八章 旋律の中で 第三話
「スレイベン州候、ゲラルフ・ゲシュリエクトでございます。第二王女殿下と以前、お会いしましたのは、陛下のご即位三十周年の祝賀会での事。ご成長し、見違えるようにお美しくなられた。僭越ながら、ステラ様こそ八国一の美女である! と、このゲラルフ確信いたしました。先ほどから、多くのお誘いをお断りされているご様子だが、せっかくの竜の祝賀会。これほど美しいレディが踊らぬのは、太陽に申し訳が立たぬというもの。ぜひ、私にステラ様の美しさを引き立たせる大役をお与えください」
ステラは大げさな手振りを挟みながら、長々とした演説を一度も噛まずに言い終えたこの男に感心はしたが、興味はなかった。
――来てはくれないのかしら?
落胆しながら、ステラは首を横に振った。右手を差し出した男に、ジェインが今日既に何度となく述べた断りの口上を再度述べようとする。
その時、不意に立ち上がったゲラルフが、ステラの左手を取った。
「さあ! 今宵はめでたき、竜の祝賀会! 座っているだけでは竜も悲しみましょう。共に我が国自慢の楽隊の音楽に乗せられましょうぞ!」
そう言ってゲラルフはステラの左手を強く引っ張り、ステラはよろめくように立たされた。
「何をなされる、スレイベン候! その方が我が国の第二王女殿下であることお忘れか!」
怒ったジェインがゲラルフに詰め寄る。
「控えよ! 下女ごときがステラ様を踊らせまいと邪魔をするのは出過ぎであろう!」
ゲラルフは詰め寄るジェインを突き飛ばし、そのまま無理やりステラを広間に連れ出した。ステラは咄嗟に抵抗しようと思ったが、強い力で手首を掴まれ、抵抗する事ができない。
ゲラルフは広間の絨毯までステラを引きずるように連れ出すと、ステラの腰に右手を回し、強引に体を引き寄せた。体を密着され、全身に鳥肌が立つ。これを見ていた周囲がどよめき、突如として起こったこの不穏などよめきに、楽隊が気づき、音調が乱れた。
正行は見ていた。ステラが首を振ったところを。そして、男がステラの手を掴み、ジェインを突き飛ばしたところも――。
気づけば、正行は既に飛び出していた。自分でもどう動いたのか、一瞬のうちに駆け寄り、男の左手を掴んだ。
「やめてください! ステラが嫌がっています」
ゲラルフ・ゲシュリエクトはゆっくりと首を回し、正行を見下ろした。
「これは風竜公。邪魔をしないでいただきたい。ステラ様は少し恥ずかしがっておられるだけでございます」
ゲラルフは顔色一つ変えずに言ってのける。そのとぼけように、正行は一気に怒りが頂点に達した。
「――お前っ!」
思わず拳を握った、その時、
「スレイベン候……手を放しなさい……」
ステラが口を開いた。見れば、その顔は青白く、唇はわずかに震え、呼吸も大きくなっている。
「私は貴公の誘いをお断りしたはずです……。誤解させたなら申し訳ありません。ですが、その手を放していただけますか?」
いつの間にか広間は静まり、全員が正行達を見ていた。ゲラルフは近くにいた正行達にしか聞こえない程度の大きさで、小さく舌打ちすると、ステラの手を放した。そして、慇懃に跪くと、
「それは申し訳ありませんでした。てっきり誤解してしまったようです。お許しを……」
そう言って、踵を返し、広間の端にある、誰も座っていない卓まで歩くと、どかっと座り、手近にあったグラスから酒を飲んだ。
まだ興奮収まらず、殺気立っていた正行だったが、近くから、ぱち、ぱちという音が聞こえた。見れば、エスリオスが手を叩いていた。その拍手はゆっくりと広がり、その音と共に、広間には安堵感が戻って来た。エスリオスが正行の傍に歩いてきて、耳元で囁いた。
「よくやった」
それだけ言うと、エスリオスはくるりと振り返った。
「さあ、宴を続けよう!」
その声に後押しされ、楽隊が先ほどよりも大きく音を奏で始めた。エスリオスとメリダも、踊っていた貴族たちも、また再び踊り始める。
その雰囲気につられて、正行もようやく怒りが収まってきたが、今度はステラが心配だった。
「大丈夫?」
小声で訊いた。ステラの顔はまだ蒼白だったが、彼女は笑い、こくりと頷いた。そして、正行の前に小刻みに震える右手を差し出した。
「踊ってくれる?」
一瞬、正行は迷った。誰に言われても、ステラと踊る事を頑なに拒否してきた。しかし、目の前に差し出されたその右手を拒む事は、もうできなかった。
正行はステラの右手を取った。あの温かい手が、冷たく冷え切っていた。思わず、ぎゅっと握った。周囲で踊る人たちを見よう見まねで真似て、とりあえず姿勢だけはそれらしいものを作った。
「……俺、踊ったことないんだけど……」
「音楽に合わせて、体を揺らせばいいの」
そう言って、ステラは左右に小さくステップを踏む。正行もそれになんとか合わせて、踊りらしきものを踊る。顔が熱い。周りでは楽隊の音楽が響いているのに、自分の心臓の音が聞こえる。他の人達のように目を合わせて踊るようなことは無理だった。
どこからか、拍手の音が聞こえ、すぐ止んだ。正行達を祝福したかのような、いや、勘違いだったかもしれない。とりあえず、時々、周囲の人たちを見ながら、何とかステラに恥をかかせまいと足を動かす。
一曲が終わり、次の曲が始まった。新しい音調を体で覚えながら、正行は勇気を出して、彼女の顔を盗み見た。すると、ステラも顔を赤くし、わざとらしくそむけている。正行はなんとなく安心し、音楽に身を任せた。
やがて最後の曲が終わり、広間は拍手に包まれた。これは正行達だけに向けたものではない。舞踏会で踊った全ての男女に向けられた拍手だった。
ふわふわと浮かんでいるかのような思いだった。今まで生きてきた中で、一番、幸福に満たされていたかもしれない。踊って良かった、と正行は思った。
(ほーらね)
竜の声が響く。正行は何も返さなかった。あえて返さずとも、正行の心は竜に伝わっているだろう。
ラッパの音が広間に響いた。全員が同じ方を向く。見ると、そちらには王がいた。
「夜も更けた。これにて宴は終わりとする。新たな竜と共に我が国は明日からまた新たな歴史を刻む。竜とその主に拍手を!」
再び、広間は拍手で満たされた。そして――宴は終わった。
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