五章 火竜の騎士 第三話

 昼食まで竜と庭で遊び、一旦、部屋に戻った。メイスターの手が空けば、午後にも姿を見せるだろう、とステラは言った。この日はステラも一緒に昼食を食べ、食後のお茶を飲んでいると、扉を叩く音がした。ジェインが開けた扉から出てきたのはメイスター・アリノだった。正行は立ち上がって頭を下げた。


「正行殿、ごきげんよう」

「こんにちは、ステラから聞いてお待ちしていました」

「左様でしたか」


言いながら、アリノはジェインが出した椅子に腰を掛ける。


「昨日の謁見の後、国王陛下より、正行殿の教育係を拝命いたしました」

「はい。よろしくお願いします」

正行は頭を下げた。


「それと、お母様のご葬儀がまだお済みでないでしょう。同郷の身として、私に取り計らえと、陛下は仰せになりました」

正行は部屋の棚に保管したままの母の骨壺を見た。


「ありがとうございます――せめてお墓は作ってやりたいと思っていました」

「向こうは新しい肺炎が流行しているとか」

「え?」

「少し前、他国に異界人が来たのですが、そのような話を聞きました。非常に感染力が強いと」

「僕の母もそれでした。あちらの話も伝わっているんですね」

横目に心配そうなステラの顔が見えたが、ステラは何も言わなかった。


「ご葬儀の手配はしておきましょう。それにしても、昨日の謁見には、正直驚かされました。よくこの短い期間に考え、ご決断なされたと」

アリノも気が付いたのか、話題を変えてくれた。


「いえ……自分が甘かった事は理解しています」

「なに、足りないものは身に着けて行けばよろしい」

「はい」

アリノは優しげな笑みを見せた。


「まずはこちらの事を学ばねばなりますまい。なるべく毎日時間を取って教えよと仰せつかっています」

「ありがとうございます……」

学ぶことはまさに望むところではあったが、これから毎日勉強だと聞いて、正行は少し眩暈がした。


「それと――」


アリノはステラに顔を向けた。

「ステラ様はご同席なさるのですか?」


――ステラ?


正行は隣のステラを見た。


「わ、私もメイスターの授業を聞きたいんだけど、一緒じゃだめかしら?」

アリノは少し驚いたように目を見開いた。そして、また顔を赤くしているステラを見て愉快そうに笑う。


「ステラ様が自ら学びたいと仰るとは、これも竜の魔力ですかな?」

「私はもう、竜騎士にはなれないし……、勉強を頑張ろうかなって……」

「ほう? 動機はどうあれ、学ぶのは良い事です。では、ステラ様もご一緒に」

「はい!」

「ただ、正行様へのご教授が中心となりますので、そこはご了承ください」

「はい、控えて聞いているようにします」


アリノは頷くと、正行に向き直った。

「では、今日はまず暦について話しましょう」

「暦ですか?」


そんな話から始まるとは思わなかった。意外な気がしながらも、アリノの話に耳を傾けた。


「我々の生まれた世界とこちらの世界では、暦は同じです」

「はあ。そうなんですね」

「一年三六五日。時計は二十四時間。うるう年もあり、月の満ち欠けも同じです」

「はい」

「つまり、こちらの世界は、我々が生まれた地球と全くよく似た惑星にあると考えられます」


考えてもみなかった。異世界なら、月が二つあっても、時間が一日三十時間でも不思議ではない。というより、全く同じである方が不思議な気がする。


――一日二十四時間、一年三六五日という事は、この星は、向こうの地球と同じ大きさで、同じように太陽の周りを回っている


「不思議でしょう? こちらの技術力では、他の大陸などはまだわかりません。しかし、向こうの数学の知識があれば、太陽との距離、月との距離、この星の大きさを計算する事は出来る。ある異界人が計算したところ、この星のそれと、向こうは全く同じであると結論を出しました」


「それってどういうことなの?」

「つまり、同じ大きさ、同じ環境の星が二つあるという事です」

「ふうん?」

「もちろん、向こうにあるような高精度レーダーを用いたわけではありませんから、誤差はあるかもしれません。しかし、おそらく全く同じでしょうな」

「なんでそんな事が起きるんでしょう?」


正行は訊いた。


「分かりません。ただ、宇宙は無限に広い。地球と全く同じような星が存在すること自体は数学的には不思議ではない。なぜ、我々のようにこちらに渡ってくる事があるのかは分かりませんが」

「なるほど……」

「大地があり、太陽があり、月がある。そして、大気があり、当然、酸素もある」 

――酸素

全く意識していなかったが、確かにそうだ。


「しかし、ここには一つ違いがある。向こうで大気の構成成分については習いましたか?」

「はい、窒素約八十%、酸素約二十%、二酸化炭素などが少し」

「その通り。しかし、こちらには向こうにない気体があります」

「はい」

「魔素です。大気中に存在し、毒でもあり、魔力の源泉となります。地表には少なく、大半は上空に漂っていますが、雨と共に地表に降ってくる」

「竜が使うという魔法も魔素が関わっているのですか?」


「その通り。この魔素は魔法を使うには欠かせないのですが、動物や植物にとっては有害で、時には病の元にもなる。しかし、竜はどうやってか、その身に魔素を集め、体内に大量に蓄えておくことができる。そのため、竜の使う魔法は他の生き物のそれに比べて大変に強く、また、竜がいる国は魔素による病害が少なくなる」


