八章 旋律の中で 第一話

 祝宴は夕方から始まる、と知らされていた。こちらの六月は日本と同じく初夏にあたる。宴が始まるのは日没ごろ。今日は稽古も講義もない。


午前中はゆっくりと過ごし、午後、祝宴の準備を始めた。正行の中にはこういった行事が面倒だという気持ちがあったが、支度を手伝ってくれるジェインはいつになく浮かれている。


例によって衣装は派手だった。しかも、今回のものはアイトラの鱗に合わせて、白縹色の衣装である。竜を持つ国は貴色が竜の色だと言う。つまり、火竜国なら赤であり、風竜国なら青みがかった白となる。日本で着せられていた面白味のない黒い制服が懐かしい。


言っても無駄な事なので、おとなしくその衣装を着て、髪を整えた。鏡を見ながら、かなり伸びたな、と思っていると、ジェインが口を開いた。


「正行様は舞踏のお相手はどうなさるのですか?」

「は?」

予想していなかった質問に思わず間の抜けた返答が出た。


「ただ食事をするだけと聞いていましたが……」

「竜の主のお披露目の場だというのに、正行様が踊らないわけにもいきませんでしょう?」


 そんなことを言われても、正行が知っているのは、ステラとメリダくらいしかいない。二人ともこの国の王女様であり、身分違いも甚だしい。それに、舞踏会は結婚相手を探す場であるとも聞いている。慣例により祝宴が開かれるとはいえ、正行はまだ王に認められていない、いわば見習いのようなものである。誰かと踊るなど考えられるような状況ではない。


「僕は誰かと踊る気はありませんが」

正行は答えた。


「今の僕は自分の事で精いっぱいです。ダンスなんか踊った事もないし、僕の国では結婚はもっと遅いのが普通でした。半人前の自分ではそんな余裕も資格もありません」

言い訳をするかのように言った。


 訊いたジェインは少し驚いたような表情をしている。

「しかし――」

ジェインは一瞬迷うような素振りを見せたが、言葉を継いだ。


「――てっきり正行様はステラ様を好いておられるものかと」


その言葉に正行は黙って目を背けた。

ステラは可愛い。明るく、優しく、綺麗で――。時々、友人ではなく、女の子として彼女の事を見ている気がする事もある。しかし、今の自分には学ばなくてはならない事が山ほどもある。それに騎士として認められたならまだしも、今の自分はただの子供でしかない。ステラは――友達とはいえ、王女である。自分と釣り合うような存在ではない。


 正行は目を背けたまま答えた。

「僕はまだ見習いの身ですから」


わざと話を打ち切るような言い方をしたことにほんの少し申し訳なさを感じた。が、ジェインは珍しく食い下がってきた。


「出過ぎた事とは承知しておりますが……、ステラ様はきっとお美しいレディとなられます。お二人は仲も良く、いずれ竜公になられる正行様がお誘いするのも別に不自然な事では――」


正行はジェインの言葉を遮るように首を振った。

「僕はまだ半人前です」

「しかし、ステラ様は――」


とんとん、と扉が鳴った。


「お迎えにあがりました」

ジェインは急いで扉を開け、一礼をした。

「行ってきます」


正行はジェインにそう告げると、アイトラに手招きして扉を出た。




 竜を連れて竜卵宮を出るのは初めてだった。あの謁見の日、ステラと正殿を訪れた時は、とても静かだったが、今日は随分と人の気配が強い。男に従って歩くにつれ、その気配はどんどん強まってくる。前回の張りつめたような感じと違い、賑やかで、ざわざわとしたその空気。どこか緩んでいるような、それでいて、うっすらと警戒もしているような、そんな空気。


そういえば、アイトラが大勢の知らない人間と会うのも初めてである。今さら気づき、神経質になってはいないかと思って、その顔を見ると、竜は余裕のある目で正行を見返してきた。


(人がたくさんいるけど大丈夫か?)

心に言葉を浮かべて、思念を送る。


(うん、平気。フォティアもいる)

そういえば、エスリオスも出席すると聞いていたことを思い出した。


(ジェインの事は良かったの?)

アイトラは問いかけてきた。


(……うん)

心の中でそう答えたが、正行の中にあるもやもやとした気持ちは、アイトラに筒抜けかもしれないと思った。


 謁見の部屋の前を通り過ぎ、さらに廊下を歩くと、人の気配が漏れてくる扉があった。一体、何人くらいいるのだろう。がやがやとした人の気配。学校の式が始まる直前の、その感じにも似ていた。これから値踏みが始まるのだと思い、正行は少し緊張してきた。


 男は扉の前で止まる。男はすう、と肺を膨らませた。


「竜の主のご入来です!」


男があの日同様、良く通る声で言うと、そのざわついた気配がぴた、と収まった。扉を開くと、そこは眩しいくらい明るい光に満たされた広間。その広さは体育館くらいあるだろうか。中央に敷かれた縦長の絨毯は正行のいる広間の入り口から最奥まで敷かれており、その絨毯の先、一段高くなったところには横長のテーブルが構えていた。


王、その横にアリノやエスリオス、そして、そこからやや離れたところにフォティアの姿が見えた。絨毯の両脇には百人は下らないだろう、大勢の人々。着飾った貴族らしき人々と、壁際には楽器を携えた家来達が正行と竜に向かって跪いている。正行と竜はその絨毯の上を男に連れられるまま歩き、王のテーブルまで来ると、男が脇に下がって王に跪いた。正行も慌てて王に向かって跪く。


