八章 旋律の中で 第二話

「ご無沙汰しております。私を覚えておいでですか?」

「はい、謁見の日にお会いしました。あの時は挨拶もできずじまいでしたが」

「あれ以来、お話しする機会がありませんでしたが、こちらでの生活にはもう慣れましたか?」

「はい、かなり――。あの……」


宰相は少し顔を動かして、正行を見た。


「何か?」

「もしかして、あそこを離れる口実を作ってくれたんですか?」

宰相はその生真面目そうな顔に苦笑を浮かべた。


「お困りのように見えましたゆえ。女性と話しているのを邪魔するのもいかがかとは思いましたが」

「いえ、助かりました」

「酒ではなく、お水の方がよろしいでしょう。――これ」

宰相は壁際で待機していた若い侍従に声を掛けた。


「すまんが、水を持ってきてくれるか?」

「かしこまりました」

侍従は一礼してその場を離れた。


「彼女はスレイベンの諸侯家だと聞きましたが、スレイベンは広いのですか?」

「ええ、七州の中でも一、二を争う広さです。南にあるので、馬人族の脅威に晒されがちな土地ではありますが」

「スレイベンがどうかされましたか?」


いつのまにかアリノがそばに来ていた。


正行は一礼した。派手な貴族たちの衣装とは対照的に真っ黒なローブに身を包んだアリノはにこやかに礼を返した。


「先ほどギサ・ゲシュリエクトという人と会いました。町で見かけた貴族の妹なのではないかと」

「町?」

宰相が訝しげに聞いた。


「ああ――昨日、正行殿を城下にお連れしたのですが、ゲシュリエクト卿が町民の女性を蹴るという事があったのです」

アリノが小声で昨日の顛末を説明した。


「そういう事か。何度か話した事はあるが……。あれはやるかもしれぬな。蹴られたのは自由民か?」

宰相がアリノに聞いた。


「いえ、隷層民の女です。レアードが医者に連れて行ったところ、肋骨にひびが入っていたようですが、しばらくすれば治ると」

「そうか。怪我をした女にはむごい事だが、その程度では手出しするにはいたらぬか……」


正行は聞き流す事ができなかった。

「ただ、馬車を止められたというだけで、女性の腹を蹴る事がその程度ですか」


正行は思わず宰相を睨んでいた。正行の言葉に宰相は少し驚いたような表情を見せた。アリノは声を落として言った。


「正行殿、お気持ちは分かりますが、お収めください。力のある諸侯を処罰する事は難しい。やるならば、兵を挙げて戦をするつもりで動かねばなりません。戦となれば、数千が死ぬ。確かにあの馬車の男がやった事は許しがたいが、それほどの命を懸けるわけにはいきません」


正行は口を引き結んで黙った。宰相は一瞬驚いた顔をしていたが、落ち着いて口を開いた。


「正行殿、その程度という言葉で片付けたのは私の不明でした。しかし、現実には不心得な者が権力を持っているという事もある」

「それは分かりますが……いえ、すみませんでした」

正行は不承不承謝った。それを見て宰相は少し笑い、言った。


「いや、それで良いのです。政治を考えるのは我々の仕事。竜の主は慈悲を持ってまっすぐにあらねばならない。陛下もお喜びになられよう」

「そういえば、陛下はまたお隠れのようですな」

そういえば、乾杯を終えた後、王の姿が見えない。


「陛下はあまり貴族達との宴を好まれぬからな。どうせ今日も宴が終わるまでどこかにお隠れだ」

宰相が困ったように言った。


正行には分かる気もした。貴族たちのご機嫌取りに付き合わされるのは面倒なのだろう。


「まったく――。陛下は若い頃から社交の場がお嫌いでしてな。どうもステラ様もその血を引いておられるように見える」

宰相が諦めたように言った。


「さて、今日のステラ様はいつもと違うかもしれませんが……。社交と言えば、どこかの令嬢が正行殿に舞踏を申し込んでくるかもしれませんな」

「舞踏ですか……」


ジェインと同じく、楽しそうに言ってきたアリノについ嫌そうな声が出た。貴族たちとの交遊も確かに大事なのだろうが、全く気乗りがしない。


「舞踏というのは相手に好意を示すようなものでしょう? 今の僕はそういった事に興味はありませんが」

「正行殿に興味がなくても、向こうが興味を持つことはあるでしょう」

「それは、そういう事もあるかもしれませんが……」


それはあくまで可能性の話である。正行は今まで女子から告白を受けた事はおろか、バレンタインのチョコすら貰った事が無かった。それとも、竜騎士候補ともなれば、その地位につられる女性がいるということだろうか。そんな相手は願い下げだが……。


