五章 火竜の騎士 第六話

正行とステラ、それと正行の幼竜アイトラは、王宮の裏廊下を抜け、王宮内殿まで歩いてきた。目的の部屋の扉の前に立つと、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。


「お姉さまもいるみたいね」

正行は昨日の第一王女を思い出して、少し緊張してきた。


「……なあに?」

ステラがじとりと見る。

「いや、火竜公様に会うのに少し緊張しちゃって……」

何となく言い逃れてみる。


「ふうん? エスリオス様は明るくて素敵な人よ。緊張しなくても大丈夫」

言って、ステラは扉を叩いた。中から、はい、と声がして、扉が開いた。開けてくれたのはおそらくジェインと同じく、王宮所属の侍女だろう。ステラを見て扉の脇に跪く。


「失礼します。風竜の主をお連れしました」

ステラが言って、中に入る。正行もステラの後に続いて部屋に入った。


 そこは庭に面した大きな部屋だった。白い花の咲く庭から暖かな陽光が入り、とても明るい客間……と見ると、庭で巨大な赤い物体が動いている。それは日光を反射して赤く輝く大きな――


「竜――」

「いらっしゃい」


 部屋の中から明るい声がした。声の方を見ると、窓際のテーブルには第一王女と、赤毛の青年が座っていた。こちら風のゆったりとしたシャツと細身のチュニックは正行が着ているものとそう変わらなかったが、広い肩幅と無駄のない肉付き、長い手は優れた運動能力を持つと伺わせる。立ち会えば強いだろうなとすぐに分かった。


「メイスターから聞いて待っていたよ。火竜国火竜公エスリオス・スティクゼンだ」

「はじめまして。正行鷹見です」

「まだ叙任されていないそうだが、いずれ竜公になるなら身分も同じ。気楽に話そう」


長い赤毛の青年は爽やかな笑顔を見せ、椅子を勧めた。大らかな雰囲気とそれに内包された自信。自分の思い描いたゴリラのような戦士とは違い、目鼻立ちの整った美男子……いや、美丈夫と言った方がいいだろうか。横に座る第一王女の美しさにも負けず、まさにお似合いに見える。


「ありがとうございます。他国の竜公と一度お話ししてみたいと思っていました」

侍女がステラと正行にお茶を注ぐ。


「ついこの間、異界から竜に喚ばれたんだろう?」

「はい、こいつに呼ばれて……気づいたらこちらにいました」

「新しい風竜だね。名は?」

「アイトラと言います」

「いい名だ」

エスリオスは竜の頭を撫でた。


「庭にいるのが火竜ですか。あんなに大きくなるんですね」

庭の竜は体高三メートル近くあるだろうか。体長はおそらく五メートルほど。今は翼を畳んでいるが、広げればさらに大きく見えるだろう。あんな巨大な生物が空を飛ぶとは……と、竜が正行の膝から降りて、庭の火竜に向かって駆けて行く。


