七章 竜の声 第二話
風竜国王都。八竜国の南東部に位置するこの国の首都は、周りをぐるりと円形の城郭で囲み、中央に王宮を構え、北には城塞、東には湖、そして、西と南には市街地がある。母の葬儀から十日ばかりが過ぎた。つい先ごろまで異界の高校生だった正行も、すっかりこちらの生活に慣れ、新しき風竜の主として、王宮内竜卵宮で日々を過ごしていた。
母の葬儀の翌日、アリノが連れて来た男は第四鷲騎士隊の隊長を名乗る屈強な三十過ぎの男だった。黒い短髪に浅く日焼けした肌。上背は正行とそう変わらなかったが、がっしりとした体格に、やや長めの片手半剣を腰に差し、片手でも両手でも巧みに剣を操る。木剣を使った立ち合い稽古ではその鋭い技に圧倒され、初日など十本打たれて、ようやく一本を返せる程度だった。日本で剣道をやっていた頃は、それなりに自分の腕に自信を持っていた正行も、この男は自分より何枚も上だと認めざるを得なかった。
「レアードはこの国で一番と言われる剣士なのよ」
レアードと初めて会った時、ステラはそう自慢げに紹介した。ステラに剣の基礎を教えたのもこのレアードだという。実際に彼はこの十日間、何度も正行を打ちのめし、その度に、今のはどこが悪かったのか、どう攻めれば、どう守れば良かったのかを細かく教えてくれた。そして、一対多の時、逆に多対一の時、槍に対する攻め方、重装兵に対する攻め方……戦場で遭遇する様々なケースで何を考えて動くべきか、どう振る舞うべきかも教えてくれる。
彼は稽古以外では静かな男だったが、剣と戦においては確立した理論を持っており、稽古中は饒舌に喋った。無論、それらを一朝一夕に身に着ける事はできないが、彼の教えによって必ず上達できると確信できた。
午前に青痣を作り、午後はアリノの講義を受ける。そして、ステラは毎日来てくれた。肉体的にも厳しく、学ばなくてはならない知識の量に圧倒もされるが、今、正行にはこの生活が楽しかった。
それは向こうでの、時に無意味に感じるような学校の授業や、権威主義に凝り固まった剣道とは違い、必要な知識や技術が自分の中に蓄積されていく感覚。いつか――この学んだ知識や技術で誰かを助ける事ができるだろう。ステラの愛するこの国と、そこに住まう人々。彼女が愛するこの国を守るために尽くしたい。正行はいつしか自然とそう考えるようになっていった
同時に、小さかった竜は、もはや大型犬よりも大きくなり、ますます元気に庭を走り回っていた。最近は時々、羽をばたつかせながら走る。もしかしたら、飛ぶ練習をしているのかもしれない、と正行は思う。空中でとんぼ返りをする自信はまだないが、正行は早くこの美しい竜に乗って空を飛びたいと思っていた。
ある朝、朝食を終え、今日はどのようにレアードに立ち向かおうかと考えていると、扉の外に人の気配がした。とんとん、と扉を叩く音が鳴り、はい、と返事をする。がちゃり、とノブが回った。ステラ、と声を掛けようと扉の方を見やる。ところが、扉から現れたのはステラではなかった。
「陛下!?」
予想だにせず扉から現れたこの国の王を見て、正行は慌てて、床に片膝をつき、礼を取る。
「良い。楽にせよ」
王は正行に言って、部屋に入って来た。後に続いて、どこか楽しそうにしているアリノと、緊張した面持ちのステラが入って来る。思わぬ来客に扉に控えたジェインにも動揺の色が見える。
「椅子をお持ちいたしますっ……」
慌てて扉を出ようとするジェインを王が呼び止める。
「良い。すぐ戻る」
「しかし……」
「良い。竜を見に来ただけだ。突然、押しかけてすまんな」
王の目は正行の隣にいる竜に向けられた。
「美しい。まごうことなき我が国の竜だ」
体色は限りなく白に近い水色。青く輝く瞳。その美しい竜は聞いているのかいないのか、寛いだ様子で床に座っている。
「竜には王も民も関係ないからの」
王はおかしそうに口元をゆがめ、正行に目を向けた。
「もうこちらには慣れたか?」
問いは正行に向けられていた。
「はい――おかげさまで」
おかげさまで、と口から出たが、王に対してこの使い方は合っていただろうか?
「何かあれば、ステラかジェインに言えば良い。アリノとレアードからは熱心に学んでいると聞いた」
「はい」
それは正しかった。今は学ぶことそれ自体が楽しい。
「剣の筋もなかなか良いと聞いた」
「いえ、それは……」
レアードには毎日こてんぱんにされている。
「ほう? レアードは嘘をつけぬ男だと思っていたが、違っていたか」
王はアリノを見る。
「いえ、レアード殿が言うのなら、間違いはないでしょう」
アリノが笑いながら答えた。
「あやつは昔から口数が少なくてな。代わりに嘘も世辞も言わん。剣の腕がなければ良い墓守りになったろうに、惜しい事をした」
王は面白そうに言う。
「竜はもう話したか?」
「いえ、まだです」
「まもなく話すだろう。話し出せば、すぐに飛ぶようにもなる」
「はい」
「もうすぐスレイベンに残してきた国軍約一万が帰還する。馬人族撃退の宴に合わせて、竜の誕生を祝う宴を催すつもりでおる」
――宴?