「今はまだそんなことをしている余裕はありません」

正行の言葉にアリノと宰相は目を見交わせた。やがて宰相が口を開いた。


「そういえば、昔のアリノは女性に人気がありましてな。舞踏会でアリノを取り合って喧嘩が起こった事もあったほど」

「え? 本当ですか?」


意外だった。そりゃ若い頃は知らないが、アリノは特別、美形だったという感じもしない。


「はて……そうでしたかな? あまりに昔の事で忘れてしまいました」

アリノは陽気に笑った。


「まあ、男は女性から学ぶ事も多い。もっとも、学ぶ相手は選ばねばなりませんが」

アリノはそろそろ席に戻るように促した。


「食事をしながら、諸侯たちの挨拶をお受けください。中には扱いに困る貴族もおりますが、私どもも近くにおりますゆえ」

「はい」




 正行は二人に促されてテーブルに戻った。料理を食べていると、ひっきりなしに貴族が挨拶に来た。


――自分は〇〇領の○○で~


自己紹介をし、竜の誕生を祝い、それが終わると戻っていく。中には子供まで紹介する者もいた。息子であったり、娘であったり……。ひとしきり挨拶を聞いて、正行が料理に戻ろうとすると、また次の貴族が来る。


――ただ食事をするだけと聞いていたはずだが……


 正行は次第にうんざりしてきた。アイトラはどうしているかと思い、竜たちの席を見ると、 満腹になったのか、二頭の竜は寛いだ様子で床に寝そべっている。二頭のそばには世話を命じられているのか、下男が一人。それ以外に人はいない。


(お前は楽そうでいいな)


竜に向けて、言葉を送った。アイトラがこちらを振り向く。


(まあね)


もう一つ文句を言ってやろうと思ったが、その時、広間に声が響いた。


「王女殿下のご入来です!」


 途端、広間の喧騒が止む。広間の大扉が開かれ、二つの人影が光の中に姿を現す。その瞬間、大広間がどよめいた。メリダは相変わらず美しかったが、正行はその隣の美少女に目を奪われた。


 深い、エメラルドグリーンのドレス。上品に開いた胸元には花をあしらったような刺繍が施され、六分丈の袖からは白く美しい腕が伸びる。


――綺麗だ……


思って、はっとした。アイトラに聞こえる――


(聞こえたよ)

遅かった。


(いいから、フォティアと喋ってろ)

(フォティアはメリダ派らしいけど、ステラもすごく綺麗だって言ってる)


絨毯を歩いてくる二人を見る。確かにメリダも綺麗だが、今日のステラは特別……


(ああ、その気持ちは確か、人間の言葉で恋ってやつなんじゃないかなあ?)

(……昨日、話し始めたばかりなのに、もう皮肉を覚えたのか?)

(うん、竜だからね)


