七章 竜の声 第四話

「今日は魔法の話でもしましょうか」


祝宴が数日後に迫った日、アリノは言った。祝宴が行われる事が決まってからというもの、祝宴の準備とやらでステラは姿を見せない。ジェインが時々お茶を出してくれながら、一人でアリノの講義を受ける日が続いていた。


「こちらは魔法を学ぶ学校があるんですよね?」


いつだったかステラが話していた。こちらは学校で魔法を教えていると。


「あるにはありますが、あれは兵学校の一種ですな。正行殿が入る必要はありません」


――なんだ

正行は少しがっかりした。こちらの学校というものも見てみたかった。


「竜は訓練せずとも魔法を使います。魔素の話は前にしましたが、竜は大量の魔素をその身に貯める事ができる。竜の吐く息は、炎や雷となって敵を撃つ。我が国の竜は代々、雷を吐きます。あれは凄まじい」

「雷ですか」

「はい。私も先代の風竜の雷を戦場で見た事があります。人間や魔族が使う魔法とは比べ物になりません。二百騎ほどの魔族なら吐息一撃で撃滅します。あれを見た時、竜が国防の要だという事を理解しました」


「へぇ~、じゃあいつかアイトラも雷を吐くんですね」

「竜が魔法を使いだすのは生後半年以後だそうです。竜が魔法に目覚めると竜の主も魔法を感覚で操れるようになります。人の使う魔法については――ああ、その前に軍についても少し話しておきましょう」


そう言って、アリノは紙に文字と数字を書き始めた。軍と魔法にどんな関係があるのかはよく分からないが、正行はアリノが書く文字を見つめた。


「我が国には、国王の所有する国王軍と、州候配下の州軍の二種類があります。一個師団一万人。騎兵二千に対し、歩兵八千。国王軍はこれを通常三個所有しています」

正行はアリノが日本語で書いた文字と数字を見た。


「我が国には国王領の他、各地の諸侯たちを配下に持つ七の大諸侯領があります。この七州を守るのは州軍ですが、州軍の規模はおよそ一万から二万ほど。これでは足りぬほどの魔族が攻めてきた場合、国王軍を派兵します。そうした際、国王軍は通常、二個師団を防備のため王都に残し、一個師団を防衛に出す」

アリノが紙に書き足していく。


「騎兵は全員が騎士です。自前の馬と装備を持ち、身分は騎士候です。それに対し、歩兵の大半は自由民出身です。この中には戦闘員だけでなく、工兵や軍医も含まれる。そういった専門兵は兵学校を卒業しており、給金も一般兵より高い」

アリノは続けた。


「これらとは別に空騎兵と魔導兵が存在します」

「グリフォンに乗る兵士と魔法を使う兵士ですか?」

そのとおり、とアリノが笑む。


「国王軍の場合、空騎三百、魔導三百の計六百」

「三百ずつですか?」


――随分と少ない


「少ないと感じるかもしれませんが、空騎兵も魔導兵も、戦場に与える影響は極めて大きい。空からの攻撃は地上兵にとっては防ぐ事が困難です。障害物のない戦場であれば、空騎兵一騎は歩兵三十人分の戦力に相当すると考えて良い。魔導兵は魔法による支援により、騎兵や歩兵だけでは不可能な作戦を遂行する事ができます」


「そんなに強力なんですか?」


「はい。空騎兵に対しては地上からは矢を射る事しかできませんが、その矢も届かない位置まで飛ばれれば、地上兵は何もする事ができません。しかし、空騎兵は一方的に上から矢を降らせることができる。相手の陣形が崩れれば、空からの突撃で簡単に一隊を潰す事ができます。魔導兵は魔法を使った遠距離攻撃や、防御により、他の兵を支援する事ができる。向こうの自衛隊に例えるなら、空騎兵は空自の戦闘機。魔導兵は特科と呼ばれる砲兵と考えればよいでしょう。これらは特に貴重な兵科として扱う」


「はい」

特科なるものを正行は初めて聞いたが、おそらく大砲などを扱う兵種だろう。


「いずれも強力だが、数は大変少ない。まず、空騎兵はグリフォンに騎乗して戦うことになるが、そもそもこれを入手する事が難しい。相当に高価で、これを養う事ができるほど経済的余裕のある家は貴族の中にも少ない。よって、限られた貴族しか、空騎兵になる事ができません」

「はい」

「対して、魔導兵は経済的な負担は一般兵とそれほど変わらないものの、魔法の才能と高等教育が必要になります」


「才能と教育?」

「そうです。人間が使う魔法とはどういうものか。言葉にするのは少し難しいが……」


アリノは宙を見るように少し考えると、思いついたように言った。


「ああ、正行殿は野球をご存じでしょう?」

「え? はい」


特に好きではなかったが、日本に生まれれば野球を見た事くらいはある。


「野球の投手は、内角か外角か、高いか低いか、直球か変化球か。それを決めてからボールを投げる。分かりますか?」

「はい。やった事はありませんが」

「魔法とはそのようなものです。仮に火の魔法を使うとする。この場で紙程度を燃やすだけなら、火の呪文を唱えるだけで良い。しかし、多少でも離れた相手に魔法を使うのなら、方向、高さ、強さ、それらを古代語によって指定する。数学でx,y,zとあるでしょう。あれと思えば良い」