「九百年の長きに渡り、国を守ってきた旗手達よ! この度、めでたくも新たな竜が孵った。新たな主として、竜は異界より、この正行鷹見を選んだ。新たなる国の守り手に太陽の祝福があらんことを!」


 一瞬の静寂。そして、誰かのぱちぱちぱちという拍手に続いて、広間に人々の拍手がゆっくりと広がる。


「今宵は竜の宴である。太陽の与えたもうた大いなる恵みを共に祝おう!」

 王のその言葉に呼応して、管楽器の音が聞こえ始めた。貴族たちは立ち上がり、絨毯の両側に置かれたテーブルに着席してゆく。楽団が陽気な音楽を奏でる中、召使たちがテーブルに料理を運んでくる。正行はとりあえず立ち上がったものの、どうすればいいか困っていると、傍に男がやってきた。


「お席へご案内いたします」

 男に案内されたのは、最奥の一段高いところにあるテーブルだった。王と食事を共にするのは、違う意味で緊張するが、王はいつのまに姿を消したのか、今はいなかった。王だけでなく、貴族たちも好きなように立ち歩いて談笑している。正行はそのテーブルの席の一つに案内され、ようやく少し楽になった。


「竜様はこちらへ」

 男はそう言うと、竜にお辞儀をして、誘導しようとする。言われた竜はさも当然のように男の後ろについていく。大丈夫か?と見ていると、竜が正行を振り返って、片目をつぶって見せた。


 そのまま見ていると、男に連れていかれる先にはフォティアが真っ赤な巨体を横たえて待っていた。


「おめでとう」


 唐突に言われ、向き直るとフォティアの主が笑いかけていた。エスリオスとは先日、会って以来だった。


「剣の稽古やこちらの世界を学ぶことに多くの時間を費やしていると聞いている。いつか戦場で共に戦える日を楽しみにしているよ」

「ありがとうございます。早く一人前になれるよう努力します」


正行は礼を返した。何となくテーブルを見渡す。テーブルに着いた面々のうち知っているのは、王、アリノ、宰相、エスリオス。それ以外はおそらく位の高い貴族だろうが、とりわけ派手な衣装をまとった男達が酒を呑み交わしている。てっきりエスリオスは第一王女と一緒に席についているものと思っていたが、メリダの姿は見えない。それにステラも。


「二人の王女殿下は今宵の花だから、舞踏の時間に現れるはずだよ」

正行の視線から読み取ったのか、エスリオスはそう言って杯を傾けた。


――花


確かにあの二人は花と呼ばれるに相応しいだろう。下のテーブルには貴族らしき女性達もいたが、二人には遠く及ばない――と正行は思った。ジェインは舞踏会で踊るのは王女の義務だと言っていた。


メリダはエスリオスと結婚するかもとは聞いていたが、ステラもいつか結婚相手を見つけなくてはならないだろう。それもそれほど遠くはない。現代の日本のように二十代の後半まで独身でいるという事はおそらくない。王族なのだから、自由恋愛というわけにも行かないだろう。


そもそも王女に釣り合う家柄自体、ほとんどないようなものだ。本人の意思に関わらず、かなり高い地位にいる限られた貴族の誰かと結ばれるというのが一般的なはず。お互いを愛しているエスリオスとメリダはむしろ特殊なケースなのだろうと正行は思った。


――エスリオスはメリダと踊るんだろうな


正行は目の前の料理を一口食べ、目の前のコップを手に取った。


「ごほっ!」

正行は思わず咽た。杯に入っていたのはジュースではなく酒だった。


「お酒はお嫌いでございますか?」


 横から女の声がした。振り向くと、そこには昨日の貴族――たしかギサという名前の女がいた。すらりとした長身を濃い赤のドレスで包んでいる。美しい女だが、その青い目は昨日のゲラルフに似た印象を放っている。何を言おうか考えていると、先にギサが口を開いた。


「昨日は兄が失礼いたしました」


 ギサが頭を下げた。


「閣下が兄をお諫めくださり助かりました。我が兄は真面目なのですが、民にも厳しい。あの母親が大事なかったらよいのですが……」


その言葉に正行は怒りが湧いた。


「問答無用で人を蹴る事を“厳しい”と? それと閣下と呼ぶのはやめてください。僕はまだ叙任されていません」


正行はそれだけ言うとテーブルにコップを置き、席を立った。


「お待ちを!」


ギサはその場を離れようとした正行の手を取った。


「昨日の兄の振る舞いをご不快に思う気持ちは分かります! しかし、私では兄を諫める事はできないのです……」

今にも泣かんばかりに目を潤ませてギサは言う。その表情と手の強さに正行は怯んだ。


「おや? これはゲシュリエクト家の」


不意に横から声がかかった。ギサはその声にぴくりと反応したが、何事もなかったかのようにその声の方に振り向いた。


「……これは宰相閣下。挨拶が遅れまして申し訳ありません」

ギサは正行の手を放し、宰相に向かって慇懃に礼を取った。


「はるばるスレイベンからお越しいただき、感謝申し上げる」

宰相は礼を返して言った。


「新たな竜の誕生は我が国が長年待ち望んでいたことでございますゆえ――。新しき主も大変、素敵な方でございますこと」

「スレイベンは馬人族の領土に近い。奴らもこれで少しは大人しくなるでしょう――そういえば、正行様、アリノとは話されましたかな?」

宰相は急に正行の方を見て言った。


「……いえ。どちらにおられますか?」

「こちらです」


正行は宰相に連れられ、その場を離れた。

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