横からくすくすという笑いが聞こえてきた。見ると、エスリオスがこらえきれないといった感じで笑っている。


「アイトラにからかわれているらしいね」


エスリオスは正行を見て言った。正行はアイトラの方を見て、睨んだ。アイトラはわざとそっぽを向いて、ゆっくりと尻尾を振っている。


「まあ、まあ。竜に気持ちを隠すのは無理だよ。それに彼らは生き物の中ではおしゃべりな部類だ。竜同士だと特にね」

エスリオスがとりなしてくる。エスリオスは正行の耳元に顔を近づけ、小声で言った。


「僕は当然、メリダ様派だが……、君はどちらが綺麗だと思う?」

訊かれて、正行は顔が熱くなった。


「おや? どうも意見が分かれたようだ。君の本心が聞けて嬉しいよ」

エスリオスがにっこりと笑う。


「ちょっと! 他の人に聞かれたらどうするんです?」

周りにはアリノや宰相もいる。こんなことが王の耳に入ったら――


しかし、焦る正行を見て、エスリオスは面白そうに笑っている。


「別に構わないだろう。ステラ様もご成長なされた。あれほど綺麗な女性を放っておけぬのは男の性と云うもの。君自身の気持ちを大事にすればいいじゃないか」

エスリオスはこともなげに言った。


「そろそろ舞踏会が始まる。僕は他の貴族達より先にメリダ様に申し込みに行く。君もうかうかしてたら、どこかの貴族に先を越されてしまうよ」

エスリオスは立ち上がり、絨毯を歩く王女の元に歩いていった。メリダの前に跪くと、エスリオスは右手を差し出し……メリダは満面の笑みでその手を取った。広間は拍手と共に感嘆の声や、逆に落胆の声で満たされた。その声をかき消すかのように広間に控えていた管弦楽隊が音楽を奏で始める。


優雅で、少し楽しげな音階の波に乗るように、エスリオスとメリダは広間の中央でゆっくりと、小さな円を描いて踊り始めた。他にも何組かの貴族達が、既に決まった相手がいたのか、エスリオスたちに続いて踊り始める。


 始まった舞踏会を見ながら、正行は一人取り残されたように座っていた。踊る人々は少しずつ増え、広間は幸せな空気に満たされていた。踊っている男女は実に楽しそうで、まさに人生の春を謳歌している。愛する人と手を取り合い、愛を確認できたなら、どれほど素晴らしい気分になるのだろう。正行はエスリオスが羨ましかった。


(ステラと踊ればいい)

頭にアイトラの声が響いた。


(俺の勝手だろ)

正行はむっとして返した。


(異性に発情するのは人間や動物の習性じゃないか。僕達には雌雄がないから分からないけど)


正行は呆れた。

(そういう言い方をするなよ。いいか? 向こうにはロマンチックという言葉があってな――)

(そんなことは知らないけど、正行が怖がってるのは分かる)

(――え?)

正行はアイトラの言葉に驚いた。


(なんで驚くの? 怖いんだろ?)

(いや……そうは思ってなかったけど)


実際、怖いという感情はなかった。


(怖がってるよ。自分の気持ちにも気づいてるのに、いつか自分が死んだらどうしようって考えてるんだ)


図星を突かれた、そう感じた。


(でも、人間は戦で死ななくたって、病気や怪我で早く死ぬこともある)

正行は母を思い出した。向こうはあれほど医療が発達した世界だったが、母は若くして死んだ。


(まあな……)

(竜騎士は普通の病気にはならない。怪我だってすぐに治る。そりゃ、戦には行かなきゃいけないけど……)

(ああ、それが俺たちの仕事だ)

正行は水を一口飲んだ。


(やっぱり酒をもらった方がよかったかな。味は好きじゃないけど)

冗談を言ったつもりだが、アイトラは答えなかった。


 正行はステラのいるテーブルを見た。いつの間にかジェインが傍についている。そして、貴族や、その子弟だろう。男達が列をなしているのが見えた。


――あれが舞踏の申し込みだな


見たくなかったが、どうしても気になってしまう。先頭の男が跪き、手を差し伸べる。ステラは無言で首を振り、ジェインが断りを述べる。男は去り、次の男が跪く。その繰り返し――


しかし、列に並ぶ男たちが途絶える気配はない。既に三十を超えているような大人の男もいれば、正行と近い年頃の男もいる。見ていると、十歳くらいだろうか。母らしき女性に押し出されるように出てきた子供もいた。相手がステラ以外なら微笑ましく見られたかもしれないその光景も、正行には憂鬱な光景だった。


――竜はいいな。女の子の事で悩む事がなくて


その時、ふっ、とステラがこちらを見た。


――まずい!


正行は咄嗟に顔を逸らした。自分はどんな顔をしていただろう。こんな風に見ていたのを知られたくなかった。しかし、顔を逸らしたのは失敗だった。


 ゆっくりと視線を戻す。ステラはもうこちらを見ていなかった。先ほどの少年もいない。列の先頭にいたのは、派手な衣装をまとった男だった。大げさな動きで跪き、何と言っているのかは聞こえないが、おそらく、素晴らしい! とか、美しい! とか言っているのだろう。ステラは例によって、目も合わさず首を振る。


その時、正行は男のまとった派手な衣装に見覚えがある事に気づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る