつき、立てた右膝に拳を軽く握った右腕を乗せ、頭を下げた。
「風竜の主、マサユキ・タカミでございます」
ステラがカーテシーを取りながら言い、一歩下がった。
「お目通り許され、光栄に存じます。異界より竜に呼ばれ、竜卵が孵るを見届けました」
正行はステラに教わった口上を述べた。
「風竜国国主シフナスである。竜を孵した事、褒めて遣わす」
低く、良く通る声。次いで、違う声が聞こえてきた。
「王は貴公が異界から渡ってきた旨、承知しておられる。多少の非礼は咎めぬ。聞かれた事に正直に答えよ」
は、と正行は時代劇のように答えた。これもステラの教えである。
正行の下げた頭に、威厳ある声が降ってきた。
「日本国から来たと聞いておる。相違ないな?」
「はい」
正行は答えた。
「齢は?」
「十六です」
「故国での職は何か?」
「学生をしておりました」
「家族は?」
やや言葉に詰まった。
「母がおりましたが、こちらに来た日に病気で亡くしました」
わずかに間が空いた。王の表情はわからない。
「向こうは医学も進んでいると聞くが、治らぬ病もあるのか」
「新しい病気でした。母の遺骨を引き取った後、こちらに来いと声が聞こえ、気づいたらこちらにおりました」
「竜の声か?」
「分かりませんが……そうではないかと思っています」
「他の家族は?」
「父とは別離し、兄弟もおりません」
「故国はどういう国であったか?」
正行は少し考えた。
「あまり考えた事がありませんでしたが、こちらより恵まれていたと思います」
「戦はあったか?」
「ありませんでした」
「竜に選ばれた者がどうなるか聞いたか?」
「はい。騎士として竜に乗り、魔族から国を守ると聞きました」
「お前にそれをやれるか?」
王は淡々と聞いた。
「……まだ自信はありません。しかし、守れるように努めたいと考えるようになりました」
「――それは、竜騎士になるという意味だと受け取ってよいか?」
「はい」
広間に沈黙が下りる。ややあって、王が口を開いた。
「ステラから剣が使えると聞いたがまことか?」
「向こうでは剣術を習っておりました。ただ、真剣を持った事はありません」
「殺すために修練していたのか?」
「いえ、あくまで競技として習っていました」
「竜騎士となれば、敵を殺さねばならぬ。魔族と戦が起これば、お前に殺せるか?」
――殺す
殺意を持って、本当に誰かを殺すつもりでその言葉を遣った事はなかった。
「そのつもりでいます」
「つもりでは困る」
王はぴしゃりと言った。
「相手がお前に武器を向けてかかってきているとしたらどうだ?」
――自分を殺しに
「殺さねば、お前が死ぬ。お前が死ねば民は困る。それは理解しているか?」
「……お父様」
小さくステラの声がした。
「理解はしているつもりです」
正行は少しむきになって答えた。理解はしている。覚悟も決めた。頭の中で声が響いた。
――本当に?
「なぜ、竜騎士になどなりたい? ここはお前の国ではない。家族もいない。知らぬ人間を守るために命を懸け、殺したくないのに殺す必要などなかろう」
王の言葉に、正行は考えた。確かに殺したくも、殺されたくもない。自分は数日前まで、ただの高校生だった。家族もいた。漠然と見えていた将来は、就職するか、大学へ行くか――。たったその程度の選択肢。自分の肩に他人の命を乗っける事になるとは想像だにしていなかった。
――でも……
「ステラから……この国の子供は十歳になる前に半分が死ぬと聞きました。ジェインさんは夫と子供を亡くしたと――。向こうに住んでいた頃、それは他人事でしかありませんでした。でも、今は違います。家族を失う辛さを自分も知りました。例え知らない人の事だとしても、自分にその辛さを少なくする事ができるなら、やってみようと……そう考えました」
沈黙が流れた。しんとした広間に雑音はなく、正行は自分の鼓動が体内に響くのを感じていた。もちろん――嘘は言っていないつもりだった。
沈黙を破ったのは王の声だった。
「お前の故国では人はそうそう死なぬと聞く。戦も飢えもなく、病も多くが治ると――。そうだな?」
「はい」
「こちらは違う。お前の生まれた国とは違い、こちらには外敵がおる。飢えも病もある――」
王は息をついた。
「魔族だけではない。時には人も殺さねばならん」
「――え?」
つい顔を上げてしまった。
「面を下げよ!」
即座に横から厳しい怒声が飛んできて、慌ててまた頭を下げる。
「良い――。敵は外だけではない。国の中にも敵はおるのだ。覚悟が定まらず、いざ敵を目の前にしてむざむざ殺されるような者では困る。竜騎士の命は百万の民よりも重い」
王は続けた。
「竜が騎士と共にあれば、土地に恵みをもたらす。飢饉も、疫病も減る。竜騎士はまずは死なぬ事こそ第一の役目と言える。そして、第二の役目は殺す事だ。国に仇なす者を殺さねば、国は荒れ、民は死ぬ」
死ぬ――殺す――
鉄のように重たい言葉が、ずしり、ずしりと正行の肺腑に落ちて行く。
「死地におかれれば、自らが生き延びるために部下を死なせ、向かってくる者は例え子供でも容赦なく切り捨て、意地汚く生き延び、その命が尽きるまで民に恵みを施す。それが竜騎士に課せられた使命である」
正行は無意識に唾をのんだ。自分が、そこまで自分の命に執着できるだろうか。
「お前にその覚悟はあるのか? 我が国三百万余の民の命を背負い、何があっても、誰を殺しても生き抜く覚悟が」
王が発するその声は、質量を持っているかのように重い。正行の額には脂汗が滲んだ。
「……お父様、正行は……」
「控えよ、ステラ! わしはこの国を統べる王として、竜の主に問うておる!」
――ステラ……!
「……こ、殺しますっ……!」
正行は思わず、また顔を上げ、王に向かって喉から声を絞り出した。
「ステラと……約束しました。この国を良い国にすると……。だから、俺が守ると……!」
玉座に座った王の双眸が正行を見据えた。
「……何をたわけた事を……」
王の身体が一瞬、膨らんだように見えた。
「戦場では女と交わした約束を思い返す余裕などない! 戦場には善も悪も、是も非もない! ただ殺すしかないのだ! それが魔族だろうと人だろうと構わずにだ!」
王の迫力に正行はそれ以上の言葉を発する事ができなかった。
「お前の故国に戦はないと聞く。今まで会った異界人は総じて優しい、戦に向かぬ者ばかりだった。わしにはお前もそう見える。なのに、お前は竜に選ばれ、それを受け容れようと言った。その意気は見事であると言おう――。しかし、覚悟は全く足らぬ」
王は淡々と続けた。
「竜騎士とは、覚悟なき者に務まるほど甘いものではない。国を守るという事は、畢竟、誰かを殺すという事だ。それが一人で済む事などそうそうない。戦となれば、万の命を取らねばならぬ時もある。竜騎士はその生涯で数十万の命を取らねばならぬと思え。民を生かすために生き、民を守るために殺す。その覚悟無き者が戦場に出たところで、早晩、屍に変わるだろう」
王は一つ息をついた。
「知識を学ぶは、助けよう。しかし、覚悟は今一度、自らの心で定めよ」
言って、王は横の男に合図をした。
「これにて謁見を終わる。竜卵宮に戻られよ」
最後に一礼して立ち上がる。今さら自分の掌が汗ばんでいる事に気づく。ステラがそばに来て、行きましょう、と言った。
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