七章 竜の声 第五話

 二人が西門に向かうと、そこには既にレアードが立っていた。


「レアード殿、急に呼び立てて申し訳ない」

アリノがにこやかに言う。


「いえ、アリノ様の御用とあらば、いつでも」

レアードは直立したまま言った。アリノは正行を振り返った。

「では、参りましょう」



 風竜国の王都は、円状の城郭に囲まれた都市だという。中央に王宮があり、現在、正行が暮らす竜卵宮は王宮内東側の敷地内にある。王宮を出て東には大きな湖があり、王宮の北には軍が常駐する城塞が鎮座する。西と南は市街であり、民が暮らすのはもっぱらこの市街である。今から見るのはその市街だと、王宮の外濠に架けられた橋を渡りながら、アリノがそんな話をしてくれた。


 正行はその話を聞きつつも、前方に見える光景に目を奪われていた。こちらに来てしばらく経つが、初めて王宮の外に出た。そこに並ぶ建物は、日本のものよりも小さく、当然、瓦などはない。レンガのような石で造られた建物が通りに沿って並んでおり、その前にはいくつもの露店が出て、がやがやと人が行き交っている。身なりの良い裕福そうな者もいれば、簡素な身なりの者もいる。露店では、野菜や、肉を売っていて、人々の声は大きく、活気がある。


「お! 大臣閣下!」

誰かが声を掛けてきた。正行達がそちらを振り向くと、四十ほどだろうか、露店の主人がアリノを見ていた。


「おお、マルコ。私は大臣ではないと何度言ったら……」

「へへ、私どもには偉い人は王様以外、みーんな大臣に見えるんでさ」

笑いながら言う主人にアリノも苦笑する。


「景気はどうだ?」

「まあ……ぼちぼちですな。スレイベンが馬人族に襲われたそうですが、陛下が追っ払ってくれたんでしょう? あそこが荒らされると、小麦が高くなるので心配していたんですが、一安心というやつで」

「陛下にはお前が礼を言っていたと伝えておこう。串を三本くれないか?」

「へい! 毎度あり!」


主人は肉の刺さった串を三本包んでこちらに寄越すと、アリノから硬貨を受け取った。アリノはその串を一本ずつ、正行とレアードに渡すと、また歩き出した。


 串には四つの小さな肉の塊が刺さっており、ほかほかと香ばしい香りを放っている。何の肉だろうと見ていると、アリノの声がした。


「焼き鳥ですよ」

「これ、焼き鳥ですか?」

アリノは正行を面白そうに見て頷く。


「ええ、ニワトリではなく、キュセウと呼ばれる家畜用の鳥なのですが、味はニワトリによく似ている。その肉をあの主人の秘伝のタレで焼いたものです。私はこれが好きでしてね」


正行は一つかじりついてみた。

「うまい!」


声を上げたのはレアードだった。

「おいしいでしょう?」


アリノは満足げに笑っている。実際、おいしかった。さっぱりとした肉汁と甘辛いタレがよく絡み、肉はふわりと柔らかい。


「あの店は私のお気に入りでしてね。町に出るとつい買ってしまう」

そう言ったアリノの持っている串にはいつの間にか、既に肉は刺さっていなかった。


「次はあちらに行きましょう」

アリノが指さしたのは、こちらも串に刺した何かを売っている露店だった。


「おい、三つくれないか?」

「メイスター様、いらっしゃい!」


こちらは四十過ぎの女主人だった。先ほどの男と同様、人当たりのいい笑みを浮かべ、手早く串三本を用意してくれた。


「お前はちゃんと私の仕事を覚えてくれているが、マルコのやつはいつまで経っても覚えてくれんようだ」

アリノが笑いながら言うと、女主人も快活に笑った。


「マルコは鳥の事なら何でも知ってますが、それ以外はとんと興味のない男ですからねえ」

女はそういってまた笑う。アリノは女に礼を言って、また歩き出した。


「これは飴です」

アリノから手渡された串には赤い半透明のかたまりが刺さっている。一舐めすると、確かに甘い飴だった。


「こんなものも売っているんですね」

正行は素直に思ったままを言った。アリノは何も言わずに笑うと、自らもうまそうに飴を舐めながら歩く。


 そうして、何軒かの店をはしごしながら、正行達は長い通りの端まで歩き、王都西側の門までたどり着いた。そこで正行達は十メートル以上もある城郭を見上げながら、道中で買いこんだ食べ物を食べ終え、これまた途中で買った茶を飲み干した。


「意外でした」

正行は言った。


「向こうの縁日みたいでした。長く竜がいなくて、もっと寂れていると勝手に想像していましたが、全然違うんですね」

「見た方が早いと言ったでしょう?」

アリノは正行に笑いかけた。


「しかし、正行殿はまだ一面を見たに過ぎません。次は南へ行きましょう」

「はい。……あの、これはどうすれば?」

正行は食べ終えた串や、木のコップを両手に持ちながら聞いた。


「それはもう少し持っていてください」

アリノはまた城郭に沿って歩きだした。


 この都市を守る円の壁に沿って、三人はしばらく歩いた。城郭の高さは十数メートルはあるだろうか。高い石垣が緩やかに角度をつけて続いている。


最初、正行はこの見慣れぬ城郭に注意を奪われていたが、その内にある街の様子が次第に変わってきた事に気が付いた。人が少なく、活気もない。さっきは街を歩く人達が声を掛け合う姿がところどころで見られたのに、この辺りを歩く人は皆、押し黙ったまま下を向き、ゆっくりと歩いている。中には壁にもたれて座り込んでいる者もいる。アリノは座り込んでいる子供を見つけると、そちらへ歩き出した。子供に近づいた時、正行にも分かった。