「あっ」

「大丈夫だよ。竜同士は喧嘩しない。うちのフォティアも新しい風竜に会えるのを楽しみにしていた」

「話すんですか?」

「うん。君の竜もそのうち喋るだろう。うちのは生まれてひと月くらいで話しかけてきたかな」


――そんなに早く


「人間の赤ん坊よりかなり早いんですね」

「そうだね。それに赤ん坊の話し方ともかなり違う。話し始める頃、空も飛ぶようになる。膝に乗せられるのも今のうちだね」


確かに竜の成長は早い。夜、一緒に寝て、朝起きたら、なんとなく大きくなっていると感じるほどだ。もう一週間もすれば、膝に乗せられないくらいになりそうだった。

「うちのフォティアもあれでまだ若い方だよ。西の国の地竜は大きな家ほどもある」

「へえ……餌が大変そうだ」

正行が言うと、エスリオスは愉快そうに笑った。


「竜はね、成長するとあまり餌を食べないんだ」

ああ――そういえば、ジェインがそんなことを言っていた気もする。


「大体、三年くらいすると、肉を食べなくなって、月竜草と、たまに宝石を食うな」

「宝石……」

「石は魔素を貯める性質があるからだと言われている。もっとも、竜にも好みがあって、さっき言った地竜なんて大酒を飲むけどね」

「竜がお酒を飲むんですか!?」

正行は驚いた。


「ああ、あの竜は宴のたびに酒樽を五つは空にするな。主人も大酒飲みだし、あそこで戦があると、隣の水竜国が儲かるんだ。あそこは酒の名産地だからね」

そう言って、エスリオスはまたも笑う。


「この方はいつも冗談ばかり言われるんですよ。あまり本気になさらないでくださいね」

メリダが笑って忠告する。

「おや? 地竜の酒好きは有名ですよ。酒樽五本なんて彼からしたら控えめな方です」

エスリオスは大げさに心外そうな顔をして見せた。


「戦ってどんな感じなんですか?」

正行は気になっていた事を聞いた。


「そういえば、異界には戦がないそうだね」

「はい、ないわけではないですが、少なくともこちらとはかなり違うと思います」

「そうだな――戦も、国によるかな」

「国による?」

「うん――こちらの地理は教わったかい?」

「アリノさんに地図を見せてもらいました」

火竜公は頷く。


「人が住む国は八国あり、その周りに魔族の領域がある。ただ、魔族もみんな仲良しというわけじゃないから、馬人族は馬人族の縄張り、巨人族は巨人族の縄張りというふうに別れている。僕たちのいる火竜国、風竜国は八国の中でも南側にあり、国境の南は馬人族の縄張りなんだ。だから、僕たちの戦は大抵が馬人族との戦いになる」


――馬人族


「ただ、火竜国の西隣には幻竜国という国があって、この国のそばには醜人族の縄張りがある。ここ十年ばかりおとなしくて、僕も見た事はないけどね」

「幻竜国には竜がいないと聞きましたが」

今、八国の中には竜がいない国が二国ある。その一つが幻竜国だと、ステラが言っていた。


「うん、あそこはもう四十年以上竜がいない。十年ほど前までは醜人族の襲撃が頻繁にあったそうだが……なぜか最近おとなしい。代わりに魔獣はよく出るという話だが……」

エスリオスは少し真剣な顔になった。


「四十年も竜がいないというのは大変な事だ。幻竜国は相当荒廃している。しかし、なぜか魔族の襲撃がないから、まだ何とかなっているというところかな」

「――私も見てまいりました」

メリダが口を開いた。


「先の幻竜国との外交の折、幻竜国の具合を見てまいりましたが、民は大変に貧しい。田畑が大いに荒れているという印象はありませんでしたが……」

「うん――どうも収穫はそこまで悪くないらしい。独自の技術でもあるのかもしれない。ただ、正直、内乱にならないのは不思議だ。普通、二十年でも竜がいなければ、諸侯が反乱を起こす。王に王たる資格なし、と言ってね」


「反乱ですか」

「しかし、幻竜国の王家は八竜国の成立より長い歴史を持つ名家だ。今までも内乱が起きた事はなかった。内乱には他国がでしゃばる事が出来ないとはいえ、うちも隣国の事情を気にしてはいる。ただ、今のところ、特にそういう気配もない。収穫が安定しており、魔族の被害も少なければ、竜に拘る必要はない、という事かもしれないが……」

ステラが口を開いた。


「五年前、エスリオス様の先代の竜が斃れた時は大変だったの。風竜国も幻竜国も竜がいなくて、先代の火竜公がお一人で南の三国を魔族から守っていた状態だったから。すぐにエスリオス様が選ばれたから、まだ良かったけど、その時は王宮も市井も恐々としていたわ」

ステラが言った。ちょうど第一王女との婚約話が出ていた頃の事だろう。


「まだ僕も君と同じくらいの年頃だったよ。周りの人は竜が生まれた事を喜んでいたけど、僕は不安でいっぱいだった」

エスリオスが正行を見て言う。


「エスリオス様でも……ですか」

「エスリオスでいい」

エスリオスは手を振って笑った。


「不安になるのは普通の事だろう。竜騎士も所詮は人間だ。民は英雄だなんだと囃し立てるが、僕たちはたまたま竜に選ばれただけの人にすぎない」


――たまたま


「でも、エスリオス様は武の名家にお生まれでしょう? 父君も前火竜公だったではありませんか」

ステラが口を開いた。

「そうなんですか?」

エスリオスは苦笑した。


「まあ、そうだが……。竜は家柄や血筋になんか頓着しないよ。竜が主を選ぶ基準はそんな事ではない」

「竜は何を基準に主を選ぶんですか?」

「君はなんだと思う?」

問い返され、正行は答えに窮した。


「選ばれたのは君も同じだろう。どうして君が選ばれたのか、君自身はどう思う?」

自分は――異界の高校生だった。特別なものは何もない。家柄も血筋も、由緒なんてものには無縁だった。特別な才能に恵まれて生まれた人種ではない。剣道には少しだけ自信があったが、それとて同年代にもっと強い選手は大勢いた。


