五章 火竜の騎士 第二話
謁見の翌日は、いつにもまして爽やかな朝だった。こちらの空は日本よりも青く、雲も日本より白い。朝食を食べながら、ジェインにそんな話をしたら、ジェインは竜が生まれたため、空が祝福しているのだと言った。工場や車の排気ガスがないからだと正行は思ったが、ジェインの考え方の方が素敵だろう。
朝食を食べ終え、じゃれついてくる竜と遊ぶ。そろそろステラが来る頃かと、何度も扉の方を見るが、いつもなら顔を出すはずのステラがなかなか来ない。昨日、泣いた事をまだ気にしているのかもしれない。何度か扉を眺めた後、今日は来ないのかと諦め、竜とジェインを連れ、庭に出ることにした。
竜は今日も庭を無邪気に駆ける。アイトラが動くたびに、日光が反射し、その美しい鱗がきらきらと輝く。正行はそれを見ながら、ステラの事を考えていた。
ステラには頼みたいことがあった。正行はこちらの世界をもっと学ばなくてはならない。そのためには先生がいる。できればアリノに教えてもらえるよう頼みたいと考えていた。しかし、正行の方から王女を呼びつけるわけにもいかないだろう。宮廷には宮廷のルールがあって、軽々しくそれを破るのは憚られる。それに、ステラはおそらく昨日の事を気にしているのだろう――。
小学生の頃なら――女子が泣く事はたまにあった。
随分、どうでもいいような理由で泣いていた気がするが、女子が泣くと、必ず泣かせた者は責められていた。中学に上がってからは女子の泣き顔を見た記憶がない。ステラはこれまで人に泣き顔を見せないようにしていたと言う。多分、それを見られたのは恥ずかしかっただろうし、泣いた原因は自分にもあるような気がしていた。何か言わなくてはいけなかったんだろうが、ああいう涙を見るのは初めてで、どぎまぎして何も言ってあげる事ができなかった。あの時、なんて言えば――
「お……おはよう」
待ち望んだ声がした。振り返るとステラが伏し目がちに立っていた。その顔は少し赤い。
「おはよう」
何も気づいてないふりをして正行は返した。
「今日は空が青いね」
努めて明るく話しかける。
「そうね……」
ステラは空も見ずに言う。
――女の子がちょっと泣いたくらい何も気にする必要ないのに……
と、ステラの感じがどこかいつもと違う。
よく見ると、昨日ほどではないが、普段よりも少し派手なドレスを着ているように見える。昨日のようなひらひらはないが、光沢のある薄青のドレスは彼女の淡い金髪によく似合っている。帽子をかぶっているのも初めて見た。淡いベージュのつばの広い帽子……それに唇には薄い桃色が差している。口紅だろうか?
「あれ? 今日って何かあるの?」
「えっ?」
「いや、何かいつもと感じが違うから……」
正行は「派手」と言わないように気を付けて言った。こちらの「派手」は日本育ちの正行の感覚とは違う。それに実際、ステラはその少し派手なドレスも上品に着こなしている。派手というより、華やか……と言うべきか。
「そ、そう? 今日はお姉さまが帰ってみえる日だから……」
「あ~」
そういえば、外交に出ていた第一王女がそろそろ帰ってくるという話を聞いた気がする。
「に……似合う?」
不安そうに上目遣いで聞くステラを元気づけるように答えた。
「大丈夫! すごく似合ってるよ!」
途端、ステラは顔を真っ赤にする。
「……ありがとう」
ステラは顔を赤くしたまま、また俯いて、小股でぎこちなく歩き、ベンチにちょこんと腰を下ろす。
――やっぱりまだ気にしてる
正行の知る彼女はもっと颯爽と歩き、全身から輝くように自信が溢れている。正行は触れるべきか迷ったが、やはり話すことにした。
ステラの隣に腰を下ろす。ステラは地面を見たまま、ぴくん、と硬直した。正行は目の端でジェインの位置を確認した。ジェインは庭を跳ねまわる竜を見ている。二人の声が聞こえない程度の距離にいる事を確認し、正行は慎重に話しかけた。
「昨日の事は気にしなくていいよ? 王女にだって泣きたい時くらいあるよ」
慎重に。極力優しく。
「き、気にしてない! 気にしてないから……!」
「……本当に?」
と問うと、コクコクと首を縦に振る。
しかし、気にしてないと云うわりには顔は赤く、全く目も合わせない。正行は心の中でため息をついた。
「ステラがさ、前に言ってくれたよね? 身分なんか気にしなくていいって。ステラも辛い時とか、誰かに話したくなったら、気にせずに話してくれていいからさ」
心の中のため息を悟られぬよう、朗らかに言う。
すると、ステラはおずおずと顔を上げ、うるうるとした目で正行の目を見上げた。心臓がトクン、と音を立てたような気がした。
「……本当?」
「ほんとほんと!」
ようやく顔を上げたステラにわざと大げさに頷いて見せる。これで行けるだろうか?――どきどきしながら、ステラを見守る。
「えへへ……」
恥ずかしそうにステラが笑った。
まだ少し顔は赤いが、気分は持ち直してくれたように見える。困難な任務をやり遂げ、正行は、ほっと一安心した。
「アリノさんはお忙しい? 頼みたいことがあるんだけど……」
ステラは何の話?という顔でこちらを見る。正行は昨日から考えていたことを切り出す。
「アリノさんに先生になってほしいんだ。俺はこちらの事をもっと学ばないといけない。アリノさんは向こうの事も知ってるから、学びやすいんじゃないかと思って」
そういえば、とステラは言った。
「お父様がメイスターを正行の教育係につけるって言っていたわ」
「陛下が?」
意外だった。しかし、それは随分と助かる。
「……昨日はお父様も厳しく話してたけど、多分、お父様は正行に期待してるわ」
正行には信じられなかった。王の迫力に圧倒されて、思うように話す事もできなかった。あれでは、さぞ失望されただろう。
「竜騎士に期待しない人なんていないわ。お父様だってきっとそう……」
そう言いながら、ステラはまた顔を伏せた。帽子のつばに隠れて表情が見えない。
「……それに……正行は優しいから……。きっといい竜騎士になるわ」
ステラは小声で詰まりながら言う。言われた正行には自信がない。
「いい竜騎士ってどんな存在だと思う?」
正行はつい聞いてみた。
「え?」
ステラは驚いたような表情で正行の方を見た。
「まだ――よく分からないんだ。竜がいれば、命を落とす人が減る。竜は強いから魔族を追い払う事もできる。でも、それなら竜さえいれば足りるだろう? 竜騎士は何のためにいるんだろう?」
ステラは少し考えて、庭で蝶を追いかけているアイトラを見て言った。
「私も分からないけど……、竜が独りぼっちだったら寂しいじゃない」
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