――孤児


汚れた服、やせた身体、十歳にも満たないかもしれない。ただ、道路の隅に座り込み、うつむいている。子供はアリノが自分の目の前でしゃがんだ時、ようやくアリノに気づいたようで、ゆっくりとその顔を上げてアリノを見た。その目は虚ろで光がない。


アリノは子供の前に手に持っていた串やコップ、包み紙を置くと、袋から硬貨を何枚か取り出して小声で言った。


「これを頼まれてくれるか?」

アリノがそう言うと、子供は無言で頷き、硬貨を受け取った。アリノはそれを眺めていた二人に先を促し、また歩き出した。アリノは途中で二度、そういう子供を見つけ、同じ事を繰り返した。アリノはそのまま無言で歩き続け、門の近くで止まった。


「ここは王都の南門です。南からの日光が壁に遮られてしまうこのあたりは王都の中で最も暗い。貧しい者達が住む地域でもある」

正行は辺りを見回した。じとりと暗く、雰囲気は悪い。この辺りの建物は壁に大きなひびが入っていたり、少し崩れたようになっているものもあった。


「先ほどの子供達は、親を亡くしたか、放置されているのでしょう。時折、あのように施しを受けて命を繋いでいる。もう少し歩きましょう」


アリノはまた歩き出した。王都城郭南門から、今度は王宮のある中央部に向かってしばらく歩く。西の大通りと違って、こちらは暗く、やはり活気がない。と、アリノが右の脇道に入っていった。


「そちらは……」

レアードがぼそりと言う。何かひっかかるような言い方をしたレアードを正行が見たが、

「いえ、附いていきましょう」

レアードはそう言って、アリノを追いかけるように脇道に入っていった。


 正行も二人に附いて歩いていくと、先ほどの道とは違い、少し活気があるように感じられた。先ほどと違って、下を向いている人は少ない。しかし、どこか落ち着かない感じがする。それとこの匂い……


――酒か


まだ明るいというのに、そこには酒の匂いが漂っていた。ただ、酒の匂いだけではない。正行は気が付いた。


――少し甘い匂いもする


酒と何かの匂いが混ざり、漂っていた。道を行く男たちは酒の匂いをさせながら、目をぎらつかせて歩いている。アリノに附いてそのまま歩くと、甘い匂いが濃くなってきた。アリノがまた一つ角を曲がった時、それが何か分かった。


 そこにいたのは多数の女だった。女たちはきつい香水の匂いをさせながら、道行く男にしなだれかかり、何事か話した後、二人で建物に消えていく。アリノは構わず歩いていく。正行とレアードはアリノに附いて無言で歩いた。その時、左腕に何かが絡まる感触があった。


「あら、お兄さん? ちょっとお休みして行かれません?」


見ると、女が正行の左腕に両の手を絡ませている。その女の顔を見て、正行ははっとした。まだ若い――どころか正行よりも年下のように見える。


前を行くアリノが振り返った。

「その御仁は急いでおりますゆえ、またの機会にしてもらえますかの」

女はちらりとアリノを見たが、また正行にしなだれかかり、猫なで声で言った。


「別にいいじゃありませんか。少しくらい楽しんだって……。もちろん、おじさまも楽しませて差し上げますわ」

「お誘いはありがたいが、またの機会にいたしましょう。さ、正行殿」

「ふんっ」

女は正行の腕を離し、踵を返して歩いていった。


「アリノさん、あの子は――」

「歩きましょう」

呆気に取られている正行にアリノは小声で言い、また歩き始めた。百メートルほどの路地のそこかしこに女が立っており、道行く男達に声を掛けていた。男達は女を品定めするように見て、気に入らなければ罵声を浴びせる。女の方も断られれば、男に向かって悪態をつく。正行達も罵声こそ浴びせられなかったが、声を掛けられるたび、断り、歩いた。


「この辺りは夜になれば、人が増え、もっと荒れます。今はまだ明るいから落ち着いている方です」

アリノについて正行の隣を歩くレアードは小声でそう言い、しばらく歩いて、また南の大通りに戻って来た。西の通りとは違い、やはり人は少ないが、既に香水の匂いはせず、客引きをしようとする女も立ってはいない。アリノは歩きながら、正行を見た。


「先ほどの女たちは、親に売られた者達です。こちらは向こうとは違い、女性が一人で生きていくのは厳しい。こちらの仕事は肉体労働が主であり、貧しい親は男児を残し、女児を売る。せめて容姿に恵まれた者は、高級な娼館に行くが、親にも容姿にも恵まれなかった者達は、安い娼館で働いて日銭を稼ぐ。身寄りがない女が自ら出向く事もあります」


