七章 竜の声 第一話

「風竜の卵が孵ったそうです」

聞いた男は片方の眉をわずかに動かした。


「まことか?」

「はい、十日ほど前、竜が異界から主を呼び、卵から産まれたと。今日、報告がきました」

血色悪く、青白い顔に酷薄そうな目。その口元はやや歪んでいる。


「次の主は異界の者か」

「はい、まだ少年という事にございます」


――なるほど。慌てて帰ったのはそのためか


ゲラルフはふん、と鼻を鳴らし、椅子に深く身を沈めた。王はその理由を隠していたが、竜が異界の子供を呼んできたとあっては心配になるのも無理はない。


 スレイベン候ゲラルフ・ゲシュリエクトはこの地の領主として三百年の歴史を誇るゲシュリエクト家に生まれた。広大な平地に多数の畑と農民を持つこの州は、風竜国最南端にあり、常に馬人族の襲撃に悩まされる土地でもある。ゲラルフはこの生まれ育った小麦の州を心底毛嫌いしていた。


 いかに小麦が採れるとはいえ、こうも毎年馬人族によって収穫物を強奪されては、ゲラルフに入る実入りは少なくなる。十四年前、ゲラルフの前領主の時代に、この国が前竜を失ってからというもの、その収穫量も顕著に減った。六年前に家督を継いだゲラルフも、毎年、目減りしていく税収に頭を悩ませ、仕方なしに税を上げようとすれば、すぐさま王使が飛んできて、税を上げるなと言う。この田舎には華やかな劇場も楽団もなく、いるのは農夫と、日に焼け、うす汚れた女どもだけ。


――この州の女は娼婦どもでさえ、赤茶けた肌をしている


 ゲラルフは肌の焼けた女が嫌いだった。女の肌は白く、柔くあるべきもの。その白い肌をゲラルフが鞭打つことで、赤と白の美しい対比が生まれ、女の肌はより美しくなる。時々、王都の娼館から好みの女を買ってくるが、しばらく遊べば、それにも飽く。元々身分が卑しい女はいくら見た目を整えても、その声に品がない。


――いくら鞭を打っても、鳴き声が美しくなくては


 そんなある時、ゲラルフはある少女に出会った。美しく流れる金髪と玉のような白い肌。緑色の瞳には誇りを備え、その立ち振る舞いは気品に溢れる。そして、その声は鈴を転がすようだった。


 第二王女ステラ。年は十六、まだ小娘と言っていい。しかし、あれは姉のメリダに劣らず美しくなるだろう。しかも、第二王女は女だてらに剣を振るうという。それがゲラルフの琴線に触れた。温和で儚げな印象の強い第一王女とは反対である。メリダも確かに美しいが、弱々しい女はゲラルフの好みではなかった。火竜公と恋仲だと聞くが、それならあの高慢な赤毛のトカゲ乗りにくれてやればいい。


 その点、あの第二王女は勝ち気で誇り高く、そして、メリダに負けず美しい。その高貴な柔肌をいたぶり、征服し、あの勝ち気な目からは涙を流させ、泣き叫ばせる――ゲラルフはあの日以来、その下卑た欲求に憑りつかれていた。


……さて、どうするか。


 ゲラルフは妄想の虜になりかけた自分を現実に引き戻して考えた。この国は十四年も竜の恵みがない。それを糾弾し、民を扇動し、他州候と共謀して王都に攻め込む。そして、この国とステラを手に入れる。ゲラルフは当初、そう考え、計画を進めていた――しかし、竜が孵ったのならば、計画を変更しなくてはならない。


「セネイを呼べ」

は、と家臣は部屋を出て行った。


――呼んできたのが異界の子供ならば、それはそれでよい


 何も知らず、何もできない子供が竜騎士ならば、かえって与しやすしというもの。暗殺してしまえば、竜騎士を守れなかったとして、より強く王を糾弾する事ができる。


――いや……それよりも懐柔すべきか?


ゲラルフは、これぞ名案だと思った。異界人達は総じて平和ぼけしている。こちらを知らぬ子供など抱き込んでしまえばよい。竜とその騎士を配下にするという事は、即ち、玉座の正当な主だという何よりの証明となる。


――そうだ、それだ……!


 全てを手に入れた自分を妄想し、ゲラルフの鼻息は自然と荒くなり、その青白い顔は興奮でうっすらと赤みを帯びていった。




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