「そのまま学べ。民を落胆させぬよう務めよ」
「はっ」
「アリノ、後は任せる」
「御意に」
アリノが答え、王は扉の向こうに消えた。
「ふう……」
王が部屋を出て、正行はようやく息をつけた。床に片膝をついて固まった体をほぐしほぐし、立ち上がった。その正行を面白がるようにアリノは見る。
「陛下とお会いするのは二度目でしたかな?」
「はい。陛下が来られるなら、前もって仰っていただければ良かったのに」
「ほほ。なにぶん、昨晩思い立ったようにおっしゃられたもので」
アリノは正行を観察しながら笑う。
「宴とはなんでしょう?」
正行は訊いた。宴の意味を知らぬわけではない。しかし、王は竜の誕生を祝う宴だと言っていた。
「竜の誕生を祝い、祝宴を開く風習があるのです。諸侯達に竜の新たな主の顔見せもする。竜の誕生日を祭日とし、国民には新たな竜が生まれた事を知らせます。今回は先の馬人族の撃退の宴と併せて開くと決まりました」
「顔見せって何をすればいいんですか?」
「特に何も。祝宴は国内の主だった諸侯とその子弟が集まる晩餐会です。ただ食事をすればよい。もちろん私どもは酒も楽しみますが」
「はあ……」
何もしなくて良いのなら、別に構わないが。
「今回は馬人族撃退の宴も兼ねるから、エスリオス様もご出席されるそうよ」
憂鬱そうにステラが言う。それを見とがめ、正行は訊いた。
「ステラは嫌なの?」
「う~ん……」
ステラは気まずそうに、目を逸らす。
「ステラ様は舞踏がお嫌なのでございます」
ため息をつきながら、ジェインが言った。
「ダンス?」
「はい。貴族の祝宴には舞踏会もつきものですので」
「別にダンスそのものが嫌っていうわけじゃないけど……」
ステラは言葉を濁す。不可解な顔をしている正行にアリノが言った。
「今回の宴はただの戦勝祝いではなく、国内の名だたる貴族たちを集めて竜の誕生を祝うものです。貴族の宴では必ず舞踏会が催され、若い独身の男女は互いに踊って、自らの結婚相手を探します。まあ、向こうで言うところの合コンですな」
「合コン……?」
アリノから飛び出た意外な言葉に戸惑った。正行はそんなものに行ったことはない。
「王様ゲームとか、そういうあれですか?」
それを聞いてアリノはさも愉快そうに声を上げて笑った。
「懐かしい。もっとも、こちらには本物の王様がおられるゆえ、そういった遊びの代わりに舞踏を踊るのです」
ジェインが口を開く。
「ステラ様ももう十六。いつもはメリダ様への申し込みが多いのですが、今回は火竜公様がいらっしゃるため、ステラ様に申し込みが集中するものと存じます」
「え? それって結婚の申し込みってことですか?」
――日本では十代で結婚する事なんてほとんどない
「舞踏を共にしたからといって、すぐに結婚の申し込みだという事ではありませんが……好意を示すようなものですかな」
アリノが答える。ふくれるように下を向いていたステラがぼそりと言う。
「諸侯の子弟なんて、戦を配下に任せて、自分たちは税金で贅沢しているだけの役立たずじゃない」
まあっ、とジェインは口を抑えた。
「そのような言い方をなされては……。いずれステラ様もお相手を見つけなくてはなりません。確かに我が国には戦がお嫌いな諸侯様は多いですが……」
「宰相殿のご実家の跡継ぎは戦にも自ら出られるそうですが、年も離れておりますしな」
少し困ったようにアリノが言う。
――宰相
確か謁見の間で一度だけ会った。背の高いひげの男。
「普通、貴族って戦に出ないものではないのですか?」
正行は訊いた。正行のイメージする貴族は、ワイングラスを片手に優雅な生活をしているもので、戦場で剣を振るうようなイメージはない。もちろん、それが後世の創作などで作られたイメージだという事も理解はしている。
「まあ、そうですな。力を持つ貴族の場合は自ら戦に出る事はなくなります」
「そんなことないわ!」
ステラが言った。
「貴族も王族も民の税金で暮らしてるのよ。民のために血を流さない者にその資格はないわ」
久しぶりにステラがぷりぷりと怒っているのを見た気がする。
「その点、エスリオス様は立派よ。大諸侯の家柄なのに幼い頃から戦場に出て、自ら戦っていらしたのだもの」
「エスリオス殿は武勇で鳴らした家系のご出身ゆえ。今ではあのような諸侯は少なくなりました」
アリノは言う。
「ステラ様がお気に召さなくても、いずれお相手は見つけなくてはなりませんわ。舞踏会で踊るのは王女の義務です。――既にお心に決めた方がいらっしゃるのでしたら、話は別ですが」
ジェインに言われて、ステラは顔を赤らめた。
その時、とんとん、と扉を叩く音がした。
「失礼します。剣の修練のお時間ですが」
レアードが呼びに来たことで、ダンスの話は一旦終わった。すみません、と言って正行は木剣を持って、庭に出ることにした。
「先に行ってて」
そう言ったステラを後に残し、正行は竜を連れ、アリノとレアードと共に庭に向かった。
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