「……数学?」


正行が渋い顔をしたのを見逃さず、アリノは笑って言った。


「中学で習うでしょう? 幅、高さ、奥行きです。人間が使う魔法というのは学問に近い。呪文とは自分をゼロとして、左右、上下、強さを古代語によって指定する事です。でなければ、あらぬ方向に魔法が飛んで行ってしまい、敵に命中する事は適いません。良い魔導兵とは、魔法を正確に制御できる兵を指します」


それは、「魔法」と聞いて思い浮かべるイメージと違っていた。

「てっきり呪文を唱えたら、勝手に飛んでいくものだと思っていました」


アリノは笑った。

「中には複雑な詠唱をせずとも感覚で魔法を操れる者もおります。しかし、そうした者は限られており、そもそもよほど図抜けた力がない限り、人一人では大した威力の魔法にならない。魔導兵は戦場で使える威力の魔法を放てるよう、魔素を蓄えた石を携え、基本五人一組として隊分けされます。複数人で同時に同じ呪文を詠唱して魔法を放つことで強力な攻撃となる。兵学校の魔法科ではそのための教育が施されます。魔素を操る才能を持つ者は少なく、兵として正確に操れるようにするには、時間をかけて鍛錬する必要がある。魔導兵は平民でもなれますが、呪文を学び、相手との位置関係を計算するためには、まずは読み書きや算術から学ばなくてはならない」


「だから、数が少ない?」


「その通りです。才能さえ認められれば、貴族、自由民、隷層民、どの身分でも入学する事はできますが、それでも数は少ない。軍では慢性的に魔導兵が不足しています。しかし、竜騎士の場合は、そういった勉強は必要がない。竜と同じように感覚で魔法を操るとされています」


隷層民れいそうみんというのは何ですか?」


正行が問うと、アリノは正行の目を見て答えた。

「奴隷のようなものです」

「この国にも奴隷がいるんですか!?」

「より正確には……」


アリノは紙に図を描き始めた。

「正確には奴隷と呼べるほどではない。ですが、各種の権利が制限されています。婚姻の権利、所有の権利はありますが、特例を除いて転職、転住の権利は認められておらず、結婚相手を自由に選ぶこともできません。身分も最下層とされています。こちらの世界の人間の約八割はそういった隷層民と呼ばれる身分です」


アリノは紙に描いた三角形の図の頂点を指差した。

「この世界は土地を基準にして成り立っています。土地を持つ王族や貴族は最上位に位置する。土地を隷層民に貸し出して収穫の一部を税収とし、代わりに魔族や魔獣から領民を保護する義務があります」


アリノは次に三角形の頂点の少し下あたりを指さした。


「その下に自由民がいます。彼らは商人や職人、豪農など、自らの才覚で生きている者達であり、中には貴族よりも富裕な者もいる」

アリノは最後に三角形の真ん中あたりから底までをぐるりと指で示した。


「この世界の下層身分にあたるのが、隷層民です。ほとんどの民はここに属します。彼らは一定の権利を認められてはいるものの、基本的には生まれた土地の領主のために働き、死んでいく。いわゆる奴隷よりは自由があるが、緩く縄をつけられた自由に過ぎません」


正行は三角形の図をじっと見た。


「正行殿には不満があるご様子ですな」

アリノは正行を見ながら言った。


「……奴隷なんて向こうにはいませんでしたから。向こうの世界ではもうなくなったものだから、やっぱり嫌な気持ちがします」

「本当にそうでしょうか?」

「え?」


正行はアリノを見た。アリノは椅子にゆるりと掛け、茶を一口飲んだ。


「奴隷という呼ばれ方をしなくても、向こうにも奴隷はたくさんいたでしょう?」

アリノは正行に目を合わせることなくそう言った。


「私がいた頃の日本は、労働者を使い捨ての駒としか考えていない企業が多くありました。薄給で毎日十数時間も働かせて、時には過労で死に至るまで酷使する。病を引き起こすような薬品を垂れ流し、多くの人々を死なせた企業もありました。それとも、今ではそういった企業はなくなりましたか?」

「いえ……今でもあります」

それを聞いて、アリノは少し苦い顔をした。


「まあ、それでも日本はマシな方でした。嫌ならば、辞める事ができる。私の知る限り、他国はもっと酷かった。中国や東南アジアでは強制労働や人身売買が存在し、中国の内地では民族浄化まで行われていた。民を守るべき軍が武力を振るって虐殺と強姦を推進する。そんな罪深い事がありますか」

そう言ったと思うと、アリノはさっと立ち上がった。


「外に出ましょう。見た方が早い」

「――え? はい!」

正行も慌てて立ち上がった。


「ジェイン、私たちは少し街を見てきます。申し訳ないが、詰め所まで行って、レアードに身なりを簡素にして西門まで来るよう伝えてください」

「陛下にはお伝えしなくてよろしいですか?」

「後で私からお話しします」

「承知いたしました」

言うと、ジェインは早足で扉を出て行った。


「いいんですか?」

正行はおずおずとアリノに訊いた。


「ええ、もうこちらに来てしばらく経つのに、ずっと竜卵宮でお過ごしでしょう? そろそろ外も見てもらわねばと思っておりました。悪いが、アイトラ殿はここで待っていてください」


そう言って、アリノは竜に微笑んだ。

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