五章 火竜の騎士 第四話
竜卵宮は王宮の東側にある。風竜国の王宮は西側を正面としており、竜卵宮は王宮の裏手にあたる。竜卵宮は、竜卵を安置する事、そして、産まれた雛を主と共に保護する目的で作られた生活用の宮であり、非常に私的な空間と言ってよい。
よって竜卵宮の庭には塀の内側に高い生垣が植えられ、外部の目が届きづらい構造になっている。対して、第二庭園は外交その他で鷲に乗って出かける王族や、上位官僚の発着場としても使われる。中央がだだ広い芝生の庭となっており、その周りを円状に取り囲むように花が植えられている。三人と一頭は花壇の傍に据えられた腰掛けに座り、第一王女の到着を待っていた。
「グリフォン見るの初めてだよ」
正行はわくわくしたように空を見上げている。
「きっと驚かれるでしょう。私もこちらに来て、初めて空を飛ぶグリフォンを見た時は驚きました」
「あら? 正行はもう竜を見てるじゃない。竜の方がよっぽど珍しいわ」
「そりゃ竜を見たのも初めてだけど、こいつはまだ飛んでないからさ」
「なにそれ」
ステラはおかしそうに笑う。
実際、日本で生まれ育った正行にはこの竜が空を飛ぶとはまだ信じられないような気持ちでいる。なにしろ、とんびよりも大きな生き物が空を飛んでいるところなど見た事がないのだ。
「メリダ様っておいくつなの? すごい美人だとは聞いたけど」
今の今まで楽しそうに笑っていたステラが疑うような目つきで正行を見た。
「十九よ。言っときますけど、お姉さまには火竜公様がいらっしゃるんですからね」
「別にそういうつもりで聞いたんじゃないよ!」
正行は慌てて弁解した。他国でも噂になるような美人を見てみたいというのは単純な好奇心だ。そもそも日本にいた時も誰かと付き合った事などないのに、年上で美人で、しかも、王族なんて恋愛対象になどなるわけがない。
「どうだか……。男はお姉さまを見るとみんなのぼせ上がるんだから」
「ほっほ。ステラ様もメリダ様同様、お母君によく似ておられます。ステラ様もすぐに八国に名だたる美人になりますとも」
「メイスターはさすが紳士であられますわね。どこかの竜騎士見習いにも見習ってほしいものですわ」
正行は閉口した。紳士の教育なんて当然、受けた事はない。早く解放されたいと願って、空を見上げると、遠く上空に変わった形の雲が飛んでいるのが見えた。
「あれ?」
つられて二人も空を見上げる。それは雲ではなかった。大きな翼を悠然とはためかせ、飛ぶ――というより、駆けると言う方が正しいような――その数は一、二、三……全部で八頭のグリフォンだった。鷲の上半身と獅子の下半身を持つ、まさに怪物。ただ、それらは怪物には似つかわしくない優雅さで空を翔けてくる。
八頭の魔獣はそれぞれに騎手を乗せ、中央の四頭は鎖で馬車の籠のような箱を吊り下げて飛び、残る四頭は周囲を警護するように飛んでいる。近づくにつれ、八頭の羽音はより大きくなってくる。ばさり、ばさりという音と共に、鷲獅子の羽が叩いた風が正行たちに飛んでくる。鷲獅子達が頭上に来た時、台風かと思わんばかりの猛風が上から吹き降ろされ、正行はもしや竜が飛ばされるのではと思い、慌てて膝の上で抱き留めた。
中央の四頭の鷲獅子達は庭の中央に籠を優しく下ろし、次いで、周囲四頭が籠の周りに順番に降りてくる。最後の一頭が芝の上に舞い降りた時、ようやく風は収まり、正行もほっと息をついた。
「お姉さま!」
最初に声を上げたのはステラだった。声と共に籠に駆ける。グリフォンに乗っていた兵達が鞍上から降り、ステラに跪く。
「第二王女殿下、ただいま帰還いたしました」
一人だけ服装の違う、代表とみえる男がそう言うと、ステラは彼らに向かって言った。
「皆さま、ご苦労でした。遠路の疲れ、お癒しください」
それを聞き終え、一人の兵が籠の扉を開けた。
「ステラ!」
中から出てきたのは、まさに美女と呼ばれるに相応しい女性だった。ステラよりも少し濃い色の金髪は長く背中まで流れており、ステラと同じ翠の瞳。すらりと長い手足がしなやかな身体から伸び、纏う雰囲気は楚々として、美しい。ステラも可愛いが、第一王女はステラと違い、既に大人の女性だった。
――これは……確かに……
「美しい女性」というものとあまり接することのなかった正行にも、その美しさは理解ができた。
ステラと抱き合って再開を喜んだ第一王女は、正行たちの方に目を向けた。
「メイスター、わざわざのお出迎え感謝いたします。それと、こちらの方は……?」
正行は慌てて、抱いた竜をその場に下ろし、片膝をついた。
「ま、正行鷹見と言います」
こちら風に名前を先にして、自己紹介をした。
「お姉さま、卵が孵ったんです。正行が新しい主です」
「まあ!」
第一王女は跪いた正行の右手を両手で握った。
「風竜国第一王女、メリダと申します。卵を孵して下さった事、感謝いたします。新たな竜と共に良き時代を創ってくださいますよう」
絶世の美女に手を握られ、正行は自分の顔がみるみる赤くなるのを感じた。身体が固まり、何と言っていいか分からなくなる。しかし、メリダの後ろで正行をじとりと見ているステラの目に気づき、慌てて右手をひっこめた。
「新しい竜騎士様は美女に目がないようですわね」
棘のあるステラの一言にメリダは、あら、と微笑んだ。
「ところで、ステラ、お隣の竜騎士様も来ておられると聞いたのだけれど」
「エスリオス様には鶺鴒の間でお過し頂いています。おそらく今はそちらでフォティアとおられるかと」
――火竜公
そういえば、王宮に来ていると聞いていた。会ってみたい。
「ステラ、俺も火竜公様にお会いしてみたいんだけど、できるかな?」
「え? そうね……」
アリノが口を開いた。
「火竜公殿は我が国と親しいお方とはいえ、国賓としてお迎えしているところです。まず使者をやってから、伺うようにいたしましょう」
「そうね。否とはお言いにならないと思うけど、他国の竜公様なので万一があってはならないし」
「火竜公殿は若年ながら、既に南の英雄と呼ばれるお方。正行殿にとっても学べる部分がありましょう。私の方で面会がかなうよう手配しておきます」
「ありがとうございます」
他にわずか五人しかいない竜騎士にこんなに早く会う機会が巡って来たのは幸運といえる。まだ分からないことだらけの正行にとって、聞くべきことは山とあった。火竜公との面会を楽しみに正行は竜と共に竜卵宮へと戻った。
翌日の朝食の後、ステラは火竜公との面会が叶ったという報せを持ってきた。午後からはアリノが来るので、午前中に会いに行こうという事で、早速、出向くことにした。
「そういえば、ペンと紙が欲しいな」
「ペンと紙?」
「昨日、メイスターの講義を受けてる時も思ったんだ。学んだことを書き留めておきたい」
「では、昼までに用意しておきましょう」
ジェインが言う。
「すみません、お願いします」
「お気になさらず。いってらっしゃいませ」
ジェインは笑顔で送り出してくれた。
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