「他の生き物?」


「はい、魔法は竜だけが使うものではありません。竜ほどの力ではありませんが、人、魔族、一部の魔獣も魔法を使います」

「魔獣……」

「これらも魔素を力の源とし、魔法を使います。ただし、他の生き物は竜ほど魔素を貯めこむ事が出来ないため、その力も随分と差があります」


「はい」


「この魔素は向こうにはありません。こちらに飛ばされた異界人の多くは飛ばされてすぐ、魔素で肺が灼けて死にます」

「……肺が灼ける?」

「はい。肺胞が灼け爛れ、呼吸が出来なくなって命を落とします。こちらには年間三十人ほどが飛ばされてくるのですが、生き残るのは一人か二人。それ以外はこちらの空気に肺が馴染めず、死亡します」

「三十――」


正行やアリノのようにこちらに飛ばされる人間が年に三十人もいるというのは、なんとなく多いように思えた。


「――意外と多いんですね」

「どうでしょうか。人間国から遠い山や森にはもっと多くの人間が飛ばされてきている可能性もあります」

アリノは柔らかく言う。


「日本以外からもこちらに来る人はいるんですか?」

「最も多いのは欧州です。こちらの文化を見れば分かるように、向こうの欧州から伝わってきたものは多い。対して、アジア、アフリカ出身の者は割合としては少ない。」

「こちらに来た異界人はどうなるんですか?」

「肺が灼けずに生き延びた場合、大抵は発見者からその土地の領主に連絡があり、保護を受けます。こちらの世界にとって、異界の知識や技術は貴重であり、こちらはそれを得る事で発展してきました。建築や医術、農業などにも、異界の技術は生かされています。私の場合は国王領で保護を受け、その後、ここで働くようになりました」


「アリノさんは向こうでは何を?」

「当時は、学者の卵でした。京都大学に籍を置いていましたが、ある日、登山に出かけた折、霧にまかれ、気を失いました。気づくとこちらにいて、この国で保護された、というわけです」


京都大学といえば、日本でも東大に続くほどの大学だ。日本でもかなり優秀な部類に入る人材だろう。異界人であるアリノがこの国で重用されているわけが分かった気がする。


「だから、異界人でも王宮でお仕事をされてるんですね」

「“メイスター”っていうのは、王族の相談役なの。私の教育係や、国王の相談に乗ったりしてるのよ」

ステラが教えてくれた。


「私はこの国で数年間、過ごした後、王宮に召し上げていただきました。ただ、こちらに来て最初の頃は言語の面で苦労をしました。正行殿の場合は竜の力によって言語に不自由しませんでしたが、普通、異界人はこちらの言語を覚えるのに時間がかかるものです」

「僕がステラ達と話せるのは竜の魔法なんですね」

「魔法……とは少し違うかもしれません。竜はそもそも他のどんな生き物とも意思の疎通ができるのです。竜の主には竜の力の一部が備わる。その一つが言語能力です」


「どんな生き物とも?」

「はい。竜は鳥や獣、魔獣、魔族とも意思を通じると。彼らが何を言っているかが分かるそうです」

「話せるってことですか?」

「いえ、彼らは自らの主か同族以外と話す事はほぼないそうです。竜は自らの主に対しては念話で意思を通じると聞きます。正行殿が向こうで聞いたのもおそらく竜の声でしょうな」

「そう……だと思います。ただ、卵から産まれてからはまだ喋っていません」


正行は窓際で日光に当たって昼寝をしている竜を見た。


「この幼竜もおいおい話す日が来るでしょう。私としては竜がどんな感じで話すのか、一度聞いてみたいが、そればかりは無理でしょうな」

アリノは冗談めかして笑った。




 こんな調子で三時間ほど講義をした後、その日の最後にアリノは訊いた。

「そういえば、正行殿は向こうで剣道をやっておられたのですか?」

「はい」

「であれば、剣を持つのなら、日本刀がよろしいのでしょうか?」

「日本刀?」

「以前、他国から献上を受けた品の中に、それと思しき刀がありました。私の目には日本刀のように見えましたが……なにぶん専門外ですゆえ」


 日本で教わった古流の技術は日本刀の特性に合わせた技術だ。日本の師範からは西洋の両手剣は切れ味よりも丈夫さに重点を置いて作られたと教わった事がある。フルプレートメイルという重い全身甲冑の上から叩きつけるように切るためだという。全身を厚い板金で覆うこの鎧は防御力に優れる反面、非常に重く、間接の可動域も狭い。転倒した場合、即座に起き上がるのは至難である。


 平坦な土地が少ない日本の場合は、山や林、時には湿地なども戦場になる。転倒の危険性がより高い日本では、可動性の低い全身甲冑ではなく、兜と胴以外の装甲を減らし、可動性の確保が為された。全身を覆う鎧の上から叩きつけて、相手の転倒や打撃による脳震盪を狙う西洋の両手剣に対し、日本刀は脇や手首、内腿など、相手の装甲の薄い箇所を素早く切りつけ、失血による戦闘不能を狙う。


 正行が日本で学んだ技術を用いるならば、高い切れ味と反りのある刀身を持つ剣、できれば日本刀が必要だろう。武器は自分の身を守るものとなる。慎重に決める必要がある。

「少し、考えてみます」

アリノは頷くと、ステラに言った。


「では、行きましょうか」

「え?」

言われたステラは小首をかしげた。


「メリダ様がそろそろお戻りになられますが、お忘れでしたかな?」

ステラははっとしたような顔をする。


「そうでした! 夕刻に戻ると」

ステラは正行の方を向いた。

「正行も……会ってみる?」

「俺も行っていいの?」

「お姉さまも新しい竜騎士に興味があると思うわ」

「お前も行くか?」

窓際の幼竜に問うように声を掛けると、翼をぱさりと動かした。


「では、皆で参りましょう」

 夕食の準備をするというジェインのみを残して、三人と一頭は王宮第二庭園に向かうことにした。

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