正行はなんと返せばいいのか分からなかった。正行に声を掛けてきた女は、正行よりも年下に見えた。親に売られ、何も持たない者が自らを売る。そうやって生きるしかない人がいる。それは正行の知らない世界だった。


「正行殿、お顔を上げてお歩きください。あなたは全てを見なくてはならない。よく見て、考えるのです」

アリノに言われてはっとした。その時だった。


「申し訳ございません! 申し訳ございません!」


前方から女の声が聞こえてきた。声の方を見やると、通りの途中で二台の馬車が止まっている。先頭の馬車の横には派手な羽根飾りをつけた衣装を着た男が立っており、男の前には女が子供を抱きすくめて、跪いていた。周りには幾人かの人が囲んでおり、何事かあったのだろう。女は必死に謝っているようだが、男の方は特に怒っているようには見えない。無言で跪いた女を見ている。


「申し訳ございません!」

地べたに這うように頭を下げた女が叫ぶように謝ったその時、男が表情も変えず、女の腹を強く蹴り上げた。


一瞬、女の体が浮き上がり、同時に苦悶の喘ぎを漏らす。


「――なっ!」

正行は驚き、反射的に飛び出していた。


「何をしてるんですか!」


羽根飾りの男が正行達をぐるりと振り返って見た。

「――なんだ、貴様は?」


訝し気に正行を見た男は、正行の後ろを見て、何かに気づいた。

「おや? アリノ翁とレアード卿ではありますまいか」

男は親愛の情を示すように両手を広げた。


「このような下町で会うとは奇遇ですな。お二方の連れという事なら、その若者もどこかの貴族の子弟とみえる」

「……スレイベン候、こちらは我が国の新しい竜公となるお方であられる」

アリノが言った。


「なんと!」

スレイベン候、と呼ばれた男は正行の前に跪いた。


「私はスレイベン州候、ゲラルフ・ゲシュリエクトと申す者。祝宴の前に竜の主にお目にかかれるとは何たる僥倖。ぜひ、お見知りおきを――」

「スレイベン候、このようなところで大げさに跪礼せずともよい。そんなことより、そちらの女はどうなされた?」


男は立ち上がって言った。

「ああ……私の馬車の前をその女の子供が横切って、馬車が止まってしまったのです。既に罰は与えました。貴公がお咎めになる必要はありません」

「貴公はたかがその程度の事で女の腹を蹴ったのか」


アリノはレアードに女を見てやるようにと目で指示した。レアードは頷き、女のそばに寄って、その様子を見る。


 男は心外な、とでも言いたげな顔でアリノを見た。

「その程度の事――と仰られるが、下民が我々の車を止めて、お咎めなしというわけにもいきますまい。愚かな民は体に教えてやらねば覚えませぬ。民の教育も我々の義務でしょう?」

「他意なき子供がした事。蹴らずとも言い含めるだけでよかろう。民を無下に扱った事を知れば、陛下も良い顔はなされますまい」


男が口を開きかけたとき、馬車から女の声がした。

「兄上」


馬車の扉が開き、声の主が姿を見せた。栗色の髪に薄い青の瞳。ステラとは違い、はっきりとヨーロッパ系の容貌をしている。美人――と言ってよいのだろうが、その目はどことなく冷たい印象を与える女だった。


「兄上は少々、民に厳しくあられます。確かにあの子供は危うく馬車に轢かれるところだったとはいえ……」


女は小さく首を振りながらそう言うと、正行とアリノの方に向かって礼を取った。

「風竜公、お初にお目にかかります。ギサ・ゲシュリエクトと申します。――アリノ様、兄には私から話しておきますので、今回はお目こぼしいただけませんでしょうか?」

「……よいでしょう。これ以上、この場で事を荒立てる気は私にもない」

女はそれを聞くと、笑顔を作って言った。

「では、明日の祝宴でお会いいたしましょう。ごきげんよう」


女はまだ何か言いたげな男を促し、蹲った女を見ぬまま馬車に乗りこむ。馬車は二人が乗り込むとすぐに行ってしまった。


「大丈夫ですか?」

道端に蹲っている女に正行が声をかけると、女は下を向いたまま無言で頷き、苦しそうに声を上げた。


「内臓を損ねたわけではなさそうですが……とりあえず医者に見せましょう」

レアードは言って、立ち上がった。

「おい、この辺りに医者はいるか?」

レアードが周りで見ていた野次馬に声をかけたが、野次馬たちは周りを所在なげに見回すばかりで何も言わない。


「おい!」

レアードがもう一度言うと、恐る恐るといった風情で男が手を挙げた。

「あの……しばらく歩いたところに医者がおりますが……」

アリノがレアードを見た。


「ここからなら王宮も近い。私たちはこのまま戻りますゆえ、その母子を医者まで送り届けてやってください」

「はっ」


レアードはそう言って、母子の方に振り向いた。

「正行殿と私は先に戻っておりましょう」

正行は母子が心配だったが、自分がいても役に立てる事はあるまいと思い、アリノに連れられ王宮に歩いた。



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