「剣術には少しだけ自信がありましたが……、僕よりも強い人はあちらにも大勢いました」

正行の言葉にエスリオスは優しく笑う。


「それは僕だってそうだ。戦士として、僕よりも腕の立つ騎士はいた。今でこそ名手だのと言われるが、竜の力で肉体が強くなったからだと自分でよく分かっている」

エスリオスは茶を一口飲んだ。


「僕はね、才能でも実績でも一番ではなかった。もっと強い騎士も、経験のある騎士もいた。騎士だけではない。平民の中にだって僕より才能がある者はいたかもしれない。それでもフォティアは僕を選んだ」

エスリオスは庭でアイトラにじゃれつかれている火竜を見た。


「あれの主となってから、僕はなぜ自分なのかとよく考えたが、他の竜騎士たちと会って分かった。竜にとっては才能も、実績も、家柄も重要ではない。竜にとって重要なのは、その主を好きになれるかどうかだけだ」


正行は意外な答えに驚いた。

「そんなことですか?」

「ああ。フォティアは僕の赤毛が気に入ったらしい」

エスリオスは笑って言う。


「全ての竜は孤独だ。つがいを作らず、兄弟もいない。人の世を守るために生まれ、人の戦で命を落とす。だから、主だけは自分が好きな相手を選びたいのさ」




 エスリオスから得た答えは、納得のいくような、いかないようなものだったが、彼はそれ以外にもいろいろなことを話してくれた。冗談を交えながら、明るく話すエスリオスは、正行が当初抱いていたイメージとは違っていたが、間違いなく魅力的な青年だった。午が近づき、ステラと、そろそろお暇しようか、と言ったその時、エスリオスは最後にもう一つ教えてくれた。


「そうだ。せっかく来てくれたから、一つ偉そうに忠告させてもらおう」

談笑していたエスリオスは正行の方を見た。


「僕達にとって一番大事な事は、不安を見せない事。これに尽きる」

エスリオスの口調が変わった事に気づき、正行は姿勢を正した。

「理由は簡単だ。竜騎士が不安そうにしていれば、野心を持った諸侯が反乱を起こす」


「――はい」

「諸侯というのは、あくまで独立した貴族だ。自らの権で領地を治め、税金を国家に納める。しかし、それを不服として、自分が王に成り代わろうとする者もいる。竜騎士が不安そうにしていれば、つけこむ隙を与えることになる。内乱の種を播かないよう、常に自信を持って振る舞わなければならない」

「なるほど」


「基本的に、国王軍は諸侯軍の倍以上の兵力がある。特に風竜国は王陛下も戦に強い。魔族を撃退するだけ、諸侯を鎮圧するだけなら、それほど難しいわけではない。しかし、外と中、両方を同時に対処する事は難しい。中が乱れないよう、竜騎士はあえて自信を見せつけるよう意識する事だ。また、同時に自信を持てるだけの実力を備える必要がある」


 エスリオスの言った事は正行にも理解できた。まず、相手に「勝てない」と思わせる事が大事なのだ。

「僕は風竜国に馬人族が襲来すれば必ず加勢に駆けつける。それは同盟国だからでもあり、愛する人の国だからという理由もあるが……自分が戦に強いと自国の諸侯たちに思わせておくという目的もある」

「はい」

「自国の竜騎士が戦に強く、自信たっぷりに見えれば、反乱を起こそうなんていう野心は消えていく。これは先代から何度も教えられたことだ」


 正行達は、エスリオスとメリダに礼を言って部屋を出た。英雄と美女。並んで座った二人は幸せそうで、そこに欠けるものなど何一つなく、二人は完璧な恋人同士に見えた。





――お読みいただき、ありがとうございます。本作はカクヨムコン7に出展中の作品です。ご期待いただける方はぜひ★評価をお願いします。

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